第35話 洪水の真実

「――待って!」


 想像以上に大きな声が出てしまい、私は自分でもびっくりしてその場で立ち止まった。


「クローディア様……まさか今の話、聞いてらしたの?」



 ローズマリー様と入れ替わるために黒に染めたであろう髪の毛先を掴み、リアナ様はプルプルと小刻みに震えている。

 もしこの目の前の女性がローズマリー様だとしたら、私のことを『クローディア様』などと呼ぶはずがない。彼女はローズマリー様ではない。ガイゼル様が言う通り、リアナ様なのだ。



「リアナ様、貴女はリアナ様なんですよね? 今日はアーノルト殿下との婚約発表をなさるご予定では?」

「それは……」

「殿下はもしかしたら、ローズマリー様のことをリアナ様だと勘違いなさっているかもしれません!」

「……そうね。今日は仮面舞踏会ですから、顔がはっきり見えませんもの。それにローズマリーほどの魔力があれば、アーノルト殿下を騙すことなんて容易いでしょうね」


 開き直ったように姿勢を伸ばして強がってはいるが、リアナ様にはいつものような冷静さが感じられない。



「殿下を……? どういうことなんだ、リアナ嬢」



 ガイゼル様が地を這うような声で言う。

 リアナ様の退路を断つように、ガイゼル様はリアナ様を睨みつけながらゆっくりとリアナ様の背後に回った。



「ローズマリーが私に成りすますことなんて、日常茶飯事です。いつも髪色を銀に変えては、貴族のご令嬢たちに嫌がらせをしたりしていたのですから」

「え……? ローズマリー様が、嫌がらせを? リアナ様に成りすまして?」

「ええ。今日もほら、こうして。ローズマリーと入れ替わるように言われたので、衣裳を交換して髪も黒く染めましたわ」



 頭の中が疑問符だらけだ。

 アーノルト殿下の婚約者候補のご令嬢たちに嫌がらせをしていたのは、リアナ様じゃないとは思っていた。でも、まさかそれがリアナ様に成りすましたローズマリー様だったと? 一体なんのために?

 リアナ様は言葉を続ける。



「お二人とももう分かっていらっしゃるのでしょう? ローズマリーは、昔からアーノルト殿下のことを慕っていました。魔力の高い自分が殿下の婚約者に選ばれて然るべきだと、信じて疑わなかったんでしょうね。あの事故さえなければ、殿下の婚約者候補は私ではなくローズマリーだったと思うわ!」

「事故? 何のことですか? リアナ様!」

「……私だって辛かったのよ! 事故のことは公にするなとお父様から厳しく言われてた。でも、でも……」



 リアナ様は、取り乱して泣き始める。ガイゼル様はリアナ様の肩を抱き、落ち着かせようと優しく声をかけた。



「リアナ嬢、落ち着いて。俺もディアもリアナ嬢を責め立てたくて聞いているわけじゃない。アーノルト殿下を救いたいだけです。事故とは何のことですか? 教えてください」

「……十年前に領地で起こった洪水のことです。あれは自然災害ではありません。ローズマリーがアーノルト殿下の婚約者になりたいと駄々をこねて感情がコントロールできなくなり、魔力が暴走したんです」


(魔力が、暴走?)


 リアナ様の言葉を聞いて、私は頭に雷が落ちたかと思う程の衝撃を受けた。


 私の家を、親を奪った十年前の洪水。

 あれは自然災害ではなく、ローズマリー様の魔力が暴走した結果だったというのか。


(自然災害にしてはおかしいと思ってた。ほとんど雨も降っていないのに、突然鉄砲水が押し寄せたんだもの)


 グレー一色に変わった村の光景を思い出し、私は眩暈に襲われる。



「ローズマリーの魔力の暴走で、ヘイズ家の屋敷の周りに大雨が降ったんです。屋敷の一角に雷も落ちました。大雨の中で燃える屋敷がとても異様だったのを今でもハッキリと覚えていますわ。被害は私たちの屋敷ではとどまらず、下流の村に洪水を引き起こしたんです……」

「嘘ですよね? リアナ様。あの洪水が、ローズマリー様のせいだなんて……」

「嘘ではないわ。お父様はローズマリーが魔力をコントロールできるようにするために、彼女を神殿に入れたんですもの。でもローズマリーも喜んで出て行きました。神殿で筆頭聖女になればアーノルト殿下の婚約者になれるとでも思ったんでしょうね」



(あの洪水で、一体どれだけの人が犠牲になったと思うの……? それなのに、まだ殿下の婚約者になることを優先して筆頭聖女を目指すだなんて)


 聖女候補生として神殿に入った時から、ローズマリー様は私の心の支えだった。時に優しく時に厳しく、たくさんのことを教えてくれた。

 姉のように慕い、尊敬していたローズマリー様。それなのに――


(あれ……? あの洪水を引き起こしたのがローズマリー様なのだとしたら、もしかして)


 イングリス山で土砂崩れに巻き込まれる直前、確か洞窟の外でおかしな音が響かなかっただろうか。

 どこかで聞いたことのあるような、ドーンという低い音。


 頭の中で点と点が少しずつ繋がっていく。


 十年前の魔力の暴走、雷、洪水。

 そして先週のイングリス山での土砂崩れ。


(どちらもローズマリー様が引き起こしたことなの? 魔力を込められたランプを渡して、私たちの居場所が分かるように目印にしたの?)


 冷や汗がだらだらと流れ、背中の傷にピリッとしみる。

 全てローズマリー様の行いなのだとすれば、私が今やるべきことは何だろう?



「……リアナ様。今のローズマリー様の狙いは、アーノルト殿下の婚約者の座ということですか?」

「もちろんローズマリーは殿下の婚約者になりたいでしょうね。むしろそれ以外は考えていないと思うわ」



 リアナ様に成りすまし、殿下のファーストキスを奪って、そのまま殿下と結婚する。それがローズマリー様の望み。



「リアナ様は、どうなさりたいんですか? なぜ今までローズマリー様の思惑を知りながら、事故の事を黙ったまま……!」

「私だってローズマリーがこの国の王太子妃になるのを止めたかった! あれだけの大災害を起こした本人が、何も知らない顔をして王太子妃になるなんて……私は許せなかった。だから、自分の気持ちを抑えて殿下の婚約者になろうとしたのよ」

「ご自分の気持ちとは?」

「私は……」


 リアナ様は一瞬口ごもり、肩に置かれたガイゼル様の手を振り払った。ポロポロと涙をこぼしながら、ガイゼル様から離れて壁沿いに立つ。

 


「……アーノルト殿下と結婚すれば、ずっとガイゼル様の傍にいられると思ったのよ」

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