第6話:「明けましておめでとうございます。今年も一年よろしくお願いします」
年明けの瞬間をテレビで見届けると、私はソファを下りて床に三つ指をついた。
「明けましておめでとうございます。今年も一年よろしくお願いします」
「え、あ、こちらこそ、よろしくお願いします」
座礼で挨拶すると、慌てて朱莉もそれに倣い、同様に返してきた。
同時に顔をあげてぱっちりと目が合うと、なんだかおかしくなってしまい、二人揃ってくすくすと笑った。
「なんか朱莉とこんなかしこまった挨拶するの、変な感じ」
「ねー」
「そういえば、これだけ一緒にいて初めてじゃない? 年が変わる瞬間、一緒にいるの」
「そうかも?」
言われて思い起こしてみると、確かに記憶にない。
「……うん、そうだね。じゃあ今日は記念日だ」
「何記念日?」
何も考えずに言ってしまった私が悪いのだが、いざそう言われると困る。
うんうん唸った末、苦し紛れに「……お正月記念日?」と何の捻りもない答えを返した。
すると朱莉はあははっと綺麗に笑った。
「お正月に記念日も何もないでしょ」
「でもさあ……――例えばお正月に付き合いだしたカップルとかって、どうなるの?」
当然の疑問だと思ったのだが、朱莉はいやいやと手を横に振った。
「新年早々、告白するとかほとんどないから。あったとしても、絶対もう付き合うの秒読みってくらい仲良いでしょ。その二人」
「確かに」
そりゃそうだ。
新年早々、フラれたい人なんて滅多にいない。
元々そこまで会う頻度の高くない社会人はともかく、学生のうちならそのまま正月休みでしばらく会えないのも、すごく気まずいだろうし。
「ま、いいや」私は話題を切り替えるように「それで、今からどうする?」
「んー。素直に寝るのもいいけど、せっかくだから初詣に行くのもいいよね」
「お、いいね~」
私は少し考えて「行っちゃう?」
朱莉もニヤッと笑い「行っちゃうかー!」
近場に良さげな神社がないか検索する。
あんまり大きすぎるところはダメだ。
おそらく駐車場は埋まりきっているし、臨時駐車場なんて遠くにありすぎてバスを待たなきゃ辿りつけない。
そしてそのバスも待ちが多いうえになかなか来ない。
何年か前に家族で行ったとき、寒空の下でえらく長い間待たされた。
あれはひどい目にあった……。
何分か探していると、朱莉が「ねえ、ここどう?」とスマホを差し出して見せてくる。
見てみるとそこそこの規模の神社だが、一方で『穴場』と書かれていた。
私たちは顔を見合わせて頷き、そこへ行ってみることに決めた。
神社に到着すると、確かにそこそこ混んでいるけれど、ごった返してはいないという感じの、絶妙な混み具合だった。
人ごみにはぐれないように注意しながら、そろそろと歩く。
と思ったら、右手を突然握られたような感触がした。
驚いてそちらを見ると、朱莉が左手で私の右手をとっていた。
「ほら、まあ、混んでるし?」
寒さなのか照れなのか。
そっぽ向きながら耳やら頬やら赤くする朱莉がいじらしくて可愛くて、堪えきれず笑いが溢れた。
「あははっ」
朱莉はバツの悪そうにいっそう顔を背けたが、私の笑いは簡単に止まってくれず、頑張って我慢したけれど「くくく」と少し漏れてしまう。
やがて不満気に、朱莉がこちらを見た。
「そんなに笑うことないでしょ」
「ごめんごめん、朱莉が可愛くて、つい」私は謝ってから「でも、実際に混んでるからね。仕方ないよね」
そう言って、まだ繋がったままだった右手に力を入れ、ぎゅっと握り返した。
朱莉は驚いたように一瞬目を見開いたが、すぐに表情を緩ませた。
なんとなく無言になり、そのまま二人で並んで歩く。
人並みに流されるようにしばらく歩いていると、やがて賽銭箱の前に辿りついた。
財布を取りださなくてはいけないし、もう人ごみもないのでぱっと手を離すと、さすがの朱莉も抵抗なくすぐ離してくれた。
少し迷って、まあいいかと五百円玉を取り出す。
二回礼をしてからそれを投げ入れ、パン、パンと二度拍手し、手を離さずにそのまま目を瞑る。
――今年もどうか、平穏無事に終わりますように。
そんな何の変哲もない願い事をし、顔を上げて最後に一礼してから隣を見ると、朱莉は何やらまだ願っているようだった。
少し経って「よしっ」と顔を上げた朱莉に問う。
「何お願いしてたの?」
「ん。内緒」
「えー」
「だって口に出すと叶わなさそうじゃん」
「何それ」
そんな言い伝えあったっけ?
とは言え、無理に聞き出すようなことでもないし、それに朱莉のどこか機嫌よさそうな顔を見ていると、どうでもよくなった。
さて、お参りも済んだし帰ろうか。そんな話になり、車まで戻ろうとしたところで朱莉が「あ、ちょっと忘れてた。すぐ追いつくから先に車まで行ってて!」と止める間もなく駆け出してしまった。
うーん、一人残されてしまった。
言われた通り戻ってもいいけど、そんなにかからないだろうし、待っててもいいんだけどな。
そう思ってぐるりと辺りに視線を這わせると、とあるものが目についた。
私は少しだけ考えて、その方向へと歩いた。
「朱莉ー? まだ?」
なかなか朱莉が戻ってこないことに焦れて走って行った方向へと向かうと、何かを書くためにか、白布の敷かれた机に向かっているようだった。
「あ、小枝。ちょうど今終わったところ」
声に気づき、ぱっと身体を起こした朱莉は手にあるそれを目の前の柵のようなものへと吊るすと、すぐこちらに歩いてきた。
……絵馬か。
なんとなく見てはいけないような気がしたが、朱莉の動作を追うときに、ちらりと中身まで見えてしまった。
あえてそのことには触れず、やってきた朱莉に「じゃ、行こっか」と声をかけ、二人で帰路に就いた。
そして車まであと少しというところで、ポケットを探り、朱莉へと「ほい」と差し出す。
朱莉は首を傾げつつそれを受け取り、「家内……安全……?」と首を傾げた。
「そ。プレゼント。私も同じの買ったから」
それだけ言うと意図が分かったのか、朱莉は表情を明るくさせて「ありがとっ!」とお守りを大切そうに鞄へと仕舞った。
家内安全とは家族全員の幸福を祈願するお守りらしい。
恋愛成就というのも私が渡すのは違うかなと思ったし、厄除けにしても厄年はまだまだ先だ。
健康祈願も捨てがたいが、家内安全を二人で持てばそれも包括しているような気がしたのだ。
もちろん私たちは家族じゃないけど、まあ二人で住んでるし家族みたいなもんでしょ。
きっと神様もわかってくれるはずだ。
帰り道、車を運転する朱莉は常ににこにこと、嬉しそうにしていた。
まったく。
単純なんだから。
私はそんな朱莉から顔を反対に向け、窓ごしに新年の景色を眺める。
車走る道には雪がなく、しかし道脇にはまだしっかりとその痕跡を残していた。
完全に溶けるのは、春を待たなければならないかもしれない。
でも、それでいい。
雪と一緒に思い出も長く残りそうな気がするから。
先ほど見えた絵馬に書かれた願いを思い出す。
――私の
おかしなものだ。
だって私を好きだと言った朱莉が私を『友達』と願い、朱莉をそういう目で見ていない私が『家族』として扱っているのだから。
なんだか妙な気分になり内心だけでくすりと笑い、ふと思い出して朱莉に「今何時?」と訊ねると「んー?」とカーナビへと目を凝らし「三時……十五分?」と返してきた。
まだちょっと時間あるけど、まあいいか。
私はうんと頷いて――
「じゃあせっかくだし、初日の出見てから寝るよー」
「えええ。そろそろ眠いよー」
私は黙って首を横に振り、言った。
「だめだめ。神様お迎えしなくっちゃ」
すると朱莉は呆れたように「無駄に古風なんだから」と呟き、そして「それも小枝らしいけどさ」と、どこか呆れつつも楽しそうに苦笑した。
「わかったならそれでよし」
「えらそーに」
「なんだとー!」
そうしてぎゃーぎゃー言いながらも、きっちり初日の出まで拝んでから、二人とも力尽きたようにベッドへもぐった。
寝正月に向けて途切れていく意識の中、微睡の中で思う。
今年もいい一年になりそう――。
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