第26話 ボクの特権です!
「失礼します」
憂鬱になりながらも入ると、そこにはあの三人の姿があった。優雅なティータイムは行われていないが、代わりにいかにも高そうな睡眠器具が机の上に並べられている。
「客人を待たせるとは、これだから庶民は……」
「あ、そのキャラまだ続けてたんですね……」
「誰がキャラよ! 誰が!」
「そうですよ。彼女は素でこれなのですから。まったく、いい加減直してほしいものですが」
そんな二人の掛け合いをよそに、大橋さんはアイマスクの位置を微調整しているようだった。どうやら三人とも、あれから変わらず元気でやっているらしい。
「で? なんでまたうちに?」
「よくぞ聞いてくれたわね!」
側近が問うと、待っていたかと言わんばかりに水瀬さんが口を開いた。
「そこのあんた! そう、えーと……」
「桜庭です」
「そう、桜庭! あなたをスカウトしに来たわ!」
あー、こりゃ今までで一番面倒なことかもしれん。そりゃ冗談半分で朝比奈高校に行きたいと思ったことはあるが、そもそも女子高じゃないか。この部長はマジの馬鹿なのか? でも、それならば秋野さんが黙って見ているはずもない。あと考えられるのは……。
「俺に女装させる気ですか……?」
「はぁ!?」
「……いくら偏差値に差があるとはいえ、フォローできないレベルの馬鹿ですね」
「うっ」
「あはは! 先輩……笑かさないでくださいよ」
見当違いなことを言ってしまったらしい。部長たちもこらえきれなかったのか、声を出して笑ってるし。
「風太君。本当に何も知らないのかい?」
ようやく笑いを抑えた部長が問いかける。とはいっても、知らないものは知らないのだから答えようもない。
「というと?」
「朝比奈ねぇ、来年度から共学になるんだよ」
そんなことは初耳だ。でも、部長たちの反応を見るに、結構知られている情報らしい。俺がただ情弱だったというわけだ。
「まー、とはいえ。風太君を渡すとはひと言も言ってないんだけどねー」
「部長……」
「ふっ。そこまでは想定内よ……玲(れい)!」
「いちいち命令しないでくれません?」
ぶつぶつと愚痴をこぼしながらも、秋野さんはわきに置いていたカバンの中から何かを取り出した。
「これは?」
「私たちが普段使用している睡眠用具……その中でもとっておきの物です」
見た目は何の変哲もない枕に見える。だが、秋野さんが自信を持って言うのだから、間違いはないのだろう。
「物は試しといいますし……一度寝てみなさいな」
「えーと……」
部長たちへと視線を送る。引き抜かれない自信があるのだろう。彼女たちは「行け!」と言わんばかりに首を大きく縦に振った。
「それじゃ、失礼します……」
正直どうしたらそこまで自信をもてるのかわからないが、こうなってしまっては誰も止めてくれない。大人しく、秋野さんが空けてくれたソファに寝転がる。
そして枕に頭を乗せた瞬間、俺はその恐ろしさを実感した。
「こ、これは!」
ふわっと後頭部全体を包み込んでくる感覚。だというのに、決して柔らかすぎるわけではない。沈み込む感覚は頭の自然な位置で停止し、決して違和感を覚えさせない。そして最も評価すべき点は、こいつがウレタン素材であること。このフィット感は、充足感はウレタンでなければ成しえない。
「どう? 最高級の寝具メーカーから取り寄せた極上の一品は」
「もちろん、あなたがウレタン派であることはリサーチ済みです。お気に召さないなんてことはあり得ないと思いますが」
「す、すごい……です」
人を安眠へと誘う心地よさ。もうダメだ。自らの睡眠欲に抗えそうにない。そして、深い闇に落ちそうになった時。俺を支えていた綿雲が一瞬にして後頭部から引きはがされた。
「ちょ、ちょっと!」
「これ以上はダメです。まぁ、我が朝比奈に転学してくれるというならいくらでも体験させてあげますが」
くそ、やり方がうますぎる。だが、俺も一応拾われた恩はある。そう簡単に朝比奈へと行く決心などつかない。
態勢を整え、きっぱり断ろうとした。
「もちろん、気に入ったのでしたら自宅に持ち帰っても構いません」
「うっ……」
なんと甘美な誘いだ。秋野さん。しっかりしているとは思っていたが、交渉術にも長けていたとは。誘惑に負ける前に、なんとか話題をそらさねば……。
「にしても、どうして俺なんかを? ほかにも有力な人はいるでしょうに」
「あなたには才能があるからです」
またド直球に攻めてきた。才能? そりゃ、武器は手にしたけど、果たしてあれが才能と呼べるものなのだろうか。
「ご自身で気づいていませんか? デビュー戦で自らのポテンシャルを発揮できていたこと。あれこそが才能の片鱗だと私たちは感じましたが」
だとするなら、それは俺の手柄ではない。妹ちゃんと……認めたくはないが側近君のおかげだろう。これでのこのこと着いて行っても、ボロが出るだけだ。
「口で言っても納得できないようですね……」
そういうと秋野さんは俺の隣に腰かけてきた。蠱惑的な視線で、俺をじっと見つめてくる。彼女の瞳を見つめていると、俺の視線はいつの間にか天井を見上げていた。
「え……?」
脳の理解が追い付いていない。だが、痛みがないということは殴られたわけではないらしい。それどころか、後頭部に何か柔らかいものが……。ん?
「どうです? 私の膝枕は」
視界に秋野さんの顔が入ってくる。にやにやと俺の顔を見つめているが、今はそんなことはどうでもいい。
「えーと、状況が呑み込めないんですけど?」
「状況も何も、今起こっていることが全てですが?」
「ストーップ! スストーップ! それ以上はダメっす」
妹ちゃんの悲鳴ともとれる叫びが耳をつんざく。チラリと彼女に視線を移すと、想像以上に焦っていた。開いたままの口は、次に発する言葉を見つけられずにわなわなと震えている。
「先輩への膝枕はボクの特権です!」
ようやく吐き出した言葉はそれだった。俺はチョロい男だぞ? それプロポーズと受け取りかねないよ?
なんてことを言えるはずもなく、さらにとげとげしい空気が部屋を支配する。
「と言いながら、ここまで何も言わず静観していたのはあなたたちのほうではないですか?」
「それはイチイチ構っていたらキリがないからだろう。マウントは取れるのに、人の考えまでは汲み取れないようだな」
「い、言ったわね……」
なんかめちゃくちゃ険悪な空気になってきたんですけど……。こんな状況で膝枕されている俺ってなんなんだ。一時避難も試みたが、秋野さんに手で抑え込まれているせいで身動きが取れない。さっきから思ってたけど、この人力が強すぎない?
「ま、君たちが何をしても風太君は渡さないよ」
こっちが手詰まりになった時、部長の一声が入った。いつものようにぽけーっとしているようにも見えるが、その目はいたって真剣だ。
そんな部長のセリフも、朝比奈の睡眠部はもちろん織り込み済みであったらしい。誰一人動じることなく、部長に視線を送っている。まぁ、約一名アイマスク越しなので見ているかは定かじゃないが。
「だったら、こういうのはどう? 桜庭君により質の高い睡眠を届けられた部に所属してもらうというのは」
明らかに部長を煽っている。普段の部長なら、こういう挑発は受けないんだけど……。
「よし、やろう」
「部長……」
なんだかんだ言っても、やっぱり大切にされていたんだ。普段寝るか発明しかしないし、何か用事があっても実験台か雑用がほとんどだったから正直不信感はあった。なんか今まですみません、と心の中だけでも謝っておく。
そんなことをしているうちに、水瀬さんは着々と勝負の準備を進めていた。応接室が、あっという間に寝具で埋め尽くされる。というか人の学校で何をしているんだこの人たちは。
「よし、それじゃ桜庭君。ここに」
ようやく膝枕から解放され、促されたのはごく普通のベッドだった。さっきの件もあったから、このベッドにも仕掛けがあるんじゃないかと疑ったが、寝てみると何の変哲もない。ビジネスホテルにありそうなベッドであった。
「勝負は一ターン五分。桜庭君が寝た後に数値を測定する。これでいいわね?」
「うん、いいよー」
こうして、なぜか俺の争奪戦は幕を開けたのだった。
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