(陸)下準備・弍
ユキたちは、川沿いの簡素な造りの宿を選んだ。案内されたのは二階にある小さな座敷で、二人と一振りで満員になってしまった。
部屋に通されてすぐ、興長は部屋の四隅に人型の紙を貼り付けて、ぼそりと呪文を紡ぐ。それから適当な紙に飴玉を吐き出して、水筒の水を口に含んで、自分の身体に触れてまた別の呪文を紡いだ。
「これでよし。人除けの結界は張っておいたから人は来ないはずだ。どうだい、ここは。中々身の丈にあっているだろ?」
「かっちりしすぎてなくて、俺は好きです」
「その通り、呑気で平凡な旅暮らしの親子にはぴったりだ。ついでに人の管理が杜撰で、出入りしやすいときた」
「そういえば、俺たちを尾けていた人もいなくなりましたね。……俺、小芝居とか苦手なんですけど、上手くやれたでしょうか」
「うん、落ち着いていた。それに、追ってきてた奴らの狙いは僕らというより、匂いだ。風に流されてほとんどないようなものだけどね、小屋辺りの香りが残っていたんだろうな。シルバ殿と関わりがあるかどうか怪しんだんだろう」
ユキは小さな窓からそっと外の通りを覗く。夕暮れ時の人の往来に、不審な目はもういなかった。
「疑惑は晴れたんでしょうか」
「それほど強く残ってはいないからね。櫻葉某は警戒心はちゃんとしていない、という方が近いかな」
「そうでしょうか。屋敷のところと、通りにも見張はいっぱいいました」
「あれはそうでもないよ。人の恨みを買いやすい立場を考えれば少ないくらいだ。よほど自信があるのか、或いは危機感が足りていないんだろうさ。シルバ殿についても、まあ逃げ切れるわけがないと踏んでいるのかなァ、追手が少ないとは思わないか?」
興長は苦笑した。確かに、木立を抜けて街道に出ても、町中でも数は少なかった。割かれた人数が少ないか、アンドレの焚いた香が功を奏して明後日の場所にいるのかは定かではない。
ユキはそういえば、と思い出した。先ほどの親切そうな人から、怪しい飴を受け取っていた。
「興長さん、さっきの飴ですけど……」
「ああ、あれ」
「舐めない方が良かったんじゃないですか」
「なぁに、つまらない毒だ。変な混ぜ物をしていた──シルバ殿の香と近いものを感じたから、彼の言っていた市民を使った実験とやらじゃないのか。子供に対して、経口接種した香の効き目を試したかったんだろうよ」
実験、の一言にぎょっと目を剥く。
「そんなの食べて大丈夫なんですか!」
「ああ、いや、言い方が悪かったな。軽い幻惑を誘うだけのものだから大した毒ではないよ。それに僕にはある程度こういったモノに耐性があるし、他の人だって大した被害は出ないように調整されている。表沙汰に騒がれることはないだろう」
「そんな……」
「少し
興長は肩をすくめた。
「ま、アイツも僕が不用心に食べたことで警戒を緩めたろう。なんて愚かな旅人だろうってね」
「……何処の町でもこうなんですか」
そんなにも無法地帯なのだろうか。それ自体に大した効果はないと言え、旅人に毒を盛るような土地だなんて、いくらなんでもひどい。
まだ此処は芥間の領地内であるはずで、そこを好き勝手に荒らされてるかと思うといい気はしない。
「治安維持隊はこの町にもいましたよね。町を任されたお役人もいるはずなのに」
「さあなあ、袖の下でも受け取ってるんだろ。このラインまでは大丈夫、お目溢しをしてやるって具合にな──大した被害が出ていないんだろうよ。ちゃんと取り締まっているところは取締られているし、ここもじきに手が入るはずだ。領主様はのんびり構えているように見えて、やる時は早いんだぜ」
「そうだったら、いいんですけど」
「それに、本当に僕の言い方が悪かったけど、こういう商売はままありがちなんだ。旅人だったり、如何にも騙されやすそうな子供を狙って長期的に見れば害しかないような、気分の良くなる薬を売りつけたりさ。或いは確率の低い賭け事に興じさせたり。それがクセになった奴らが身を滅ぼすのは珍しい話でもないんだよ。度が過ぎなければ、それで罰せられもしない。それどころか契約を気が付かぬうちに結ばせられてることだってある。身を滅ぼした奴の自業自得ってな」
「……知らなかった」
溢して、ユキは眉根を寄せた。
皺寄った眉間をほぐすようにおえんがぐりぐりと指先を押し付けた。「おまえは気にしすぎだ」と言われればそれまでだ。ユキの生きてきたあの屋敷内がどれだけ平和だったのか。もしも芥間に拾われなければ、自分などすぐに食い尽くされていただろうと、想像に難くない。
興長はすまんな、と一言断ってから荷物から紙を取り出した。筆入れからペンを取り出すと、町の簡易的な地図を描き始める。
「話を戻そうか。彼の危機感が足りないとは話したが、後ろ盾のないシルバ殿とは言え、彼は異邦人だ。対応をしくじれば火は大きくなりやすい──櫻葉もそろそろ焦っている頃じゃないかな。シルバ殿は命を狙われていると言ったが正確ではない」
「捕まえるのが目的ですよね、きっと。確かに香の技術は他所に渡したくも、みすみす逃すのも嫌がるのはわかります」
「そう、生かさず殺さずだな。痛めつけて、逃げられないようにして、あとは薬でも盛るか、どうするか。想像もしたくないがそんなところだろうよ」
興長は地図に印をつけ始める。屋敷の場所の他にいくつか×印を刻んだ。ユキが視線を感じたのと同じような位置だ。更にトントン、とペン軸を二度叩いて墨の色を変えると、何箇所かに丸を描く。
「屋敷の辺りの様子は覚えているかな。カゲユキ、妖刀殿」
「見張の位置も、脇道も覚えています。おえんも」
「トーゼン、あたしも覚えてるぞ。ウン、あたしらの立ち回りは特殊だからナ! いい感じに跳んで走れそーな道は目星をつけといたぜ!」
「きみたちに頼みたいのは、来る前に言った通り囮だ。縁を切るには櫻葉を引き出さないといけないで認識はいいかな」
「はい。どの色が、誰との縁かわからないので……」
「櫻葉本体を誘き出すには、やはり友人殿を使うに限る。とはいえ本物を使うわけにはいかないからね、きみがそのフリをするというわけだ」
「フリというと……背丈も見た目も違いますが……」
「そこは僕に任せて」
興長がそう言うならば、ユキとしては異論はない。策があるのだろうと頷いた。
「さてと、妖刀殿にもひとつ頼み事があるんだ。僕ひとりでは使えない妖術だが、あなたになら使えるだろう」
「あン? やけにしおらしい頼み方だナ? おいユキ、要件を言えって言ってくれヨ」
「……興長さん、おえんに頼むのはどんな術ですか」
「転移の術を二回ほど」
見えていないはずなのに、興長はおえんの方に笑顔を返した。指を一本ずつ立てる。
「一度目は三人でシルバ殿の小屋の前に行く。二度目はカゲユキと妖刀殿だけ、もう一度この部屋に戻って来てもらいたい。無論、門は通らずに」
「転移! あははは、そう来たか!」
ユキにはなんのことかわからないが、おえんは覿面に顔を輝かせた。
「これもカゲユキの損にはならないはずだ。どうかな、妖刀殿はやってくれるだろうか」
「おまえとは契約しねェぞって言ったのに忘れたのか? ひひひ、だがナ、そーいう欲張りな奴は気に入ったぜ」
「……いい、みたいですよ」
「おお、話の通じる妖刀で助かる!」
おえんは喜色満面、興長も安堵に表情を緩めた。ユキだけ置いて行かれている気がして少しだけ口を尖らせる。二人だけが楽しそうなのだ。羨ましい。
おえんは笑いながら、ユキの頬を突いた。拗ねた子供を扱うようで、やはりユキは不満である。
「転移って、場所を移動するんでしょ。そんなに楽しいの」
「とんでもない妖術なんだぜ、転移ってのは。あんまりお目にかかれねェどころか、負荷がでかすぎて使おうって人間自体珍しいんだナ! モンモンってば大胆、ユキは超ツイてるぜ」
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