(漆)妖刀えんきり・弐

「流石に何日も此処に閉じ込められはしない……はずだから」

「本当かぁ? それ、人間お得意の気休めってやつだろ」

「来る前に旦那様付きの方と立花さん──俺たち使用人の中で一番偉い人たちに、坊ちゃんに呼ばれてここに来ることは伝えているんだ。明日も朝からやらなきゃいけないことはたくさんあるし、こういうこと・・・・・・も珍しくはないし。時間に間に合わなければここまで来てくれるとは思う」


 いくら俺が嫌われ者でも、と無感情に付け加えるのを少女は興味深そうに眺めていた。暗がりでふたつ瞳が爛々と光る。その瞳に映り込んだ自分の姿がなんだか見慣れなくてたじろいだ。

 少女はくるくるとユキの周りを回りながら、物珍しいものを眺めるように、ゆっくりと観察している。すぅ、と息を吸うと、唐突に変なことを口走った。


「そういえば、おまえはいい匂いがするよナ」

「は?」

「いい匂いがするンだって。だから起きたンだ」


ユキは反射的に腕を鼻先に持ってきていた。ありえない、いい匂いどころか、水を被ったま生乾きで放っておいたものだから、えた臭いがするような気もする。身体中埃や砂で汚れてもいて、今更ながらそれに気がついて赤面した。

 相手が妖刀だとしても見た目だけは可愛らしい少女だ。皮肉かもしれないと、俯いた。そろりと距離をとる。


「……ごめん」

「謝ってばっかだナ! そんなことはどーでもいいケドさ、ナ、おまえは剣士だろ?」


剣士、の言葉にユキは顔を跳ね上げた。剣を取り、巧みに操り、それで生計を立てる人。ある人はその技術を伝え、ある人は困る人の助けとなるように剣を振るう人──間違いなくユキの目指す姿である。


「ううん、俺はまだ剣士とは呼べないよ」

「いンや、呼べる。そもそも妖刀あたしが見間違えるもんか! その目は剣士のそれだ。その掌は剣士のそれだ。おまえからは剣士の匂いがするんだもん」


 妖刀は気が変わった、とユキに座るように促した。自分も手近な箱に腰掛ける。ユキは縮こまるようにして座って少女を見上げた。刀は依然ユキが握っている。


(どっちがこの子の本体なんだろう)


ふとそんなことを考える。

 異様な軽さの刀は、自由を得るためにユキにその刀身を抜かせた。芥間ほどの剣士にも抜かせなかった刀だ。出られないとなれば、用済みとして始末されるのかと不穏な考えが過ぎった。そもそも、この妖刀がどんな力を持つか知らない。


(殺される前に、せめて交渉しなきゃ)


身を固くして考えを巡らせていると、


「ひひひ、そー怖がるナって! あたしはおまえが纏ったその匂いに惹かれたんだ。言ったろ? 好みじゃなけりゃあたしを抜かせたりしないンだってさ。おまえを食ったりなんかするもんかよ」


少女は見透かすように爽やかに笑った。


「ユキ。あたしはおまえに興味がある。これっておまえにとっても悪い話じゃないと思うぞ」

「興味? 俺に?」

「うん。おまえの目指すものはなんなんだ? おまえの心は此処にはない、どっか別のところに囚われてるンだろ? ナー、おまえ、一体どこに置いてきたンだヨ。おまえの目に映る、心を占めるそれ・・はなんなんだ? おまえの物語を聞かせてくれヨ」

「俺の話を、きみに────」


 迷って、考えて、躊躇ためらって、それでも話そうと思えたのはすでにこの妖刀に呑み込まれていたのかもしれない。或いは芥間以来初めてユキに興味を示した人がいたのが、無意識に嬉しかったのか。

 聞いて欲しいと思った。父を知って欲しい。あの事件の真相が不確かなものだと思って欲しい。

 そっと口を開く。言葉を紡ぐ。



+++



 ユキの知る限り、 生天目なばためカゲヨシは不器用だが優しい父親であり、強い剣士だった。

 かつてはどこか遠い町の屋敷に勤めていたのだが、息子が生まれたのを期に暇を願い出たと聞いていた。彼は幼い息子とふたり、ふらりと旅の果てにたどり着いた小さな村に、粗末な小屋を建てて質素に暮らしていた。

 その村で道場を開くのが彼の夢だった。ユキと二人で生天目流の道場を築いて盛り上げていくのだと語る声が今も聞こえるような気がする。ユキもそんな父の背中を追って、憧れて、無邪気に棒切れを振り回していた。


 カゲヨシは善人を目指していた。

 常から「人を救う善い剣士になりたいのだよ」と語っては人助けに奔走していた。村でもよく働いて、周りの人からもとても好かれていたと思う──あの日までは。


 八年前。

 その日のユキは、町に鶏を売りに行った父の帰りを待っていた。村の若い者が怪我をして、代わりに行ってこようと出かけたのだ。珍しい話でもない。

 いつも通りに飯の支度をし、日銭の足しにしている籠を編んで、終わってからは父から教えられた剣術の稽古をして、洗濯まで済ませたが、辺りが真っ暗になっても父は戻らなかった。

 代わりに来たのは、横暴な男たちだった。おろおろと狼狽えるユキの目の前で家を壊し始めたのである。


「これより生天目の家は無い。お前の父は咎人なのだ」


冷たく見下した双眸には軽蔑の色が浮かんでいる。男らは、横暴を止めようと暴れたユキを乱暴に掴むと、地面に捩じ伏せた。ユキには何が何だかわからなかった。


「父さんが何をしたんですかッ! なんかの間違いだ、父さんに会わせてください!」

「生天目カゲヨシの犯した盗み、殺し、騙しの咎により、お前は咎人の子となる」

「父さんと話をさせてくださいッ! きっとなにかの────」

「お前の父は死んだ」


 誤解だ、と言いかけた言葉が何処かに落っこちた。ひゅっと息が溢れる。何を言われたのかを咄嗟には理解できずにいた。

 そのうちに家は荒らされて、めぼしいものは全て取り上げられた。粗末な家だったからか、男たちが大きな槌を振えばあっという間に崩れ落ちた。周りの人たちは遠巻きに眺めるばかりで、ユキ自身もただ茫然と奪われていくのを眺めるしかなかった。

 優しい父、厳しい父、剣士として憧れたその背中。一緒に追っていた夢も、慎ましくも楽しかった日々も、たった一夜で消えてしまった。

 泣き喚いても、叫んでも、ユキには何も変えられない。



 身寄りも帰る家も名前も失ったユキを救ったのが芥間イヅミだった。

 芥間は予告もなく現れると、


「その子は私が引き取ろう」


そう言って地面に転がるユキを立ち上がらせた。横暴だった男たちは、いきなり礼儀作法を弁えたようにあれこれと言ったのだが、芥間の気を変えることは不可能だとわかるとアッサリと去っていった。

 はるか高い所にある顔を見上げて、人間然とした雰囲気がまるでない男だと、ユキは思った。

 妖しい色の瞳が高いところからユキを見下ろしていた。じっと観察されて、よく似ている、と聞き取れないくらいに低い声がこぼれるのを聞く。なんと声をかけるか迷っていると、男がゆっくりと声を落とした。


「はじめまして、生天目ユキノスケ。私は芥間だ」

「芥間……様。もしや、芥間イヅミ様、ではないでしょうか」

「私を知っているのか」

「父からお名前を聞いてます。友人だったと、とても素晴らしい剣士だったと、その、父がとても世話になったと──」


嘘ではない。最後に道を違えたけれど彼は良い友だったと語っていた。いつかユキにもそんな友が現れるといいな、と笑う父を思い出して鼻がつんと痛む。

 芥間の顔をそっと伺い見る。先ほどまでは無感情だった顔に、明らかに喜びと、そしてわずかな悲しみの色を浮かべていた。


「カゲヨシがこの私のことを? 息子である君にそう語ったのか」

「は、はい。良き友であったと、今や追いつけないほどのところにいらっしゃると。芥間様の話をする時、父はいつも楽しそうだったのでよく覚えているんです」

「そうか、そうか。誰が追いつけないものか、ばかなことを言う──あいつらしいな」


幸せそうに微笑みを浮かべていた芥間だが、すぐにすっと表情を戻した。それから膝をついて、ユキに視線を合わせた。

 そっと造形を確かめるように頭、頬を撫でられる。


「……此度のことは本当に残念に思う。きみの父にもやむを得ない理由があったのだ。きみの父はどこまでも善い男だからな。忘れるな、きみの父は最期まで高潔な剣士だった」

「あ、あの、父はやはり……」


死んだのか、と聞けば芥間はゆっくりと頷いた。嗚咽おえつを堪えるユキの頭をそっと撫でて、優しい声を紡いだ。


「私の家に来るといい、ユキノスケ。今すぐには息子として迎えることはできないが、君には雨風しのぐ家は必要だろう。いずれは君も父のような剣士になるのだ。我が家ならば剣の稽古も続けられような────ああ、きっとそれが一番良かろう。そうしよう」

「芥間様、そんなにしていただくわけにはいきません」

「よくお聞き、ユキノスケ。私は押し問答というものが嫌いなんだ。変わらぬことで駄々を捏ねることは無駄なことこの上ないだろう……わかるね。さあ。きみは何も言わずに私の家に来れば良いのだ」


有無を言わさぬ視線に、ユキは慌てて頷いていた。迷うべくもなく、家も名も頼る人もいない自分にとっては最良の話だ。それに、この人には逆らってはいけない──本能的にそれを感じたのだと思う。

 こうして、ユキは芥間屋敷に引き取られた。


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