(伍)転機・弐

 転んだ拍子に口の中を噛んでしまったらしい。ざらりとした古い空気を吸い込むたびに咳き込んで、広がる尖った味に顔をしかめながら、ユキは慎重に身体を起こした。


 芥間イナタはとうに立ち去っていた。辺りの人払いはとうに済ませてあるのだろう、人の声ひとつ聞こえない。流石に時折は見廻みまわりが来ることもあるだろうが、イナタに睨まれることを承知の上で助けてくれるかどうか。期待はできない。

 ため息混じりに扉を押したり引いたりしてみたが、やはりうんともすんとも言わなかった。ご丁寧に通常の鍵の上から、妖術で重ねて施錠したらしいのだから、用心深い。こうされてはユキにはどうすることもできないし、なんなら妖術にそれなりに慣れた人でなければ解除も難しいものになっているのだろう。


 幸い、採光用の天窓からの光で、閉ざされていても暗くはなかった。夜も月明かりが差し込むからまるで視界を失うことはなさそうだ。妖術が使えれば備え付けの洋燈ランプを灯せたのだが、ないものはどうしようもない。今、見える範囲でやるべきことを片付ける他ないようだ。

 ユキがぶつかって崩れた山は巻物やら金物やらが大半で床にぶちまけられても、幸いにして壊れたものは見当たらなかったことに安堵する。物を盗んだことへの冤罪はどうにか晴らせても、壊してしまえば言い逃れはできない。


(ここなら人目もないし、日が明るいうちにとりあえず片付ければ、いつもより長く稽古ができそうかな……)


そう考えれば悪いことばかりでもないように感じられた。極論、来る頃に素っ裸ででもいれば、盗んだモノもないことは分かるだろう。かつては真冬に服を取り上げられたこともある。耐えられないこともない。

 

 この小さな蔵の中は文字通りガラクタの山だった。

 希少価値の高そうなものはこれひとつも見当たらない。日焼けしてしまった古いばかりの本、虫喰いだらけの巻物、一時期だけ流行った異国の布、朽ちた菓子入りの瓶に、古い燭台に、化粧箱。虫や埃を被ったそれらを種類ごとに箱に分けつつ、紙に書き出していく。傾いた棚を古布で拭き上げる。軽そうなものを棚に収めていく。

 壁のそばには崩れかけた階段があり、天井近くにまで届いていた。ユキはするするとそれを伝ってはめ殺しの天窓の埃も拭った。どこか粘ついたそれを取り切れば、少しだけ蔵の中も明るく見えた。一度降りてから、段差を棚がわりに軽めの箱や古紙の類を積み上げておく。こうすれば登れない。


(坊ちゃんが間違えてここを登って怪我をしても、多分僕の仕業になるんだろうし)


そうなれば誰も得をしない。

 あちらのものを磨いてこちらへ、こちらのものを磨いてあちらへ、そうこうするうちに日が暮れる。とっぷりと闇が降りて月が昇る頃になれば、蔵の中にはそれなりの隙間が出来上がっていた。


 月明かりが差し込むばかりの薄暗闇である。目を凝らせば見えないこともない。

 ユキは手近なものを磨きながら、ふと、異様なものに気がついた。ガラクタの中で、ひとつだけ明らかに異質なモノがあるのだ。なんとなく触れてみて、持ち上げてみれば恐ろしいほどに軽い。しかし、その形は慣れ親しんだものだった。


「……刀?」


月明かりにかざせば、黒く汚れてはいるもののかなり立派なこしらえだった。そっと指先でなぞっていくと、不思議とその刀だけ鮮やかにユキの瞳に映りだした。


 つか捩巻ねじりまきつばは透かし彫りの花の紋様、鞘は朱地の蒔絵まきえり。ひつこうがい小柄こづかには水面のように円が重なった揃いの堀りが刻まれていた。

 丸ごと磨き上げればさぞ美しかろうというのはすぐに分かった。ユキの父もいくつか刀を持っていたが、どれも無骨なものばかりだったから、物珍しさにユキは目を輝かせた。

 あまりに軽くて、祭事用の模造品イミテーションか、或いは子供用の玩具か。成人前の子供に玩具の刀を与えることは珍しいことではなく、ユキ自身も父が木刀をくれたことを覚えている。


(旦那様が昔に坊ちゃんに渡したものを仕舞っていた……にしては、古いし、汚れている。坊ちゃんがこの丈に合うような背丈になられたのもここ一年のことだし……)


ユキは何の気無しに刀身を抜き放った。


 閃く銀光、空を裂く鋭い音。

 軽さに見合わず分厚い刀身が月明かりに輝いていた。そっと指先で刃に触れれば、ぷつりと皮膚が切れて赤い線になる。


(この刀はなまくらなんかじゃない)


 それもきっとかなりの業物わざものだ。ユキは訝しんで刀を持ち替えては首を捻った。なぜこんなところで眠っていたのだろう。

 切れ味もあって、美しい装飾も施されて、それなのにこんなにも軽い。決してガラクタなんかではないし、持っていて忘れるようなモノでもなさそうなのに、誰一人気が付かずに蔵に放っておかれている。本当に────


「……変な刀」

「……おうおうおう! 変とは随分な物言いだな?」


 溢れた声に、少女の声がわずかに重なった。反射的に柄を握る手に力を込める。

 ユキの上方──慌てて振り返ったそこに、ひとりの少女がいた。宙に胡座あぐらをかいて、膝に肘をついて頬杖なんかして、不満そうに口を尖らせた。


「おまえ、失礼だな」


 見た目、歳の頃はユキとそう変わらない。身に纏う衣もどこか古臭いがユキ自身古臭いものばかり着ているから人のことは言えない。それが、頭の上でユキをじろじろと観察してくるのである。


「ふうわっ、妖術臭え臭え、これっておまえの臭いか? …………うんにゃ、違うナ。おまえの方は良い感じだ、この臭いは別な野郎か。あたしも久々に起きたが、ふむふむ、辺りの景色記憶通り──とはいかねぇケド、変わり映えしない蔵ン中。あれもこれも覚えてる。あたしの記憶にいないのはおまえだけだナ。それで、寝起きに超失礼な挨拶をかましてくれたおまえは誰だ?」


 紛れもなく、異様な光景。少女はつらつらと勝手に口を動かした。


「まあ誰でもいいか! へへ、なんにせよ外に出られたンだからナ! くぅぅ、やっぱり外の空気はうまい!」

「……ここ、すごく埃っぽいけど……」


 まだ出られていないし、と戸惑うユキをよそに、少女ははしゃいだ声を上げた。きらきら、少女の周りで月光が不自然に跳ねて散っている。ちょうど刀身が光るそれと似ていた。


(これ、まさか妖魔妖物とかの類かな……)

 

自分はとんでもないナニカを呼び覚ましたのではないかと、背筋にたらりと汗をかく。だからこんな場所に封印されていたのではないか。

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