Phase 03 顧客データ

 律が作業をしている合間に、僕はアジトの近くのファミレスで碧と会うことにした。なんとなく、碧と話がしたかったからだ。

「碧、久しぶりだな」

「そうね。怪我の方はどう?」

「まだ少し腹部が痛む時があるが、刺された時よりはマシだ」

「よかった。薫くんが死んじゃったら、アタシの身を委ねる人がいなくなっちゃうから」

「それはどういう意味だ」

「薫くん、アタシの傷痕見たでしょ」

「なぜ、それを知っているんだ」

「ホストに潜入して帰ってきた時、うっかり服を脱いじゃったの。多分、泥酔していて自分でも何をしているのかよく分からなかったんだと思う。アタシは、見ての通り自傷行為リストカットの常習者よ」

 碧が、薄手のパーカーを脱ぐ。ノースリーブの白い腕に、痛々しい傷痕が付けられていた。僕は、あの時フラッシュバックした記憶のことを碧に話すことにした。

「碧、君は高校生の時からリストカットの常習者だったのか」

「そうね。アタシ、いじめられることが多かったの。自分の頭が悪かったっていう自覚はあるんだけど、それだけの理由でいじめられていたのは事実よ。何度も自殺しかけたし、校舎から飛び降りようとしたら薫くんが止めてくれたのも覚えている。こんなアタシでも、こうやって生きている。だからこそ、薫くんにも生きてほしいんだ」

「そうか。身を委ねる相手か。それは、『誰かを愛する』ということでもあるのだろうか」

「いくらなんでも、それは言い過ぎじゃない?」

「そうだな。少し言い過ぎたかもしれない。それはともかく、話を変えよう。碧は本村准二を知っているか」

「知っているに決まっているじゃないの。『プリティ・プリンス』のリーダーじゃないの。もちろん、彼が主演を務める『レジェンド・オブ・ノブナガ』も見に行く予定よ」

「矢っ張り、こういうのは女性に聞くべきだな」

「急にどうしたのよ」

「本村准二は、裏で半グレ集団と繋がっている」

「マジで?」

「本当だ。暴露系インフルエンサーの『にっしーチャンネル』は知っているか」

「知っているけど……彼ってアイドルファンからの評判が悪いのよね」

「まあ、そうなるわな。それでだ、『にっしーチャンネル』を運営する西谷和義という人物から『本村准二が半グレ集団と繋がっているという明確な証拠を調べて欲しい』という依頼を受けたんだけど、ビンゴだったよ」

「ビンゴだったって、何がよ」

「本村准二は祖露門ソロモンが運営するオンラインカジノの優良顧客だ。僕がこの『目』で見たから間違いない」

「目?」

「ああ、碧に話していなかったな。僕は2週間しか記憶を保てない代わりに。それは死体からインターネット上の情報まで様々だ。ちょっと前に碧がプレゼントしてくれた十字架のネックレスを握り締めた時に、君が高校の校舎から飛び降りようとする映像がフラッシュバックしたんだ。もちろん、碧がリストカットをする映像も見えた」

「なるほど。中々不思議な現象ね」

「恐らく交通事故で負った記憶障害の代わりに手に入れた能力だろう。有効に活用していくよ。それより、そのパフェは何杯目だ」

「4杯目よ。何か文句あるの」

「いくら碧が甘党だからって、4杯は食べ過ぎだろう」

「いいじゃないの。どうせ払うのは薫くんよ」

「そうか……僕の奢りか……。まあ、いいや。奢ってやるよ」

「ありがと」

 こうして、僕は渋々ファミレスの代金を支払うことにした。僕より碧の方が食べているじゃないか。まあ、「甘いモノは別腹」っていう言葉があるぐらいだ。少しは見逃してやろう。それから、碧は「見たい映画がある」とのことでそのまま映画館の方面へと向かっていった。また、独りになってしまった。でも、そろそろ律の「作業」が終わる頃合いだろう。僕はアジトへと戻っていった。


 アジトに戻ると、律はドヤ顔で僕の方を振り向いた。恐らく顧客データの入手に成功したのだろう。僕は、律に話を聞く。

「その様子だと、顧客データは盗み出せたようだな」

「もちろん。意外とセキュリティが脆弱ぜいじゃくでしたからね。こんなので善くオンラインカジノを運営しようと思いましたね」

「まあ、祖露門にとってオンラインカジノの稼ぎは雀の涙程度しか見込んでないのだろう。それで、顧客データに本村准二の名前はあったのか」

「バッチリありましたよ。ここですよ、ここ」

 律が指を差す方を見る。確かに、「Junji Motomura」という記載がある。これは間違いなく本村准二だろう。それにしても、同姓同名とは思えないぐらい有名人の名前がリストの中に多数ある。有名なサッカー選手から人気のインフルエンサーまで、その名前は1万人以上にも及んでいた。

「これが本当なら、本村准二はだな」

「そうですね。それにしても、物事が順調に進みすぎて不穏なんですが」

「そうか。まあ、あまり気負いすぎるのも善くない。リラックスしろ」

「そうですね。僕は一旦コーヒーを淹れてきます。あっ、鯰尾君の分も淹れてきますね」

「ああ、ブラックで頼む」

 あまり触らない方が良いと思いつつ、律がいなくなったところで僕はパソコンの画面を見つめる。確かに、物事が順調に進みすぎて一種の罠ではないかと思い始めてきた。まあ、杞憂きゆうに終われば良いのだけれど。やがて、律がコーヒーを淹れて戻ってくる。

「そうだ、律、この記事は知っているか」

「週刊文潮? 鯰尾君ってこんなモノ読むんですね?」

「ああ、三文記事でも情報が欲しかったからだ」

「ふむふむ。【熱愛スクープ! 人気アイドルと人気女優の蜜月デート!】か。確かにこれは本村准二で間違いないな。そしてお相手は『スペイン坂46』の福原美月か。なかなか善いカップルじゃないか」

「『スペイン坂46』というグループ名は知らなかったが、福原美月はそういうアイドルグループのメンバーだったのか」

「まあ、『スペイン坂46』は冬本康彦ふゆもとやすひこプロデュースですからね。僕、そういうアイドルグループには詳しいんですよ」

「今はそんな事はどうでもいい。とにかく、この顧客データを保存するんだ」

「それならもう保存してありますよっ。このUSBメモリの中に入っています」

「流石律。仕事が早いな」

「万が一に備えて2本保存した。ちなみに1本は西谷和義へと渡すつもりだ」

「そう言えば、西谷和義から連絡がないな。あれから1週間経つんだけど」

「何も無かったら良いんですけどね」

 律と会話をしている時だった。僕のスマホ宛に電話がかかってくる。着信元はもちろん西谷和義だった。僕は電話に出る。しかし、声は西

「もしもし? 西谷さんですか?」

「違う」

「どういうことだ」

「西谷和義は俺が確保した。命が惜しければ身代金1億円を用意しろ」

「君は、誰なんだ」

「俺は祖露門の江坂えさか周作しゅうさくだ。覚えておけ」

 それから、電話は切れた。西谷和義は暴露系インフルエンサーであるが故に敵が多いと聞いたが、まさか半グレ集団に捕まるとは思ってもいなかった。律がスマホの発信情報を基に西谷和義のGPS反応を確かめる。GPSは、東京と神奈川の境界線上にあった。恐らく多摩川だろう。

「鯰尾君、どうする?」

「救い出すしかないだろ」

「そうだな。行くぞッ!」


 こうして、僕と律はバイクにまたがり多摩川方面へと向かっていった。

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