第30話

 二体の変異体が、訓練された闘犬のような、獰猛さを孕む俊敏な動きで刀弥とうやへと迫る。

 その二体の後ろに隠れるように、第三の矢として先ほど蹴り飛ばした一体が駆けてくる。

 大型の――因縁の変異体は、またも唸りながら体を震わせている。

(まだ増えるか…)

 背中が焼けた餅のように二つ膨れ上がり、地面にぼとりと黒い塊が落ちて、四足で立ち上がる。

 これで一対六だ。


 孝明館高校で対峙した時とは完全に戦術が異なる。

 前回はその巨体を活かしたパワーと防御力での力押しだったが、今回は変異体を生み出す生産工場として、数で押そうとしている。

(戦術か…)

 変異体の戦術――そんな発想をしていることが、そもそもおかしい。

 変異体とは、『ジョーカー』に感染し、遺伝子レベルでその体を変異させた凶暴な動物だ。その動物が『戦術』を?ありえるのか、そんなことが。

 だが、一定の知性化の可能性も否定できない。『ジョーカー』の作用だと言われればそこまでだし、蓮山天音はすやまあまねを家で待ち伏せしたことも、この変異体が『考えた』結果だと言われた方がしっくりくる。普通の動物はそんなことしないはずだ。

 だが、今は知性があるかどうかは重要ではない。この戦況を終息させるにはどうするべきか、それに意識を集中する。

「変異体、尚も増殖中」

 インカム越しに、相棒へと呼びかける。

『あーちゃん、変異体の背中からボコボコ新しいのが産まれているように見えるのは、衛星からの撮影速度がラグって、それっぽく見えているだけ?』

 人工衛星から受信しているのは動画ではなくあくまで連続写真だ。それを何度も撮影することで、疑似的に動画のように使用している。つまりはパラパラ漫画だ。

 出来の悪い衛星のせいでおかしな現象に見えているだけで、扇風機やヘリコプタのローターが逆回転に見えたり静止しているように見えたりする、視覚としてはストロボ効果、機械処理でいえばエイリアシングのようなものかという観生みうの発言に、刀弥はただ一言。

「違う」

 簡潔に、否定する。

「変異体は増殖を継続。現在七体の増殖体を確認。うち二体を処理。攻撃力と運動性能、体の強度は通常の変異体と変わらない。レベルはEからDというところだろう」

 次いで、追加の――現地でしかわからない情報を伝える。


 変異体はPNDRの中でAからEまでの五段階にレベル分けがされている。

 最低レベルのEから、最高レベルのAまで、その変異状況により分類されるが、より変異が進むことでその凶暴性と身体能力が強化されているため、事実上の強さ・脅威度を示すものとなっている。

 これまでは、ほとんどがレベルEかDの、比較的容易に対処できる戦闘能力で、極まれに、注意が必要なレベルのCが現れる程度だった。

 刀弥には直接測ることはできないが、BまたはAと判定されてもおかしくないと、経験則で感じていた。


 変異体は微妙に左右に体をくねらせながら迫って来る。

 ランダムな回避起動でも取っているつもりなのか、それが走る際の癖なのかはわからないが、刀弥は右に持ち替えた拳銃でブレの中心点を予測し、すぐさま発砲。最前衛の変異体、その肩から胸にかけて銃弾が侵入し、太い動脈と呼吸器を破壊する。

 次いで迫る一体を横に転がってやり過ごし、先にその後ろにいる一体を二点射で頭と胸を撃ち抜くが、転がってやり過ごした一体が、ドリフトするレースカーの如く急転回して飛び掛かって来る。

 鋭い四本の爪が、刀弥の胸の前二○センチまで迫っていた。

 斜め左から接近する右前足に、刀弥は射撃体勢を崩す。

 先の射撃で右方向に向けていた構えを解く。ウィーバースタンスの体勢から左腕を少し下げ、右拳を振り上げる。そこに、変異体の前足が左腕の上を通過。左足を引くと同時に右拳を変異体の前足に対して振り下ろす。

 左腕を支点にして、突進の勢いのまま変異体がぐるりと回転する。回転の最中、諦め悪く、牙の生え揃った口で刀祢の顔面を捉えようとするが、首を目一杯右に倒して凶悪な顎から紙一重で逃れる。

 ドスン、と変異体が背中から地面に落ちる。すかさず、天を仰ぐ無防備な胸に向かって一発撃ち込み、狙い違わず心臓を撃ち抜く。

『あーちゃんだいじょぶ?』

 瞬時に三体を屠った刀弥の耳に、緊張感に欠けた観生の声が届く。

「問題ない」

 無感情な返答だが、事実、ここまでなら刀弥にもどうにか対処できるレベルだった。

 一対多数の戦闘で気を付けるべきは、自分の立ち位置だ。

 戦闘の全てを自分の正面からの対応とし、挟み撃ちに遭わないようにする。建物を楯にするなどして、とにかく襲撃方向を限定させることが重要だ。でなければ、如何に常人を越えた身体能力を持つ刀弥でも、一対多数の戦闘に対処はできない。

 だから、常に調理場との位置関係に注意しながら戦闘を継続しているのだが、

「だが、状況は好転していない」

 巨大変異体の周囲を見て、刀弥は告げる。

 三メートルの巨体の周りには、体長一メートルの四体の変異体が刀弥を睨んでいた。

「さすがに、このペースは残弾が心許こころもとないな」

 手持ちの予備弾倉は、全部で二本。初弾装填分を含めても、持ち込んだ弾丸は三七発。無駄弾を打ってはいないが、既に一○発を消費している。

 あの増殖はいつまで続く?限界はどこだ?まさか延々と生まれ続けるわけではないだろうが、主兵装ハンドガンでの対処には弾数という制限がある。

「せめてもの救いは、全てがこちらに向かっている、ということだ」

『まぁそーだよねー。バラバラに散っちゃったら対処できないしねー』

 他人事ひとごとのように、少し眠気を孕んだ軽い声で観生が言っているが、それが現状で一番危険なシナリオだ。

 このペースで変異体が増え続け、住宅地に降りて行くとなると大惨事だ。

 阿鼻叫喚の地獄絵図の未来が容易に想像できる。

 さすがに大企業MMMCでも対応しきれない事態に陥るはずで、モンスターパニック映画さながらの事態となることだろう。

 MMMCも――カルーアたちPNDRも、事が公になるリスクは避けたいはずだ。当然この事態を終息させろと言うだろう。捕獲が無理なら殺処分しても構わないと言われるだろう。元々、刀弥に捕獲などという選択肢はほとんどなかったが。


 そんなことを考えているうちに、再度変異体が襲い来る。

 今度は大型種が先頭だ。ことごとく返り討ちに遭ってきた小型種を目にして、戦い方を変えてきたか。

 それは理に適っている。

 拳銃弾が利かないのなら、その体を楯にして接近し、隙を突いて小型種が五月雨に襲い掛かっていけばいいというのは実にその通りだ。


 拳銃内の残弾は三発。

 何の躊躇いもなく、刀弥はマガジンをリリース。瞬時にグリップの中に新たなマガジンを押し込む。

 

 ダンダンダンッ――――!!


 すぐに構え直した拳銃から吐き出された三発のフルメタルジャケット弾は、狙い違わず大型の変異体の首と胸に命中する。

 しかし、命中するだけで、その皮膚を破ることも、突進の勢いを削ぐことすら適わない。

(やはり、無理か)

 刀弥はすぐに思考を切り替える。

 理想は今の銃弾を受けて少しでも有効打になれば、そのまま畳みかけるつもりだったが、それも無理。傾斜している頭部では弾かれたが、身体の正面ならどうかという一縷いちるの望みは、あえなく潰えた。

 となると、次に取るべき行動は―――

「根比べか」

 ヤツはどこまで変異体を増産できるのか。

 あの巨体を崩さねば、先に弾薬が枯渇して刀弥が喰い破られてしまうのでは。

 数で圧すことで磨り潰すという策なのか。

「弾と増殖、限界を迎えるのはどちらが先か…」

 

 一対四。

 ただし、相手の数はまだ増える。マガジンも一本消費した。

 

 状況は、時間と共に悪くなっていた。

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