第21話

 作戦会議――

 そう言ってテーブル中央に置かれたポータブルディスプレイを、刀弥とうやは姿勢を変えずに視線をやり、天音あまねは前かがみに覗き込む。

 表示されているのは地図だ。何の変哲もない、一般に出回っているもので、なんなら天音のスマートフォンにも入っている。

 観生みうはニコニコ顔で手元のノートPCを操作して、そこに赤いマーカーを入れた。

 市内を横断する全長二五〇メートルの大仙橋だいせんばし河川敷かせんしきの交点に赤丸。続いて住宅地の只中にオレンジの丸印。

「これがあの変異体が初めて確認できた地点で、こっちがその次の確認地点ね」

 観生が説明を始めた。そこで、住宅地のオレンジ印が天音の自宅であることに気づく。

 蘇る母の断末魔に顔を顰め、気分が悪くなる。だが、先ほどの朝食を吐いてしまうほどではない。吐いて嗚咽を漏らすよりも、あのバケモノへの復讐心に唇を噛む方に意識が寄った。

 続いて、地図に緑のラインが引かれた。赤印から伸びる緑色は、ほんの数センチ引かれて実線が破線になり、川の上流に向かっている。

「これが予想逃走経路ね~。ま、初回のは見逃してこっちだろうな、って感じの予想経路なんだけどさ」

 今度は天音の自宅を示しているオレンジ印から青いラインが引かれた。市街地をジグザグに描き、右往左往しながら三人が通う孝明館こうめいかん高校に伸びていく。

 バケモノに追われながらの必死の逃走による緊張と、その途中にすれ違ったはずの人たちを巻き込んだかもしれない罪悪感が天音の中でないまぜになる。今日が休校になったのも、天音が高校に逃げ込んだからだ。誰かが巻き込まれるかもしれないという気遣いよりも、巨体が自由に動けない場所を考えた、自己保身優先の思考の結果だ。怪我人はどれだけいるだろうか。まさか、死者まではいない?先ほどのネットニュースには記載がなかったが、これから情報が出てくるだろうか。

「で、あーちゃんが変異体とガチンコした後、色々追ってみたんだけど――」

 観生がPCを操作し、少し濃い青――群青のラインが引かれた。

「市内三箇所のカメラへの映り込みと時間から推察して、ルートはこうだね」

 コンビニの店内カメラと商店街の入り口カメラ、コインパーキングのカメラと、それぞれ端に黒い影が映っており、画像解析の上であの変異体と推察された。その撮影時刻と映り込んだ位置や方向から、逃走ルートを推察した結果だった。

 そのラインが、河川敷の手前で実線から破線へと切り替わる。

「で、途中から見失って、ここからは完全な状況予測ね~」

 観生は掴みどころのない朗々とした調子で説明をする。

 周囲にインターネットに接続されたカメラがない部分は観生には追えないが、逆にエリアがあることから選択肢を少しずつ狭め、全高約三メートルの巨体が取れる選択肢を考察していく。

「で、一番可能性が高いのが、ここだね」

 赤い大きな丸が、地図の端、一面緑色のエリアを囲う。

 山だ。

 山と言っても整備されていない自然のものというわけではなく、運動公園やキャンプ場、ゴルフ場まで併設されたレジャー施設と言った方が近い。標高二百メートルもない、小学生が学校の遠足で行くような、整備された参道とロープウェイが設置されており、市街から一○キロほどに位置している。

「根拠は?」

 視線だけ向けて、刀弥はただす。

「河川敷から直接伸びてて、そのまま上流に向かえばこの山に着くじゃん?周辺五キロ四方までカメラ確認したけど、どこにも映ってないから。そこじゃね?って」

 今のところどこにも発報がされていないことから、あの巨体が住宅地に潜んでいる可能性は低い。特に『熊が出た』とニュースになっているのだ。住民は普段よりも神経質になっていることだろう。少しでもそれらしいものや痕跡が見つかれば、警察に連絡が行き、被害者が出れば消防にも知らせが入るだろうという見立てだった。

「下流の可能性は?」

「うんにゃー、ないね。下流にある国交省の監視カメラには映ってないし、一瞬だけど橋を渡ってる車のドラレコに上流に向かうおっきい影が見えたから、上流で決まりっしょ」

「なぜ推察になる?衛星からの監視は?」

国家安全保障局N S Aのは管理者権限でのアクセスが来ちゃったから、慌ててログアウトしたから見逃しちゃってさ~。慌てて連邦軍参謀本部情報局G R Uの方に入り込んだんだけど、画質荒い上にカラオケのWiFiが急に重くなっちゃって困ったもんよ~」

「そこをなんとかするのが仕事だろう」

「あ、あーちゃんそういうこと言う?あーちゃんだってこの前変異体逃がしたじゃ~ん。お互い様だよ~」

 笑顔のまま不平を口にするという器用な観生は、「ま、それは置いといて」と、箱をどけるジェスチャーを入れる。

「どうやってここから変異体を探すかだけど~」

「広すぎる」

「ですよね~~」

「ちょっと!」

 いい加減な空気と諦めの発言を聞いて、黙っていた天音は思わず声を荒げた。

「そこまでわかってるなら行きましょう!こうしている間にも、あのバケモノに誰かが襲われてるかもしれないでしょ!」

 対して、刀弥は冷めた目で、観生は困ったように眉をハの字にする。

「天音ちん、この山、どれだけ広いか知ってる?整備エリアだけでも二〇〇ヘクタール、山まで含めるとその三倍以上、明確な境界線なんてないから、もっと広いかも」

 よく広さの比較に使用される有名な球場の一三〇倍だと補足されると、天音の声が萎んだ。

「で、でも、わたしを狙ってるんでしょ?だったら――」

「無謀だな」

 めげずに続く提案を、刀弥は両断する。

「昨日の蓮山の行動は理に適っていた。ヤツを仕留めるならば、その巨体とスピードを十分に活かせない閉所での戦闘に誘導すべきだ。特に体高が高い分、できれば障害物のある程度ある、立体的な地形がベストだ。だが――」

 つい一〇数分前までの朝食の時と違い、冷え切った刀弥の声音に場が静まった。さっき天音が声を荒げた時も、朝食時も、刀弥の声音は変わっていないはずなのに。

「巨大な犬型の変異体を相手に、山中は不利だ。山道が整備されていて立体的な攻撃も可能ではあるが、足場の悪さはこちらの不利が大きい。不整地での機動力は、ヤツの方が上だ。イニシアティブの取れない戦闘を仕掛けるほど、侮っていい相手ではない。このまま行っても、蓮山が喰われて終わりだ」

「じゃあ、どうするの?このまま何もできないの?」

 天音はあのバケモノを討つために、そのためにここにいるのだ。居場所の見当がついているのに動かないのでは意味がない。ただ隠れているだけでは、意味がないというのに。

「やりようはある」

 そんな天音の焦燥を汲んだわけではないだろうが、刀弥は答える。

「どうにかなるな?」

 その視線は、隣の相棒――観生に向けられている。

「おうおう」

 視線を向けられた観生は、笑顔に更に喜色を上乗せした。

「いいねぇ、頼られてるね~。感動だよあーちゃん。もう泣いちまうよ~」

 わざとらしく涙を拭う仕草をした後、観生は刀弥を見返す。

「三時間ちょうだい。エリア絞るからさ。で、あーちゃんはお使いね」

 キーボードを叩きながら、観生は指示を出す。

 ピンポーン、とインターホン。

 刀弥が玄関ドアを開けると、大きな段ボール箱を持った配達員が「サインお願いします」と笑顔を向けてくる。

「お、きたきた~」

 観生はトコトコ玄関まで来て、ササっと伝票にサインして「玄関におねしゃっす~」と配達員に段ボール箱を運び込んでもらう。

 配達員が去ると観生は荷物を無視して室内に戻り、刀弥はひとまず玄関に置かれた段ボール箱をリビングに持っていく。

「なんだこれは」

「まーまー見てちょーよ」

 ノリノリで段ボールのテープを剥がして中身を取り出し、観生は「じゃ~ん!」と届けられた荷物を披露する。

 中には十立方センチくらいの箱が大量に入っている。描いてあるのは黒いカメラのようなものだ。

「目が足らないなら増やせばいいってわけだよ」

 恐らく、小型の設置型カメラだ。それが、六十個以上びっしりと入っている。

「ってなわけで、あーちゃん、設置よろ~」

 とんでもなく面倒そうなことを、ちびっ子が言い出した。

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