第13話

 一○分前―――

 刀弥とうや上総川かずさがわ河川敷を歩いていた。ちょうど、天音あまねが変異体に襲われた場所だ。

 あの時は刀弥の血液と変異体の唾液とが入り混じったもので大きな赤い染みをコンクリートに描いていたが、処理班の手によって綺麗さっぱり痕跡が消えている。

「黄昏てるねぇ~」

 刀弥よりもだいぶ低い位置から発せられた少女の―――観生みうの能天気に聞こえる台詞に、返る言葉はない。観生もいつものこととばかりに気にする様子もない。

「もう変異体の寿命は尽きたんだし?これで天音ちんが襲われたとしたら、別の変異体の仕業ってことで、ほとほと運が悪かったねって話じゃないん?」

 そこまで話しても、刀弥は何も言わない。

 ただ、その場にしゃがみ、十日ほど前の血痕跡を凝視していた。

「お前なら—――」

 やっと、何か口に出した。

「対象人物が、きっちりガードされているとして、どうやって襲撃する?」

 やっと喋ったと思ったら、要領を得ない問いだった。

「人間相手?いやいや、どっちにしろこちとらバックアップ専門ですよ~」

「いいから、答えろ」

「ん~?護衛ごと一網打尽でいんじゃない?」

「護衛はかつて自分に痛手を負わせたやつで、リスクは負いたくないなら?」

「護衛のいないときを狙うね」

「いつも張り付いていたら?」

「護衛ったって、いつもいるわけじゃないじゃんよ?そこ狙えばいんじゃね?」

「いつだ?」

「う~ん……、護衛交代のタイミングとか?あとは—――」

「危険が去って、護衛が解任されたときか?」

 刀弥が、しゃがんだ姿勢のまま、観生を見上げる。

「あーちゃん、はっきり言いなよー。言い方が遠回りだよー」

 いったい何を言わせたいのか、観生は刀弥にその真意を問うが、


 ヴゥゥゥン―――ヴゥゥゥン―――


 観生の懐で、携帯電話が震える。

 すぐに出る。

『まだ学校か?』

 若い女性の声。

「ドクター?今寄道中~」

『A一○八も一緒か?』

「そだけど」

『周りに誰もいなければスピーカーにしろ。二重で説明は面倒だ』

 観生は言われるがままに電話をスピーカーに切り替えた。

「どしたのドクター?」

「変異体か?」

 二人が何事かと尋ねる。通常の変異体対応連絡は、観生を経由して刀弥に伝わる。つまり、これは変異体発見の報だと思ったのだが、わざわざ刀弥にも直接説明するということに違和感を覚えた。

『見つけたわけじゃない。一時的な方針転換の通達だ』

「方針転換?」

『変異体への対処時は、第一優先を捕獲に切り替える』

 変異体への対処は、第一優先が駆除であり、第二優先が捕獲だった。

 これは、単純に捕獲の方が難易度が高いためであり、変異体への対処に時間を要することで、世間への露呈のリスクと(ついでに)刀弥のリスクを考慮しての判断であった。

「非効率だな」

 普段の刀弥ならば、ただ「了解」と返すだけだったはずだが、今回は反応が違った。これまでは死骸で十分だと、迅速に仕留めて回収することを良しとしてきた方針から外れた命令であり、その方針転換の理由が気がかりになっていた。もしかしたら、刀弥の中でそういう理由をつけたかっただけなのかもしれなかったが。

『そう言うな。単純な話だ。変異体に寿命が延びた可能性がある。生きたサンプルがあれば手っ取り早いから—――』

 最後まで聞かず、刀弥は駆け出した。

「あ、あーちゃん!」

『どうした?』

「いきなりあーちゃん走って行っちゃって」

『指示内容を理解したらな問題ない。切るぞ』

 カルーアは特に電話先での刀弥の行動を気にする様子はない。動けと言われたときに指示通り動けばそれ以上を感知する気はない。

「ねぇ、ドクター」

『なんだ?』

 観生は先ほどの『変異体の寿命が延びたかも』という話を気にしていた。

「ほんとに寿命延びたの?」

『可能性の問題だ。変異体の出現が最近減っているのは知っているだろう。その可能性を列挙したときの、仮説のひとつに過ぎん。真剣に考えるには過ぎるが、一蹴するには躊躇われる、そのレベルだ』

「そっか~」

 観生は電話を切り、土手を見上げた。

 すでに刀弥の姿はない。

 カルーアの連絡から、天音を襲った変異体がまだ生きていると考え、監視を継続しようと思ったのだろう。もしかしたら、今この瞬間にもあの変異体が天音を襲っていると思っているのかもしれない。変異体を気にしているのか、天音を気にしているのかはわからないが。

 カルーアも言っていた。いくつかある可能性のひとつに過ぎず、確証もなければ、恐らく可能性自体がそんなに高いものでもない。観生は先ほどの電話口でのトーンでそのように予想した。

「ドクター、多分可能性の検証くらいにしか思ってないだろうしね~」

 ドクターカルーアという人間はそういうものだと、観生は思っている。先の連絡は、変異体出現頻度の低下という事象に対して仮説を立て、検証するために、データが多く取れる生きた変異体を所望した結果だ。世間への露呈や現場のリスクよりも、変異体やウィルス自体の現状把握を優先し、なるべく早く事態を把握しようとしている。多少なり仕事のことは考えているのだろうが、多分自分の興味本位が強いと思う。

「さ~って、どっしようかな~っと」

 観生は土手を上り、周囲を見回す。

「たしか……あ、あったあった」

 カラオケボックスの看板を見つけ、歩いていった。

 

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