第21話 モンペ

「ねえ、渡辺くん。鬼頭くんを無視していじめていたって本当?」

  いかにも申し訳なさそうに聞く中村先生。

 いつも元気な女体育教師の彼女が見事にやつれている。

 おそらく、昨日の夕方から鬼頭の母親のクレームを必要に以上に受けたのであろう。この教師のエネルギーをここまで奪い取るって、鬼頭の母親、どれだけパワーがあるのかよと感心してしまう。人のよい担任には気の毒な話だが。

「無視って、どちらかというと俺の方が無視されていたんですけど」

 これは事実だ。鬼頭の奴が俺に話しかけてきたことは一度もない。俺は空気だったから、無理もないが。

 一度、俺が歩いてきたら奴がぶつかってきたことがあったが、その時も嫌そうな顔をして俺をにらんだのは奴の方だ。

「そうよね。私もそう思うわ」

(おいおい、だったら、俺をなんとかしようよ、先生)

「ただね。鬼頭くんのお母さんが示したいじめをしたリストに何人かクラスの子の名前があるの」

「そこに俺の名前があったと」

「そういうことね」

「どうしたら俺が入るんです?」

「鬼頭くんがそう言ってるからだと思うけど……」

「そんな馬鹿な。完全に濡れ衣ですよ」

「そう思うんだけど。ねえ、渡辺くん、麻生さんと鬼頭くんの関係で知ってることない?」

「え? 麻生さんと鬼頭で? 全く接点ないと思いますけど」

 これは事実だ。クラスの、いやこの学校全体のアイドルの麻生さんと空気の読めない鬼頭とはどう考えても接点はない。

「まさかと思いますけど、麻生さんもいじめた側に入っている?」

「……」

 沈黙は肯定だ。母親が持ってきたいじめっ子リストなるものに、麻生さんも入っているという公算大だ。

 麻生さんが入っている時点で、そのリストは重大な欠陥があるといえる。俺が入っているのも驚きだが、誰にでも優しい、天使のような麻生さんがいじめる側になるわけがない。彼女は正義感があって、弱者の側に立つべき人間なのだ。

 他にも呼ばれて、生徒指導室で他の先生に事情を聞かれている奴らも、鬼頭を軽くあしらっていたことはあっても、それなりに上手に付き合っていたというのが俺の感想だ。

 鬼頭の奴は、自分の思い通りにならないと駄々をこねることがあって、それで何度か関わった生徒たちから冷たく拒否されたことはあったが、それをいじめだとは俺は思わない。

 だが、定義では人がいじめだと感じればそれはイジメなのだ。

 いじめたとされる方はとんだ濡れ衣で傷つくのだが、マスコミを始めとしたこの国の正義を振りかざす側の人間は、そんなことを意に介さない。

 いじめをされたと訴える者に寄り添い、そして誰かを悪者にしなくてはいけないのだ。

 そもそもマスコミや政治家はいじめについてどう思っているのであろう。

 いじめは絶対になくす。そういう理想論は子供に解くのは大人の責任だろう。

 しかし、政治家やマスコミは理想論で終わってはいけない。古代から現代に至るまでいじめがなかった世界はない。

 人間に感情がある限り、いじめは起こる。現実的な対応をしなくてはいけない学校に理想論でものを語るのは、マスコミや政治家の仕事ではないのだ。

 俺は腕時計に目をやる。なんやかんやで夕方7時を過ぎている。生徒を残して事情聴取するにもそろそろ限界だろう。

 俺の方も限界だ。今日も21時になればあのダンジョンと部屋がつながる。冒険者たちを撃退しなくては、俺の命が危ないのだ。

(それに今日はダンジョンのトラップやガーディアンを売りに来る行商人がやって来るという日だ。行商人がどういう奴かは知らないが、ダンジョンを強化せねば……)

 強化しなくては間違いなく死が待っている。炭酸の死亡はニュースになっていないが、この日本のどこかで売れないライトノベル作家のおっさんが死んでいるはずだ。

「先生、俺、もう帰っていいですか?」

 俺はそう担任の中村先生に聞く。どんなに時間をかけたところで、俺からは何の情報も得られない。

 俺は鬼頭を虐めていないし、そもそも会話すらまともにしたことがない。それが無視というなら、いじめってなんなのか本当に疑問に思う。

「渡辺くん……あとは先生が何とかするわ……お家の方によろしくね……あっ。渡辺君は一人暮らしだったよね」

 変なことを中村先生は言う。

 俺はスルーしたが、誰かと間違えるにしても一人暮らししている高校生はそうはいまい。

 俺には父も母もいる。今朝も母親が作ったトーストと目玉焼きの代わり映えしない朝食を食べて来た。

 生徒指導室から廊下に出ると暗くなりつつある廊下まで響く女性のヒステリックな声。

 状況からしてクレームに来たという鬼頭の母親であろう。もう何時間と怒鳴り散らし、教師をつるし上げて糾弾している。

(これはいじめじゃないのか?)

 俺はカバンを片手で持ち、肩にかけて歩く。

 だが、帰るタイミングが悪かった。

 ドアが突然、ガラリと変えられ化粧が濃い中年のおばちゃんが出てきた。目は血走り、髪は逆立ち、まるで鬼婆にような表情だ。

「なんで隠す! いじめを隠すなら出るとこ出てやる! 新聞やテレビに訴えてやる! 文部科学省に言いつけてお前ら全員クビにしてやる!」

 表情鬼婆。そして口から出る言葉は罵詈雑言と脅し。品性の欠片も残っちゃいない。

 そのおばちゃんは俺を見つけるとものすごい勢いで近づいてきた。それこそ、ズンズンという擬態語にふさわしい動き。

「あんた! 私のやすくんをいじめた悪!」

 俺を悪と決め付ける。

(悪のダンジョンマスターやっているから、悪という決めつけはあながち間違っちゃいないけど)

 そんな風に罵倒されて、俺の気分は当然、良い訳がない。

 そこで思わず言い返した。こういうクレーマーには最もやってはいけない行動だ。

「濡れ衣だよ、鬼頭のお母さん?」

「まあ! 濡れ衣ですって? 白々しい!」

「俺は鬼頭とは話したことないし、鬼頭も俺を無視していたし……」

 そこまで聞いて目が三角になる鬼頭のかあちゃん。

「やすくんが悪いとでも? なんてガキでしょう!」

(ガキ? その侮辱用語を使うことはイジメじゃないのかよ!)

「あんた、こんな時間までいちゃもんつけて先生たちを困らせるのもいじめじゃないか?」

「まあ! なんて恐ろしい子でしょう!」

 鬼頭の母ちゃんのこめかみに青筋が浮き出る。

「男も女もクズばかり。せっかく、やすくんが付き合ってあげましょうと優しく告白したのに、それを断るなんて陰険ないじめ」

「告白?」

 俺の頭の中に何かがピンと弾けた。(嘘だろ。そんなことが許されるのかよ!)

「麻生とかいう女狐。せっかく、やすくんが彼女にしてやると決めたのに、断るなんていじめだわ。そのせいでやすくんは傷ついて、あんなに学校が好きだったのに不登校になってしまった。全部、あの女やあんたち、クズのクラスメイトのせい!」

 ものすごく甲高い声でまくしたてる母親。もはや、いじめを訴えるという次元を通り越し、わがままを通すためにクレームしているのだ。

 そのクレームを『いじめ』という水戸黄門様の印籠のような絶対的なワードを全面に出すことで、正義となすことができるのだ。

 俺は思う。確かに陰湿ないじめ、犯罪的ないじめは許されない。それをやめさせるための仕組みが絶対必要だ。

 だが、それは何万とあるいじめの訴えの中の0コンマ%である。多くは学校の中で解決できるものだ。学校どころか当事者同士でも解決できる案件も多いはずだ。

 そこに冷静さを欠いた親が加わる。もはや当事者同士の問題でなくなる。

 さらに、それを全て公にして、おおごとにしてしまう仕組みが問題をこじらせる。 

 この鬼頭の母ちゃんのようなモンペの格好の武器となる。

 鬼頭の母ちゃんは叫ぶだけ叫ぶ。そして校内に駐車した車を乱暴に運転し、猛スピードで校門から出ていた。

 この態度を見ただけでも、この母親の人間性が分かるものだ。

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