第10話◆毒はシュテルクスの血をもって制するのです。え?そこは拒否をしてもらってよかったのですよ?


 数カ月後、監視対象だった第二王女が亡くなったと連絡を受けました。

 今から出かけようとしている私を引き止めて言ってきたのです。


「おい!聞いているのか?」

「聞いておりますから、手を離してくださいませ。フェルグラント殿下」


 毒の影響が一番少なかった第二王子が戻って来ており、私が馬車に乗り込もうとしているところを引き止めているのです。それも金髪を茶色に染めて、王族と分からないようにしていました。


「近衛騎士も影も見張っていたにも関わらず、血を吐いて死んだんだ。それから、俺のことはグランと呼べ」


 まぁ、毒でしょうね。蓄積型の毒なら毒味役が毎回変更されていれば、いつ体内に入ったかまでは監視できませんわ。


「それで、私にどうしろと?泣き虫殿下?」

「泣いたのはあの一度きりだ!本題は父上に本格的に調べるように命じられたことだ」


 国王陛下も半信半疑でしたのでしょう。しかし、王妃様と王子たちに毒が盛られているのは本当のことで、少なからず、御自分も思考阻害の影響を受けていたと実感できたところで、王女の死の報告を受けて、やっと本格的に調べることにしたのでしょう。


「それは泣き虫殿下が頑張ってくださいませ。私は今から第3騎士団に行きますの」

「あ、それ噂で聞いたんだけど、お前趣味悪いな、あんな······ぐほぉっ!!」


 私は話している第二王子のみぞおちに拳をねじ込むように叩き込みました。第二王子は掴んでいた私の手を離し、そのまま後方に飛んでいき、私はそれを追いかけるように地面を蹴ります。

 庭の木にぶつかる寸前に殿下の首を掴み、木にぶつかる事を阻止しました。また、弟に文句を言われるところでしたわ。


「まぁまぁまぁ、殿下は私の趣味をどうこう言うほど偉くなったのですか?私に剣を振るうこと無く負けを認めた殿下が?隣国に行く途中で脱輪して勝手に死にかけている殿下の生命を助けて上げたのは、たまたま通りがかった私ですわよね。ヴァン様の悪口を言うなんて100年早いですわ!」

「お嬢様。羽虫並の王族の付き人がお嬢様に向けて剣を抜いていますが、いたぶってきてよろしいでしょうか?」


 アリア。その付き人は職務を全うしようとしているだけですので、いたぶる必要はありませんわ。

 私は泡を吹いている殿下を地面に落とします。


「口の聞き方には気をつけることですわ」

「お嬢様。せめてお嬢様に向けて剣を抜いた報いとして往復ビンタは許してくださいますか?」


 ですから、その方は悪くありませんわよ。


「アリア。ヴァン様のところに向かいますわ」




 そして、第3騎士団でウキウキ気分の私を出迎えてくれたのは、仏頂面の父でした。


「なぜ、お父様なのですの!」


 父の団長室で、屋敷の机とは違い、何も書類が乗っていない机を挟んで向かい合います。

 しかし、父は私の言葉には答えず、淡々と話をしました。


「ルーファスが用意した自白剤で、全てが明らかになった」


 ルーファスとは一番下の弟の名前ですわ。その弟が用意した自白剤とはもちろん温室の毒草から作り出した物のことです。4歳ながら、シュテルクスの血の恐ろしさを感じてしまいますわ。


「あの女はお前が言っていたように教会に通い、天使なるモノに知識を得たと答えた。そして、『魔女の誘惑』をカトリーヌに使っていたようだ。それにより屋敷の者たちに思考能力の低下を招き、己に従順な下僕を作っていたそうだ。次いで、約10年間ミランダとカトリーヌに胎堕薬を使用していたとも言っていた」


 兄が10歳になるまでということですわね。子供が10年生きられる確率は半分と言われているのがこの国の常識です。兄が丈夫に生きられる子供だと確証を得られるまで、父の他の妻に子供ができないようにしたのでしょう。


「デュークが俺の子でないことも認めた。そして、英雄の色を持って生まれたお前を殺そうとしたことも認めた」


 幼いころは色々ありましたが、お陰で魔術というものが上達したと思っております。と言っても、普通の物理攻撃では私に傷一つつけることはありませんでした。


「国王陛下には悪いが、マーガレットには死んでもらうことにした」


 死んでもらうことにした。ですか、毒物を使用していたことはわかっていました。物理攻撃が効かない私に毒を使ってきたこともありました。しかし、チートなリラは毒攻撃無効のスキルをもっていましたので、私は死ぬことはありませんでした。


 私に実害はありませんでしたが、あの屋敷に住む者たち全てに被害が及んでいたようです。それほど『魔女の誘惑』の効力は強かったのでしょう。


「お父様。マーガレット様の死はお兄様に事故で亡くなったと説明出来るようにお願いしたいのと、仮にも王妹であり、侯爵夫人のマーガレット様が不審死とはならないようにだけお願いします」


 個人的に父の決定に私が言うことはありませんが、世間体というものがありますので、それは考慮していただきたいものです。


「わかった善処しよう」

「話はこれで終わりですか?終わりならヴァンフィーネル様のところに行ってもいいですか?」

「ん?ヴァンフィーネルは朝から西の森のグリーンウルフの討伐の任務に出ているからおらん」

「···は?お父様、今、何とおっしゃったのですか?」


 任務に出ていると聞こえましたわ。


「なんだ?聞こえなかったのか?ヴァンフィーネルは討伐任務に出ている」

「なんですって!!お兄様に聞いたら今日は何も予定はないとおっしゃっていましたわ!」

「ああ、確かに討伐任務は入っていなかったが、第5騎士団から回って来たから行って来いと命じた」


 なんですか!第5騎士団から回ってきたとは!第5騎士団が討伐すればよいではないですか!ヴァン様が行かなくてもいいはずです。


「第5騎士団に差し戻してください。若しくはお父様が行けばいいのです!」

「なぜ、団長である私が行かねばならない」

「私はヴァンフィーネル様に会いに来たからです!お父様の報告を聞きにきたわけではありません。そもそも毎日帰ってくればいいだけですよね。そんなことですから、お母様に侯爵夫人は荷が重いとか言われているのです。この前の国王陛下主催の夜会をサボったそうじゃないですか!お母様はお兄様と参加されて、肩身が狭い思いだったそうですよ」

「それは今関係ない話だよな」

「関係なくありません!毎日帰って来て、お母様の愚痴を聞けば良いのです!大切なモノを囲っておけば良いって言うわけじゃないのです!」


 未だに父は3日に1度しか屋敷には戻ってこず、面倒な夜会などは全てボイコットしているのです。一昨日の国王陛下主催の夜会でさえ出席せずに、母と兄デュークに任せたのです。

 なぜ今までそれでシュテルクス侯爵としてやってこれたかと言うと、勿論マーガレット様のお陰なのです。

 あの方の派閥に、周りに与える影響力。どれをとっても貴族の中でも際立つものがありました。そのような方がシュテルクス侯爵夫人として存在していたのです。公爵夫人でさえ、一歩下がって、マーガレット様を立てたものです。

 ですが、そのマーガレット様を領地に追いやって第三夫人である母ミランダが表に出てきたのです。それは貴族たちからの目も厳しいものになるでしょう。

 そこは兄デュークでは無く、今まで公の場にシュテルクス侯爵として現れなかった父の存在が重要なのです。しかし、父はそのことを全くわかっていません。


「ぶぐっ!あ、ごめん続けていいよ」


 笑うことを我慢していましたが耐えきれなくなったギルバートさんが書類が積まれた机の上でぷるぷるしておりました。私からは茶色の髪しか見えませんが。


 私はそんなギルバートさんを巻き込んでみることにしました。


「ギルバートさまも思いますよね!いくら戦うことに特化していても、大切な人の心を守れらないのは、愚か者だと」

「え?僕を親子喧嘩に巻き込まないでくれる?」

「巻き込みますよ!私はヴァン様に会いに来ましたのに、任務を入れるなんて酷いです。その前に、お父様を止めることぐらいギルバートさまにはできましたよね!」

「僕は副官だからね。団長の部下だからね」


 私はヴァン様に会えない憤りを撒き散らしていますと、いきなり後に引っ張られて足が宙に浮きました。


 父に猫の子のように首根っこを掴まれています。私の事を赤い目が見下ろしています。


「国王陛下にさっき言ったことを伝えておけ」


 私は国王陛下とそんな仲良しではありませんよ?会いに行ってすぐに会ってもらえるわけないですよね。


「私は子供なので、国王陛下と簡単にはあえませんよ」

「シュテルクスの名を出せば会える。さっさと行け!」


 父はそう言って私を窓の外へ放り出しました。年々、父の私の扱いが雑になってきています。これ如きでは、私が傷一つ付かずに、舞い戻って文句を言っているからでしょうが····。


 窓の外に投げ出された私は当然のように重い頭から落下していきます。

 はぁ、しかし残念でしたわ。まさかヴァン様がいらっしゃらないなんて、あまり頻繁に訪れると御迷惑になると思って、毎日会いたいところを月に一度に我慢しているというのに、絶対に父に八つ当たりをしてやります。

 そう心に決め、地面が目の前に迫って来たところで、足から着地をすべく体勢を変えます。が、背中を丸めたところで、硬い何かに受け止められました。何に受け止められたのかと確認すれば、全身鎧の物体に抱えられていました。

 誰ですか!全身鎧に覆われていたら、何者か全くわかりません。いいえ、第3騎士団の紋章がサーコートに刻まれているので、第3騎士団の者ということはわかりますが、それ以外の情報が私には全くわかりません。


「リラシエンシア嬢。窓は出入りするところではないが?」


 くぐもったヴァン様の呆れたような声が聞こえてきました。なんとヴァン様が私を受け止めてくれていたのです。

 しかし、私は窓から出入りする子に思われているのでしょうか?確かに以前父との喧嘩で窓から飛び降りたことはありますが、今回は追い出されたのです!


「今はお父様に窓から追い出されたのです!アリアに聞いてもらえれば、わかります」


 私が不貞腐れたように言うと、ヴァン様がクスリと笑ったような気がしました。う〜。そのフルフェイスが憎い。ヴァン様の笑顔を見逃しました!

 本当はもう少しヴァン様とお話したいのですが、討伐から帰って来たばかりのところで、わがままを言うほど私は愚かではありません。それに父から伝言を頼まれたこともありますし、私からも国王陛下に言うべきことがあります。

 私は抱えられたヴァン様の腕から飛び降ります。


「ヴァン様、お疲れ様です。本当はもう少しヴァン様とお話をしたいのですが、お父様に用事を頼まれましたので、泣く泣く行って参りますわ」


 ヴァン様の表情は伺い知ることはできませんが、後で父には絶対に後悔させてさしあげます。今は我慢です。

 そう、今回の母ミランダの愚痴は相当酷かったのです。あんなことをヴァン様の口から言われてしまえば、私の心は死んでしまいます。

 ですから、私は我慢するのです。お疲れのところを邪魔するリラではありません。


「目的地まで送って行きましょうか?急遽、討伐命令が出ましたので昼から非番になったのですよ」


 なんですって!ヴァン様が送ってくださる?!はっ!いいえ、お疲れのところ申し訳ないですわ。


「討伐から戻られたのでしたら、ゆっくりお休みください。目的地は王城ですので、ここから見えている場所ですから、大じょう···ぶ···です」


 ぐふっ!私が話している途中でフルフェイスを取るなんて、心が揺らいでしまったではないですか!


「王城に?お一人で?」


 ヴァン様は心配そうな視線を私に向けてきました。確かに10歳の子供が一人で行くようなところではありません。もし、そのようなことが許されるのであれば、それは3人いる王子の婚約者になる令嬢でしょう。しかし、今現在直系の王子の方々はおられません。陛下が望んたとおりに表向きは死んだことになっております。

 そして、王城はここから見えてはおりますが、全長10kmに渡る王都の中央にある小高い山の上に王の城が建っておりますので、王都にいればどこからでも見えます。この第3騎士団の場所から直線距離で4kmほどですが、馬車ですとグルグルと山を回りながら上って行きますので、少々時間がかかってしまいます。騎獣であれば、直線的に王城まで行けるのですが。


 私はヴァン様にニコリと微笑みます。


「アリアがいますので、大丈夫ですわ」


 私の背後にはいつの間にか、アリアが控えていました。私は3階の団長室の窓から追い出されましたが、アリアは普通に階段を使って降りて来たのでしょう。

 そのアリアは私の言葉を誇らしげに、笑みを浮かべています。


 本当は本当は本当は一緒にいたいですわ!!という心は押し込めます。


「少し待っていてください。ここ最近の王城の噂はきな臭いものばかりで、リラシエンシア嬢お一人で行かれるのは些か問題があると思われます」


 きな臭い噂ですか。一つは国王陛下の異変ですわね。王太子を始めとして他の王子2人と王妃を亡くし、王は変わられたと噂されているようです。そして、今日聞かされた第二王女の死のことでしょう。


「ダヴィリーエ様。お嬢様には、このアリアがついておりますので、何も問題はありません」


 アリアが私の前に出て来ました。

 アリア。貴女が私の前に立つとヴァン様の姿が見えないですわ。


「リラシエンシア嬢。シュテルクスであるリラシエンシア嬢には必要ないかもしれませんが、私を護衛として連れて行ってくださいませんか?」


 ヴァン様はアリアを無視して、私に問いかけて来ました。ヴァン様が護衛····それよりもヴァン様が私にお願いを····そのお願いを私に断ることができると?そんなことできるはずはありません!


「ヴァン様が側にいてくださるだけで、リラは嬉しいです!」


 あ···本音が口から出てしまいました。


 ヴァン様に馬車の中で待っていて欲しいと言われ、建物の中に消えていきました。父に命令された業務報告をしに行ったのでしょう。


「チッ!お嬢様に許しを請うなど、姑息な手を使ってきましたね」


 馬車の中で私の向かい側に座って舌打ちをしているのは勿論アリアです。別に姑息ではないと思いますよ?


「ですが、ダヴィリーエ様の言い分も理解できます。先日の夜会で王城に潜入してきましたが、やはり色々問題が見つかっております。『魔女の誘惑』を数人に使われている痕跡も見つかりました。それも全て第一王女の周辺でです」


 やはり、王女メリアングレイス様の周辺でですか。


「しかし、10歳になる王女がその様なモノを個人で持つとは考えられないので、第四側妃か、その実家であるアンファング辺境伯爵家の者だと思われます」


 辺境伯ですか。確かに黒幕として、いてもおかしくはない人物です。全ての事を成そうすれば、中途半端な権力ではなく、かなりの者たちを動かせる立ち場でないと難しいのです。


 そのとき馬車の扉がノックされました。そのノックした人物が声をかける前にアリアが扉を開け一言、言い放ちます。


「随分、時間がかかったようですね」


 アリア。せめて誰がいるか、確認してから扉を開けた方がいいと思うわ。アリアのことだから、ヴァン様がいらっしゃるとわかって、開けたのでしょうけど。


「お待たせしてしまって、申し訳ない。ギルバート副官からリラシエンシア嬢の機嫌が悪いからと持たされたものがあるのですよ。また、親子喧嘩をされたようですね」


 ヴァン様はクスクスと笑いながら、私の隣に腰をおろしてきました。そのお姿はいつもの見慣れた騎士の隊服ではなく、濃紺のスーツ姿でした。

 なんですか!このレアなお姿は!スーツと言っても芸術的な刺繍が施され、貴族の貴公子のようなお姿でした。あ、いえ、ヴァン様はダヴィリーエ子爵の次男の方ですので、貴族には間違いありません。


 ヴァン様が乗ったことで馬車が動き始めました。ああ、もうヴァン様が側にいてくれるだけで、私は幸せです。そんな幸せを噛み締めていますと、ヴァン様が何かを差し出してきました。


「これをどうぞ」


 そう言ってヴァン様から手渡されたものは、手のひらサイズの毛玉でした。正確にはギルバートさんの奥様の手作りのぬいぐるみもどきです。


「今度はなんでしょうか?」


 私の幸せはこの毛玉に毎回消し飛ばされるのです。私はその毛玉を広げます。長いです。ところどころくびれがあるので、動物を象ったものであることに間違いはありません。そして、その顔の部分には精神をえぐるような目と口が刺繍されているのです。


「ケツァルコアトルだそうです」


 動物ですらありませんでした。これはギルバートさんを巻き込もうとした一種の嫌がらせでしょうか?

 これをもらった私にどうしろと言うのでしょうか。恐らく、この手触りはそれなりにいい素材を使っているはずです。しかし、このぬいぐるみもどきに全く萌えません。


「毎回、ヴァン様に言うのも申し訳ないのですが、素材の無駄です」

「ギルバート副官もリラシエンシア嬢に喜んでもらいたいだけではないのですか?」


 それも毎回何故かヴァン様経由でぬいぐるみもどきが私の手に渡ってくるのです。ですから、捨てたくても捨てられないのです。

 しかし、これを喜ぶってどういう神経を持っているのでしょうか?私からすれば、精神をえぐられるのですが。そう、なぜか毎回形が歪な長い物体に、恐怖を掻き立てられるような目と口が付いているのです。

 キツネだというモノも、イタチだというモノも、人魚だというモノも、何一つ形は変わりませんでした。毛皮のマフラーにしても、形が歪で使えるわけでもなく、飾るにしても毛玉を長くした物体をどう飾れと?いいえ、逆に呪われそうですわ。


「毎回言って申し訳ないのですが、その場でギルバートさまに返却してください」

「前回も言いましたが、笑顔で上官命令だと言われれば、私としても受け取るしかありませんので」


 私の幸せの気持ちをぶち壊す、歪なぬいぐるみもどきはアリアに預け、私はヴァン様に聞いてみます。


「あの?王城に着いたら、馬車で待っていてくださいますか?」

「どうしてですか?それだと、護衛の意味がありませんよ」


 私に護衛は必要はないのですが、子供である私が一人で王城をウロウロしていることに問題があるというものでしょう。第3騎士団の副団長であるヴァン様が側にいれば、第3騎士団の団長である父に言われて、王城に来たという形を作りたいのでしょう。


 しかし、今の王城は色々問題があるのでヴァン様には行って欲しくないのですが、この話をすると王族のゴタゴタにヴァン様を巻き込んでしまうことになります。この件に関わるのは王族とその王族と盟約を交わしたシュテルクスだけでいいのです。


「詳しい理由は言えないのですが、精神汚染無効の効力があるものをお持ちですか?」


 周りに与える『魔女の誘惑』の効力から逃れるすべはいくつかありますが、一番手っ取り早いのが、精神操作されないためのアイテムを身につけることです。国王陛下とその側近の方々はその精神操作無効のアイテムを身につけることで、王城に充満している『魔女の誘惑』から逃れられているのです。

 そう、既にあのお茶会の時点で、被害は王城全体に広がっていたのです。誰が敵か味方かわからない状態であり、国の中枢は敵の手に落ちていると言っていい状態です。

 しかし、魔女自身が動き出せば、アイテムなどゴミクズ同然でしょう。相手はシュテルクス以外を操ったという逸話があるのですから。


「そこまで王城は酷い状態だというのですか?」


 ヴァン様が驚いたように言います。しかし、私はその質問に答えることはありません。私は両手でヴァン様の大きな手を取ります。


「お持ちでないのでしたら、同様の効果がある術式を描いて差し上げますわ」

「リラシエンシア嬢」


 私の名を呼んだヴァン様に私は首を横に振ります。


「国王陛下が口を噤んでいらっしゃるのに、私がペラペラと話すことはできませんわ」


 国の中心である王城の中央で座している国王が黙っていることを、私が話すべきではないと、ヴァン様にうそぶいてみせた。国王は別に黙っているようにとは言ってはいません。だた、これには国王はご存知だということをヴァン様にわかってもらえればいいのです。


「個人的にはその様な高価な物は持っていませんよ」


 個人的にはということは、支給物ではあるということですわね。でしたら、精神操作をされることを避けなければなりません。


 私は右手の人差し指を噛み、犬歯で皮膚を突き刺します。


「な!」

「動かないでください。少しピリピリするかもしれませんが、我慢してくださいませ」


 私の行動に驚きの声を上げたヴァン様に動かない様に言って、手の甲に私の血で守りの陣を描いていきます。

 私のその姿をアリアは舌打ちをしながら、見ています。アリアにこれと同じものを施しましたが、その時は真顔でピリピリと痛いですが、我慢できないほどではないですと言われましたから、ヴァン様も大丈夫でしょう。


 ヴァン様の手がビクついていますが、もう少しで描き終わりますわ。

 描き終わった陣に私の魔力を通します。


 これは我が家の書庫の埃を被った書物に記してあった、『魔女の誘惑』から身を守る方法です。どうやら、シュテルクスの血を用いることで、外的要因から身を守る術式らしいです。らしいというのは、その効能の精査をしていないからです。ただ、アリアが王城に忍び込んで戻ってきたということに、一定の効力はあると判断しました。


 私の魔力を通した精神防御の赤い陣は皮膚に溶けるように無くなりました。見た目は先程と何も変わらないヴァン様の手です。


「大丈夫ですか?これで王城に入ってもある程度は問題ありません」

「これである程度?とてつもなく激痛が走ったが?」

「え?アリアはピリピリと痛い程度と言っていました」


 私は思わずアリアを見ます。しかし、いつもどおりの真面目な顔をしているだけです。


「お嬢様。我慢できないほどではないと私は言いました」

「確かに我慢できなくはないが」


 なんですか!二人共、痛いのなら痛いと言ってくれないとわからないじゃないですか!


「お嬢様。シュテルクスの方々の血は特別ですので、無闇矢鱈にその様なことはならさないでください」

「特別なのはわかっているわ。でも、痛いなら痛いと言ってほしかったわ」


 私はアリアの主ですので、アリアから否定する言葉を言いにくいことはわかります。ですが、その前に嫌なら嫌と言って欲しいと言いましたのに。


「アルフェードにとって、シュテルクスの方々からの恩恵は全身全霊をもって承ることが常識です」


 アリア。真顔で怖ろしいことを言わないで欲しいわ。その言い方だと私が何をしても受け入れると言っているようなものでしょ。


「シュテルクスの恩恵ですか。リラシエンシア嬢、他の者にはこのようなことはしてはいけませんよ」


 ヴァン様、それほど痛かったということですか?私の背にはたらりと冷や汗が流れ落ちます。


「ジェイドにしてしまいました」


 ジェイドは私の一つ年上の孤児なのですが、彼はゲームでも存在していたキャラです。元々は王女メリアングレイスが管理する孤児院にいた人物で、ゲームでは王女メリアングレイスに恩返しをしようと、影のようにつきまとっていた人物でした。操作できるキャラではなく、情報屋としてのNPCでしたが。

 そのジェイドを孤児院から引き抜いて、執事クロードに鍛えさせて、忍者も真っ青のスパイ···どちらかというと暗殺者になってしまいました。

 そのジェイドはヘラヘラ笑いながら、『お嬢、これ面白れー』と言って陣を受け入れていました。


 私は立ち上がってアリアの背後の壁を叩きます。


「ジェイドも痛いなら痛いって言ってくれないとわからないわ」


 壁の向こうの御者台に座っている者に向かって文句を言います。すると、壁の向こう側からあっけらかんとした声が返ってきました。


『あれね。俺に痛みを与えるって凄いなって思ったんだよねー』


 そうです。ジェイドは無痛覚者なのです。ですから、危険なところも迷わずに足を踏み込めるのです。それはある意味便利でもありますが、危険でもあります。執事クロード曰く、過去にあった外因的要因によって、精神の崩壊を防ぐ為に痛覚を無くしたのではと言っておりました。

 そんなジェイドに私は痛みを与えてしまったのです。最悪ですわ。


『お嬢が気に病むことはねぇよ。俺に生きる意味を与えてくれたんだからな。感謝はしても、恨むことはしねぇ』


 ジェイドが気にしていないのであれば、良かったですわ。私がホッとため息を吐いていると、後ろから引っ張られ、バランスを崩しておしりから着地してしまいました。そこはなんと、ヴァン様のお膝の上です。

 ぐふっ。安堵した途端に動悸が激しくなりました。私の心臓のバクバクが鼓膜に響きます。


「ジェイドって誰だ?そんな者はいなかったよな」


 え?なんだか怒っていらっしゃいます?恐る恐るヴァン様を仰ぎ見ますと金色の目が私を見下ろしていました。


「ジェイドはお嬢様がわざわざ孤児院から引き取って、鍛え上げた者になります。流石お嬢様の慧眼です。今ではなかなかの腕前になっております」


 え?アリアがジェイドを褒めましたわ。今まで散々無視をして、生き物ではない呼び方をしていたアリアが名前を呼びました!

 御者をしているジェイドからは『ものすごい悪寒が襲ってきたー』との叫び声が上がっています。そろそろ王城に着きそうですから、どうやっても直らなかった口の悪さを噤んでほしいです。


「ほぅ。リラシエンシア嬢がわざわざ」


 えっと、どの辺りがヴァン様の気に障ったのでしょうか?孤児というところでしょうか?でも騎士の方でも孤児から成り上がったという話を聞くこともありますから、そこまで偏見はないですよね。


 何が駄目なのでしょう?そして、なぜヴァン様とアリアが睨み合っているのですか?


 私はこの状態になっている原因が分からず、王城に着くまでオロオロとしておりました。


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