第5話◆全ては貴方が生きる未来のために私は剣を取りましょう

 結局私は寝てしまった為に、父の暴走を止めることはできませんでした。

 父は私の言葉が嘘ではないことを侍女長キュランダに確認して、使用人たちは何をしていたのかと烈火の如く怒りを顕にしたのですが、侍女長キュランダは全く父の怒りに動じず言い返したそうです。


「そのような事を旦那様はおっしゃいますが、この屋敷の女主人はマーガレット様です。女主人の意向にそうように動くのが使用人の役目です。使用人が個人の意志を持って勝手な行動を取るのであれば、それはただの女主人に対する反意、そしてシュテルクス侯爵家に対しての忠誠心を疑う行動に繋がるのです。旦那様は我々に忠誠心を欠く行動をしろとおっしゃるのですか?」


 そこまで聞いて父はやっと私が言っていた意味を理解したそうです。父は父自身が気を使わなくても使用人たちが母を気遣い守ってくれるだろうと勝手に解釈していたのです。しかし、蓋を開けてみれば、母を助けることができるのは幼い娘だけで、その娘も何度も第一夫人に呼び出され、体罰を受け、その娘を庇う為に母が身を挺して守るという悪循環が出来上がっていたのでした。


 父自身が動かなければ何も変わらないと。


 それからの父の行動は早かったです。父は私の描いたシナリオどおりにマーガレット様には兄デュークの頑張り次第で当主の座を譲ることを示して、父の苦手な領地の権限を全て渡し、シュテルクス領にマーガレット様を追いやったのです。きっと息子である兄デュークが当主になったときに困らないように采配してくれることでしょう。


 カトリーヌ様にはカルロディアン叔父様の不貞を突き付け、手切れ金を渡し、叔父様の元に行くか辺境領の実家に戻るか好きなようにするようにという選択肢を迫ったそうですが、マーガレット様も同じだと父に言ったものの、父は既にその事は知っているためマーガレット様を引きずり下ろすことができないとわかると、泣き落としに入ったそうです。しかし、父の同情は得ることは出来ないのは当たり前ですので、最後には離縁すると言うならこの場で首を切りますとまで言い出したそうです。ならばと、父は腰に佩いている剣を抜き、血を撒き散らされるのは嫌だと言う理由から、父自ら首を落としてやろうと言ったところで、父の本気を感じたカトリーヌ様はうなだれ、実家に戻る意志を示したそうです。


 子供たちの処遇はどうなったかといえば、兄デュークは何も知らないまま従騎士の職務についており、次男のライはカトリーヌ様が引き取るのかと思えば、子供は必要ないと言わんばかりに置いて出て行ってしまわれましたので、シュテルクス家の者として貴族の籍に置いたままであり、次女のローラはマーガレット様と共に領地で過ごすことになりました。今回の事でライにはつらい思いをさせることになってしまいました。


 そして、私はというと


「なんですか?お兄様」


 兄デュークの行動に困惑していました。あの父を襲撃した日から毎日、兄は屋敷に戻って来ており、私に剣を教えて欲しいと言ってくるのです。

 今日は庭で魔術を使いながら水撒きをしているところに声をかけられたのです。今はどうすれば、効率よく全体的に水が行き渡るかを研究中なのです。どうでもいいことですが、思い通りに水を操るには良い訓練になっております。そして、私は毎回同じ言葉を繰り返し兄に対して答えます。


「お父様から教えてもらってください」


 と。しかし、兄からも毎回同じ返答が返ってくるのです。


「父上は俺に興味などないのだ」


 と。そのことは皆にも周知の事実。父の興味があるものは剣と母だけだと。


「私が剣術は習ったことが無いことはお兄様もご存知のはずです。勉強も平民の子供には必要ないとマーガレット様から言われ、全て独学で習得してきました。そんな私からお兄様に教えられることは何もありません」


 これも毎回同じセリフを吐いて私は兄の前から去っていきます。しかし、今回は私の手を掴んで兄は引き止めたのです。


「お願いだ」


 何をそんなに思い詰めることがあるのでしょうか?ああ、もしかしてシュテルクスという名の重みがわかって来たのでしょうか?


「お兄様にとって強さとはなんでしょうか?」

「え?」


 私から考えたこともない質問が飛んできて、戸惑っているのでしょう。目をオロオロとさせて考え込んでいます。


「剣術が上手ければ強いですか?力が強ければ強いですか?人には人に合った強さがあると思うのです。私は幼く体力がないです。ですから、魔術を使い父に立ち向かいました。お兄様には何が強みで何が足りなく、何が必要なのでしょうか?」


 私は兄の剣術がどのようなものかを知りません。ですから、私は何も言うことも無ければ、騎士の剣を使えない私は兄を教えることは何も無いのです。


「一度。考えてみてください。ご自分でわからなければ、ヴァンフィーネル様にお聞きすれば良いのです」


 ヴァン様なら兄のいいところも悪いところもわかっておられるでしょう。


「おや?結局私に回されるのですか?」


 近くからヴァン様の声が!!

 そちらの方に視線を向けると、アリアの背後からこちらを見ているヴァン様がいらしていました。


「今日はどうされたのですか?」


 私はヴァン様の側に駆け寄ります。まさかヴァン様がシュテルクス邸に来てくださるなんて!


「今日は非番でしてね。約束の物が出来上がったと連絡を受けたので取りに行っていたのですよ」


 兄が朝から屋敷にいるからなぜかと思えば、ヴァン様がお休みの日だったのですね。


「約束のモノ?」


 なんの話でしょうか?ヴァン様に何か渡すものがあったのでしょうか?


「剣の代わりに贈ると言ったものです」


 はっ!くまさんのぬいぐるみ!!私は目を輝かせてヴァン様を見つめます。本当にあの約束を守ってもらえるなんて思ってもみませんでした。しかし、くまさんの影も形もありません。


「お嬢様。応接室でお預かりしております」


 アリアが私の心を読んで、くまさんの居場所を教えてくれました。


「早く、くまさんに会いに行きましょう!」


 そう言って私はヴァン様の手をとって応接室に早く行きたいとアピールします。しかし、ヴァン様は動かず、兄がいる方に視線を向けています。


「従騎士シュテルクス。先程リラシエンシア嬢が言っていたように強さとは人それぞれだ。シュテルクス団長のように何もかも万能という人ははっきり言っていない」


 ん?父が万能?


「そして、リラシエンシア嬢のように膨大な魔力で他者をねじ伏せることも、普通はできることではない」


 あら?私が魔力のゴリ押しで父に立ち向かって行ったことがバレていたのですか。


「我々非才な者は努力するしか強者に近づくすべはないと心に刻んでおきなさい」


 ヴァン様はそう言って兄から視線を外し、私を抱き上げ、屋敷の方に向かって行きました。あの?屋敷の庭なので普通に歩けますよ?


「非才な者は努力するしかないというお言葉。とても、共感いたします」


 珍しく、客人であるヴァン様に話しかけるアリアがいます。使用人が客人に対して無駄口を叩くことは決してありません。いったい、どうしたのでしょう?


「我々、シュテルクス家の皆様に仕える者は色々な訓練を経てこの場におります。でなければ、殺されるのは我々の方だと常々言い聞かせられてきました。非才な我々は英雄の血族に近づこうと努力し、異才を手に入れ、この場所を勝ち取ったことは我々にとって、とても誇りに思うことなのです。ですので、毎日毎日お嬢様にたかる羽虫のように近づく坊っちゃんをボロ雑巾のように痛めつけて···いえ、鍛えていただけないでしょうか?」


 なんだか後半にアリアの本音が漏れていましたよ?まぁ、アリアの言いたいことは、自分たちは努力して力を手に入れたのだから、兄も努力すべきだということですわね。


「クスッ。善処しましょう」


 アリアのあの言葉を聞いて笑えるヴァン様は凄いです。ボロ雑巾ということは、屋敷に戻る体力がなくなるまで酷使しろと言っているのですよ。


 ヴァン様の返答にアリアは満足したのか頭を下げ、応接室の扉を開けました。応接室の扉の先にはソファの上に鎮座した私の背丈よりも大きなくまさんがいました。


「くまさんです!!」


 私はヴァン様の腕から飛び降りて、ソファの上に鎮座するミルクティー色のくまのぬいぐるみに飛びつきます。もふもふの毛並みは狐でしょうか?貂でしょうか?そしてふかふかわがままボディ!素晴らしいですわ。


「ヴァンフィーネル様!ありがとうございます!とても嬉しいですわ」


 私は近くのソファに腰を下ろしたヴァン様にお礼を言います。そして、大きなくまさんを抱えたままヴァン様に近づきます。


「ヴァンフィーネル様。私をお嫁さんにもらってくれる気になってくれました?」


 私は下からヴァン様を仰ぎ見ます。しかし、ヴァン様は困ったような表情をされます。


「以前も言いましたが、リラシエンシア嬢のお言葉を受けるわけには、いかないのです」


 はぁ、英雄の名の重みと貴族としての体裁ですか。


「今回はくまさんをいただいたので、引きますけれど、私は諦めませんわ」

「私でなくともシュテルクス侯爵令嬢に相応しい方々は沢山いらっしゃいますよ」


 そんなことはありません。私の推しはヴァン様だけです!


「ヴァンフィーネル様が良いのです」


 私はヴァン様にずずっと近寄って言い切ります。


「私に剣を持たなくていいと言ってくださったのはヴァンフィーネル様だけです。このように私の大好きなぬいぐるみも贈っていただけたのも、私にとってとても嬉しいことですし、それに····あのとき私がめちゃくちゃな戦い方をしているから、強引に結界の中に入ってきたのですよね」


 そう、私はあの日の翌日にアリアを問いただしたのです。雷の結界の侵入方法を脅されて話したのかと。すると、アリアは話していないと言ったのです。主を裏切る行為は万死に値すると。疑うのであれば、この場で首を切って欲しいとまで言ったのです。

 そこまでアリアが言い切るのであれば、アリアは話していないのでしょう。そうなると、あの雷の結界にヴァン様が侵入方法を知らずに入ってきたことになるのです。


「団長も大人気ないとは思いますが親子喧嘩にしては行き過ぎているように思いまして、止めに入らせていただきました」


 大人気ない。確かに父は大人気ないですわ。私のような子供に本気で怒るのですから。


「立ち入ったことを聞くのは失礼だと思うのですが、お聞きしてもよろしいですか」


 ヴァン様は言いにくそうに私に聞きたいことがあると言ってきました。なんでしょうか?


「先程、勉強は独学だとおっしゃっていましたが、本当にあの魔術も教師に習ったわけではないのですか?」


 兄に話していたことですか。そして、あの魔術とは、父に使った『雷光の狂撃』のことでしょうか?別に隠していることでもありませんし、屋敷の者達も知っていることです。


「本当のことですわ。貴族というものは身分が大切なようで、私の母は豪商マールメイラの長女なのですが、第一夫人のマーガレット様にとっては平民が視界に入るのも嫌だったのです。しかし、私が英雄の色という物を持って生まれたことで、更に不快に思われたようです。まだ乳飲み子の頃に池に落とされましたし、二階の窓から落とされたこともありましたし、あとだんろ···もごもご」


 何故か大きな手で口を塞がれてしまいました。あのー?まだ話の途中なのですが?


「聞いた私が悪かった」


 聞きたいと言っていたヴァン様が目の前で項垂れています。私は大きな手を手にとり下に下ろします。


「私が物理的にダメージを受けなかったので、今度は精神的に「だから、話さなくていい」」


 私の話を遮るようにヴァン様は言葉を被せ、私をくまのぬいぐるみごと抱きかかえました。


「それはリラシエンシア嬢が団長を殴る権利はあると思います。しかし、捨て身で団長に向かって行くのは違うと思います」

「ヴァンフィーネル様、大切なモノを守るためには身を挺することも必要だと私は考えます。今回はお父様に動いてもらうために必要なことと理解してくださいませ」


 そう、母と小さな命を守るために。そして、大好きなヴァン様のためになら、この命をかけましょう。






 月日は流れ私は16歳になり、王女メリアングレイスも16歳になる年になりました。


「羨ましいですわ。メリアングレイス様は婚約者のファエンツァ公爵令息様と共にお誕生日を迎えられて」


 白髪をハーフアップに結い、薄い紫のドレスを身にまとった私は目を細めながら、目の前の美しい男女に向けて微笑みます。


「シュテルクス侯爵令嬢も意中の団長を誘えばよろしいではないか」


 淡い金髪を風になびかせファエンツァ公爵令息が口元を歪めながら言います。私のヴァン様好きは貴族の間では周知の事実となっておりました。そして、私がヴァン様に振られ続けていることも。


「それがヴァンフィーネル様からは警護の任務が入っているからと断られてしまいましたの」


 明日は目の前にいる王女メリアングレイス様の誕生祭なのです。国民あげて祝う祭りであり、明日から3日間は祝日とされ、王城では色々な催し物が行われ、王都は屋台や出し物があちらこちらで出店されるのです。


 私を誘ってくれる殿方などいるはずもなく、ヴァン様には断られてしまいましたので、一人寂しく3日間の祝日を迎えるのです。アリアは側にいてくれるでしょうが。


「それで、これがマールメイラ商会経由で手に入れた人魚の涙ですわ」


 私は手のひらサイズの箱をティーカップと三段スタンドが置かれたテーブルの上にコトリと置きます。


「まぁ!これが人魚の涙なのですか!」

「ええ、メリアングレイス様が欲しいと言われていたものです」


 私と王女メリアングレイスの関係はゲームと大きく違い、私は王女メリアングレイスの取り巻きの一人として存在していました。それは、お祖父様のマールメイラ商会の流通ルートを駆使して王女の我儘を叶える侯爵令嬢Aという感じです。付かず離れず適度な距離感を保っていました。


「それで、例の団長さんに命令を出せば良いのですわね」

「はい。一筆書いていただければ、それでいいのです」


 少し違いましたね。王女メリアングレイス様は貴族たちに己の権力というものを見せつける為に珍しいモノや希少な宝石を私に用意するように命令し、私は王女メリアングレイス様の権力を少々借りる。そんな関係を築いていました。


 王女メリアングレイス様はその場でサラサラっと紙に何かを書いて、それを私に渡してくれました。

 その書かれた内容を確認して、内心ほくそ笑みます。


「ありがとうごさいます。さっそく今から行ってまいりますわ」


 私はそう言って席を立ち、退席を願います。


「ご武運を」

「また振られてくればいい」


 そう言ってお二人は送り出してくださいました。今日は前夜祭なのです。本格的な行事が行われるのは明日から、ですから前夜祭は比較的自由なのです。地方から来る貴族は王都の夜の街を出歩くことも珍しくありません。


 私はそのまま馬車に乗って第3騎士団に向かいます。突撃訪問ですが、兄デュークには事前に言っておりますわ。肝心のヴァン様が居ないという事態は避けなければなりませんもの。因みに兄デュークは剣の腕はそこそこでしたが、文官としての能力を発揮し、今ではヴァン様の副官として、その席に着いております。


 私は勝手知った第3騎士団の建物の中を颯爽と進みます。私の背後にはもちろんアリアが付いてきております。

 3階の以前父が使っていた団長室の前に立ち、扉をノックします。暫し待つと扉が開けられ、兄デュークが顔を出しました。飽きもせずまた来たのかという表情です。

 26歳になった兄はこう見てみると確かに叔父カルロディアンに似ており、かなりの色男になっています。さぞモテるだろうと思っていましたが、女性が居ない騎士団では出会いという場が少ないようで、未だに独り身ですわ。

 え?婚約者のご令嬢はどうされたかですって?シュテルクス侯爵家の大掃除を父が行った直後に婚約の解消を求められてきました。マーガレット様がシュテルクス領に行かされたことで、兄に旨味がないと感づかれたのでしょうね。ですから、未だに兄は結婚をしておりません。


「デューク、誰が来たんだ?」


 ヴァン様の声です。私は扉の前から動かない兄を押しのけて、室内に入ります。


「ヴァン様、リラですわ」

「また君か。今は職務中だ。帰ってくれ」


 この十年でヴァン様の私への扱いはかなり雑になっていました。しかし、私は負けずにそのまま進んでいき、書類が積み上げられた机を挟んでヴァン様と向かい合います。

 そして、ヴァン様に一枚の紙を見せつけるように差し出します。その内容を読んで段々と眉間にシワが寄っていくヴァン様。そして、頭が痛いと言わんばかりに、こめかみに手を当てていました。


「王女メリアングレイス様の命令ですわ。私と一緒に前夜祭のデートしてくださいませ」

「だから職務中だと言っているだろ」


 ええ、知っていますわ。ですから、もうすぐ定時となる夕刻に来たのではないのですか。


「前夜祭は日が暮れてからなので大丈夫ですわ。それに残っている書類があるのでしたら、お兄様の机の上に積み上げておけば良いのです」

「リラ。お前は俺を使いすぎだ」


 兄の言葉は無視ですわ。あの時、悪魔の囁きに頷いた兄が悪いのです。


「命令です。め・い・れ・い」


 私はヴァン様に向かってニコリと微笑みます。


「君は王族の権力を何だと思っているのだ?」

「あら?ヴァン様が私とデートしてくださらないから、コネを使ってメリアングレイス様に頭を下げて一筆書いていただいただけですわ」


 私はただヴァン様とデートしたいだけですのに、中々頷いてくださらないヴァン様をデートを誘い出す為に、お祖父様におねだりをして、王女メリアングレイス様に袖の下を渡し、ヴァン様が動かざる得ない状態を作り出しているのです。私の努力を認めて欲しいものですわ。アリアには違うところで努力して欲しいと言われていたりしますけれど。


 ヴァン様は大きなため息を吐いて、立ち上がりました。


「デューク。残りは明日までに処理しておけ」

「え?俺、飲みに行く約束が···」


 どうやら兄はこのあと街に出て同僚と飲みに行く約束をしているようです。


「だから明日までと言っただろ」


 それは、飲みに行ったあと、また戻って仕事をしろという上司命令のようです。


 その言葉にうなだれる兄に対して、私はヴァン様の腕に抱きついて、満面の笑みを浮かべます。


「ヴァン様。屋台で祭りの雰囲気を楽しみながら、お食事にします?それともお店に入ってゆっくりお食事にします?」

「重い。離れろ」


 ヴァン様が眉間にシワを寄せながら腕を引こうしますが、それは駄目ですわ。私は更に力を込めます。幼女ながらチートだった私は、普通の人では敵うことのない力と能力を16歳にして手にしているのです。正に化け物のクソ女リラが出来上がっていました。


 そんな私に力で押し問答しても、勝てないと理解しているヴァン様は直ぐに諦め、力を抜いてため息を吐きながら部屋を出ていきます。


 私は前夜祭で行われるイベントは総チェックしていますので、廊下を歩きながら、どこに行きましょうかとヴァン様にお尋ねしますが、ヴァン様の仏頂面はお変わりありません。

 そんな私達を横目に第3騎士団の人達はまたやっているなという呆れた表情をしている古参の人達もいれば、興味津々という少年たちもいます。そして、ニヤニヤと笑みを浮かべている人もいます。ええ、父の副官だったギルバートさんが今は顧問として第3騎士団に在籍しているのです。



「もう、ヴァン様は行きたいところはないのですか?」


 王都の中を移動するために、馬車に乗ってヴァン様の隣に腰を下ろして、不貞腐れたように尋ねます。


「だから職務中だと言ったはずだ」

「もう定刻になりました。今日の業務は終わりです」

「失礼ながらお嬢様。長年お嬢様のお手を煩わせるクソ虫などその辺に捨てておいて、お嬢様のお好きなところを回ればよろしいのではないのでしょうか?」


 アリアは何故かヴァン様に対して年々毒舌が酷くなってきており、今はヴァン様のことを先程のようにクソ虫だとか羽虫だとか虫けら扱いをするようになっていました。何度か注意をしているのですが、直ることはありませんでした。


「アリア。私はヴァン様とデートしたいの。私だけ楽しんでも仕方がないの」


 私の言葉にアリアは舌打ちをして、ヴァン様を睨んでいます。本当になぜ、このようになってしまったのでしょう?


「ヴァン様にも楽しんで欲しいので、お食事をするところをこの3つから選んでくださいな」


 準備万全な私は食事をする場所が書かれた紙をヴァン様に差し出します。一つはにぎやかな大通りに出店されている屋台で買い食いですわ。そして、一つは暗くなってから打ち上がる花火がベストポジションで見られるお店です。最後は一番無難な多くの貴族が利用するレストランです。


「先程も思ったが、なぜこれが選択肢に入っているんだ?」


 ヴァン様は屋台の買い食いが書かれたところを指し示していました。


「祭りといえば屋台ですわ。そこでしか味わえない雰囲気というものがありますもの。それに何度も建国祭にお誘いしても断られてしまったので、その時は屋台で食べたりしていますわ。アリアなんて最初どうやって食べるか分からなくて困っていたのですよ」

「お嬢様。今は串焼きでも汚さずに食べれるようになっております」


 アリアに反論されてしまいましたわ。最初の頃なんて、お皿も無く、カトラリーも無くどうやって食べるのかとオロオロしておりましたもの。


「あいつも一緒だったということか?」


 ヴァン様が聞いて来ましたが、···あいつ?いったい誰のことでしょうか?首を傾げてしまいます。


「誰のことでしょうか?屋台巡りはアリアと巡るのが恒例となっていますわ」


 私の言葉に納得したのかどうかわかりませんが、ヴァン様は紙に書かれた一つを指し示しました。ヴァン様、嬉しいです!


 馬車が到着したところは、川辺にある異国の料理を出す店です。貴族の上流階級の方々が足を運ばれるには少々品というモノが足りなく、平民が入るには躊躇してしまう店構えをしております。悪く言えば中途半端な店ですが、中流階級の方々が利用するには丁度いいという店です。


 そこのお店の二階の川側の一部がテラス席となっており、ここからだと対岸で打ち上げられる花火がよく見えるのです。私は花火と言ってはおりますが、王家の栄光を称える魔術の光が夜空に映し出されるのです。


「いらっしゃいませ、リラシエンシアお嬢様」


 お店の支配人が出迎えてくれました。ここは手広く商いをしているマールメイラ商会が独自の流通ルートを使って取り寄せた珍しい食材を料理として提供する場所なのです。これは私がお祖父様に提案させてもらった案件の一つになります。物珍しさに買ったものの料理の仕方が分からなければ意味がないのではと提言し、実物の料理とそのレシピ化を提供する場を作ればいいのではと提案しました。貴族という者は珍しいモノに目がありませんから。

 これは大いに成功し、食材の売り上げとレシピの売り上げに貢献したのです。メリアングレイス様の袖の下を手に入れるために。


 そして、ヴァン様と他愛もない話をしながら、物珍しい食財に舌鼓を打ち···いいえ、私が一人で話しておりました。いつものことですわ。


 そうしておりますと、対岸から光が打ち上がりました。王城を背景に王国の繁栄を願う赤い鳥が空を舞い、王族に新たに成人として立つ王女を祝う色とりどりの光の花が夜空を彩ります。美しいです。


 私はヴァン様の正面の席から横の席に移動します。


「ヴァン様、好きです!私を貴方のお嫁さんにしてください!」


 何度目になろうかという告白。月のような美しい瞳を見上げ、想いを告げます。


「悪いが君の想いに応えてやれない」


 すぐさま言い返すヴァン様。もう少し余韻という間を持っていただいてもいいのではないのでしょうか?

 断られても私がヴァン様を好きなことに変わりはありません。ああ、今日も素敵です!ヴァン様!


 いつもなら『諦めませんわ』と言うところですが、次にお会いできるかどうか、わかりませんもの。私はヴァン様に微笑みを返します。その御姿を目に焼き付けるように···。


「残念ですわ」


 微笑みながら言葉を返します。私がいつもと違う言葉を言いましたので、ヴァン様はピクリと眉を顰めました。


 これが最後かもしれませんもの。未来に託す言葉は語れませんわ。そう、私が生きているかも保証ができない。私がヴァン様に剣を向けているかもしれない。


「ヴァン様、前夜祭は始まったばかりですから、次に行きましょう!」


 私は立ち上がってヴァン様に手を差し出します。私の最後の我儘に付き合ってくださいませ。




 楽しい時間とはあっという間ですわ。日付けが変わる前にヴァン様は歩いて帰ると言って背を向けられてしまい、馬車で送っていくと言っても断られてしまいました。

 もう少し最後まで一緒にいたかったです。

 振り返ることのないヴァン様の背中を見て心の中でつぶやきました。


「お嬢、また振られてたよな」


 そう言って私の背後から声をかけて来る者がいます。振り返るとそこには、黒い外套を目深に被った人物が立っていました。


「おやすみの”ちゅー”を強請って、でこピン食らっているし、うける~」


 そう言ってクツクツと笑っているのは私が拾ってきた孤児のジェイドです。そのジェイドの更に背後からアリアが現れ、笑っているジェイドの後頭部を拳で殴っています。


「イッー!!」

「お黙りなさい、ゴミが!お前が今はやるべきことはお嬢様への報告です」


 アリアの中でジェイドは生き物ですら無いようです。ゴミとかクズ呼ばわりは止めなさいと言っているのですが、『お嬢様への態度がなっていないモノは万死に値しますが、お嬢様が使えると言っておられる間は生かしておきます』と返されてしまいました。


「はいはい」

「ハイは一度だと何度言えばわかるのですか?クズが」


 まぁ、こんな感じですわ。


「お嬢が言っていた場所、調べてみたんだけどさぁ。あれ、かなりヤバかったなぁー。マジで俺たちだけで行くわけ?ほら、あの遠くから睨んで来ているヤツに相談してみれば?」


 ジェイドが指を差している方は先程ヴァン様が戻られて行った方向です。慌てて振り返りますが、私の目には暗闇が映るばかりで、ヴァン様の姿を捉えることができません。あー、残念です。

 そして、私はジェイドの方に向き直ります。


「ジェイド。そこは私一人でいきます。ジェイドは次の東のロストーニを調べてください」

「えー!次に行くのー?それにあそこお嬢一人って相当やば目だけど、本当に行くのか?」

「ええ、それが私のこの国に対する盟約の在り方ですから」


 ジェイドは『わかんねーなぁ』と言いながら暗闇の中に消えて行きました。


 私は暗闇しか見えない背後を再び振り返ります。


 ヴァン様。全ては貴方が生きる未来のために私は剣を取りましょう。


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