第3話◆親子喧嘩で荒んだ心を癒してくれる推しは最高ですの

 まだ、朝日が昇っていない薄暗い中、私を起こす者がいます。


「お嬢様。リラお嬢様。起きてくださいませ」


 この声は私につけられた侍女のアリアですね。侍女長キュランダの娘でもあります。私に侍女長の娘がつけられたということでも、執事クロードは私の事を重要視していることが伺える人員配置だと言えますね。

 しかし、このふかふかのぬいぐるみに埋もれて寝ている私を起こそうとするなんて、嫌がらせでしょうか。


「旦那様がもう起きてご準備をされております」

「なんですって!っー!!」


 思わず勢いよく起き上がった為におでこに衝撃が走りました。何がぶつかったのかと横をみれば、床に仰向けに倒れ、額から出血をしている赤髪の少女が明り取りの淡い光に照らされておりました。

 密室殺人事件が発生したようです。


「土に埋めれば隠蔽できるかしら?」

「お嬢様。このアリアを無意識に殺すのはやめてくださいと、何度も言ってるのですが、いつになったら止めてもらえるのでしょうか?」


 そう言ってアリアはムクリと起き上がり、額の出血をハンカチで拭い取ります。すると出血したであろう傷は見当たらず、白く綺麗な額があるのみでした。アリアが私につけられた理由はアリアの特殊能力『超回復』があるからでしょうね。普通の人では私が無意識に振るった腕に当たっただけで、骨折をしてしまうのですから。まぁ、それが竜人の力と言われれば、納得もできますわ。今まで、化け物にゲームチートが乗算してしまったのばかりと、思っていましたもの。


「お嬢様。着替えてくださいませ。旦那様は既に下で朝食を取っていらっしゃいます」


 昨日、待てど暮らせど、戻って来ない父からの伝言を執事クロードが持って来たのが、日付が変わろうとしている時間帯でした。

 やはり、母のところに行かす前に、足でも蹴飛ばして私の話を全部聞いて貰えばよかったと思いながら、執事クロードに父が起きる時間に起こすように頼んでいたのです。


 5歳児の睡眠を片手で済ませるなんて、なんと横暴な!いいえ、私が父に文句を言い足りないだけですので、そこは我慢します。今日を逃すときっと父はのらりくらりと私を避けだすことは目に見えておりますもの。


 全てはヴァン様が生きる未来を掴み取る為に!!




「お父様!昨日はよくも逃げてくださいましたね!」


 玄関を出たところで、執事クロードに見送られている父を発見し、駆けつけて行きます。父は私がこの時間に起きているとは思わなかったのでしょう。私の顔を見て驚き、慌てたように馬に飛び乗りました。


 逃しませんわ!


 私は右足に力を込め、地面を蹴り宙を飛び父の背中に張り付きます。


「リラ!お前!」

「このまま騎士団に行きますか?それとも全然手つかずの書類にサインをするために執務室に戻りますか?」


 父に選択肢を迫ります。このまま大人しく馬で移動しながら私の話を聞くか、それとも、じっくりと腰を据えて私の話を聞くかと。


「いや、このまま騎士団に行ったら帰りはどうするつもりだ?」

「勿論、歩いて帰りますわ」

「はぁ。クロード。リラを私から引き剥がせ」


 父は馬を降りて、クロードに背を向けながら、私を引き取るように言いました。しかし、返ってきた答えは····


「旦那様。一度、屋敷の中にお戻りになって書類を見ていただければ、私としては一番ありがたいのですが?」


 クロードとしてはあの書類の山を早く処理して欲しいのでしょう。父に騎士団に向かわずに屋敷に戻ることが望みだと言葉にしました。


「クロード。お前の主は誰だ?」

「勿論旦那様ですが」

「が?」

「先代の執事であった父から言い聞かされていたことは、シュテルクスの血を持つ方々は己の興味がないことには、とことん興味がないので、仕事をしていただくように促すのも我々の仕事だと、常々言われてまいりました。ですので、私の意見としましては書類にサインをしていただきたいものです」


 確かにクロードの意見も正しいですわ。興味がないモノには全く興味がありませんもの。父の剣の収集癖に対して私は剣のどこがいいのか全く理解できません。


「それに旦那様。お嬢様のお話を最後まで聞かれることをお勧めいたします。今度、ミランダ様に何かあれば、お嬢様はミランダ様を連れてシュテルクス家をお捨てになるつもりだったのですから」


 クロード。ここで父にバラさないで欲しいですわ。私が家出するときにアリアを連れていきたいと相談しただけですのに。


「お嬢様と外国まで手腕を伸ばしているマールメイラ商会が手を組めば、旦那様とてミランダ様を取り戻すことは適わないと愚考いたします」


 クロードの言葉に父は渋々、再び馬に乗りました。余程、書類にサインをする仕事が嫌なようです。


「行ってくる、クロード」

「お早いお戻りを願っております」


 そう言って頭を下げるクロード。騎士団に行くことを選んだ父に対して、クロードの言葉の中にヒシヒシと嫌味を感じますね。


「リラ。前に来なさい」


 父は母ミランダを盾にとられ、やっと大人しく私の話を聞く気になったようです。後で、クロードにお礼を言っておきましょう。


 私は父の肩に手を置いて、軽く飛んで前側に回り込みます。そして、スポッと父の膝の上におしりで着地します。流石リラです。運動神経は抜群に良いですね。


 朝日を浴びる王都の街を眺めながら、私の脳内には瓦礫になってしまった情景が映し出されいます。その歪んだ情景を、見みて、観みて、私は口を開きます。


「お父様。私はダヴィリーエ様と結婚をしたいとは口にはしましたが、未来を知っている私としては、ダヴィリーエ様が生きている未来を作りたいということが本来の願いなのです」

「ヴァンフィーネルと共に生きることを望まないと?」


 父の言葉に笑いが込み上げてきました。共に生きることを望んでもいいのですが、私はリラシエンシア・シュテルクスなのです。それは絶対に変わりようがない事実。

 それに、推しは遠くからでも萌えることができるのですよ。


「クスッ。望まないことはないのですが、私が幼子であることは自覚しておりますし、ダヴィリーエ様は大人の男性ですから、ダヴィリーエ様にロリコンの噂が流れるのも申し訳ないですわ」

「ろ··ロリ·コン····。まぁ、そうなるのか?」


 父の頭の中にはロリコンという言葉は存在しなかったようです。だから、兄デュークという存在が必要なのです。外向きは兄に会いに行く妹。だけど、私の本来の目的は従騎士の兄ではなく、兄が仕える騎士様の方なのですから。


「話を戻しますが、昨日お話をしたように、隣国との戦争になり、何かの理由で私が裏切る未来が存在しているため、剣を取ることを拒んでおりましたが、その戦争の被害を最小限に抑えるために、私は英雄シュテルクスの末裔として剣を取ることをここに誓いましょう。英雄シュテルクスの血を持つものは男女問わず国の為に剣を取らなければならいのであれば、私は主君を持たず、国の為に剣を振るいましょう」

「それで己の執着する者と共に生きることを諦め、執着する者を生かす未来の為に剣を持つとリラ、お前は言っているのか?」


 諦め···諦めてはいないですが、ヴァン様の心が得られないのであれば、それはとても悲しことですもの。母を見ていればわかります。母は父に気に入られ、一応伯爵家の養女とは表向きにはなっているものの、何もわからないまま貴族の家に入り、第一夫人と第二夫人から平民の分際でなぜここにいるのかと虐められ、味方となってくれる夫は普段家にはおらず、かばってはくれない。恨みの矛先をその夫に向けることもあるでしょう。

 あの母のように恨み言をヴァン様から言われてしまえば、私の心が死んでしまいますわ。


「まぁまぁ、お父様。リラは諦めはしませんわ。ダヴィリーエ様からお心をもらえるように努力をしてみますが、貰えなくても構わないと言っているのです」

「はぁ、リラ。お前の好きなようにするといい。だが、私はヴァンフィーネルに対して何かを言うこともない。それから、お前は第二王子の婚約者に内定していることを忘れるな」


 忘れ去ろうとしている事を父は蒸し返してきましたわ。わかっておりますわ。その件は何とか考えて無効にしてみせますわ。


「では、お父様もマーガレット様とカトリーヌ様の件はお願いしますね。今度、お母様に何かあれば、マールメイラのお祖父様にお願いして、おかあ····モゴモゴモゴ」


 私の口を塞いてきた父を睨みつけます。その父は瞳孔が縦に伸びた赤い瞳で私を睨みつけていました。


「これ以上、口にするとぶっ殺すぞ!」

モゴモゴモゴモゴ受けて立ちますわ!」

「このまま首をへし折ってもいいのだぞ」

モゴモゴモゴモゴできるものならモゴモゴモゴモゴしてみるといいですわ!」

「ああ゛?!」


「あの····団長。ここで殺気を振りまいて、子供の殺人宣言をされるのも如何なものかと」


 この声はヴァン様!!私は父に口を押さえられたまま視線だけを声がした方に向けます。そこにはヴァン様を始め、多くの騎士たちがおりました。その横には馬や狼、大型の鳥など騎獣を連れております。周りに視線を向けますと、どうやらここは騎獣舎のようで、各自の騎獣の世話をするため朝早くからここにいるようです。

 そして、第3騎士団長である父が殺気を振りまいて子供殺人宣言をしているため、皆が遠巻きに見ているという現状なのでしょう。


 あまりにもの怒りに周りが見えていなかった父は落ち着かせるためか大きく息を吐き出しました。


「はぁー。リラ、先程の言葉を実行しようものなら、部屋のぬいぐるみを切り刻むから覚えておきなさい」


 その言葉の衝撃で一瞬、私の部屋のふかふかもふもふぬいぐるみ達が無惨な姿になっている姿が浮かんでしまいました。そんなことは絶対に許しません!


「ふふふ、お父様。言い返しますが、そのようなことを実行しようものなら、コレクションの剣を全て叩き折って差し上げますわ」


 私と父の間で火花が散ります。お互いがお互いの弱みがわかっている為に、譲れない境界線を脅し文句として言い合うことになっているのです。

 すると、父は私の首根っこをつかみ取り、子猫のように空中にぶら下げ、宙に放り投げました。しかし、リラはチート級の中のチート。これぐらい簡単に体制を整え受け身を取ることは容易ですわ。


 ですが、体制を整える前に背中を受け止められる感触があり、視線を背後にいる者に向けます。


「ヴァンフィーネル。馬鹿娘を送ってくれ、それから、未だにこの場に居ない馬鹿息子を殴っておけ」


 ん?確かにこの場に兄デュークの姿は見かけませんでしたし、朝もすれ違うこともありませんでした。


 父は私をヴァン様に押し付けるようにして、馬に乗ったまま騎獣舎の中に入っていきました。その背中に私は念押しのように声をかけます。


「私の言ったことを絶対にしてくださいね!」


 何も反応のない背中に声をかけましたが、父のことですから、のらりくらりとかわされそうです。所詮、私も父も同じ穴のムジナですから、父の行動パターンは手に取るようにわかってしまいます。

 次の一手を考えなければなりません。····が、今はこの現状をどう戦うかが、問題です。心の準備もなく、いきなりヴァン様の腕の中とは現実逃避もしたくなります。


「ダヴィリーエ様。下ろしてくださいませんか?帰りは自分で帰ると言っておりますので、送ってくださる必要はありませんわ」


 取り敢えず、この心臓のバクバクが聞こえてしまいそうな状況をなんとかしたいです。切実にどうにかしたいです。変な汗も出てきそうです。


 じゃないと、『ヴァン様をこのままお持ち帰りしたい』です。


 あ、本能というモノが私の顔を覗き込みました。お前の望みを口にすればいいと。私はそれを理性で押さえ込みます。父のようにはならないと。


 何も反応しないヴァン様を仰ぎ見ます。


「あの?下ろしていただけないでしょうか?」

「シュテルクス侯爵令嬢。貴女も団長と同じなのですね」

「はい?何がでしょうか?」


 ヴァン様が言っている同じという言葉は何を指しているのか、わかりませんわ。私が首を傾げていると、ヴァン様は私を抱えたまま歩きだしてしまいました。私を下ろしてください!!



 そして、私はヴァン様に抱えられたまま、ヴァン様の騎獣に乗って帰途につくことになってしまいました。私は歩いて帰ると言い張りましたが、団長に命令されましたし、従騎士が初日早々に寝坊ということに対しても叱咤するように言われましたのでと。父と兄を理由に挙げられ、騎獣の背に乗って移動しているのです。


 因みにヴァン様の騎獣はゲームどおりに馬竜でした。馬より一回り大きめの硬い鱗に覆われた四足歩行の竜と言えばいいのでしょうか?


「先程言っていた父と同じとはどういうことですか?」


 私を抱えながら器用に騎獣を操っているヴァン様に話しかけます。何か話していないと、今の状況に喜びと不安がせめぎ合い、喜びの方が勝って、本能をぶちまけてしまいそうです。


 仰ぎ見たヴァン様は素敵過ぎます。このまま時間が止まってしまえばいいのに、そうすれば、隣国が攻めてくることもなく、私が裏切ることもない。


「ああ、それはその赤い瞳のことですね。団長も滅多に感情を表に出されない方ですが、英雄シュテルクスの瞳を表に出されることがあります。先程のシュテルクス侯爵令嬢も同じ瞳をされておりましたので、英雄シュテルクスの瞳をお持ちなのだと思ったのです」


 あの瞳孔が爬虫類のように縦になる瞳のことですね。英雄シュテルクスの瞳と一般的には認識されているのですね。しかし、ヴァン様に英雄シュテルクスとシュテルクス侯爵令嬢と並べて言われると、とても不快に思って来てしまいます。私は英雄ではありません。


「ダヴィリーエ様、シュテルクスという名で呼ばれることには慣れておりませんので、リラと呼んでくださいませんか?使用人たちもお母様方もリラと呼びますのよ?」

「シュテルクス家の方々をその様に名で呼ぶことは、できかねません」


 うー。呼んで欲しいです。英雄が偉大すぎるのが悪い!


「ダヴィリーエ様、私は英雄ではありませんわ。私は何も功績を成していない子供です。その子供の我儘だと私のお願いを聞いてもらえないでしょうか?」

「お願いですか?」

「ええ、お願いですわ」


 ただの子供の我儘。リラちゃん呼びをして欲しいという他愛のない、わがまま。


「シュテルクス侯爵令嬢は失礼ながら、中身と外見がチグハグですね」

「は···?」


 ちぐはぐ?まさか中身がオタクだとバレてしまっているのですか!!それは大変です!どこにそんなボロを出してしまったのでしょう?

 まだ本屋で全巻買い占める大人買いはしていません。それも読む用・保管用・布教用みたいな買い方もしていません。Blu-ray専用BOXが欲しいが為に特装版の予約もしておりませんし、朝早くから〇〇メイトでグッツを買い漁ったりもしていないのに何故バレてしまったのです!


「私が知るシュテルクス侯爵令嬢と同じ年頃の子供は、自分をどれだけ大人と同じ様に見せようかとしているものですが、シュテルクス侯爵令嬢はその違和感がないのです」


 ギクリとヴァン様の言葉に冷や汗が流れます。そっちですか、中身が社会に疲れ切ったオタクだと。


「あの団長を言い返せない程言い負かせておきながら、御自分を子供だと理解し、それを利用している。御自分はただ英雄の血を引いているだけの子供だと。普通ならそこに傲りが見えるものですが、それが全くないのも貴族のご令嬢らしくないですね」


 ヴァン様それは普通のご令嬢に言ってはダメですわよ。貴族の令嬢らしくないなんて、言われてしまった日には部屋から出てこなくなってしまいますわよ。


「貴族の令嬢らしくない私は何なのでしょうか?」

「あっ!失礼しました。決して貶す言葉ではなく。それこそが英雄シュテルクスの血統だと感じたのです」


 英雄の血統。人であろうとした哀れな竜人の血統。化け物は所詮化け物だと言われているようです。その言葉に笑いが込み上げてきます。


「ふふふっ。ダヴィリーエ様。英雄が英雄たらしめるものは何だとお思いでしょうか?その力でしょうか?血統でしょうか?しかし、英雄という言葉を履き違えれば、ただの大量殺戮者に過ぎません。私はね、英雄とは人々が作り出した幻想に過ぎないと思うのです。ダヴィリーエ様」


 私はヴァン様の名を呼び小さな手を掲げて見せます。


「この小さな手に剣を持って戦いを強要されますか?」

「え?流石にそこまでの事は言いません。英雄シュテルクスの血を受け継ぐシュテルクス侯爵令嬢に剣を持って戦えと言うことは違うと思います。戦うのであれば、それは我々騎士の仕事ですから」


 その言葉に心からの喜びが沸き起こります。ヴァン様好きです!大好きです!私の周りでそんなことを言ってくれる人は誰一人いませんでした。


「ダヴィリーエ様!ありがとうございます!そのようなことを言ってくださるなんて、リラはとても嬉しいです!!」

「うっ····」

「父も兄も私に剣を持つように言ってくるのです。それがシュテルクス侯爵家に生まれてきた者の定めだと言わんばかりに。私は英雄になりたいわけではありません。でも、それはシュテルクス侯爵としての父も国も許さないことでしょう。いずれ、私も剣をこの手に握ることになるでしょうね。でも、大切な人のためになら喜んで剣を手にするでしょう」


 小さな手を青い空を掴むように握り込みます。未来を掴み取ることはこの空を掴むように難しいことです。

 その時の私は微笑みを浮かべることはできるでしょうか?


 握った手を下ろそうとすると、大きな手が小さな私の手を包み込みました。ゴツゴツとした硬い手の平です。


「シュテルクス侯爵令嬢。貴女が剣を持つようになる日が来るのであれば、それは我々騎士が役立たずだと言っているようなものです。我々騎士が役立たずになるまで貴女が剣を取る必要はないと、私は思います」


 ヴァン様ー!私をどれだけ萌えさせれば気が済むのですか!くー!推しが!推しが!私の為に心を砕いてくれるだけで、心が踊る思いでしたのに、まさか、シュテルクス家の者に剣を持たなくていいだなんて!


「ダヴィリーエ様、私を貴方のお嫁さんにしてください。私に剣を持たなくていいと言ってくださる方なんてダヴィリーエ様ぐらいですわ!」


 私の告白に目をオロオロとさせるヴァン様。そして、大きくため息を吐かれました。


「はぁー。シュテルクス侯爵令嬢、私は確かに第3騎士団の副団長の地位にはいますが、所詮子爵家の出の者です。侯爵家のご令嬢が嫁ぐ者ではないのです。申し訳ありませんが、シュテルクス侯爵令嬢のお言葉を受けるわけにはいかないのです」


 あら?振られてしまいましたわ。きっと私が昨日突然告白して返答できなかったので、お断りの言葉を考えてくださたのでしょうね。ですが、それぐらいでは諦めません。


「そうですか、今回はそうですわね。私のことをリラと呼んでくださったら、一旦引きますわ」


 もう、シュテルクス邸に着いてしまいましたし、名前を呼んでくれるのであれば、今回は引き下がることにしましょう。

 しかし、ヴァン様は私の提案を飲み込めないようです。


「リラシエンシア嬢でよろしいでしょうか?」


 よろしくないですわ!妥協案は良くないです。私が不機嫌な表情を出していますと、ヴァン様はクスリと笑い、私の白髪の頭を撫ぜてきました。


「そういうお顔をされると、子供らしいですね。私のことはヴァンフィーネルとお呼びください。そして、剣の代わりにぬいぐるみをお贈りしましょう。確かくまのぬいぐるみでしたか?」


 推しからぬいぐるみがプレゼントされる!!


「ヴァンフィーネル様!とても嬉しいです!リラは大きなくまさんのぬいぐるみが欲しいのです!昨日は父を何度殴ろうかと思っていたのですが、今日は嬉しい事ばかり!ここまで送ってくださってありがとうございました」


 私はそう言って、馬竜から飛び降りて屋敷の中に入っていきます。その後ろでヴァン様が『ご令嬢に殴られる団長って想像できない』と言葉をつぶやかれていましたが、殴ってはいないですわ。


 その足で、兄の部屋に向かっていきます。走ると怒られますので、走っているとは思われないぐらいの早足で颯爽と広い屋敷内を移動していきます。

 しかし、その私についてくる者がいます執事のクロードです。


「お嬢様、お帰りなさいませ」

「ただいま戻りましたわ」

「お嬢様、こちらはお嬢様が通常立ち入ることが許されない区画でありますが?」


 そうです。今私が歩いている区画は第一夫人であるマーガレット様のテリトリーですので、平民の血が混じった私の徘徊許可はマーガレット様に呼ばれたときぐらいしか降りないのです。


「知っていますよ。時に執事クロード」

「はい、なんでしょうか?」

「今日がお兄様の従騎士初日だと知っていて?」

「····」


 クロードからの返事がありません。初耳だったということでしょうか?恐る恐る振り返ると、眉間にシワを寄せてこめかみがピクピクしているクロードの姿がありました。


 きっと父からの説明も無く。兄デュークから何も言われなかったのでしょう。


「今、お兄様が仕えなければならない、ヴァンフィーネル様が迎えに来ていらっしゃいますので、お兄様を呼びに行くのですが、お兄様は起きて準備は終わっていらっしゃるのですか?」

「それが、昨日遅くまで旦那様からいただいた剣を振るっていましたので、まだおやすみかと思います」


 子供ですか!今日から従騎士として騎士団の方に向かわなければなりませんのに父から剣をもらって嬉しすぎて寝れなかったということでしょう!

 しかし、ちょうど良かったですわ。


「クロード。お兄様の部屋を開けてくださらないかしら?」


 私は兄デュークの部屋の前に立ち、クロードに扉を開けるように促します。普通ならクロードも苦言を呈するところでしょうが、貴族としてもシュテルクス侯爵令息としても初っ端から遅刻だなんて体裁の悪いことは許されません。クロードも躊躇することもなく、兄デュークの部屋の扉を開け放ちます。


「なっ!執事クロード様!如何なさいましたか?」


 扉の近くには兄デュークの侍従サイロスがいました。きっと、兄がいつ起きてきてもいいように控えていたのでしょう。


「サイロス。今日のデューク様の予定を聞いていますか?」

「は···はい!本日10時に、この度従騎士に昇格した方々の集まりがあると伺っています」

「·····」

「·····」


 これは10時に間に合えばいいという考えでしょうか?私は扉で遮られた奥の寝室でまだ寝ているであろう兄デュークを心の中でなじりました。どこの社長ですか!仕えるべき騎士より遅く出勤する従騎士とはなんですか!そんな従騎士は必要ないと。


「執事クロード」

「なんでしょうか?お嬢様」

「例えば主より遅く起きる侍従は必要でしょうか?」

「ははははっ!そんな者が屋敷内いるのであれば、お仕置きが必要でしょうね。お前は何様だと」


 私の言葉にクロードは珍しく笑い声を上げました。その姿に侍従サイロスは顔を青くします。もしかして、兄デュークはとんでもない勘違いをしているのではと。


「その仕えるべき主が侍従のところに起こしに来たとすれば?」

「ははははっ!そのようなことが起きたのであれば、シュテルクス侯爵家から追い出しますね。お前など必要ないと」


 そこまで聞いて侍従サイロスは慌てて兄デュークが寝ているであろう寝室に飛び込んでいきました。


 寝室の扉の向こうではサイロスが懸命に起こしている声が聞こえます。しかし、兄デュークは起きる様子がないのでしょう。泣き言のような言葉も混じって聞こえてきました。

 起きてくださらないとここを追い出されてしまうだとか、クロード様のお仕置きは嫌だとか、聞こえてきます。一応兄はこのシュテルクス侯爵家の長男として在るはずです。その侍従が己の身に起こる不遇のために主に行動を促すとは些か問題だと思います。


「クロード」

「はい、お嬢様」

「お兄様からサイロスを外しなさい。あのように己の保身の為に主を動かす者は危険です」

「申し訳ございません。まさかサイロスがあのような考えを持つものだと思っておりませんでした。それに、主の立ち場を理解していない者も危険でありますから、他の者をつけさせていただきます」

「それでお願いするわ。それから、私がお兄様の寝室に乗り込んで行くのは問題かしら?これ以上ヴァンフィーネル様をお待たせするわけにもまいりません」

「この度は私の不徳と致すところでありますので、私が参りましょう」


 そう言ってクロードが兄の寝室に消えていきました。クロードは父の予定を把握をしておりましたが、兄デュークのことまで気が回らなかったと反省しているのでしょう。

 クロードが扉の向こうに消えて少し経つと兄デュークの悲鳴が聞こえてきました。どうやって起こしたのでしょうね。


 暫し待つと、涙目で身なりを整えた兄デュークが寝室から出てきました。


「まぁ、お兄様。よくお休みになられて羨ましい限りですわ」

「リラ。何故お前が俺の部屋にいる」

「リラはお父様にお願いごとをするためにお父様の出勤に付き合ったのですが、今日はお兄様の従騎士としての初日とそこで聞いたのですわ」


 私の言葉に兄は尊大な態度をとるように、腕を組み幼い私を見下します。


「そうだ。俺は従騎士になったんだ!」

「そこで私が目にしたのは、早朝の訓練のために準備をしている騎士の方々と、その仕える騎士の周りで武具や騎獣の鞍を用意している従騎士の姿でしたわ。ただ一人、ヴァンフィーネル様だけに従騎士がついていなかったのですが、どういうことなのでしょうか?」


 段々と兄の顔色が悪くなってきました。それに追い打ちをかけるように、叩き込みます。


「勿論、その場にはお父様もいらしていましたから、お兄様が遅刻されていることは把握しておりましてよ?」


 兄デュークは完全に心が折れたのか、その場で床に膝を付いて四つん這いになり、打ちひしがれてしまいました。私はその兄デュークの横に膝をつき、囁きます。


「ですが、私の要望を聞いてくださるのであれば、私に一発殴られるだけで、今回のことでお父様からお咎めがないようにして差し上げますわ」


 私は兄デュークに悪魔の囁きを紡ぎます。今回のことは兄にとってはとんでもない失態。これで、家督争いから外される可能性もあるのです。

 まぁ、英雄の血は一滴も入ってはいなかったですが。


 その失態をなかったことにはできませんが、父に執り成してあげましょうと囁くのです。


「お前の願いを聞けばいいのか?」

「そうですわ」


 そう、簡単なお願いですわ。

 兄デュークは何かしらの希望が見えたのか顔を上げ、私を見てきました。私はにこりと微笑み床から立ち上がり、兄デュークを見下ろします。


「お前に殴られる意味はあるのか?」

「ありますわ。頬に青あざを作って謝られるのと、いつも通りの姿で謝れるのとでは、印象が違いますもの。もう既に制裁は受けたと印象つければ、お兄様が屋敷の前で罵声を浴びせられ、殴られることはないでしょう」


 怒ろうとしていた相手が既に満身創痍だったら、相手に同情する余地が生まれるでしょう。兄にはこれから色々働いてもらわないといけないのです。ヴァン様との関係が悪化することは避けなければなりません。


「は?どういう意味だ?」

「ですから、お兄様が仕えるべきヴァンフィーネル様が迎えに来ているのですわ」

「それを早く言え!」


 兄は慌てて立ち上がり、私に詰め寄ってきました。


「それで、お前の願いはなんだ!」

「私、ヴァンフィーネル様が好きなんですの。ですから、お兄様には頑張ってもらってヴァンフィーネル様の片腕となって欲しいのです。私がお兄様を利用してヴァンフィーネル様に会いに行けるように」

「私利私欲まみれじゃないか!」


 私のお願いに兄は的確な言葉を返してきました。私利私欲にまみれて何が悪いのです。ただ、会いに行くだけなのですから、そこまで問題視することではありません。


「そのうち、戦が始まります」


 私は小声で話します。遠い未来の話です。


「え?」

「1年、2年の話ではありませんから安心してください。しかし、それまでにお兄様の剣の腕を上げておかないと命を落とすことになる大規模な戦ですわ。だから、お兄様のためでもあるのです」


 そして、兄自身のことも考えていると匂わす。完璧ですわ。


「戦って····」

「そのことはお父様にも報告済です。お父様もこれから色々動くことになりますわ」


 身の回りに急激な変化が起こっても、それは未来への采配だという印象付けも忘れませんわ。


「ですから、頬を出してくださいませ」


 私が拳を握って笑顔で兄に言い寄りました。若干逃げ腰で引きつった笑いを浮かべる兄に、抉り込むような拳を振るいました。白目を向きながら床で跳ね、壁に激突していった兄の姿を見て、少し力加減を間違ってしまったと反省しながら、後はクロードに託して自室に戻ります。

 流石に眠いですわ。


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