「より深いアイデンティティなのかもしれないね」 -2-

 そうして、エヴァンが旅路に出たのは、それからさらに二〇日後のこと。ロウの傷はもちろんのこと、レティシアの容体が安定してからだった。

 レティシアは意識を取り戻してからも、いっさい言葉を発することはなかった。どのようなことを問いかけたとして何の返事もしないので、尋問は意味を成さない。拷問をするという選択肢は、エヴァンの中には存在しなかった。

 結局、ただ食事をさせるとき以外は自害できないように猿轡を噛ませて、手足を拘束している。メイド服を着ているときは女にしか見えなかったが、ブラウスにズボンという一般的な男の格好をさせ、長髪に見せていたカツラをとると、小柄ではあるが普通の男の姿となった。

 一行はセルジアまでの旅に、単独で騎乗する馬二頭と、さらに馬四頭立てのコーチを用意した。

 箱型馬車の中には拘束したままのレティシアと、ルイス、ミッチェルが乗っている。御者台に座るのはセルゴーで、二頭の馬にはそれぞれエヴァンとロウが跨る。

 ただ連行されているだけのレティシアを含めて、六人での旅だ。

「エヴァン様、今夜はシュトレの町で宿を探すのでよろしいですか?」

 前方に二股の分岐路が見えてきて、セルゴーが、念の為の確認といった様子で問いかける。

 ユレイトからセルジアまでは、真っ直ぐ向かったとしても、馬の足で二日半かかる距離である。今日はその一泊目にあたる。

 一行が今いるシュトレ領は、ユレイトから馬でちょうど一日かかってつく距離にある領地だ。王都方面に遠出する場合の宿泊地として、エヴァンとセルゴーには馴染みのある土地だった。

 だが、エヴァンはセルゴーの提案に首を横に振る。

「セルジアに着くまで宿には泊まらず、夜営しよう。セルジア領主にはすでに訪問する旨の連絡をしてしまったからな。俺がセルジアを訪問することに心当たりを感じ、事態の発覚を恐れて新たな刺客が送られてくる可能性は否めない。そうなった時に、宿の者に迷惑をかけることになるからな」

「なるほど、承知いたしました。であれば町には入らず、そのまま街道を行きましょう」

 セルゴーは頷き、街道が続く分岐路の左の道を選択する。

「この状況で送られてくる新たな刺客って、主人は、刺客が何を目的にやってくると思ってるんだ? 流石にこの状況で俺を殺しても、セルジア領主にとっては事態が悪化するだけだと思うんだが」

 会話を聞いていたロウが問いかける。

「もはや目的の優先度としては、ロウの殺害よりも、事態のもみ消しの方が高くなっただろう。レティシアの殺害、並びに推薦状の破棄を狙ってくる可能性は高いと睨んでいる。この二つの証拠さえなければ、いくらでも刺客との関係を否定できるからな」

 エヴァンの説明に、ロウは納得の頷きを返す。

 この旅に出る前に、エヴァンはすでにイライジャからレティシアの推薦状を受け取っていた。レティシアの身柄をユレイト領で預かる旨の了承も受けているので、ことは完全に、ユレイト領とセルジア領間の問題になっている。

 それからしばらく街道をいくと、だんだんと日が暮れて、あたりが薄暗くなってきた。一行は街道の脇に馬車をとめ、森の中のやや開けた場所に、野営の準備を始める。

「セルゴー、テントを建ててくれ。ミッチェルは焚き火の準備を。ロウは夕飯を用意してくれるか」

 馬を降り、各人に指示を出すのはエヴァンだ。エヴァンを含め、ユレイト領の兵士は毎年の冬にゴブリン討伐の遠征に出る。その際にはベスティ山脈の頂で長期間の野営を強いられるため、こういった準備も慣れたものである。

「エヴァン様、私にも何かお手伝いできることがありますかね?」

 馬車からルイスが出てきた。

「いえ、もう大丈夫ですよ。ただ、今日眠る場所のことでひとつご相談があります。ルイス様にはレティシアと一緒に馬車で眠っていただきたいのですが、構いませんか? 刺客と同じ寝床というのは寛げないでしょうが」

 エヴァンは少々言いにくそうに問いかけるが、ルイスはまったく気にした様子もなく快諾する。

「ええ、もちろん構いませんよ。レティシアが大人しいことは、このところずっと付きっきりだった私が一番わかっていますしね。むしろ私が馬車を使って構わないのですか? 本来はエヴァン様が馬車を使われるべきだと思うのですが」

「俺はセルゴー、ミッチェルと三人で交代しながら見張りをしますので、仮眠にはテントを使います」

「見張りですか? 領主様にそのようなことをさせてよろしいので?」

 気遣わしげなルイスの言葉に、自身の左肩だけにかけたマントを指差し、エヴァンは笑う。そのマントの着用の仕方は、右手で剣を振るえるようにという理由があり、また、兵士団長であることの証のようなものである。

「今の俺は、領主というよりも兵士団長ですから。お気になさらず」

「団長、焚き火の準備ができました」

 エヴァンの言葉を裏付けるように、ミッチェルがエヴァンを兵士団内での称号で呼ぶ。その呼びかけに応え、エヴァンはルイスとの会話を切り上げると、用意された焚き木の前へと向かった。

 そして、首飾りとして常に身につけている火炎岩から、焚き木に火を灯す。この、火を灯す作業はエヴァンの仕事であると決まっている。中心部に焚き火がおこれば、キャンプ地の完成だ。

 太陽はあっという間に木々の間に落ちてしまった。暗闇に満ちた世界に火が灯される光景は、象徴的に感じられるものである。

 皆で焚き火を囲んで食べる今日の夕飯は、ユレイト領から用意してきたシチューを温め直したものだ。焼き立てとはいかないが、柔らかいパンもつけて食べることができる。

 ベロニカが腕を振るって作ってくれたシチューは、味が深く実に美味であり、冬も近い冷たい秋風にさらされ続けた一行の体を、芯から温めてくれる。

「こうして邸宅を離れるんですから、ロウさんも別にメイド服じゃなくても良かったんじゃないですか。外でその服は動きにくくないです?」

 シチューに舌鼓を打ちながら、ミッチェルが向かい側に座るロウを見て言う。ロウは今日も、いつも通りのメイド服だ。そのロングスカート姿で焚き火脇に胡座をかいて座っている姿は奇妙であった。

「俺はこの服が着たくて一生をかけてきたんだぜ? それに、主人のそばにいるときはメイドでいたいしな。賢者だって、祭服から着替えてねぇじゃねぇか」

「聖職者は祭服以外の服を着ることは、基本的にはないからね。服を着ることによってその者が今、どんな立場にあるのかを示すのであれば、聖職者っていう肩書きは、職業というよりも、より深いアイデンティティなのかもしれないね」

 ロウから話を振られて、ルイスはゆるりと微笑む。それから自分のシチューを食べきってしまうと、器にもう一杯分のシチューをよそう。

「エヴァン様、レティシアにも夕飯を食べさせて構いませんか?」

「ああ、そうですね。俺も行きます」

 エヴァンもまた最後の一口だったパンを口に放り込むと、ルイスの後に続いて馬車の方へと向かった。暗殺も警戒し、レティシアは馬車から出していなかったのだ。

 馬車の扉を大きく開くと、暗闇に焚き火のオレンジ色の光が差し込む。馬車の床に座り込み、揃えて立てた両の膝頭に頭を乗せるよにして小さくなっているレティシアの姿が浮かび上がった。

「レティシア、食事だよ」

 ルイスが声をかけて近づくのと同時、エヴァンもまた彼に歩み寄ると、その口にかけている猿轡を外してやった。

 レティシアの前に無造作に座るルイスとは対照的に、エヴァンは一歩引いて、彼の様子を注意深く観察する。レティシアが少しでもおかしな行動をとった場合、すぐさま対応するためだ。

 レティシアはメイドに扮しているときカツラをつけていたが、外しても黒の髪色自体は変わらなかった。

 ショートカットと言うにはやや長い髪をしており、特に前髪が長く、目元を覆ってしまっている。表情が変わらないこともあるが、目元が隠れているが故に、いっそう彼が何を考えているのか、読み取ることは難しい。

 ルイスはそんな得体の知れないレティシアに対しても、他の者に対するのと全く変わらない態度を取る。

「ほら、食べさせてあげるから、あーんして」

 スプーンでシチューを掬い、レティシアの口元へと運んでやる。レティシアの手足の拘束は解いていないため、そうやってやらないと、食事を取らせることができないのだ。

 だが、レティシアは口を開こうとはしなかった。長い前髪の隙間から、じっとルイスを見つめるだけである。

「朝も少ししか食べていないんだから、お腹が空いてるに決まってるよね? さあ、口を開けて」

 なおも促すが、さらに無反応。ルイスはスプーンを差し出したまま、レティシアの顔に自身の顔を寄せた。

「また、無理やり口移しで食べさせられたいのかい?」

 ルイスの口調は穏やかだが、その声には妙な迫力があった。レティシアは無言のまま微かにプルプルと震えると、観念したように口を開いて、差し出されるままシチューを食べ始める。

「また?」

 様子を見ていたエヴァンは、ルイスの口にした脅し文句を復唱する。『また』ということは、前は本当にやったのだろうか、という純粋な疑問だ。

 ルイスはそんなエヴァンの質問に、朗らかな笑みで返した。

 その晩は予定通り、エヴァン、セルゴー、ミッチェルの三人が二人ずつ交代でキャンプの見張りをして過ごした。けれど刺客の影はなく、いっさいの問題は起こらなかった。

 次の晩の野営でも結果は同じ。かくして、一行は予想に反して何の妨害を受けることもなく、セルジア領の町に辿り着いたのであった。

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