第7話――鑑定

 

 約束の場所に由良ゆらが立っていると向こうから親子連おやこづれと思われる女性二人じょせいふたりが歩いてきた。


 大体、依頼人に会った瞬間にがいるかどうかがわかる。


 体の一部が見えるケースもあれば、けてほとんど見えない場合もある。

 ただ、実際に「存在そんざいする」かどうか、おおよそはすぐに見当がつく。


 今回のケースも前回同様、だった。


 会った瞬間「見えない」と言ったところで納得してくれるはずもなく、喫茶店などで相手のことをカウンセリングし、耳を傾け相手が喋り終わるのをひたすら待つ。

 そして、その後、目を瞑ってしばらく瞑想し、相手の過去に起きたことをプライバシーに差し触りのない程度で当てていき、安心をさせてから真実を告げる。


 由良は、喫茶店で向い合わせになった親子おやこを観察しながら話を聞いていた。


「ここ最近数ヶ月のことなんですが、急に嫌な事ばかり起き始めて……それまで付き合っていた彼氏と、些細なことで言い合いになって別れてしまって……」


(完全に専門外の分野だ)


 由良はそう実感しながらも、表情を変えず話を聞き続けた。


「友達とも急に仲が悪くなって。先日ちょっとしたことで口論になって……」


 正美まさみは口を一瞬つぐんだ。

 白いブラウスの上から黄色のカーディガンを羽織り、二重の瞳がくっきりとし、丸顔であどけなさが残る。後ろ髪をポニーテールで束ね、前髪が綺麗に揃った出で立ちは、十代のアイドルにいそうなくらい可愛らしい。


 正美は再び重い口を開いた。


「……ついカッとなって、その子に……! 怪我を負わせるつもりなんてなかったんです! でも……肋骨が折れて全治ニヶ月の状態に」


 彼女は、また言いづらそうに話を止めてしまった。

 由良は少しフォローするように、


「……それは、その時の?」


 正美の左手拳にグルグル巻きにされた包帯を見ながら訊いた。

 相当激しく殴った様子が、垣間見えた。


「え……ええ。でも今まで私生活で私、誰にも手を上げたことがなかったので。自分の手がこんなになるほど友達を殴るなんて……。後になって、何であんなことしてしまったんだろうって。あまり……その時の記憶がなくて」

 

 由良は彼女の表情をじっと観察するように眺めた。


(これは……心の問題……)


 解離性人格障害かいりせいじんかくしょうがい


 非常にデリケートな案件だと即座に由良は察知し、頭の中で慎重に言葉を選び始めた。

 こういう場合に一番やってはいけないことが、


「あなたは心の病です。今すぐ心療内科へ行くことをお薦めします」


と、無碍むげに突っ撥ねることだ。

 依頼を受ける受けないは関係なしに、相手は現状を打開しようと必死なのだ。


 前述の中年女性のような場合は、大丈夫だ。

 何故なら、会った瞬間本人はそれほど悩んでないとわかったからだ。

 ただ寂しさを紛らわすために、非日常性を一時的に味あわせてくれるパフォーマーを欲していただけ。


 しかし今回は違う。


 彼女は


 そんなクライアントに対し話を十分に聞かず、まるで臭い物に蓋をするかのような振る舞いをする事がどれだけ危険な事か、由良は今までの経験で痛いほど身に沁みていた。

 まだ駆け出しの頃それを見事にやらかして、包丁を持った鬼のような形相の女性に追いかけられた事もある。


 まず相手が話し終わるまでひたすら耳を傾ける。

 例え、自分の専門外であったとしても。


「事件にはならなかったんですが……。その子の所に謝りに行ったら私の事が怖い、人が変わったみたいだったと言われて……。それ以来連絡しなくなって……」

 

 両者の間に少しが流れた。

 由良からはまだ話しかけない。

 他の客たちの複数の会話が折り混ざって聞こえてくる。


「こんなこと言うのも恥ずかしいんですが……もしかしたら、その……私……と……」


 正美は周りに聞こえないように最後だけトーンを下げて言った。


「そういう悩みを持たれている方は多いです」


 由良はあっさりその話を受け入れるように答えた。

 すると正美の表情に少し安堵の色が伺えた。

 やはり、まともに相手にされるかどうか心配だった様子だ。


 しかし、ここからが肝心だ。

 決してこちらから逃げるような素振りは禁物だ。


 彼は少し深刻さを和らげるために、別の質問を敢えて投げかけた。


「なるほど。今、お住まいはどちらに?」


用賀ようがでアパートを借りて住んでいます」


 正美は答えた。


「お母様も一緒に?」


 由良は母親の方を見て訊ねた。


「母は、今、長野ながの実家じっかちちんでいます」

 

 正美はお冷が入れられたグラスに口をつけながら答えた。


「……じゃあ……今、あなたの隣に座っている方は……?」


 由良は問い返した。


「え?」


 正美は不意を突かれたように左隣を向いた。

 

 彼女の目には何も見えず、そこはだった。


 吃驚びっくりして思わず正美は手に持っていたグラスを離してしまった。

 それは垂直に落下し、音を立てて割れ、床にグラスの破片が飛び散った。

 

「……! お客様! 大丈夫ですか! お怪我はありませんか!?」


 店員が小走りにこちらに向かってきた。

 そばまで近づいてきた、その時だった。


 ウエイトレスが濡れた床に足を滑らせてしまった。

 バランスを崩し、前のめりになった。

 両手に持っていたお盆を離すタイミングが遅かった。

 その体勢のまま割れたガラスの破片の中に、頭から勢いよく飛び込み、鈍い音がした。


 真っ赤な血が、付近のフロア全面に飛び散った。


「きゃあぁぁぁぁ―――!」


 周りの客の悲鳴が店内に響きわたった――



 由良は咄嗟に、を予測した。


 予想通り、ウェイトレスがつまづき、その体がこちらに傾いてきた。

 由良は素早く立ち上がり、両手を前に出した。

 平衡感覚を失ったウエイトレスの体を受け止めるには、十分の間合いとタイミングだった。

 由良は女性の両脇を前方から支えるようにその体を見事にキャッチした。


「あ……! す、すいません!」


 ウェイトレスが恥じながら咄嗟に謝った。

 由良は自分の両手が女性の胸に思い切り食い込んでいる事に気づき、ハッと我に返るように手を離した。気まずくなり思わずモゾモゾすると、背後に視線を感じ振り返った。


 さっきが、壁際からこちらを見つめていた。


 真っ黒なジャンパーを着て、下はベージュ色のズボン。

 髪は長く、そこからでは離れていて顔ははっきりと見えない。


 由良は即座に、正美が病であるという見解を一転させた。


(これは、だ) 


 それまでポーカーフェイスだった由良の表情に険しさが浮かび上がった。

 傍で戸惑いの表情のまま目を泳がせている正美に向き直って言った。


「ここを出ましょう」

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