不審者としての心得
大学生である俺の朝はそんなに早くない。一限目の始まりが九時で通学時間が徒歩三十分程度だからだ。七時に起きれば余裕で間に合う。
これは
なので単純に家族が増えて家の中が賑やかになったことを喜べる。
「
「ご主人さま、いってらっしゃいにゃ!」
今朝は一限目から講義があるから俺は朝一で出発だ。玄関で白芳と紅夜に見送られて家を出る。太陽から降り注ぐ日差しが暖かい。
黒い肩掛け鞄を肩に掛けて通学路を歩く。先日紅夜が捨てられていたごみ置き場に差しかかった。あのときの段ボール箱はもうない。
代わりに近所の主婦二人が立ち話をしていた。話の内容が自分についてだと知って思わず近くの電柱の陰に隠れてしまう。
「この春に引っ越してきた蔵田さんって知ってる?」
「富岡さん夫婦が住んでた家に来た人よね? 興隆大学に通ってるとか」
「あたしの斜め向かいの家の人よ。ぱっとしない男の子なんだけど」
「何かあったの?」
「最近女の子の叫び声がよく聞こえてくるのよ」
「何よそれ?」
「詳しいことはわからないけど、たまに神社の巫女の服を着てる子がいるじゃない。長い白い髪の女の子、目の色も紫って変わってるのよね」
「もしかして外国の人?」
「それがわからないのよ。見た目も全然似てないし。どんな関係なのかしら?」
「もしかしてどこかから連れ込んでるとか」
「大学に入ったばかりの子が? 怖いわよねぇ」
「しかも普通の服じゃないなんて、コスプレっていうやつかしら?」
「まぁ! けど、そんなこと外で堂々とする?」
「わからないわよ、一見普通に見える人でも実は」
「どうしましょ。あたし近くに住んでるのよ」
「わたし娘がいるけど、気を付けるように言っておかなきゃ」
「娘さん? いくつなの?」
「今年中学の二年になったわ。変な友達とつきあってなきゃいいんだけど」
「心配よねぇ。そういえば、あの
「ちょっとそれどういうこと? 二人目なんて!」
「あたしも声しか聞いたことがないんだけど、中学生くらいの子に思えるのよね。その声があのお
「うそでしょ、中学生も同居させてるの!?」
「はっきりとはわからないんだけどね」
「なによそれ! 変態じゃない!」
「あなた娘さんがいるんでしょ。気を付けた方がいいわよ」
別のご近所様情報へ話題を移しながら主婦二人は去って行った。
噂が作られていく現場を見ていた俺は頭を抱える。遅刻するわけにはいかないから歩き始めるが気持ちを切り替えられない。
「どうやって誤解を解いたらいいんだ」
洗いざらい全部をぶちまけてしまえばいいというわけではなかった。何しろ白芳が猫又で紅夜が化け猫だなんて言えない。
うまく説明しようにも中途半端な説明は火に油を注ぐ結果になりかねなかった。それなら黙っておくべきだろう。
悩みながら歩いていると大学の正門に着いた。空を見上げてため息をつく。朝から嫌なものを見た俺は肩を落として大学の敷地へと入った。
今日の講義をすべて受け終えてから俺はオカルト同好会の部室へと向かった。
スライド式の扉を開けると
いつも通り声をかける。
「山木先輩、こんにちはー」
「やぁ、蔵田くん」
こざっぱりとしているが小太りの山木先輩が顔を上げた。似合っていないフレームレス眼鏡をいじりながら笑顔を向けてくる。
「今日は元気がないね。どうしたんだい?」
「ちょっとご近所様の噂話を聞いて頭を抱えてるんですよ」
「きみに関することかい?」
「はい。実は、俺が一緒に住んでいる白芳達にいかがわしいことをしているっていう噂が広がっているみたいなんです」
「それはまた困った問題だね」
興味をそそられたらしい山木先輩はノートパソコンのキーボードを叩く指を止めた。
黒い肩掛け鞄を木製の机に置いた俺はパイプ椅子を取り出して座る。
「白芳と一緒に住んでいるんで覚悟はしてましたけど、実際に自分の噂話を聞くと結構きついですよね」
「犯罪者予備軍扱いされて嬉しいわけないからね。でも、ご近所様に白芳さんとの関係を説明はしていないのかい?」
「それがしてないんですよ」
「引っ越直後の近所へのご挨拶ついでにすればよかったのに」
「そのときは俺一人で回ったんで何も話さなかったんですよ。何とかなるかなって思って」
当時はどこに興味を持たれるのかわからない不安を俺は感じていた。だから、極力自分から話そうとはしなかったんだよな。
顎に手を添えて難しい顔をした山木先輩が唸る。
「今更説明して回るのも難しそうだから、何かきっかけがあるといいんだけどねぇ」
「年配の人ばっかりで話すきっかけがないのも、ちょっと尻込みしてる理由なんですよ」
「そうなると、今はじっとしているのが吉かもしれないね。ああそうだ、誤解を与えるようなことはしてない?」
「誤解ですか?」
「いかがわしいことをしているって噂が広がっているんだろう? 何か元ネタになるようなことをきみが提供している可能性さ」
心当たりのある俺は山木先輩の指摘で言葉に詰まった。心当たりの有無を問われればある。それだけに返答しづらい。
「その様子だと何かありそうだね」
「いやでも、直接見られるようなことは何もない、はず」
「間接的にはあるわけだ」
「あの二人が大声を上げて喧嘩をすることがあるんでその声は聞かれちゃってますね。他は、白芳が外出するときのあの格好かなぁ」
「心当たりはあるわけだ。そうなると、噂は単なる噂じゃないってわけか」
「いやでも本当に何もしてませんよ!?」
「それを僕に言われてもね。ご近所様が信じるかどうかだし」
その通りだったので山木先輩の言葉に俺は肩を落とした。結局何の解決にもなっていない。それでも、話をして少し気分が晴れたのは確かだった。
お礼を伝えようと俺が口を開く前に山木先輩が問いかけてくる。
「ところで、さっきから白芳達とかあの二人とか言ってるけど、白芳さん以外にもいるのかい?」
「え? あ」
「デュフフ。蔵田くん、きみは結構脇が甘いね」
窓から差し込む日差しを受けて山木先輩のフレームレス眼鏡が光った。
失敗したと思いつつも妖怪であることは隠して紅夜のことを話す。
聞き終わった山木先輩はこめかみに右の人差し指を押し当てて目を閉じた。そして、大きくため息をつく。
「きみは無闇に新たな火種を抱え込んでるよ」
「その自覚はありますけど、他に選択肢がなくて」
「高校生くらいの美少女に中学生くらいの美少女か。同じ屋根の下で生活して何も起きないわけがなく」
「起きませんよ! 何言ってるんですか!」
「周りから見たらどう見えるかって話しさ」
正にそのことで悩んでいるので俺は天井を仰いだ。
そんな俺に対して山木先輩が話し続ける。
「電車で小学生の女の子の隣に立っただけで痴漢呼ばわりされた身として言わせてもらえばね」
「そんなことあったんですか?」
「高校のときにね。何となくキモイっていうだけで。まぁその誤解も解けたんだけど苦労したよ。っと、その話はいいんだ」
「はぁ」
「僕のようにキモオタに見えるようなヤツはさ、自分の身を守るためにはとにかく女の子には近づかないことなんだ。触れるのはもちろん、近寄るだけでも危険だからね」
「でないと社会的信用が吹っ飛ぶと」
「何を言ってるんだい。最初からそんなものなんてないんだよ。隣に立っただけで通報されるんだから」
「でも、俺の場合はもう同じ家に住んでるんですよ」
「そうなんだよね。だからこそ、無害アピールをしないといけない」
「無害アピール?」
「危険を避けるのが一番だけど、避けられないなら自分が無害だと常にアピールするんだ」
「例えば?」
「絶対に視線を合わさない」
「それアピールなんですか?」
「自分から関わる気はありませんっていう態度を見せつけるんだ。他にもできるだけ離れようとしたり」
「俺の場合はどうするんです?」
「その子達と仲良しっだていうことをご近所様に見せるのが一番かな。そうすれば、無理矢理連れ込んでいると思わないだろう?」
「二人との仲はいい方だと思いますけど」
「え、そうなんだ!? それはすごいね!」
驚いた山木先輩に俺が驚いた。一体この人はどんな目に遭ってきたんだ。
その後も色々と聞いてみたけど、山木先輩が女の人とそもそも接点がないということが浮き彫りになるだけだった。かわいそうに思えたのでこれ以上は語らないが。
けれど、それでも俺のために一生懸命知恵を絞ってくれたのは素直に嬉しかった。
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