45 待ち伏せ
「あの馬車か?」
「あれではありません。密偵が、令嬢が乗り込んだ馬車を確認していますが、聞いている馬車の形と異なります」
「本当に来るんだろうな」
「城を出た時間を考えると、そろそろこの辺りを通過する頃かと」
「待ちきれん」
トアール国の国王とその一行は、スノーバレーに向かう峠道の手前にある森の中から、目当ての馬車が来るのを今か今かと待っていた。
「余は馬車の中で待つ。見えたら教えろ」
わざわざ本人が現場に出向いたのには理由がある。
スノーバレーの手前の地域を領地にしている帝国貴族から招待を受けたからだ。
それは、接待を目的とした非公式のものであったため、帝国に正式な届を出さず、商人に扮してこっそり入国していたのだ。
その帰国の日に合わせたかのように、皇太子と婚約者がスノーバレーにお忍び旅行に来るという。
しかも皇太子は仕事の関係で遅れてくるため、馬車にはジュリアの娘しか乗っていない。
何ともツキがある。国王はそう思っていた。
目的のものを手に入れたら、国までの最短ルートである峠道を急いで通り抜け帰国するだけだ。
しばらく待っていると地鳴りのようなものすごい轟音が響き、地面が揺れた。
「な、何だ、この音は!?」
「音は峠の方から聞こえました。確認させます」
数分後、様子を見に行かせた者が大慌てで戻ってきた。
「大変です。がけ崩れが起きて峠道が通れなくなっています」
「何? それはまずいな」
峠道が通れないということはトアール国までの最短ルートがなくなってしまったということだ。
帰国するには、帝国と同盟関係にある隣国を経由するか、森の奥にある湿原を通り抜けるルートしかない。
女性を連れていると目立つ上に、どちらも危険だ。
「陛下、今日はあきらめましょう。皇太子があの令嬢を精霊が導いた唯一の女性として大切にしていることは明らかなのです。連れ去ったことがバレた瞬間に全力で追跡されるのが目に見えています」
「……致し方ない。どのルートで帰国するのが安全か、早く検討するんだ」
側近や護衛の者が集まり、地図を広げていると、見張りをしていたものから急ぎの報告が入った。
「陛下、町の方からこちらに向かってものすごい数の兵士の隊列がやってきています。見つかるとまずいことになります」
「何? 隠れてやり過ごせないか?」
「通り過ぎるのを待つだけならいいんですが、その隊列もがけ崩れで足止めを食らうでしょうから、……この辺りはその立往生した兵士達で溢れてしまいます」
もしここにいることに気づかれてしまったら、……森の中に馬車が止めてある時点で怪しさしかないのだ。
「がけ崩れと兵士に挟まれた形になってしまったということか……。目立たずに国に帰るには、湿原を通る道しか残っていないじゃないか」
……
「ならば余は馬に乗り換えてもう少し森の奥へ逃げることにする。お前とそこの護衛5人は余に着いて来るように」
「全員で行かないんですか?」
「馬が足りないだろう」
「ですが……」
「この場に残る者は、余が逃げるための時間稼ぎをするんだ。」
「陛下……、そんな」
見張りの予測通り、森の前の街道は帝国の兵士達が立往生することとなった。
残された者たちは、まもなく兵士の目に留まり、怪しい者達として森から引きずり出された。
彼らはこの場で抵抗する気力もなくあっさり捕まる道を選んだ。
その頃、森の奥では、トアール国王が別の武装した集団に行く手を塞がれていた。
帝国の兵士だけでなく、国籍不明の兵士も混ざっているようだ。
多数に無勢。国王に着いてきた側近や護衛が戦意喪失するほどの状況だ。
国王は、非力な商人を装った。
「た、助けてくれ。私たちはただの商人だ」
「商人には見えないが。ただの商人がこんな森の奥で何をしている」
「道に迷ったんだ」
「怪しいな」
「ま、待て、金ならいくらでも出す。見逃してくれ」
「金に釣られるとでも?」
「なら、女だ。好みの女をくれてやる」
すると、兵士たちの中から騎乗した男2人が前に出て来た。
「相変わらず胸くそ悪い奴だ」
「女性を道具か何かだと思っているんだな。反吐が出る」
男のうち体格のいい方が国王に向かって言い放つ。
「お前をここで逃がすわけにはいかないなぁ」
「お、お前たちは何者だ」
「名乗るほどのものではないが、俺たちはお前のことを知っている」
その時、国王に着いてきた側近が、その男のことを思い出した。
「陛下、あれは、ランドール王国のリオール将軍です!」
「何? なぜランドール王国の将軍が……あっ」
「私の妻だけでなく、娘まで狙っておいて生きて帰れると思うなよ」
「そっちは、ジュリアの夫の侯爵か。くそっ」
国王は、側近と護衛達に向けて命令を下した。
「お前たちはここでこいつらと戦い、足止めをしろ! 余は湿原の方へ逃げる」
「陛下!? 帝国軍と王国軍に対面しているこの状況では、投降したほうが賢明です。何も証拠はないのですから。お忍びで観光に来ていた、だけですよね?」
「いや、ダメだ。ジュリアのことで余を逆恨みしている人間がいるんだ。あいつらは余の命を狙っている。何としても逃げるんだ」
余は一人でも逃げる、と言って、国王は単騎、湿原の方向に消えていった。
「おやおや、親玉だけ逃げてしまったようだな。残されたお前たちはどうする? 戦うか? 投降するか?」
「……投降します」
国王以外の人間は全員捕まることとなった。
「俺たちは奴を湿原まで追いかける」
そう言うとリオールとブライアンは馬の向きを変えた。
すると、帝国軍側の指揮官が一人の兵士に馬に乗るように指示を出す。
「土地勘のある兵士を同行させます。特に湿原は、ハマったら自力では抜け出せない沼が点在していて危険ですから」
「協力に感謝する」
◇◇◇
その日の夜、近くの酒場で男二人が酒を酌み交わしていた。
「「献杯」」
「ジュリアに」
「私の最愛の妻に」
「しかし、ああいう形で自滅するとはな」
「妻の敵だ。本当なら自分でとどめをを刺したかった」
「それは僕も同じだ。だが、遺体に刀傷が残っていたら今回の計画は台無しだからな」
二人は、湿原の沼でトアール国王の最期を見届けていた。
国王が乗っていた馬だけが奇跡的に助かるというあっけない幕引きだった。
「これで、ソフィア嬢は安心だな」
「やっと落ち着くことができるんだな。今まで娘を守るのに必死だったから気が抜けてしまうよ」
「しかし、お前の娘はジュリアにそっくりだったな。驚いたよ」
「だからお前には娘を見せたくなかったんだ。どうせジュリアを思い出してしんみりしていたんだろう?」
「お見通しか」
「そろそろお前も前を向いて生きろよ」
「お前もだ。再婚だってその気になればできるだろう」
「俺はいい」
「俺もだ」
「いや、結婚は一度くらいしてみるのもいいかもしれないぞ」
「まあ、なるようになるさ」
二人の話は夜遅くまで続いたのだった。
◇◇◇
「ルイス、俺は大きめの雷撃を放ってがけ崩れを起こしただけだ。不完全燃焼だ」
「仕方ありません。自滅の道を進んでもらうには行く手を塞ぐしかないんですから」
「まあしかし、リオール閣下と義父上の協力があってよかった。奴の最期を見届けてもらったからな」
「お二人から感謝の言葉がありましたよ。声をかけてもらって良かったと」
「そうか」
それから2日後の新聞に、他国の商人の一人が、がけ崩れの道を迂回して通った湿原で沼に落ち死亡したという小さな記事が掲載された。
その2週間後、トアール国の国王が病死したことが発表された。
新国王が即位し、問題の多かった後宮は解体となった。
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