14 捨て身の芝居

 ジャックは化粧室から出て来る人影を見て声をかける。


「待っていたよ」

「どちら様でしょう? 私、急いでおりますの」

「えっ、あ、すみません。恋人と見間違えてしまいました」

 人間違いしてしまったと一瞬反省したものの、ジャックはその生徒を二度見した。


 えっ!? ものすごい美少女、どこのだれだ?


「あの、お嬢さんちょっと待って!」

 魔道具を外したソフィアは、後を追いかけたくなるくらいの美少女だった。


 見た目が変わっているはずなのになぜ追いかけてくるの?

 怖い! 嫌! 助けて!


 ソフィアはもう泣きそうだった。『恋人と見間違え……』とはどういうことか。

 ここまで思考回路が意味不明な相手への恐怖でパニック寸前だ。


 レオナルド殿下、お願い!助けて!!


 そう思った時、あの黒猫様がソフィアの方に向かってやって来た。


 黒猫様がこっちだと示すように振り返るので急いでついていくと、望んだその人がソフィアの進む先に現れた。

 走ってきたのかすこし息が荒いようだが、まっすぐに自分に向かって来る彼にすがるしかない。


 レオナルド殿下に恋人のふりをしてもらおう。

 とっさに思い付いたことを行動に移す。


 ソフィアはレオナルドの目の前に立ち、恋人ならこんな感じ? という甘えた声を出した。


「レオ様、早く二人きりになりたいの」

 ソフィアにしては捨て身の演技だ。


 レオナルドに一瞬の間はあったものの続くセリフに安堵する。

「では、私のサロンへ行こうか、お手をどうぞ」

「はい」

 少しだけリリアーヌの距離感を参考にして、レオナルドに着いていった。


 ジャックは少し離れたところからその様子を見ていた。


 あれは帝国皇太子のレオナルドだ。じゃああの子がレオナルドに見初められた噂の美少女だったのか。確かにきれいだな。

 だが、あんな子が学園にいたら注目の的になるレベルなのに、噂にさえなっていないのはなぜだろう。


 などと思いながら、化粧室前まで戻ったが、もう化粧室内に人の気配はないようだった。

 あの美少女に気を取られているうちに、彼女は出て行ったしまったのか。

 ジャックは、次こそはソフィアをモノにしてしまおうと思うのだった。



 サロンのところまで来るとレオナルドが扉を開ける。

 後ろを振り返るともうあの気持ち悪いジャックとかいう男はついてきてはいないようだった。少しだけほっとする。


 扉が閉まったところで、ソフィアはレオナルドと距離をとろうとしたができなかった。


「やあ、久しぶり。ずいぶん大胆なアプローチには驚いたけど歓迎するよ。俺も二人きりになりたかったからね」

「申し訳ございません。この言動には事情がございまし……!!」

 ソフィアはそのあとの言葉を続けることができなかった。


 何が起こったのか。

 気づけばソフィアの背中にレオナルドの腕がまわり抱きしめられていた。

 片方の手は頭部まで届いており、レオナルドの胸に押し付けられている。


「何か怖い思いをしたんだろう? 体が震えている。落ち着くまでこうしていよう」


 言われて初めて震えが止まらないことに気が付いた。さっきの恐怖感が消えないのだ。

 小さく頷くと、ソフィアの背中に回ったレオナルドの腕に力が入る。


 何分くらいそうしていたのかはわからないが、レオナルドの腕の中でソフィアは次第に落ち着きを取り戻していった。

 冷静になってくると今度は、レオナルドに密着していることと、いつの間にか髪を撫でられていることに気が付き、別の意味での緊張感が襲って来た。


「レ、レオナルド殿下……あの、ありがとうございます。も、もう大丈夫です」

「さっきみたいにレオと呼んで? 殿下は禁句だ」

「む、難しいですわ」

「ほら、レオと呼ぶまでこの姿勢のままだぞ」

「ううっ……レオ……ナルド様」

「惜しいな。まあいい、ソファーに座ろうか」


「はい。…………きゃぁ」

 レオナルドはソフィアを軽々と横抱きにし、そのままソファーに座る。

 ソフィアはいわゆるお姫様抱っこの姿勢のままレオナルドの膝の上にいる状態だ。


 ソフィアは真っ赤になって抵抗する。

「あの、下ろしてくださいませ」

「ジタバタしないで。君は手を離したら逃げてしまうからね。今日こそは名前を聞くまで帰さないよ」


 どうしよう。本日2度目のピンチだ。


 その時、サロンの扉がノックされた。

 レオナルドから舌打ちのようなものが聞こえた気がしたが、気のせいか。


「一人で座れますわ。レオ……ナルド様」

 ようやく密着状態から解放されたソフィアだった。


「失礼します」

 入ってきたのはルイスと侍女だった。

「レオ様、お邪魔でしたかね? お茶の手配をしてきましたよ。初めまして、ご令嬢。なるほどお美しいですね。僕、側近のルイスと言います。末永くよろしく」

「私はレオ様の侍女のエマと申します。お嬢様に誠意をもってお仕えさせていただきます」


 ソフィアは、恥ずかしさから会釈を返すのが精一杯だった。


「本当は僕も同席したかったんだけど、殺気がすごいので今日は退散します。では続きをどうぞ」

 ルイスはそう言い残すと出て行ってしまった。

 侍女のエマは残ってくれたのでこれ以上レオナルドが何かしてくることはないとは思うが。


 続きって……

 ソフィアは自分の顔が熱くなっているのを感じていた。

 さらにレオナルドがソフィアの顔をじっと見つめて来るので恥ずかしさ増し増しなのだ。


 こんな時は話題を逸らすに限る。

「あの、黒猫様に名前はついているんですか?」

「ああ、ミールと呼んでいる」

「ミール、可愛い名前ですわね」


 黒猫様のお名前ゲットだわ。

 緊張しながらも頭の片隅でそう思う。


「改めて、君の名前を教えてくれるね?」


 成り行きではあるが助けてもらって、不誠実な対応はできない。

 でも本名はまだ……。



「……フィフィとお呼びください」

「フィフィ、愛称か? かわいいね。で、本名は?」

「……本名は……また今度、ではダメですか?」

「また今度が『すぐに会える』ということならかまわないよ。こちらからはフィフィに会える手段がないんだ。次はいつどこに行けば君に会えるのかな?」


 私が同じクラスの侯爵令嬢だと知ったらレオナルド殿下はどう反応するだろうか。


 ソフィアはこの目の前の男から逃げきる自信がなくなっていた。


「本来ならば、私のような目立たない平凡な人間が、今ここでこうして殿下と話をしているのもおこがましいことなのです」

「フィフィが言っていることが理解できないな。君は誰もが振り返るほど美しい。一度出会ってしまったら忘れられないほどに。なぜ、フィフィは自己評価が低いんだ」

「それは……」


 ソフィアは言葉に詰まってしまった。


「俺は毎日でも君に会いたいと思う。放課後、少しの時間でもいい、このサロンに来てくれないか?」

「お父さまに相談してから来週お返事します」

「それなら次の月曜日にここに来てほしい」

「……わかりました」


 その後の時間は、ソフィアの正体を知りたいレオナルドの追及にソフィアがのらりくらりはぐらかす、一進一退の攻防がサロンの利用時間ぎりぎりまで続いたのだった。



 その後、女子寮の門のところまでレオナルドが着い……送ってくれた。

 実際、あの男に待ち伏せなどされていたら嫌だったので、レオナルドの提案を断らなかったのもある。


 女子寮の門をくぐった後、誰の目もないことを確認し、カチューシャをつけた。

 部屋に戻ったソフィアはぐったりだ。


 あの気持ち悪いジャック・ドノバンの件と、レオナルドの件は、とにかく急いで家族に相談しないとならない。


 しばらくは図書館に行かず、誰かと一緒に寮にまっすぐ帰ろうと思うソフィアだった。

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