5週目

28日目(日曜日 仮)薪ストーブの部屋の午後「記憶なき過去」①




「あゝ黒井さん、今日も食材の補充、ありがとうございます」


 白い部屋から戻った私がそう言うと、黒井さんはビリヤードの構えをやめて「どうやら、この前、清掃員の二人に餃子をふるまったそうだな」と私の方を見ながらそう言った。


「あ… 知ってらしたんですか。お二人には『このことは誰にも言わなくてもいいんですよ』って言ったのになあ… やはり、私、悪かったでしょうか」


「まあ、いいが。今日は、君とは玉撞きはしない。実は、お願いがある」と、キューをラシャに置いて黒井さんがそう言った。


「お願い、ですか?黒井さんが私にお願いだなんて、めずら… あ、本のことなら勘弁してください。私には、あれはとても無理です」と私は後ずさりしながらそう言った。


「いや、本のことではない。これから、君にはキッチンに入ってもらって、テーブルに出してある食材を使って料理してもらいたい」


「あ、え? あ… 料理、ですか?」


「そうだ。テーブルに置いてあるものを見れば、何をどれだけ作ればよいか君にはわかるはずだ。質問は受け付けない。ここは黙って、言われた通りにしてほしい」


 黒井さんは、眼光を光らせてそう言った。


 どうやら、NOの選択肢は無さそうだ、と私はそう思った。





「黒井さん、できましたが…」


 私は、キッチンのドアを開けてそう言った。


「悪いけれど、こっちのソファの方まで持ってきてください」


 黒井さんの声がソファの方から聞こえた。


 私がお盆に乗せて持っていくと、なんと、先日の清掃員の二人が黒井さんと一緒にソファに座っていた。


「こ、これは、なんと… 」


「Dさん、そんなところに立っていないで、ラーメンが伸びないうちに二人にお出ししてください」と黒井さんが言った。


どんぶりが二つあったから、てっきり、私と黒井さんが食べるものだと思ってたんですが…」


 黒井さんが私のことをさん付けで呼ぶのも、敬語を使うのも初めてだったから、なんか変な感じがしたが、二人の清掃員と一緒に黒井さんが座っている絵はもっと違和感があった。


 私は、初めて見る私服姿の清掃員の二人の前に、ラーメンと箸と水の入ったコップを置いた。


「先日の餃子、ごちそうさまでした。今日は、ラーメンを御馳走していただけると聞いてとても楽しみにして参りました」とスミエさんが言った。


「はあ… そりゃ、どうも」


 訳が分かっていないので、私はすっかり混乱して生返事しかできなかった。





「ご馳走様でした。やっぱり、ラーメンの味も前と変わらず、美味しかったです」とスミエさんは今日もハンカチで涙を拭きながら言った。


「お嬢さんはいかがでしたか?」と黒井さんが言った。


「はい。先日の餃子は、焼いただけのものでしたが、それでも、前と変わらずに美味しかったですし、今日のラーメンも、すごく美味しかったです。仕込みを頑張ってよかったと思っています」と若い清掃員が言った。


「黒井さん、私にはいったい何が何だかわかりません。説明してもらえますか?」


 私はそう言うのが精いっぱいだった。





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