第44話 去夏〈4〉

 僕の自室は二階、ちょうど店舗の真上にある。そこは来海くみサンには既におなじみの場所だ。

 その隣りに四畳半の小部屋があって、ここは彼女も初めて入る。中学から高校、そして美大時代に僕が描いた作品の収納庫になっている。

 僕は観念して、もうグズグズせずにそれを引っ張りだした。良く見える場所に立て掛ける。

 来海サンの息を飲む音が聞こえた。僕自身はずっと息をしていなかった。

 かつては日に何度も見たそれ、けれど、最近はめったに見ることがなくなったそれ。

 僕は呼びかけた。

「やあ、百夏ももか、久しぶり」

 少女がひとりこちらを向いて微笑んでいる。黒い髪、黒い瞳、ふんわりと膝に置かれた手。純白のドレスの他に身に着けているのは銀に真珠を埋め込んだ小さな髪飾りだけ。

「綺麗……」

 来海サンは一指し指で宙にグルッと円を描いて言葉を探した。

「とっても……そう……神々しいわ」

 僕は薄く笑う。

「未熟だよな。もっといろいろ描き込む必要がある。でも――これで精いっぱい。これ以上手を入れるつもりはない。永遠の未完成作品だよ」

「そんなことない。素晴らしい絵だわ。賞を取れなかったなんて信じられない……」

「賞は取ったよ。優秀賞だった」

「え?」

「悪い。僕の言い方が舌足らずだった。僕は受賞して他の皆は落ちた」

「あ、そうか、だからあらたさんの友人、浅井透あさいとおるさんは失意のうちに大学を辞めたの?」

「馬鹿な。僕たちは皆、前途有望で野心溢れる、若い、駆け出しの芸術家だった。たかが最初の賞云々で大学を辞めるものか」

 これは事実だ。特に浅井に関しては。

「あいつが去ったのは他に理由があったんだよ」

 有能な相棒、城下来海しろしたくみサンは質問を変えた。絵を指差して

「この人の名はなんていうの?」

藤代百夏ふじしろももか

「新さんの同級生? 好きだった人? 恋人だったの?」

 その問いに一言で答える。

「そうだよ」

「美大2年生の時から付き合い始めたのね?」

「当たり。でもどうしてそう思ったんだ?」

 今日、これで二回目の愚問に、またしても相棒は指を振る。

「新さんの話では、1年生の時の浅井透さんとのスケッチ旅行から、イキナリ3年生の公募に飛んで、まるきり2年生が抜けてるもの」

 今更ながらこの時、唐突に僕は気づいた。今回謎を解くのは僕ではない。僕は解かれる方なのだ。

「この人は今、何処にいるの?」

「何処にもいないよ。死んでしまったから」

「――」

 もっと何か訊いて来るかと覚悟したけど、来海サンが次に言ったのは意外な言葉だった。

「新さん、これからもう一度、個展会場に戻りましょ。私も見て見たい。だから、私も一緒に行く。二人して、改めてじっくり絵を見てみましょうよ!」

「え?」

 躊躇する僕に、顎を上げ、決然と来海さんは言い切った。

「だって、そうじゃない。数年ぶりに突然送られて来た案内状……刑事さんの言葉では個展会場を訪れたのは新さんだけなんでしょ。それって案内状は新さんにしか出していない可能性がある。つまり、絵は、新さんだけに見せたかったと考えられない? と言うことは、個展の絵は何かのメッセージに違いないわ」




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