芋串フライと蔵の街の神明社-恋と御縁の浪漫物語・栃木編-

南瀬匡躬

秋祭りと亜佐美の初恋

 栃木県栃木市。巴波川うづまがわ河岸湊かしみなととして栄えてきた商都。静かな地方都市として、蔵の街景観を持つ観光都市として、県内屈指の文教都市として今もその存在を示している。仕事でごくたまにこの町に戻ってくる僕。当時、僕は中途半端な失恋から逃げるようにこの町を出て、東武電車で東京へと向かった。十代の僕は恋する相手に想いを伝えられないままこの町を去ったのだ。


 東京では食品関係の学校を出てからいろいろな経験を積んで、小さいながらも自分の居酒屋を経営する身分になった。自分の店を持つのに十年かかるというセオリーからすれば、数年で持てた僕は幸運なほうなのかも知れない。


 観光客の立場で言えば、前ノリで入った栃木市のビジネスホテル。半分は仕事だが、それを口実に、何年ぶりかでの祭り見物にも時間を取るための一泊だ。実は明日からの秋祭りで客室は満室。取引先の伝手つてで、何とか一部屋だけを押さえることが出来た。いつもなら日帰りの日本酒の仕入れである。

 もう既に僕の縁者はこの街にはいない。わずかに遠縁の祖母の妹が星野という遺跡のある里に暮らしている程度だ。少し前、出流原いずるはらにそばを食べに行ったときお会いしたばかり。まだまだお元気だ。


 僕の年齢は二十五歳を過ぎたばかりで、世間では若造と言われる年齢かもしれない。取引先の知人が経営する行きつけのラーメン屋を出ると、明日の山車の調整をする祭り半纏姿の人々とすれ違う。神明さまにお参りに行った帰りなのだろうか。市役所の周辺、万町から倭町あたり、町の中心街がメインになるお祭りだ。そんな風景の中で、ビジネススーツを着てラーメン屋から出てくる僕は、少し浮いた感じがする。

「わあ、お兄さん! ここにいたんですね」と若い女性が二人で僕の両腕にしがみついてきた。

『何事?』

 僕はラーメンを食べて、お会計を済ませたばかり。この町で若い女性に心当たりなどない。

 僕は両脇の女性をしかめっ面で流し視る。

 すると「すみません。少しこのままで一緒に歩いて下さい。ナンパされて困っています」と髪の長いリボンを結った女性が僕の耳元で囁く。

「なるほど」

 合点のいった僕は、「おお麻衣子。探したよ、こんなところにいたんだねえ。お兄ちゃんのそばを離れちゃダメじゃないか!」とわざと周囲に聞こえるように適当な女性の名前を出して、大きな声で返事をした。いや、そんなフリをした。


「ちぇ、家族連れかよ」

 遠くから舌打ちの音とそんな台詞が流れてきた。僕は恐る恐る声のした方を振り返る。そこには反対側に向かって歩いて行く金髪の若い男性二人の後ろ姿があった。

「ふう」

 僕は冷や汗を拭う。

「大丈夫みたいだね」と言うと、彼女たちは往来の中、とたんにボロボロと大粒の涙をためて泣き出した。流石に困る。僕が泣かしてしまったように見えるからだ。


「何してん?」

 僕がギクって肩をふるわせると、仁王立ちをしたソバージュのOL風の女性がこっちを睨んでいた。その女性らしい清楚系の黒のセミロングのフレアスカートに、リボン結びの白いブラウスからは想像も出来ない圧迫感が押し寄せてくる。

 彼女は僕の顎をグイと持ち上げると、

「いい歳した大人が若い女の子虐めてんのか?」と敵意むき出しで睨んでいる。気迫に満ちた瞬間だ。

 すかさず泣いている女の子がこれはまずいと思ったのだろう。

「違うんです!」と割って入った。

 ソバージュの女性は「何が違うん?」と返す。

「このお兄さんは私たちを、怖い人にナンパされていた私たちを助けてくれて、ほっとして泣いちゃっただけで……ひっく」と仲裁に入ってくれた。

「そうなん?」と彼女。

 僕は「うんうん」と何度も首を縦に振って頷く。

「良いヤツってことか……」

 そう言った後で、今まで僕を至近距離で視ていた彼女の顔色が何かに気付いたように変わる。目を細めて凝視だ。

「あんた!」

 両肩を捕まれて至近距離に彼女の顔。蛇に睨まれた蛙のようだ。これが世に言う『メンチ切る』というヤツなのか? 僕は再び恐怖に怯える。

「あんた、紺部慎こんぶまことだ」と僕の名前を言った。知り合いである。そうに違いない。

「誰?」

 縮こまって、両肩を捉えられた状態で彼女に問う。僕は記憶と一緒に固まった。

三馬亜佐美さんまあさみよ」と笑うソバージュの女性。

「高校の三馬さん?」

「そう、あんたの出席番号十一番の次だった十二番の三馬よ」

 言われてみれば面影がある。きりっとした涼しい目元。薄紅色の頬。所々に面影がある。

 機転を利かせて、

「大丈夫、このお兄さんはおねえさんの知り合いだから回収して帰ります」と亜佐美は女の子たちに告げる。

「同級生なんですか?」

「うん。だからあんたたちも気をつけて帰るのよ」と手を振る亜佐美。

 何度も深々とお辞儀をして帰る少女たち。それを見送る僕と亜佐美。何とも不思議な光景だ。


 彼女は「さてと……」と言うと、僕の方を見て不敵な笑みを浮かべる。そしてポンと持っていた小さなハンドバッグを僕の方に軽く投げる。慌てて僕が受け止めると、彼女は僕のネクタイをグイとつまんで、「ツラ貸しな!」と笑って僕を引っ張っていた。

 彼女と僕は神明宮の参道に続く横丁を入る。この先には高校時代によく買い食いした芋串いもぐしフライの店がある。

「芋串、食べて思い出でも語ろうか」と笑う亜佐美。

「え、ああ」と僕は彼女の気迫に押されっぱなしだ。

「あーし、あんたと芋串食べて帰ったこと二三回あったよね。覚えている?」

「うん、覚えている」

「なに、東京人ぶって、その言葉」

「栃木に帰ったら、栃木の言葉でしゃべったらいいがね」と肘鉄を入れる彼女。

「そんな急に変われないって」と僕。

 彼女は角にある肉屋の揚げ物スペースで足を止めると、

「おじちゃん、芋串フライ二つ」と大声で注文する。

「あれ、亜佐美ちゃんじゃねえん。暫くぶりださ。美人さんになったんね」と笑いかける。

「やだ、おじちゃん、またあ、本当のこと言って。この正直者!」と笑いかける。ほとんど近所の気心知れた者同士の会話だ。


 神明宮の横には花の公園がある。そこの花壇の隅に座って、僕たちは芋串フライを囓りながら思い出話を始めた。

「あんた、あーしがこの芋串フライを食べながら高校時代に言ったこと覚えている?」

 僕は微かな記憶の糸を辿る。彼女の家はこの近所。僕は自転車通学で、チャリを押しながらこの公園に来た記憶がある。

「確か、定食屋にお嫁に行くんだ、って宣言していた」

「そうだよ!」

 少し声をあらげて彼女は、相づちを打つ。

「で、その定食屋にはお嫁に行けたの?」

 彼女は僕のその言葉を聞いて、自分の額に手を当てて俯く。

「相変わらず、あんた鈍いんね。嫁に行ってたら、この時間、ここでこんな格好して芋串フライを食べれるわけなかんべえ」

「それもそうか」と僕。


 業を煮やしたような彼女は、「こら、紺部慎!」と再び仁王立ちする。

「はい!」とつられて立ち上がる僕。

「あんたの実家は当時何やっていた?」

「定食屋」

「そうだよな」

「うん」

「あーしの行きたかった嫁入り先は?」

「定食屋」

「そうだよな」

 ギロリと僕を睨む彼女。

「凄いよね、偶然の一致だ。ぱちぱちぱち」と僕は拍手のまねをする。

 彼女はすかした目をして、「わざとか?」と訊いてきた。

「えっ?」と僕。

「まさか本当の、正真正銘の馬鹿なのか?」と亜佐美。そして「それとも断り辛くて惚けているか?」と加えた。

「何が?」

 全く身に覚えのない言動に、僕はたじろぐ。

「やっぱりあの七年前も通じていなかったんだ」と肩を落とす亜佐美。そして「アレがあーしの渾身の身を挺した大告白だったってことに気付いていなかったんだな、この馬鹿」と力なさげに肩を落とす。

 そこで初めて僕はあの神明宮での言葉が「愛の告白」であることに七年経って気付いた。

「フラれたどころか、スタートラインにも立っていなかったってことか、あーしは」とぶつぶつ独り言を繰り返す亜佐美。

「あの時って、僕に告白してくれたの?」

 僕の言葉を聞いて、亜佐美は、

「一発殴って良いか?」と訊いてくる。

 僕は顔の前に両手をかざして「話せば分かる」と落ち着けのポーズで対応する。


 僕は当時の亜佐美より、実は今、目の前にいる亜佐美の方が綺麗に見えている。あの頃の彼女は田舎の少女で、愛とか恋とかに興味があるようには見えなかった。だから絵空事の花嫁願望を話しやすい僕に聞かせているのだと思っていたのだ。そしてまさか自分がその相手だなんて努々ゆめゆめ思うまい。

 僕は風にそよぐコスモスの花に手をやりながら、

「今からでもいい? 僕、今居酒屋店主で、定食屋じゃないけど」と真面目に亜佐美に訊ねる。

「いいの?」

 急にしおらしくなる亜佐美。

「うん。だって当時から好きな女性って三馬しかいなかったし、気心も知れているのは今も三馬だけだよ。もし東京に出てくるのなら一緒に居酒屋切り盛りしてくれる? ダメかな?」と訊ねる。

 彼女はクスッと笑うと、

「あーしを誰だと思っている。これでも会計事務所の助手をしているんだぞ」と言う。

「それでそんな真面目な格好なんだ。じゃあ伝票とか任せられそうだ」と頷く僕。

 この会話で縁者のいなくなった町に再び縁者が出来た。不思議なご縁だ。人助けもたまにはしてみるモノだ。


 その夜、二人でディナーの約束をする。もちろんお洒落な店を予約はしたし、大人のデートコースも考えている。だが、僕と亜佐美は芋串フライのほうが似合っていることはお互いに二人とも分かっている。だからフリだけの甘いデートだ。本当のところは、身の程を知った間柄で交際の仕切り直しが始まったという感じだ。

 故郷で迎える久しぶりの幸せな夜は、甘い夜になった。時折、祭り囃子の音が遠くから響いてくる。そんな宵宮の夜の町をディナーの店まで、二人寄り添い歩き続ける僕たちだった。

                              (了)



 

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