第14話 飢え渇く王

 能力の起点である両腕を潰されたランドラブは、即座に逃走を選んだ。

 なにも敗走するのは初めてというわけではない。


 かの〝不滅の永遠〟ヴァレリアン帝への服従を拒み、まつろわぬ諸王の一人に数えられるようになる以前。同じ天輪持ちの仲間を率いる傭兵団の頭だった彼にとって、敗走は慣れ親しんだ行為だった。


 一番古い記憶は、生まれ育った村が焼かれる夜闇の赤。村を襲ったのは非力な天輪持ちと食い詰めた非保持者から成る、ありふれた野盗の一味だった。村人の反撃を恐れた彼らは奪うべき食料もろとも家屋や家畜小屋に火をかけた。厳冬の乾いた夜。予想を超えて燃え上がった炎を目にした頭目は、これではなにも奪えないことにようやく思い至った。頭目の動揺は天輪を通じて手下にも伝染し、燃える家屋から這い出した村人を相手に腹立ち紛れの殺戮が始まるまで時間はかからなかった。


 母親に手を引かれて逃げる間、恐怖はなかった。怒りも。なにかに取り憑かれたように振り返っては、殺し、犯し、奪うという行為をその瞳に映した。同じ人間を相手に振るわれる剥き出しの暴力に、ただただ見とれていた。この世にそうした行為があることを知り、力さえあればそれを成せるのだと知った。非保持者として生まれた彼が初めて知る、己の意志で成す行為が略奪だった。


――頭痛。目がくらむような痛みが脳天から突き抜ける。


 徐々に視界が戻ってきて、石礫が母親の足に当たるのを見た。走れなくなった母親は彼に逃げるよう懇願したが、言い終わる前に野盗がその背に剣を突き立てた。悲鳴を止めようとするかのように何度も突き立てていた野盗が、すぐ側でじっと見つめていた彼に気付いて剣を振り上げる。その顔にはひきつった笑顔が貼り付いていた。野盗は彼の顔を見て、その上へと視線を向けて小さく声を漏らす。


 頭上に手をやってみると、硬いものに触れた。緩やかに回る輪。野盗はこれを見て恐れをなしたようだ。頭の中に流しこまれるように、それ――天輪と呼ばれるもの――の使い方が理解できた。


 野盗は非保持者で、かけられた支配は粗雑で穴のあるものだった。

 天輪持ちに成り立ての彼でさえ、容易に上書きしてしまえるほどに。


 彼はよこせ、とつぶやくだけでよかった。雷に打たれたように身体を強ばらせた野盗が、抜き身の刃を握って柄を差し出す。彼が無造作に柄を握って抜き払うと、数本の指が飛んだ。焦がれんばかりにして剣を振るい、首筋を斬りつける。鼓動に合わせて吹き出す血潮を浴びながら思う。


 楽しい。これは愉快だ。

 自然と口角が吊り上がり、笑いが漏れる。心から満たされる感じがした。


 村に戻り、野盗を斬った。手当たり次第に斬った。最期に残った天輪持ちの足を切り飛ばし、必死に後ずさる彼を少しずつ刻んでいった。特に恨みがあったわけではない。そうしたいからそうした。


「……天輪持ちは……天輪持ちに、引き寄せられる……お前も、いつかは……」


 這いずるのをやめ、不明瞭な怨嗟をつぶやくだけになった男にとどめを刺した。灰になった村を後にし、世界各地を旅した。敵と戦い、いくつかの勝利を経て、どうやら自分は他の天輪持ちと比べて強いらしいと理解した。彼を頼って集まってきた仲間と傭兵団を結成した。全員が天輪持ちだった。そうでなくては対等な仲間にはなり得ないし、より強大な天輪持ちに対抗するためには団結しかないと考えた。


 天輪持ちは天輪持ちに引き寄せられる。ぼんやりと覚えていた言葉はこういうことだったかと納得した。仲間に影響され、夢もできた。自分たちの、天輪持ちの国を作るのだ。多かれ少なかれ、仲間の多くが家族や友人を殺された経験を持っていた。理不尽に奪われることのない、理想の国を建てるのだと夢を語る仲間がいた。彼自身にはピンとこない夢だったが、仲間のためならそれも悪くはないと思えた。


 天輪持ちは天輪持ちを引き寄せる。


 積極的に他者の天輪を砕き、自らの力として取りこまんとする者にとって、ほどほどの強さの天輪持ちが一カ所にまとまっている彼らはカモ以外の何者でもなかったのだと知った。


 たった一人の天輪持ちと非保持者の軍勢。簡単に勝てると思いこまされ、誘いこまれた。現地で調達して使い捨てる駒ではなく、計画的に支配して装備と訓練を施し、己が手足の延長として非保持者を操る敵に対して、個の力を振るうだけの傭兵団ができることはあまりにも少なかった。距離を潰され、分断され、押し包むようにして仕留められていく。それはもはや戦いではなく、狩りだった。


 包囲を突破し、山に逃げこんだ。火が放たれた。煙に巻かれ、焦熱に肌を焼かれる。生き残った団員も手傷を負っていない者は一人としてなく、能力の使い過ぎで憔悴している。特に治癒能力の使い手――自分より強い他者に奪われず、理不尽な死を迎えることのない国を作りたいのだと夢を語った女――は立つことすらままならない有り様だった。このままでは全滅は避けられない。


 すがるような視線が団長である彼に集まる。

 苦痛と諦め、わずかに混じる期待。

 ある。ひとつだけ、方法が。


 切り札として伏せて、決して仲間の前では使ってこなかった能力。これを使えば生き残れる。少なくとも、自分だけなら。そう思った瞬間、右手が女の首へと伸びていた。


 目の前で横たわる女、治癒の天輪持ちの細首をつかみ、握りつぶす。女の天輪が砕け、力が流れこんでくるのが分かった。能力の使い方もまた頭に流れこんでくる。即座に能力を行使。女から〝収奪〟した〝治癒〟の力が全身の傷を塞ぎ、失った血を補ってくれる。その瞬間、彼は元の持ち主である女よりも強力に〝治癒〟を行使できている実感があった。しかし、奪った力は使う先から急速に輪郭がぼやけ、濁り、混ざり、身体の内で溶け消えていく。ついさっきまで使えた能力が、もう使えない。狂おしいほどの飢えと渇き。能力を〝収奪〟した瞬間のえもいわれぬ感覚だけが脳髄に焼き付いていた。


 目の前で起きたことを咀嚼しきれず、固まっている仲間たち。


 格好の獲物だ。さっきまでの仲間をそう認識してしまったしまった自分に愕然とする。だが、理性とは別の場所でどうせ喰われるならその前に喰ってしまえと囁く獣がいた。略奪することしか知らない獣なれば、奪った能力は身にはつかない。だが、鍛え上げた天輪と能力を奪った瞬間の満ち足りた感情だけは本物だった。より強い天輪持ちであればあるほど甘美であることも知った。自分たちを全滅の瀬戸際まで追いこんだやつを喰えばどれだけの力を得られるのかと想像しただけで身震いがした。


 奪って、奪って、奪い続けた。


 皇帝の使者を屠ってまつろわぬ諸王の一人に数えられるようになったのも、不老不死を謳われた〝不滅の永遠〟ヴァレリアン帝に成り代わって〝支配の魔女〟ラヴルニエストゥスが台頭したのも、彼にとってはどうでもよかった。彼は奪うことが好きで、それだけでよかった。いま両腕を失って惨めに敗走しながらも、胸中にあったのは死への恐怖より他者から奪うための両手を失ったことへの憤怒と喪失感だけだった。


 倒れこむようにして天幕に入る。中にいた女が驚いて飛び上がった。名は覚えていない。天輪持ちを持ち運びのしやすい金属製の箱に押しこめたまま活かしておく技術に長けた女で、箱詰めしてから女の持つ〝継癒〟をかけておけば数回の〝収奪〟にも耐えることを発見したので活かしておいた。


「……女。治療しろ。おれの腕を治せ、今すぐにだ……」

「ひ、ひぇっ……」


 天輪はその所有者に容易な死を許さない。


 身体能力の向上はもちろん、強力な天輪持ちであれば剣をも弾く肉体の強度を得られる。疲労の回復、受けた手傷の自然治癒も非保持者とは比較にならない。常人なら致命傷となる怪我であっても、持ち主を生かし続けるために働く。これはどんな天輪であっても変わらない。


 失った腕が痛む。断面がかゆい。あるべきものがない違和感を埋めるため、天輪が輝く。


 切り飛ばされた腕から、得体の知れない肉腫が膨れ上がっていく。肉体という枠を失った力が暴走し、無秩序に増殖して満ちることのない器を満たそうとする。でたらめに繋がった骨と筋肉、まだらに生えた鱗と毛。自分ではないものが自分と繋がっている、強烈な嫌悪感と痛みにその場で膝をついた。


 彼は一度だけ見たことがあった。手足を失って失血で死にかけた天輪持ちが巨大で醜悪な獣に変わるところを。あれが能力なのかと思っていたが、違う、そうではなかった。あの変化は、もしや天輪持ちなら誰でもそうなる可能性があるのか。だとすれば、彼自身もまたそうなるというのか。


「ぐ、う……うがあああああっ!」

「あああ……ダメです……いけません……そのままでは……人でなくなっちゃいます……」


 いや、そうはならない。なってたまるものか。


 かん高く卑屈な調子の声、おろおろとした足取り。人をイラつかせる態度の女だが、技術は確かだ。こいつであれば、きっとこの腕もなんとかできるだろう。彼はまた元に戻れるのだ。


 彼の両腕を切り飛ばした天輪持ちの能力もおおよその予想はついた。対抗するための能力を身に付け、上手く捕獲して箱詰めにできれば、彼ならその能力を十全に行使できるだろう。あれは彼のためにある能力だとすら思えた。であればこの敗戦にも価値がある。次は必ず奪う。


「あの……あの……じゃあ、切除、しますね……」


 落ち着きなく挙動不審な女の、腕から先だけが別人のように滑らかに動く。同時に頭上の赤黒い天輪が輝いた。強い興味や執着を抱く対象や行為に対して、天輪はより強く働く。女の持つ〝継癒〟の能力は死への忌避感から生まれたものだろうが、本人の資質は〝解体〟や〝切除〟といったあたりにあるのだろう。さほど強い天輪でもないのに、そうした行為の時だけは精度も威力も段違いになる。


 取り出された鉈は無造作に振るわれたように見えたが、丸太のように太い腕がプディングにナイフでも通すようにあっさり切断された。一拍遅れて痛みがやってくるほどの、練達の業だった。


「あの、これ……あっ、『暴走』って呼んでるんですけど……こうなるにはいくつかの条件があって、簡単に言うと天輪持ちが身体の一部を失って生命の危険に陥ったとき、一定以上の強い天輪だと失った部位を一瞬で再生しようとするんですけど、でも人間の身体は急速な再生についていけなくて、それから本人の意識にも影響を受けて元々の部位より強い形にしようとして、でも肉体がどうやって構成されてるかの知識なんて普通の天輪持ちにはないから、でたらめに形成されちゃって……」


 早口でだらだらと喋りながらも、女の手は正確かつ滑らかに動いていた。薬瓶に注射器を刺して薬液で満たすと、一切の躊躇なく彼の首に突き刺した。数秒とかからず、首から下が麻痺する。感覚だけを残して、一切の自由が利かない。背中を冷たいものが走る。なにかを間違えたのではないか。


「だから『暴走』を止めるためには、殺すか天輪を砕くかしかないんですけど……実はもうひとつ方法があって……これは私が見つけたんですけど、変な形で再生しちゃうのは天輪にそれだけの余力があるからって考えたら……その余力がなくなるぐらいの本当にギリギリ、死んじゃう一歩手前で安定させちゃえば変な部位を生んでる余裕なんかなくて、生命の維持だけに専念してくれることが分かったんですね……」


 女は驚くほどの力で彼を手術台に引っ張り上げてベルトで固定すると、鎧を外して腹部を露出させ、注射器から持ち替えた小刀で切り裂いた。鮮やかな手さばきで内臓を切り分け、横に置かれた皿に並べていく。腕の断面はいつの間にか血止めされていて、一際大きな塊がごとりと皿に置かれるのを見て始めて、脚を切り落とされたのだと知った。麻痺のせいか痛みはなく、全身に違和感だけがある。


「ふふ、ふふ……人間って、どうしてこんなに余分なものばかり……生きてるだけなら、手足とか内臓とか……感覚器だって要らないのに……でも大丈夫です……要らないものは私が外して、ちゃんと人間でいられる部分だけを残しますから……安心してください……死んだりしませんからね……」


 眼球がくりぬかれ、中身ごと耳をえぐられ、鼻を削ぎ落とされ、舌と声帯が取り除かれる。


 断末魔すら上げられず、はっきりしているのは意識だけ。なにもできないのになお生きている。


 そうして〝収奪の王〟ランドラブは、その天輪とわずかな生体部品を残して〝箱詰め〟された。

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