第9話 操り人形の兵士

「かくして騎士殿は何も聞き出せぬまま、すごすご退散なされたとおっしゃられるのですね。それはそれは、考え得る限りもっとも素晴らしい成果でございますとも」


 微妙に煮え切らないリヴィンの説明に対して、返ってきたのはトーキィの辛辣な批評だった。


 ルニエとの会話を全て話してしまうわけにはいかなかった。バラしたら殺すと脅されていたこともあるし、フラクタと今後も良好な関係を築くためには言わない方がいい内容でもある。一方、じっと話を聞いていたフラクタは、特に何の感情も見せずに所感を述べる。


「会話を成立させるところまでは持ちこんだものの、居場所を聞き出すには至らなかったと。初回としては十分な成果を挙げたと言えるでしょう。ただ、命が懸かっていることは忘れないように」

「……ああ、忘れちゃいないさ」


 リヴィンが殺されていないのは、記憶を失う前の自分がルニエの右腕だったからだ。いや、認めよう。彼女の態度から考えれば、単なる主従関係に留まらない――互いを伴侶と呼べるほどの――親密な関係性が築かれていたに違いない。


 だが、その記憶はすでに失われた。今のリヴィンはフラクタに天輪の契約で縛られた身の上であり、彼女の理想に共感してもいる。この状況で魔女の支配を受け入れ、フラクタに反旗を翻すのは現実的ではないし、心情的にもそこまで踏み切れない。


 この見知らぬ世界で自分はどうすべきかという問題に加え、フラクタとルニエという不倶戴天の敵同士のどちらに味方するかという問題ができてしまった。面従腹背、両者を天秤にかけるような腹芸が自分にできるかどうかははなはだ心許なく、うっかりボロを出したら二人とも容赦してくれそうもない。


「……うまいな、これ」

「ええ、そうですね」


 とりあえず目の前の食べ物に逃避する。


 じっくり焼いた厚切りのベーコン、そこから出た油とたっぷりの砂糖で作ったオムレツ。パンもふっくらと焼き上げられ、小麦の香ばしさが鼻腔をくすぐる。寝床も料理も、フラクタが命じるだけで非保持者が用意してくれる。召使いのように扱っても文句ひとつ言わず、出し惜しみなど考えもしない。


(これは、ダメだな。なんか、勘違いしそうになる)


 もし一人でこの世界に放り出されて、天輪の保持者に非保持者は絶対服従だと知ってしまったら、よほど自制心が強くなければ感覚が狂ってしまうだろう。異世界の常識を持ち合わせるリヴィンですらそうなのだから、この特権を所与のものとして与えられた保持者がどう歪むかは想像がつく。


 なにしろ非保持者と保持者の間にある境界を破壊したいという理想を掲げるフラクタですら、その過程で非保持者を利用することについては何らの痛痒も感じていないのだ。邪悪な人間が力を悪用すれば、どれほどの地獄絵図となるか考えるのも恐ろしい。


「今日はこのまま北上して、ランドラブやフォークトの動向を確認するって話だよな」

「ええ。もし国境を侵していたなら、そろそろこの辺りまで進出してくるはずです」 

「相手は軍勢なんだろ。たった二人でどうこうできるものなのか?」

「無理でしょうね」


 ばっさりとした一言。

 無理なのかよ、という言葉は飲みこむ。


「帝都ヴァレリアを脱出する時にも見たけど、天輪の力で統率してるんだから兵隊は非保持者なんだろ。命令して、こっちの言うことを聞かせたりはできないのか?」

「格下の保持者の統率下にあるのなら、強引に奪い取るのも不可能ではありません。ただし時間をかけて完全に掌握した兵隊であれば、敵対する保持者の命令への抵抗も可能です。また首尾よく支配下に置いたとしても、奪い返されるリスクも高い。掌握するなら統率者を殺してからですね」

「結局は保持者同士でけりを付ける必要があるってことか……」

「ええ。とはいえ伊達や酔狂で兵を率いているわけでもないのですよ? 天輪の保持者同士の戦いにおいて、非保持者の軍勢は決定打とはなり得ませんが、使い道は色々とあります。敵の動きを阻害したり、肉の壁として使ったりという直接的な用途はもちろん、略奪や放火など保持者一人では手が回りきらない部分を補うマンパワーとしても有効です」


 ただ命じるだけで何でも手に入るとはいえ、その場にないものが生み出せるわけではない。敵の支配下にある非保持者への攻撃は、敵への間接的な攻撃にもなるというわけだ。


「じゃあ、ヴァレリア帝国……ラヴルニエストゥスの支配下にあったはずの非保持者がフラクタの言うことに従ってるのは、彼女が死んだからなのか?」

「いえ、これは支配の魔女が健在だった頃からです。かの魔女の〝支配〟はとてつもなく広範囲かつ多人数にかけられる点が最大の特徴でした。反面、縛りは緩いので弱い天輪持ちでも面と向かってなら言うことを聞かせられたのです。ヴァレリアの兵隊もこれは変わりません」


 つまりヴァレリア帝国の人間は天輪の保持者と非保持者にかかわらずラヴルニエストゥスの〝支配〟の影響下にあり、その中で有力な天輪持ちの騎士たちが個々の軍勢を統率していたということか。帝都からの脱出直後、フラクタが一蹴した盗賊の頭目を思い出す。彼も支配の魔女が死んでから侵入してきたわけではなく、元から帝国内で細々と盗賊業に励んでいたのだろう。


「ということは、この街の人間は現状フリーなんじゃないか? 放っておいて敵軍の侵攻を受けるくらいなら、あらかじめこっちで掌握して逃がすとか防衛させるとかできないのか?」

「…………無理ですね」


 珍しく歯切れの悪いフラクタだった。

 その理由に思いを巡らせる前に、トーキィが淡々と告げる。


「我が主のキャパシティは残り数十人しかございませんので」

「は?」

「トーキィ!」

「天輪の特性と成長限界は個人差が大きく、支配の魔女のように多人数の統制に特化した天輪もあれば、その逆もあるということでございます。これ以上の説明は不要かと存じますが?」


 咎めるような響きの声に構うことなく、トーキィは言い切った。眉を上げ、肩をすくめるような雰囲気が伝わってくる声だった。フラクタはと見れば、憤懣やるかたなしといった様子で指輪のはまった手を振っている。激しくシェイクされている当人はといえば、涼しい顔で無言を保っていた。


「はぁ……知られたからには、もう息の根を止めるしか……」

「ちょっ、冗談だろ!」

「冗談ですよ、もちろん」


 微妙にシャレになっていない、感情を窺わせない笑みを向けられて背筋が冷える。


 だが、これで疑問の一部が氷解した。全ての天輪を砕くというフラクタの目的は、たった一人で成し遂げるにはあまりにも遠大な目標だ。すでに幾多の天輪を砕き、ヴァレリア帝国に君臨する支配の魔女すら仕留めた彼女の下には、リヴィンと同じような契約者や非保持者の軍勢がいて然るべきだった。


 支配下に置ける人数が極端に少ない、というのが彼女の天輪の特性なのだとすればそれにも説明がつく。強大な敵の懐に飛びこんで暗殺するという一種の賭けに出たのも納得がいった。


「……分かってるよ。誰にも言ったりはしない」

「そうしてもらえれば助かります」

「じゃあ、フラクタの代わりに俺が……」


 ふと、焦げ臭さを感じた。窓の外からだ。見れば、うっすらと黒煙が立ち上っている。方角は北。不気味に静まりかえった街に、いつの間にか不穏な気配が満ちていた。


「リヴィン、出ますよ」

「お、おう」


 装備一式を身に付け、宿を出た。厩から乗馬を引き出し、荷物をくくり付ける。遠く、悲鳴や怒号が聞こえてきた。この街に何かが迫っているのは明らかだった。フラクタは騒ぎの中心と思われる街の北側へと迷いなく馬を進めていく。周囲への警戒を強めながらリヴィンも後に続く。


 広場に出たところで揃いの鎧兜に身を固めた兵士たちと目が合った。手にした剣は血に汚れ、そこかしこに住民の死体が転がっている。そこかしこで起きている火災も彼らの仕業だろう。


「熊の紋章……ランドラブ軍ですね」


 敵兵の装備に配された紋章に目を留めて、フラクタが言う。ランドラブの軍勢がここにいるということは、国境の砦はすでに突破され、そのまま真っ直ぐに進軍してきたということだ。この街から帝都までは馬で一日の距離。ヴァレリア帝国側から見れば喉元に喰らいつかれたにも等しい状況だ。


「戦おう。敵の強さを測るいい機会だ」

「構いませんよ。では、北門で落ち合いましょう」

「え、別々に戦うの?」

「ええ。この狭い街路で騎乗したままでは、連携を取る意味もありませんので」


(そういうものなのか?)


 戦おうとは言ってみたものの、一人で戦うとなると心細くなる。しかもフラクタは長柄のウォーハンマーを振り回して敵兵の頭を砕きながら、さっさと先へ行ってしまった。


 後を追いたくなる気持ちを抑えて、フラクタとは違う道を選んで駒を進める。敵兵は街全体に散って住人を虐殺して回っているらしく、単独あるいは数人で行動している。当然と言うべきか保持者の姿はなく、非保持者だけだ。おそらく、戦っても負けはしない。


「けど、これで斬ったら死ぬよな……」


 リヴィンの獲物はハルバードだ。馬の勢いも乗せて振るえば、数人まとめて吹き飛ばすのも容易い、という確信がある。当然、相手には致命傷を与えることになるだろう。


(人を、殺せるのか?)


 彼らは無辜の民を虐殺しているが、それはランドラブに操られているからだ。しかしここで殺さなければ、別の場所で同じような惨劇を引き起こすのも間違いない。

 向こうもリヴィンに気付いた。人数は四人。剣を並べ、半円状に迫ってくる。


(いや。俺も、こいつらと似たようなものか)


 今のリヴィンに自覚はないが、この身体は数え切れないほどの人を斬っている。なのに、なぜ今さら殺しをためらうのか。その理由に、ふと思い至った。彼らは自分と似ているからだ。ランドラブに命じられて人を殺している彼らと、天輪保持者を殺すための道具としてフラクタと契約を結んで命を繋いだリヴィン。自分の意志でその道を選んだだけ自分の方が恵まれていて、また罪深いかも知れない。


「剣を捨てて下がれ。従わなければ……お前たちを殺す」


 言葉にして、命じた。敵兵の動きがわずかに鈍ったが、それだけだった。すでに他者の支配下にある非保持者は命令に抵抗しうる、というフラクタの言葉は真実らしい。リヴィンが天輪持ちであっても、このまま無抵抗なら殺される。道は狭く、殺さずに突破するのも難しい。


「――ッ!」


 拍車をかけ、馬を進める。いつ、どのように得物を振るえばいいかは身体が知っていた。天輪がもたらす膂力は四人の兵をまとめて薙ぎ払い、壁と地面に血肉を撒き散らした。殺した。いとも簡単に人を殺せてしまったことに戦慄する。だが、考える間もなく次の兵が向かってくる。


「……死にたくなければ、退けッ!」


 無意味だと頭では理解していた。

 だが、咆吼せずにはいられなかった。

 この日、リヴィンは人を殺した。それが何度目の殺しだったのかは、もう誰にもわからない。

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