第18話 二年生 8月

礼次郎のライブのチケットは、ゲンが買ってくれた。

いいの?と聞くと、家庭教師のアルバイトはコンビニより時給が高く、由衣夏より稼いでいるからいい、と言ってくれた。

その上、車で送迎もしてくれると言う。

ゲンのアルバイトが家庭教師、というところに驚いたが、ありがたく好意に甘えることにした。

大学生って、本当だったんだ・・・。

会場は人がすでにいっぱいいて、由衣夏はチケットが売れているみたいでよかった、と自分のことのようにホッとしていた。

売れないバンドマンで観客は自分たちだけ、とか言うパターンだったらどうしようと思ったりしていた。

ライブハウスは、ゲンに言わせると大きめの場所だと言う。

単独ライブじゃなく他のバンドとの共演だから、どっちの客が多いかは、始まってみないとわからないそうだ。

由衣夏はそんな話が聞けただけで、一緒に来たのがゲンで良かったと思った。

ゲンは前の方で観客に揉みくちゃにされるのがイヤだそうで、人垣の後ろの方に立っていた。

由衣夏にお前は前に行きたきゃ行ってこいと言うが、ゲンとはぐれるのが不安だった。

コンサートと違って自分の場所が決まってないから、前の人を押したり、人の上に登って無理やり前に進む人がいたり、人が集まってる場所はぐちゃぐちゃに蠢いていて、なんだかカオスで、あそこに混ざると怪我をしそうだ。

ゲンの反応も見たかったし、隣で見ることにした。

前のバンドの演奏が終わり、礼次郎がステージの真ん中に歩いてきて、マイクをつかんだ。

由衣夏は隣のゲンの肘をつついた。

「こいつがお前の友だち?」

と言うので、

「歌ってる人だよ」

ウンウンと大きく頷いて伝えた。

遠目に見ても、礼次郎の顔は美しかった。

黒のTシャツに黒いパンツ、黒いブーツに、長いワンレングスの黒髪。

今日の出で立ちは、真っ黒だ。

少女のような顔に似合わず、低く太い声で歌う。

このギャップがたまらんなあ、由衣夏はそう思っていた。

「くっそ、あのギターのやつ、指折ってやりてえ」

隣でとんでもないことをゲンが呟いた。

カオスに乗じて乱闘とかされたらどうしよう、と焦った。

悔しい、と思うほど、ギター担当が上手だったようだ。

由衣夏に上手下手はわからない。

でも、テレビの音楽番組で見るのと同じくらいに思ったから、プロレベル、ということなのかもしれない。

ギターにライバル意識を持つ、ということは、ゲンはギタリストなのだろうか。

礼次郎たちの出番が終わったので、ゲンに、

「どうやった?」

と聞いてみたら、黙ったままだった。

次のバンドの演奏が始まったので、会話することはできなかった。

由衣夏は、ゲンが礼次郎をどう思ったか気になって、他のバンドのことなどあまり目にも耳にも入っていなかった。

全てのバンドの演奏が終わり、観客も帰りはじめた。

知り合いのような観客だけが残っているくらいのまばらな人数になると、バンドマン達が客席に現れ、知り合いと思われる客と話している。

礼次郎の姿を見つけたので、由衣夏はゲンの腕を引っ張って連れていった。

「レイちゃん、素敵だったよ!」

ゲンは驚いたような顔をしてついてきた。

「友だちの彼氏ってこれ、この人」

礼次郎はゲンをチラリとななめに見た。

「バンドやってるから、来たかったんだって」

ああ、なるほど、とやっと声を出した。

「きみは、どこでやってんの?」

「京都」

ゲンは京都で活動してたのか。

どうりで京都の美味しいラーメン屋にくわしいわけだ。

「大阪ではやらへんの?

 ジャンル、どんなん?」

と、礼次郎が聞くが、ゲンは言葉をにごす。

「今メンバーが抜けちまって、休止状態なんだ」

ああ、あるね、と礼次郎が普通に言う。

バンドって一人じゃできないから、メンバーを集めるのも大変なんだろう。

礼次郎はその苦労をしてないようだ。

このルックスで、あの歌声なら、多少性格に難があっても組みたい人はいるだろうなあ。

どうやら礼次郎は今日セッションしたバンドのメンツだけで打ち上げに行かなくてはいけないらしい。

そんなわけで、由衣夏は当初の予定通り、ゲンと帰ることにした。


帰りの車の中で、ゲンは黙ったままだった。

「ゲンはギターなん?」

そう聞いても返事はなかった。

しばらく経って、

「今日のあいつら、すげえよ、あれはメジャーに行くかもな」

そう言われて、由衣夏は嬉しくなった。

自分の好きな礼次郎が褒められたのだ。

「レイちゃん、すごい可愛いし、歌もうまいやろ。

 わたしもあの子はすごいんちゃうか、って思ってるねん」

ゲンが何か言いたげな目で由衣夏を見る。

「あれ、男やで」

と言うと、前を向いてそっか、と言った。

「ということは、お前はあいつと・・・」

「うーん、紘美に思ってるのと同じやで」

また由衣夏の方を怪訝な顔で見る。

「わたし、誰ともせえへん主義って言うたやん」

あ、そうだった、と思い出したようだ。

「それって、いつまでやる気なんだよ」

「いつまでって別に決めてないよ。

 してもいいかな、って思ったらするやろうけど、無理やもん」

「無理ってのが、わかんねえよ。

 やってみようともしてねえんだろ。

 それなのに、なんでそう言い切れるんだよ」

「やってみたらいいかもしれないやん、って思ってるんやろ。

 そんなん色んな人から何回も言われてる。

 紘美にも言われたで。

 でも、気持ち悪い、って思ってしまうねん。

 それは相手が誰であってもやねん」

車はいつの間にか路肩に停められていた。

由衣夏はまた話さねばならないんだ、と思った。

「これはね、トラウマ、ってやつやねん」

ゲンは黙っている。

由衣夏は中学生の時に、教師からレイプ未遂にあって、それ以来性的なものに嫌悪感を持つようになったいきさつを話した。

「そのせいでお前は男嫌いになっちまったってわけか」

「嫌いっていうか、気持ち悪いってのが近い。

 男が、っていうより、女でも気持ち悪い。

 性欲が気持ち悪い、って思う」

ふうん、と言って聞いている。

「気持ち悪い、ってほんまに、吐きそうな感じやねん。

 わからへんでいいよ。

 でもわたしにとっては、これが真実やから。

 このトラウマが治ったら、できるようになる、って思ってる」

「オレさあ、精神科に入院したことがあるんだ」

唐突なゲンの話に驚いた。

「えっ?

 入院?」

「ああ、周りの奴らが、オレをおかしい、って言って、病院に連れて行かれたんだ。

 そしたら、入院されちまった」

「おかしいって、何が?

 ふつうに見えるけど」

「オレもよくわかんねえんだよ。

 オレも自分をおかしいって思ってなかったんだ。

 だから、こんなことをしても意味がねえって思って、早く出たかったんだけど、無理やり出ようとしても、薬飲まされたりして動けなくされて、監視がひどくなって出してもらえなくなるだけだったんだ。

 だんだん何日かに一度、医者が面談に来て、その医者との会話で入院が続くか、退院するかが決まるんだなってわかったんだ。

 オレには自分がおかしいと思わなかったし、周りの言う普通ってのが今でもわかんねえ。

 それで、オレはその医者をよく観察して、こいつだったらどんな返事をするのかなって考えて、そいつの質問に、そいつが答えそうなことを言ったんだ。

 そうしたら、やっと出れた」

由衣夏は驚いて聞いていた。

この人は、何があって入院させられたのだろう。

そして、そうやって退院したということは、治っていないのだ。

「ねえ、暴力は悪いこと、ってわかってる?」

「ああ、オレは確かに不良って呼ばれたし、ケンカもしたけど、理由もなく殴ったりしたことはねえ」

たしかに、由衣夏にも紘美にも普通に接している。

それはこの人が女が好きで、女には甘いから、だけかもしれない。

「法律は守らなきゃいけない、ってわかってる?」

「ああ、そりゃ守らなきゃ入院どころか刑務所行きだ」

「まあ、それなら大丈夫かなって思うんだけどね。

 わたしも正直、ふつうってよくわからない。

 人によって違うのかなって思うし。

 でも、性的なことが気持ち悪いって思う自分は、みんなと違うんだなあ、普通じゃないんだなあって思ってるし、どうにかしたいと思ってる。

 好きな人に求められて、できない、って言うの、つらいし。

 その理由を話すとき、原因になった嫌な思い出も話さなきゃいけなかったりするし、人に知られるのも嫌だし、それを思い出すのも嫌だし」

「お前はオレとは違って、自分がおかしい、って思ってるんだな」

「うん。

 メンタルクリニックとか行こうかなあって思ったんだけど、治ってる人がいるように思えなくって、まだ行ってないんなけど」

「ああ、よく考えて行ったほうがいいぜ。

 入院させられちまうと、なかなか出してもらえねえ」

そう言って、運転を再開した。

「ねえ、わたしさ、できないから、あんたとは友だちになりたい。

 ただの知り合いって意味じゃなくって」

ゲンは何も言わずに口元だけで微笑みを作った。

「今日さ、オレ、お前の言ってたことのひとつは理解できた気がするぜ」









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