4-2.【事例1】「イエス・バット」のゲーム

 さて、この【事例1】の本質は一体何でしょうか。


 この上司は自分の指示したことを完全に忘れてしまっています。そして、私が「それはあなたが指示をしたのだ」と言っても、まったく耳を貸しませんでした。一見すると、上司が自分の指示を完全に忘れてしまっているのですから、上司が私の言葉に耳を貸さないのは当然のことのように思えます。


 すなわち、上司が自分のした指示をすっかり忘れてしまったことこそが、この問題の本質のように思えるのです。


 しかし、物忘れや勘違いといったことは誰にでもあることです。誰かが物忘れや勘違いをするたびに、常にその相手や周囲の人たちは激しいストレス場面に巻き込まれてしまうのでしょうか? そうならば、人間社会では頻繁に、また場所を選ばず、ストレスがあちらこちらで発生していなければなりません。


 実はそうではないのです。この事例の本質は、上司が指示したことを忘れたことではなく・・・私が意見を言っても上司がまったく耳を貸さず、あまつさえ言い訳と思って怒り出したという点なのです。この点こそが、この事例の一番の問題点であり本質なのです。


 上司は完全に自分の指示を忘れてしまっていたとしても、部下である私の主張に耳を傾けることはできたはずです。そして、私の言い分を理解し、自分の間違い(「自分は『研究所を応援してくれ』というような指示は出していない」という思い違い)を修正していくことは可能なのです。


 しかし、私の上司はまったくそうしませんでした。なぜでしょうか?


 実は、この上司は前述した「イエス・バット」のゲームを私に仕掛けているのです。このゲームは、相手の言うことをことごとく否定するゲームなのです。相手は何を言っても否定されるので、その結果、ものすごいストレスにさらされることになります。 


 前述の通り、「イエス・バット」というゲームの名前は、相手の言うことを「そうですね」と一旦受け止めたあと(イエス)、毎回「しかし、あなたの言うことは・・・」と反論する(バット)という局面から名づけられたものです。


 このゲームは、職場などいろいろな場面で実によく使われるのです。なぜなら、相手が何を言っても否定するだけですから、ゲームを仕掛ける側は、ゲームを極めて簡単に実行できてしまうからなのです。


 しかし、ゲームを仕掛けられた方はたまったものではありません。何を言っても否定されることによって非常に大きなストレスを抱え込んでしまうことになるのです。つまり、「イエス・バット」というゲームは、相手を攻撃する側から見ると、手軽に実行できて、それでいて相手に極めて大きなダメージを与えることができる実に効果的な手法だということができます。


 実は、私の知っている医師が患者から「イエス・バット」のゲームを仕掛けられて困っていました。その患者が定期的に通院してくるのですが、何をアドバイスしても言い返して来るので、その医師はその患者と顔を合わすことに大きなストレスを感じていました。


 例えば、医師が「ストレスが原因ですので、二、三日休暇を取って旅行にでも行かれたらいかがですか」とアドバイスすると、患者は「仕事が忙しくて、なかなか休めないんです」と否定し、さらに医師が「それでは気分転換に、趣味に打ち込んでみてはどうですか」と言うと「これといった趣味もないんです」とまた否定するといった具合で、患者は医師のアドレスをことごとく否定するのです。


 医師としては、専門家の立場で「良かれと思ったこと」をいろいろとアドバイスするのですが・・・患者がどのアドバイスもたちどころに否定するので・・・医師がアドバイスをすることに疲れ切ってしまったのです。


 それでも、患者が定期的に来院してくるので、医師は立場上また新たなアドバイスをしなければなりません。しかし、患者はその新たなアドバイスも否定するのです・・・


 こうして、医師は膨大なストレスを抱え込んでしまったというわけです。


 この結果、普段は温厚な医師が、その患者が診察室に入った時はいつもイライラして廊下に響き渡るような大声で怒鳴り散らすというありさまでした。結局、その患者の担当医を別の医師に代わってもらって、やっと安堵できたという次第です。


 この患者の行動は「医師とのストロークを確保するために、『イエス・バット』のゲームを行って、医師のアドバイスをことごとく否定する」と解釈されています。「ストローク」については、後でまたお話しますが、ここでは「人間同士の交流」と解釈してください。


 つまり、患者が医師のアドバイスを了承してしまうと、治療が一旦終わってしまうので、患者が通院する理由がなくなるのです。そうなると、患者は医師に会えないわけですから、医師との「人間関係の交流」つまり「ストローク」がなくなってしまうわけです。患者は、この状態を避けるために、医師のアドバイスを否定して、次の来院の機会を確保しようとするわけです。


 これが、患者が医師に「イエス・バット」のゲームを仕掛ける理由なのです。


 しかし、この「イエス・バット」というゲームでは、そのゲームを仕掛ける理由は「ストロークの確保」だけではありません。ゲームを仕掛ける理由は一つだけではなく複数存在します。例えば、前述のA 氏の場合は、「新しい職場で認められたい」といった願望が目的となって、私を攻撃してきたわけです。このため、状況に応じて、その理由を判断していくことが大切になります。


 では、【事例1】に戻りましょう。


 私の事例では、なぜ上司は「イエス・バット」のゲームを仕掛けてきたのでしょうか? 上司が「イエス・バット」のゲームを仕掛る理由は何なのでしょうか?


 これは私の推測ですが・・・上司が「イエス・バット」のゲームを仕掛けたのは、次のような理由ではないのかと思われるのです。


 前述しましたように、当時の私のいた会社では、業務査定の結果は一度出されたら、最高裁の判決と同じで、もう覆すことはできませんでした。しかし、もし上司が私の言うことを認めたならば、もう一度業務査定をやり直さなければならなくなります。会社のルールとして認められていない業務査定のやり直しを行わなければならない・・・これは上司にとっては、部下を管理する上での、実に大きな失態にほかなりません。当然、上司はそんな事態に自分を追い込みたくありません。


 こうして、上司は自分の失態を認めないために、私が何を言っても一切聞く耳を持たず、私の意見を全て否定する「イエス・バット」のゲームを私に仕掛けてきたのだと思われるのです。


 以上は、私の推測に過ぎませんが、まず間違っていないだろうと私は思っています。つまり、この上司は自分を守るために部下の私を犠牲にしたのです。そして、その手段が「イエス・バット」のゲームだったわけです。


 では、私の事例で「イエス・バット」のゲームを仕掛けられたら、どう対処すればよいのでしょうか?


 否定することが目的ですので、この上司に何を言っても否定されるだけです。また、当然ですが、上司は部下の人事権を握っていますので、部下よりも圧倒的に有利な立場にいるわけです。従って、このような上司にこのゲームを仕掛けられたら対処が非常に厄介なのです。


 それでも、攻撃を受けた側は身を守らなければならません。特に、私のように理不尽に最低点をつけられるといった被害を受けた場合は、しっかりと身を守ることが肝要です。私の場合は、面接時の評価はすでに決定されたもので、会社のシステムとして反論をすることができなかったということもあって泣き寝入りをするしかなかったのですが、いまは時代が違います。こういった実害に対しては、上司のさらにその上の上司に、はっきりとクレームを申し出ることが必要になるのです。


 その際に、得てして「言った」とか「言わない」という水掛け論で終わってしまいますので、上司に指示された時には証拠となるようにメモをとるとか、定例の実績報告などでは意図して、この仕事は何月何日の面接時の指示によって行っているといったことを記載しておくといった配慮が必要なのです。


 こういった配慮をしておくと、万一、「イエス・バット」のゲームを仕掛けられても充分な反論ができるのです。そればかりか、この配慮をすることによって、相手が「イエス・バット」のゲームを仕掛けにくくなるという予防の効果もあるのです。


 その配慮ですが・・・ここで、特に重要なことは、普段と違う仕事を行ったり、普段はしない意思決定を行ったりといった「普段と異なる行動」を行なう場合の配慮です。


 そんな「普段と異なる行動」は、「イエス・バット」のゲームのみならず、それ以外のさまざまなゲームにも巻き込まれやすいものなのです。言い換えると、攻撃する人間の標的になりやすいのです。このため、自分が「普段と異なる行動」を取る背景や理由を当事者同士以外にも、周囲の人たち共有しておくことが非常に大切になります。


 この【事例1】ですと、「研究所を支援する」ことは、私や上司の通常の仕事ではなく、「普段と異なる行動」に該当します。こういった「普段と異なる行動」を取るときが要注意なのです。


 具体的には、私は上司に指示されたときに、例えば、その指示をノートにメモして上司に見せて確認しておくとか、上司との会話を録音しておくといった対応をとるべきだったのです。さらには、周囲の人たちに「上司から研究所を支援するように指示された」と話しておくべきだったのです。また、前述のように、会議で「この研究所の支援の仕事は上司の指示で行っている」ということを明確にしておくことも有効なのです。


 しかし、私は「普段と異なる行動」に対して、そういう配慮を一切取リませんでした。このために、私は、上司の仕掛けた「イエス・バット」のゲームに対処できなかったのです。私の事例を見れば、「普段と異なる行動」には、そういった配慮がいかに大切になるかが、お分かりいただけると思います。


 また、前述のA氏の事例にも、こういった配慮が有効なのです。A氏の場合では、A氏は私の「些細な行動」に対して「イエス・バット」のゲームを仕掛けてきました。「些細な行動」とは、「その場で何気なく決めた行動」ということができます。つまり、普段から行なっている行動ではなく、「普段と異なる行動」に該当します。


 こういった場合には、私が「些細な行動」を取る前に上司に了解を取るように配慮すべきだったのです。例えば、会議で報告する前に、「とりあえず、お客様窓口にメールを入れること」と「月曜にもう一度電話をすること」について、上司に話して了承をしてもらっておくのです。そうした上で、次の会議で全員に報告すればいいのです。


 そうしたならば、もし会議でA氏が私の行為を否定すると、上司が了承したことに反対することになりますので、A氏は「イエス・バット」のゲームを私に仕掛けることができなくなるのです。


 言い換えると、A氏は自分を権威付けるために、つまり自分が私より上だということを周りに見せつけるために、私の言うことを否定したのです。つまり、「権威付け」を意図とした「イエス・バット」のゲームを仕掛けてきているのです。このような人間は逆に言うと「権威に弱い」わけですから、こちらの行動も上司の了承を得ることで「権威付け」をしてしまえば、もうA氏のような人間は攻撃できなくなるわけです。


 また、これはすべての事例に共通して必要なことですが、まず「イエス・バット」というゲームがあり、これが行われるには、さまざまな理由があることを理解しておくことが大切です。その上で、自分の上司が、こういったゲームを仕掛けてくる人物かどうかを判断して、仕掛けてきそうな人物だったら、先ほどのメモや報告時の確認といった予防策を講じることも有効なのです。


 「イエス・バット」のゲームの対処法のまとめ

 このゲームでは、ゲームを仕掛けるさまざまな理由が考えられるので、理由に応じた対応が必要になる。もし、相手が【事例1】のような「自分を守るために、貴方を犠牲にする」ような人間だと思われたら、実害を受けないような対策を講じておく。特に、「普段と異なる行動」を取るときは予防策を配慮する。

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