──この煌びやかな鳥籠の中で崇められ、奉られ、飼い殺されて一生を終える。


 その最後の地を想像することはあったが、実際にその地に座してみると、案外自分の想像も漠然としていたのだなと緋蓮ひれんは思った。


「案外強情なのね」


 一切装飾のない、石が積み上げられたままの壁。天井は高く、窓もないから果てが見えない。


 迦楼羅カルラが死に際に燃やす炎から月天げってんを守り、確実に迦楼羅の宿体を焼き尽くすために組まれた窯は、火の元がないと酷く底冷えがする場所だった。


「素直に罪を認めてくれたら、食事くらい取らせてあげたのに」


 普段よりも煌びやかに着飾った玲月れいげつが窯にやってきたのは、緋蓮が窯に入れられてから三日が過ぎた後だった。


 朝一番で自身も式典用の正装に着替えさせられていた緋蓮は、ついに来たかと玲月を睨み付ける。


「私は何も悪いことなどしていない。していない罪を認めるも何もないだろうが」

「そうね、緋蓮。あなた、ずっと死にたかったんだものね」


 投げ返した言葉に半ば被せるように返された言葉は噛み合っていない。この場で言葉を交わすようになってからずっとそうだ。玲月は緋蓮に言葉を投げかけてくるが、会話を求めているわけではない。


 玲月のおとない自体は、ここに閉じ込められてからずっと続いていた。


『検分』と称しては二刻に一回は姿を現した玲月だが、取り調べらしい取り調べは特にされていない。玲月の優越感丸出しの独白に付き合わされているだけだ。きっと調書は玲月なり万慶ばんけいなりが勝手にでっち上げて好き放題に書いているのだろう。


「良かったわね、緋蓮。あなた、今から殺してもらえるのよ?」

「ここに閉じ込めたくせに、公開処刑にするんだ?」

「よく分かったわね! 緋蓮なのに!」


 ここに緋蓮が入ってから、玲月は今まで以上に緋蓮を嘲笑うように喋った。


 今までも『お馬鹿さん』と呆れを含んだ笑みを向けられたことはあったが、あれは親しい者同士の親愛の情があった。今の玲月は、まるきり巌源寺がんげんじの人間達と同じ響きの声音を操っている。


肆華衆しかしゅうでありながら、あやかしと通じ、巌源寺の僧侶を始めとしてたくさんの人を殺した。そんな凶悪犯は、きちんと死んだかどうか、たくさんの人の目で確認しないと不安なんですって」

「迦楼羅の器は迦楼羅の力によって守られている。どうやって処刑するつもりだ?」


 それでも緋蓮は玲月に言葉を向けられれば、その言葉を無視できない。


 たとえ返ってくる言葉が緋蓮を傷付けるものでしかないと分かっていても。


「迦楼羅の器だから殺せないというならば、迦楼羅の器じゃなくすればいいのよ」


 ──それでも言葉を返して繋ぎ留めていなければ、玲月は本当に私の手も言葉も届かない場所へ行ってしまう。


「……迦楼羅を、私から無理やり引き剥がすつもり? そんなことが」

「できる方法が、巌源寺には伝わっているのよ」


 玲月は傲然に笑うと胸を張った。


 緋蓮に真実を見抜かれてから、玲月は時折こんな態度を見せる。肆華衆として傲慢さと幼子が宝物を自慢するかのような浅はかな無邪気さが同居する玲月の態度に、正直緋蓮は戸惑いを隠せない。


「処刑執行は正午。危険な迦楼羅は私が直に引き立てる」


 今も戸惑わずにはいられない緋蓮の前で、玲月はニコリと無邪気に笑みを深めた。


「ねぇ緋蓮、それまでわたくしと最期のお喋りをしましょう?」


 石床の上に畳を置いて座した緋蓮と、入口近くに立った玲月の間には距離が開いている。だがそれでも玲月の瞳が窯の中の闇を映して暗く濁っていることは分かった。


「……玲月は私を殺した後、どうするつもり?」


 緋蓮はそんな玲月を真っ直ぐに見据えて言葉を紡いだ。


 この三日間繰り返された訪いのおかげで、玲月が付き人を時間になるまでこの場所に近付けないことは分かっている。この周囲に人払いがされているのなら、緋蓮も無駄に言葉を取り繕うことなく玲月と言葉を交わすことができると踏んでの問いだった。


「どうって?」

「たとえ一時的に私に罪をなすり付けて事を納めても、妖と契約している玲月の身に瘴気が満ちていることに変わりはない。玲月の身を蝕む妖気は消えない。いずれ妖気は溢れるだろうし、玲月の命もついえる」

「あら、そんなことにはならないわ」


 玲月はいまだに緋蓮の心の声が聞こえているのだろうか。


 聞こえている上で、こんなに無邪気に振る舞うことができるのだろうか。


「だってわたくし、月天の全てを壊すつもりだから」


 そんな罪深く無邪気な声音のまま、玲月は実にあっさりと、とんでもない言葉を口にした。


「え?」

「わたくしが壊れてしまう前に、月天の方を壊すのよ」


 緋蓮に返せたのは、ひどく気が抜けた間抜けな声だった。


 だがそんな緋蓮を気にかけるわけでもなく、玲月はいとけない童女のように微笑み、軽やかな声音で続ける。


「あぁ、このことはわたくしと緋蓮の秘密ね。万慶にも話していないことだから」


 ──当たり前だ。こんな話、真正面から切り出していたら、いくら万慶だって玲月を止めたはず。


『玲月を心配して』という感情からではなく、己の身を守るために、万慶は玲月を止めたはずだ。万慶くらいになれば、最悪の場合、玲月を亡き者にする算段くらい立てたかもしれない。


 皆がしがみつく権力も、月天と華仙かせんがあればこそ。『月天を壊すために妖と契約を結ぶのだ』と口にする人間に協力する者など、ここにはいない。


 ──玲月は、何を考えて、そんなことを……


 妖と契約したのは己の意志だと、玲月ははっきりと口にした。


 恐らく玲月は『妖の力を使って敵勢力を削り、迦楼羅をはめて罪人に落とせば、一乗院さえ蹴落とすことができる』と言葉巧みに万慶に吹き込んだのだろう。玲月はかなり早い段階で巌源寺の人間を多数計画の中に抱き込んでいたに違いない。権力への欲が一際深いのが巌源寺だ。万慶を始めとした巌源寺の関係者は比較的簡単に玲月の話に乗ったはずだ。


 あの法力僧二人を殺したのは、恐らく玲月が妖と契約した後から玲月の計画に反対したためだ。事情を知っているくせに玲月をいさめた二人に面倒なことをされるよりも早く、玲月が妖の力を使って殺した。


 今までの発言から推察するに、あの時間の金堂に亡骸を落としたのは華仙に対する意趣返しだ。事件を受けた万慶はすぐに犯人が玲月だと分かったのだろうが、自分達もこの一件に加担している以上、玲月を庇護するしか道はなかった。


「壊すって、どういうこと?」


 そこまでは、緋蓮にも何となくは分かった。


 だが先程の玲月の発言の真意が読めない。


「言葉通りよ。迦楼羅であることに絶望して死を願っていた緋蓮になら分かるでしょ?」


 強張った緋蓮の声に答える玲月の声は変わることなく朗らかだった。


「でもわたくしは一人で死ぬなんて真っ平ごめん。だから、わたくしを縛っている町の方を壊すの」


 ──まさか。


 その言葉に玲月がどの程度の規模を指して『月天を壊す』と言っているのかようやく理解できた緋蓮は、呼吸さえ忘れて凍り付く。


 そんな緋蓮の前で、玲月は今日一番の笑みを見せた。その笑みに、今度は背筋を氷塊が滑り落ちていく。


「町も嫌い。華仙も嫌い。巌源寺の人間も一乗院の人間も、月天に関わる人間はみんなみんな大っ嫌い! だから全部壊すわ。私を縛り付けるモノは、全部壊すの!」


 ニコニコと笑ったまま恐ろしいことを口走った玲月は、笑顔を浮かべたまま緋蓮に向かって手を差し伸べた。


 二人の間に開く距離では決して手を取ることなどできない距離。それが分かっていながら、それでも玲月は緋蓮に手を差し伸べる。


「ねぇ緋蓮。わたくしと一緒に行かない? 緋蓮がわたくしに手を貸してくれるなら、緋蓮だけは壊さないであげる」


 その手を見た瞬間、緋蓮を粟立たせていた何かは霧散した。


 後に残ったのは、突き抜けるような悲しみ。


「……玲月」

「……やめて、緋蓮。わたくしが欲しいのは、そんな安い同情なんかじゃないわ」


 緋蓮は何か玲月に言葉をかけようと口を開く。


 だがスッと表情を消した玲月が冷めた声で緋蓮の言葉を切り捨てる方が早かった。


「何よ、何よ、ここに来ていい子ぶって……っ! ずっとウジウジ死にたがっていたくせにっ!!」

「玲月」


 差し伸べられていた手はパタリと力なく落とされた。一瞬脱力した手はすぐにグッと力が込められ、今度はブルブル震えはじめる。


「何よ何よ何よっ!! 迦楼羅だからってあんなに悲劇の主人公みたいなことを思っていたくせにっ!! いざ月天を壊せるってなったらどうしてそんな風にいい子ぶるのよっ!? 自由になりたくないのっ!? わたくし達から今まで搾取し続けてきたあいつらを滅茶苦茶にしてやりたくないのっ!?」


 濁った瞳がキッと緋蓮を睨み付ける。だが玲月のその表情は長くはもたなかった。


 緋蓮の心から何を聴いたのか、表情を失くした玲月は冷たい視線を緋蓮に注ぐ。


「あっ、そ。……そうよね。迦楼羅の在期は十五年。あんただけは、この地獄に終わりが見えている。いつ終わるかも分からない、一生涯の地獄を見るのはわたくしだけだものねっ!!」

「っ……!!」


 その言葉に、緋蓮は胸を突かれたような気がした。


 迦楼羅の在期は十五年。それは歴代どの迦楼羅を調べても同じ。なぜならば十五年という時を迎えた瞬間、迦楼羅は宿体を己の炎で焼き払ってそらかえるから。


 緋蓮にとって、それは絶望だった。望みもしない迦楼羅に据えられて、定命じょうみょうまで目の前に据えられて、最期は一人寂しく、誰にも看取られることもなく、亡骸さえ残すことなくこの世から消えていく。


 だが他の肆華衆達に命の期限はない。緋蓮にはそれがうらやましかった。刻々と近付いてくる命の終わりへの恐怖は、自ら安寧な死を求めるほどに強いものだったから。


 だが定命を据えられていない他の肆華衆からしてみれば、その生は終わりが見えない牢獄なのだろう。長く生きれば生きるほど、籠の中の鳥でいる時間は長くなるのだから。


 他の座に座る肆華衆からしてみれば、迦楼羅の定命は籠の鳥である人生からの解放にしか思えないのかもしれない。たとえそれが、死とともに訪れる、安寧などない終わりなのだとしても。


「おまけにお前の周囲は人の温もりにあふれている。あんたは何を憂うこともなく自分の悲劇に酔っていても許された。それを労わってくれる人間がいたっ!! それなのにっ!! それなのに……っ!!」


 一瞬、玲月はこのまま泣き崩れるのではないかと思った。固く握った拳を震わせたままうつむいた玲月の肩は痛々しいくらいに細くて、執生の豪奢な衣装に押し潰されてしまいそうなくらいだったから。


「わたくしは、あんたが羨ましかった」


 だが玲月は、不意にそんなか弱い空気をかき消した。


 残ったのは華仙の権力者であるという傲慢さと、妖を思わせる禍々しさと、ほんの少しの悲しげな笑みだった。


「人に恵まれたあんたが、羨ましくて、憎くて、仕方がなかった」

「玲月」

「だから、あんたを殺そうと思ったの」


 そして最後には、その儚い笑みさえもが禍々しさに喰いつくされる。


 ──玲月。


 同時に、緋蓮の心を、絶望が喰らい尽くしたような心地がした。


執生しっせい様」


 まるでその瞬間を計ったかのように、玲月の数歩後ろに人影が現れた。


「お時間です」


 その言葉に無言で頷いた玲月はスイッと体を捌いて道を開けた。開かれた道を使ってゾロゾロと入ってきた僧侶達は、手荒く緋蓮を立たせると引き回すための荒縄を掛けていく。


 ──私、知らなかった。玲月がそんな風に思っていたなんて。


 小突き回されてふらつく緋蓮を横目にしながらも、玲月はもはや何も語ることなどないとばかりに口を閉ざしている。そんな中に今まで玲月が緋蓮に向けてくれていた、ちょっと呆れを含んだ親しみのある笑みを欠片も見ることができなくて、緋蓮は何度も瞬きを繰り返す。


 ──玲月が、そんな風に、絶望していたなんて、知らなかった。


 ふと緋蓮は、亀覚に頭を撫でてもらった時に思ったことを思い出した。


『玲月も、こんな風に頭を撫でてくれる人って、いたのかな……?』


 ──多分、いなかったんだ。


 玲月はきっと、緋蓮には想像もできないくらい孤独の中にいたのだろう。その孤独の海におぼれて、引き裂かれた心の隙間を妖に突かれたのだろう。


 緋蓮に玲月を責める資格はない。緋蓮だって、心の隙間に闇を飼っていた。いつ玲月のように闇へ転んでもおかしくはなかった。


 緋蓮が狭間で立ちすくんだまま闇に堕ちずに済んだのは、玲月が言う通り人に恵まれていたからに過ぎない。


 ──私には、亀覚がいた。一乗院のみんながいた。吏善がいてくれた。玲月だって。


 そんな風に人に囲まれた緋蓮を見て、玲月は何を思っていたのだろう。典雅に微笑むその裏には、常に死人のような顔が貼りついていたのだろうか。緋蓮が死を願って、死を追い求めている時と、同じ顔が。


 ──ねぇ、玲月。私は、玲月の温もりにはなれなかった?


「引きませい」


 心に思ったことを、緋蓮はもう口には出せない。口に出さなくても聴いてくれた玲月には、もう心が届かない。


 先頭に立つ僧侶の発声を合図に緋蓮を縛った縄が引かれる。緋蓮がよろめくように前へ足を踏み出すと、厳めしい僧兵達が隊列を組んで動き始めた。そんな緋蓮を視界から締め出すかのように緩く瞳を閉じた玲月は、入口の外で待機していた輿こしに乗り込むと隊列の後を着いてくる。


 緋蓮が閉じ込められていた窯は、飛天楼の裏に当たる場所に築かれていた。処刑は金玄寺の境内で行われるのか、隊列は緋蓮が毎日輿で揺られて進んでいた道をゾロゾロと進んでいく。そんな緋蓮達を見下ろす空は、今日も変わらず澄み切って青かった。


 ──ここ数年、月天でよく青空が見えるのは、迦楼羅が在位していて龍蛇りゅうだが空位のせいだって、誰が言ってたんだっけ?


 荒縄に引かれるがまま歩を進める迦楼羅が物珍しいのか、緋蓮が歩む道の両側には見物人の人垣ができていた。普段は徒人ただびとが入れないはずである場所にまで人が押し寄せているのは、迦楼羅を見世物にしたい一乗院敵対派上層部の意図が働いているせいだろう。


 この数日で迦楼羅のことをどう言い触らしたのか、緋蓮に向けられる視線はどれも暗さを纏い、ヒソヒソと囁かれる声は明らかに緋蓮に否定的なものばかりだった。


 ──そりゃそうよね。みんなの中で私は、妖と通じて多くの命を奪った迦楼羅になっちゃってるんだもん。石を投げられないだけ、まだマシか。


 一度瞳を閉じて、絶望とともに心の中で小さく呟く。


 だがその瞬間、耳の奥で、澄んだ金鈴の音とともに力強い声がよみがえった。


『抗え、緋蓮』


「……っ」


 その声に、ジワリと目の際に涙がにじんだ。


 玲月の深い絶望の声に嬲られた心は、もはや折れる寸前だった。状況だってもう、ひっくり返せる余地などどこにもない。


 それでも緋蓮は目を開くと、スッと背筋を正して歩む足に力を込めた。かつて亀覚きかくに礼儀作法を叩き込まれた日々を思い返しながら、胸を張り、顔を上げて真っ直ぐに前を見据える。


 ──そうだ、誰が私を否定しようとも、私は無実だ。


 ならば、せめて最期まで胸を張っているべきだと思う。


 きっと今だって緋蓮を信じて抗ってくれている人達のために。……何よりも、己の誇りのために。


 ──最期まで抗うと、私は決めた。


 そんなことを思う緋蓮の視線の先に、高く積み上げられた薪の山が映った。緋蓮を括り付けるためなのか、薪の山の上には一本太い柱が建てられている。


 生々しく迫る己の『死』に、緋蓮はギリッと奥歯を軋ませた。


「あら、緋蓮。今になって後悔した? 素直になっておかなかったことを」


 緋蓮の心の一連の揺れを聴いたのか、輿を横に付けた玲月がつややかに笑う。


「あなたは最後まで一乗院がどうにかしてくれるって信じているみたいだけれど。……残念でした。今回ばかりは巌源寺が一枚も二枚も上だったのよ」


 その言葉にキッと緋蓮は玲月を睨み付けた。


 ──思っていなかったわけじゃない。でも……


 確かに、吏善から知らせを受けた亀覚が助けに来てくれると思わなかったと言えば嘘になる。


 吏善には逃げろと指示を出したが、響術師きょうじゅつしであると身が割れただけで吏善が山を降りるとは思えなかったし、利発で情に厚い吏善がこのまま黙って緋蓮の処刑を見ているだけとも思えなかった。


 一乗院のみんなだって、吏善の話を聞いて無条件に吏善と緋蓮を信じて奔走してくれたはずだ。一乗院がなりり構わず手を尽くせば処刑は覆るかもしれないと、窯に入れられた直後の緋蓮は微かな希望も抱いていた。


 だがそんな考えは、丸一日経っても助けが来ない時点で甘かったのだと思い知った。


 別に嬉々として巌源寺の優勢を語る玲月の言葉を真に受けたわけではない。一両日以内に緋蓮をあの場から出さなければ、上層部会で緋蓮の処刑が採択されてしまうはずだと知っていただけだ。


 上層部会で処刑が決定されてしまえば、いかに一乗院貫首かんじゅといえども独断で緋蓮を窯から連れ出すことは許されない。もしかしたら秘密裏に強行しようとしたかもしれないが、その動きを想定していた敵対派閥に邪魔されて身動きが取れなかったのだろう。


 恐らく巌源寺はあの晩に緋蓮をはめる前から上層部会に根深く手回しをしていたのだろう。その手回しを覆すことは、いかに亀覚と一乗院といえども難しかったはずだ。


「迦楼羅を火刑に処そうなんて、趣味が悪いと思っただけだ」


 緋蓮が玲月の声をね退けた瞬間、隊列は歩みを止めた。


 遠くに見えていたはずの処刑場が、もうすぐ目の前に迫っている。真上から降り注ぐ太陽は、処刑執行時間が近いことを物語っている。


「待てっ!! わしら一乗院はこの処刑に異議を申し立てるっ!!」


 ここに来るまでの間に散々心は揺れたはずなのに、死を目の前にした今、心はそれほど騒がなかった。


 やはり自分はどこかでこの瞬間を待ち焦がれていたのだろうかと考えた瞬間、広場の沈鬱な空気を切り裂いて声が飛んだ。誰の声よりも聞き慣れた声に緋蓮は弾かれたように首を巡らせる。


「なぜ肆華衆の処刑がこんな簡単に執行されるのじゃっ!! 十分な時間をかけて詮議をすれば、迦楼羅様に濡れ衣を着させていることくらい簡単に分かるっ!!」

「亀覚……!」


 人垣を割って広場に入ろうともがく老僧が警備の僧兵に取り押さえられている姿が目に入った瞬間、緋蓮は思わず声を上げていた。


 乱入しようとしているのは亀覚だけではない。そこかしこで小競り合いが起きているのが緋蓮がいる位置からでも分かる。重い緊張が張り詰めていた広場の空気が、一乗院関係者の暴動で揺れ始めた。


 ──みんな……!


 その姿に、静まり返っていたはずである心が再び騒いだ。


「取り押さえなさい。暴れるならば、殺していいわ」


 その騒ぎを閉じた瞳ごしに睥睨へいげいした玲月は笑みを含ませた声で命じる。


 その言葉が纏う不穏な空気に、隊列がザワリと揺れた。


「執生たるわたくしの詮議に物申す者は、妖と通じた迦楼羅と同罪。一緒に焼き殺してしまいなさい」

「玲月っ!! 私は私、一乗院は一乗院だろうがっ!!」


 その言葉に、緋蓮の胸をざわつかせていた感情が衝動となって弾けていた。


 腹の底から叫んだ緋蓮はそのまま玲月の前に出ようとしたが、それを玲月への狼藉ととらえたのか僧兵は荒縄の先をきつく引くと緋蓮を処刑台の上へ引っ張り上げていく。


「私を殺したいんだろっ!? 大人しく殺されてやるから亀覚達に手を出すなっ!! 手を出したら……っ!!」

「わたくしを、どうすると言うの?」


 ドンッと背中を何かに叩き付けられた衝撃で緋蓮の息が詰まる。


 緋蓮の言葉が止まった隙にスルリと声を挟み込んだ玲月は、顔を歪ませる緋蓮と遠くで足掻く一乗院の人間両方を眺め、薄く瞳を開くとうっそりと笑った。


「どうすると発言しても、あなたの立場が悪くなるだけよ? 緋蓮」

「っ……!!」


 悔しさに歯を噛み締める緋蓮を僧兵が手早く柱に括り付けていく。緋蓮をここまで引いてきた荒縄を手際よく柱に括り付けた僧兵達は、手慣れた様子で緋蓮の動きを奪うと処刑台から身軽に飛び降りていく。


 緋蓮が何もできない悔しさに歯噛みしている間に、場は整ってしまっていた。


 薪の山の上に括り付けられた迦楼羅。距離を取って迦楼羅と相対する執生。二人を取り囲むように整列する僧兵の隊列と、さらにその外を取り囲む野次馬。


 まるで処刑開始を告げるかのように、太陽が中天にかかる。


 その太陽に向かって差し伸べるように片腕を伸ばし、玲月が朗々と口上を述べた。


「これより、妖と通じ、月天を混乱に陥れた邪悪なる迦楼羅の処刑を決行する!」


 ──詮議すらもうしないってことか……!


 これだけの場を用意しておいてそんな悠長なことを始めるとも思っていなかったが、こちらに弁明の場も与えずに刑に処すとは随分強引な手だった。恐らく巌源寺と玲月の主張だけではいくら根回しをしても他派を完全に黙らせることはできなかったのだろう。反対派に付け入る隙を与える前にすべてを終わらせてしまうつもりなのだ。


「大罪を犯したお前に迦楼羅の器たる資格はない! これより迦楼羅に天へお帰り頂く法会を始める!」

「その言葉、そっくりそのままお前に返すぞ、執生っ!!」


 ここまで詰まれてしまっては、もはや何を主張しても意味などない。


 今までの緋蓮ならば、そう考えて胸中で皮肉を呟きながら玲月の口上を静かに聞いていたことだろう。


 だが緋蓮は、処刑が覆ることなどないと分かっていながらも、全力で腹の底から声を張った。距離を置いて注目する衆目に、そしてその向こうで戦っている一乗院のみんなに、己の声が届くように。


「私は罪など犯していないっ!! 罪を犯したのはお前だ、玲月っ!! 断罪されるのはお前の方だっ!!」

「まだそんなことを言うの? 見苦しいわねぇ」


 真っ直ぐに玲月を見据え、胸を張って声を上げる。そんな緋蓮の姿に野次馬の中から非難の声が上がったのは分かったが、それでも緋蓮はうつむくことなく顔を上げ続けた。


「見苦しいのはどっちだ。嘘は必ず見破られる。己が犯した罪をごまかし続けることなんてできないんだぞ」

「普段はあんなに華仙のことを嫌っているくせに、こんな時だけ坊主みたいな説法をするのね」


 そんな緋蓮に玲月は変わることのない嘲笑を向けた。


 その表情のまま隊列を振り返った玲月は軽く手を振って合図を出す。


「もういいわ。あなたのお綺麗な言葉にはもうウンザリ。さっさと終わらせましょう」

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