肆
人払い用であったとはいえ、全山の名のある法力僧が集って張り巡らせていた結界を破られたことは、
おまけにそれを成したのが
もはや
そんな騒ぎになってしまった以上、緋蓮ものんびり
緋蓮はそのまま
月天と敵対関係にある朝廷に重用されている術師が響術師だ。
その響術師が絡んでいて緋蓮が
仕方なく悶々としながら自室で待機していたのだが、一乗院から『事情説明のためにお越し願いたい』という使者と迎えの
これでようやく何が起きたのか分かってスッキリすると意気揚々と一乗院に向かった緋蓮は、願い通りに
『しこたま怒られましたね』
「……吏善、あんた、少しは何か擁護してくれたって良かったじゃない……」
『全面的に
「華仙の教えは、暴力を容認なんかしてないのよ……っ!」
『あれは親心の表れ。暴力ではない』
一乗院の奥書院に通された緋蓮は、正座したまま両手で頭を押さえ、ぺしょりと畳の上に潰れていた。
──それにしたって、度叱られる私をしらっとした顔でただ眺めてただけって、酷いと思うんだけども……
この場で昨日金堂に詰めていた一乗院の法力僧二名と亀覚に対面した緋蓮は、一行から事の次第の説明を受けた。
あの時緋蓮と対峙していた
本来都に在って月天への立ち入りを禁止されているはずである響術師が入り込んでいることを知った上層部の人間は、先日の金堂での惨状も響術師の手によるものではないかと考え始めたらしく、
そこまで話を聞いた緋蓮は、大塔での
調べを進めるには情報の共有が不可欠だ。伝えておくに越したことはない。
そう判断した緋蓮は亀覚達の話がひと段落した頃を見計らい、調査に協力したいという一念からそのことを伝えた。
それに返されたのが、歳の割に硬い拳と、天が割れるような厳しい叱責だった。その二点に緋蓮はぺしょりと潰されたのである。
「……別に、自分の命をないがしろにしているから黙っていた訳じゃないもん……。本当に、忘れてたんだもん……」
ちなみに、落ちた拳はひとつだけだったが、落ちた叱責はひとつではなかった。
普段から読経で鳴らしている僧侶が三人揃って腹の底から怒鳴ると建物ごと震えるものなんだなと、緋蓮は改めて僧侶の喉の強靭さを思う。
『己の命を守るための努力を怠っていた。そう判断されても致し方なし』
ちなみに吏善は、緋蓮が入室した時は書院の中にいなかったはずなのに、気付いた時にはひっそりと空気のように部屋の隅に控えていた。
緋蓮とともに叱責の嵐に揉まれたはずなのに相変わらず表情ひとつ変えていないところはさすがとしか言いようがない。ぺしょりと潰れたまま立ち直れない緋蓮とは大違いである。
「うぅ……久々に脳天がしびれた……」
報告が遅かったことや東陽に言い返せなかったこと、迦楼羅の炎を暴走させかけたことに関しては、一切何も言われなかった。
三人が揃って怒ったのは、緋蓮が暗殺されかけたことを甘んじて受け入れていること、その一点のみだ。
──怒られるって、分かってたはずなんだけどな……
緋蓮の命が危険にさらされたこと。そんな目に遭っていたのにそれを誰にも報告しなかったこと。緋蓮自身がそれをどうでもいいと受け流してしまっていること。
そのことに対して三人は怒り、緋蓮を叱った。
血や立場を越えて、親や兄という立場から緋蓮のことを大切に思っているからこそ、あれだけの勢いで叱り、亀覚に至っては言葉が緋蓮の心に届いていないことを見透かしていたからこそ、拳まで握ったのだろう。本当は亀覚が拳に訴えるような人間でないことくらい、吏善に言われずとも緋蓮が一番知っている。
一乗院を離れた今も、昔と変わらず自分を叱ってくれる義理の父兄達の心は、心底、純粋に『緋蓮』のことを思ってくれている。そのことが、涙がにじむくらい、嬉しい。
でも、そう思いながらも、あの闇に声を落とした自分の心も、心底、本当に偽らざる自分の本音だ。
──まるで私の中に、私自身が二人いるみたい。
相反する心に、時々、緋蓮自身が引き裂かれそうになる。
そんな心を持て余したまま、緋蓮は頭をさすりながら体を起こした。
『反省せよ!!』と締めくくった亀覚と亀覚の言葉に深く頷いた法力僧達は、緋蓮が痛みに悶えている間にさっさと書院から出ていってしまった。
特にその後誰かが現れることもなくこうして吏善と二人で放置されているということは、緋蓮が暗殺の一件を報告したからといっていたずらに緋蓮の行動を制限しようとは思っていないという風に解釈してもいいだろう。
その行動に『あれだけ厳しく叱責すれば緋蓮も反省して自衛策をとるはずだ』という信頼が透けて見えたような気がして、痛み以外の理由で涙腺が緩んでくる。
『本日のご予定は?』
ゴシゴシと袖衣で目元をこすってから吏善を振り返れば、緋蓮の次の行動を待っていたかのように吏善は膝の上に帳面を立てて緋蓮を見つめていた。
一乗院預かりでありながら飛天楼迦楼羅付きという身分を持つ吏善は、全山がせわしない中でも緋蓮に付き従ってくれるようだ。もしかしたら一乗院の面々にそのように行動せよと言い含められているのかもしれない。
「その前に教えてほしいんだけど、吏善。昨日の東陽とのことって、一乗院のみんなには報告しているのよね?」
両手で挟むように頬を叩いて気持ちを入れ替えた緋蓮は、軽やかに立ち上がると軽装になるべく
『事実、あった事をそのままに』
「報告相手は亀覚だけ?」
『先程同席されていた御二人もその場にいたので』
一緒に伝えることになった、ということだろうか。
亀覚と同席していた二人は、片方が一乗院法力僧の
亀覚は言うに及ばず、残りの二人とも緋蓮は一乗院時代に面識があり、緋蓮にとっては一乗院に数多いる義理の祖父、父、兄達の中でも筆頭格の三人ともいえる。向こうがこちらの考えをある程度読めるように、緋蓮も三人が取りそうな行動を想像することくらいはできた。
──うん、私なんかよりも、よっぽどうまくやり込んできそうよね。というか私だったら、絶対に敵に回したくないわ……
もし万が一、今後三人が東陽と顔を合わせる機会があっても、今回の緋蓮をダシに
そんな風に思考がひと段落したとき、緋蓮はふとあることを思い出した。
「ねぇ、吏善。東陽とやりあった時、吏善は何って書いて東陽に突き付けたの? 後学のために教えてくれない?」
今日は一乗院から探索に出ることを想定して、あらかじめ衣の下の足に脚絆を巻いてあるから、その分の手間を省くことができる。
吏善に文句を言われるよりも前に自主的に袖衣を腕に縛り付けながら問えば、吏善はペラペラと帳面をめくって昨日使った面を緋蓮に見せてくれた。
『信に貴賤を問わず』
「……え? それだけ?」
信心に身分は関係ない。華仙の仏を信じる者は、貴族であろうと平民であろうと、その信心を前にしてみな平等である。世俗の身分などという小さな枠に囚われるのは愚かなことだ、という華仙の基本的な教えを言った言葉だ。
華仙とは何ぞやと理解していない幼子でさえ知っている言葉だが、現実問題月天の僧侶達がどれほどこの言葉を理解しているかは怪しいところだと思う。
少なくとも東陽一派はこの言葉自体は知っていても意味は綺麗サッパリ忘れているに違いない。
突き付けられたところであそこまで顔色を失うとは思えないけど、と緋蓮がいぶかしげな表情を見せると、吏善はペラリともう一枚帳面をめくった。
『今の発言、全て金堂に筒抜けです。覚悟召されませ』
「筒抜けって、あの距離からじゃ聞こえないんじゃ……」
確かにあの会話が金堂の中に筒抜けだったとしたら、さすがに東陽の立場も危うい。
あの時、金堂の中には修祓のために月天の名だたる法力僧や運営に関わる各派の高僧が詰めていた。その中には一乗院を代表して今日相対していた三人がいたし、迦楼羅を敬い、一乗院と協力関係にある一乗院派の僧侶達も多くいた。
東陽が属する
あの時の会話にははっきりと『東陽』『迦楼羅様』と声の主を示す呼称が飛んでいた。金堂の中の全員が聞いていたとなれば簡単に『なかったこと』にはできない。最悪の場合、東陽は僧籍を剥奪され、月天の土を二度と踏めなくなる。
だがそれは、本当に金堂の中にまで声が飛んでいた場合の話だ。
吏善が法術を使ったならばまだしも、山門から金堂までは相当な距離がある。あの時緋蓮と東陽が怒鳴りあっていたとしても声は金堂内部には届かなかったはずだ。ましてや吏善は一切法力がないと緋蓮に断言している。どう考えても吏善があのやり取りを金堂内に届ける術はなかったはずだ。
『ハッタリ』
「へ?」
『私にそんな真似はできない。が、そう突き付けられれば焦りはする。迦楼羅様に付き従っている人間に法力が一切ないなどと相手は思わない。それくらいのハッタリを突き付けても、相手は信じるかと』
常と変わらない静かな表情でサラリと言葉を書き足した吏善は、筆を手にしたまま緋蓮へ瞳を向けた。感情を映さないものだとばかり思っていた瞳は、正面から真っ直ぐに見つめれば何かほのかな色を湛えて揺れている。
──あれ? これって、もしかして、吏善……
「……怒ってる?」
言葉は意図せず唇から零れていた。独白に近い声音であった言葉は吏善の耳に届いたのか、吏善はあからさまにムスッと口元を引き結ぶと再び筆を走らせる。
『いかに私といえども、
初めてはっきりと吏善が表情を変えたことに驚いた緋蓮は、次いで書き付けられた文字にさらに目を
『私は迦楼羅様のことを知らない。でも、あの言葉に迦楼羅様が酷く傷付けられたことは分かった。個人的にも、あの言葉は不愉快。何としてでも一矢報いたかった』
「吏善……」
緋蓮も、吏善のことは何も知らない。一昨日引き合わされたばかりで、ずば抜けて優秀な修行生候補ということぐらいしか、まだ吏善のことを分かっていない。
好奇心旺盛で、緋蓮や亀覚にも物怖じすることなく率直に疑問をぶつけていける吏善だ。きっと東陽の物言いを聞いて緋蓮にぶつけたい疑問のひとつやふたつはあっただろう。
だがその疑問を軽く吹き飛ばす勢いで、吏善は緋蓮のために怒ってくれた。
緋蓮の心を思って、緋蓮の立場に立って怒ってくれた。緋蓮のために一矢報いるべく知恵を回し、緋蓮を救ってくれた。
緋蓮のことを、心の内に置いてくれた。緋蓮が傷付けられていることに、気付いてくれた。
緋蓮のことを、華仙肆華衆としての偶像『迦楼羅』としてではなく、『緋蓮』という、心無い言葉を向けられればたやすく傷付けられる、その辺りにいる人間と変わらないただの少女として見てくれていた。
そこにあるのは、亀覚を始めとした一乗院のみんなが『緋蓮』に向けてくれる温もりと、同じものだった。
そのことが嬉しくて、温かくて。……凍てついた心の奥底では、ほんの少し、その熱が煩わしい。
『迦楼羅様?』
帳面を見つめたまま動きを止めてしまった緋蓮を疑問に思ったのだろう。瞳に常の静けさを戻した吏善が帳面に文字を足しながら疑問の視線を緋蓮に向ける。
「あ、うん……。あの、ありがとね、吏善。私のために、怒ってくれて」
緋蓮はぎこちなく笑うと、脱ぎ散らかした衣を畳むために膝をつく。そんな緋蓮に首を傾げながらも、膝でにじった吏善は緋蓮を手伝うべく衣の一枚に手をかけた。
「今日の予定なんだけど。昨日途中で終わっちゃった
脱ぎ捨てた衣を畳み終えた緋蓮は、持参した墨染の大袿を被りながら吏善を振り返った。
「吏善って、法術は使えないって話だったけど、体術とかの方はどう? 私、吏善を連れていれば月天の中を歩き回っても大丈夫かしら?」
『亀覚様から迦楼羅様を止めろとは言われていない』
緋蓮の言葉に少し考えた吏善は、迷いながらもそう筆を走らせた。
『迦楼羅様単独で動かれるよりは、私が付いていた方が言い訳が立つ』
「吏善を連れて動けって、最初から釘を刺されているしね。……そうよね、吏善を連れていても危ないって判断をしていたら、そもそも私をここに放置しておくわけがないか」
吏善の言葉に頷いた緋蓮は、膝を上げると奥書院を出た。そんな緋蓮の後ろに吏善は静かに従ってくる。
通りがかりの顔馴染みに瘴気の探索のために出かけることを告げ、飛天楼から持参してきた
昼を回っても頭上には爽やかな青空が広がっている。少し前までは昼を回るとすぐに夕闇の気配を感じていたのに、今はまだ昼のスッキリとした青さが一帯を包んでいた。
月天が危難に見舞われて滅びることがあっても、きっとこの空の青さだけは変わらないんだろうなぁなどと考えながら、緋蓮は視線を地上に戻す。
「ねぇ、吏善。吏善って、響術のこと何か知ってる?」
一乗院の門前を過ぎ、目抜き通りに向かって歩きながら、緋蓮はふと思い立ったことを口にした。
「響術が法術に似て不思議を操る術だっていうことは知っているんだけど、逆に言えばそれくらいのことしか私には分からないのよね。そんな状況で探索に出ても、響術師が関わっているのかいないのか、私には判断できないんじゃないかと思って」
華仙への信心を持つ者全員に分け隔てなく門を開くとしている月天だが、例外的に響術師の立ち入りだけは固く禁じられていた。月天の中には響術に関する書物も置かれていない。
暗殺者の言葉の中に法術とは異なる独特の揺らぎを見出したから彼が響術師だということは分かったし、昨日の鈴の音もその揺らぎで響術だろうということは分かったが、では具体的に響術とは何かと問われれば何も分からないというのが正直な緋蓮の状態だった。
『響術とは、
緋蓮の言葉に一瞬足を止めて考えを巡らせた吏善は、緋蓮の後を着いて歩きながらサラサラと帳面に筆を走らせた。立ち止まった方が落ち着いて説明してもらえるかと判断した緋蓮は、道の脇に寄ると足を止めて吏善を振り返る。
『言霊の力によることが多いとされているが、楽の音などでも術は編めるとされている。上位術者になれば、柏手や足音などでも力を操れるとか』
「ふーん……。都の
亀覚にその秀才ぶりを驚かれた青年は、響術の知識にも通じていたらしい。
澱みなく綴られる文字に興味を惹かれた緋蓮が続けて問いを投げると、吏善は軽くあごを引いて緋蓮の問いに肯定を返した。
それを受けた緋蓮は周囲を見回して僧侶の姿がないことを確かめると声を潜めてさらに問いを投げる。
「月天では『響術は法術に対抗するために編み出されたもの』って言われて敵対視されてるんだけど、それって実際のところはどうなの? 華仙が自分達の威信を守るためにでっち上げた言いがかりなんじゃない?」
緋蓮の問いを受けた吏善は一瞬、鳩が豆鉄砲を撃たれたような表情を見せた。
だが緋蓮はそれに構うことなく、今まで思っていたことをここぞとばかりにぶちまける。
「だって、響術って言霊の力なんでしょ? 普通に考えたら、華仙の法術が成立するよりも、言葉ができた時からともにある言霊の力の方が先に使われてそうじゃない?」
肆華衆という華仙の中心部にいる緋蓮が華仙の言い分を真っ向から否定するようなことを言うとは思っていなかったのだろう。吏善は相変わらず虚を衝かれたかのような顔で目を
だがそれでも吏善が操る筆の動きが滑らかであることに変わりはない。
『響術の成立自体は、華仙教の歴史よりも古いと』
「やっぱり」
『ただ、それを組織化して朝廷に取り込んだのは、華仙の法術組織に対抗するためだとか』
この国で一番繁栄している町は、もちろん皇がおわします都だ。
それと唯一対抗できる力を持つのが、聖都・月天だと言われている。
月天は他の町とは違い、華仙という宗教を中心として成立した町だ。国が国として成り立つよりも、月天が華仙の聖都として成立した歴史の方がはるかに古い。
特殊な町である月天は、その歴史から山上の一都市でありながら朝廷からは治外法権扱いをされている。
月天の中には月天の掟があり、その掟は皇でも覆すことができない。逆に月天は皇の勅命を華仙の名の下に拒否することが許されてきた。その存在は国の中にあって別国であると言っても過言ではない。そんな月天の存在を国はずっと苦々しく思ってきたはずだ。
その証拠に、朝廷は月天の強大な力を削ぐためにあらゆる手段を講じてきた。響術師を朝廷の術師として
『朝廷は月天の強すぎる力を決して良しとはしていない。何とかして弱みを
サラリと綴られた言葉に、緋蓮はコクリと唾を呑んだ。
肆華衆は華仙の崇拝対象であるのと同時に、月天を守護する結界の要という役割も帯びている。肆華衆を害することができれば、結界そのものを相手にするよりもはるかに簡単に月天の守護結界を崩すことができるのだ。
山上の要塞とも言われる月天を難攻不落に至らしめているのも、この結界があればこそだ。
月天陥落を狙う人間は、響術師に限らず必ず肆華衆の身を狙う。はるか昔、まだ月天と朝廷が今よりもずっと直接敵対していた頃は響術師による肆華衆暗殺が何度も企てられたらしい。
そんな歴史があるから、月天から響術師は排斥されたのだという。『生者皆平等』を説く華仙が唯一響術師の存在だけを許していない理由だ。
──もっとも、月天が響術師を敵視するには、それ以上のことがあったって話も聞いたことがあるけど……
「……ねぇ、吏善。私、昔、月天に来る前に、チラッと聞いたことがあるんだけど」
他の人間に問うのはためらう質問も、なぜか吏善に対してならば口にできるような気がした。
その直感を信じて、緋蓮は思い切って長年心の奥底にしまい込んできた問いを口にする。
「かつての皇が、自分の愛玩動物にするために、響術師に命じて月天から肆華衆を
その問いに、ピタリと吏善の動きが止まった。
静かな瞳が、ひたと緋蓮に据えられる。どこまでも吸い込まれていきそうなほどに澄んだ瞳は、周囲の景色の色さえ吸い込んでいるのか、緋蓮を映す吏善の瞳はほんのり赤みがかって見えた。
──私、この色の瞳を、知っている。
その色に、見覚えがあるような気がした。
あの夜の、闇の中で。首筋に触れた刃の冷たさと、それ以上に胸を占めた期待と安堵。
あの時、緋蓮が胸に抱いた何かと、今吏善の答えを待つ自分の胸を占める何かは、どこか似た熱をはらんでいる。
「ねぇ、吏善。響術師ならば……
常人の黒とは色を異にする瞳に、正気を溶かされていくかのような。
そんな心地で、緋蓮は妙に感情の凪いだ声で言葉を紡いだ。
「響術師ならば、華仙の法術では絶対に殺せない
その言葉をさらっていくかのように、強い風が二人の間を吹き抜けていく。大袿に押さえられていた緋蓮の髪が、そんな風に誘い出されたかのように視界を舞った。吏善の瞳の中を泳ぐ紅も、その動きを受けてユラユラと揺らぐ。
──不思議ね。
その紅が、ゆっくりと落ちてくる瞼にかき消されていく。
その様をつぶさに眺めながら、緋蓮の心のどこかで、誰かが独白をこぼしていた。
──吏善の瞳は少しも揺らがないのに、まるで瞳の中を色が躍っているように見えるんだもの。
二人の間を駆け抜けた風が、余韻を残してかき消える。
まるでその時を待っていたかのように、ゆっくりと瞳を開いた吏善は筆を走らせた。
『まるで、それを望んでいるかのように聞こえますが』
その文字に、緋蓮はあえて言葉を返さなかった。視線を吏善の瞳に据えたまま、何かを動かすこともなく吏善のことを見つめ続ける。
吏善も、そんな緋蓮から視線を逸らそうとはしなかった。
相変わらず感情がうかがえない、周囲の色だけが吸い込まれて躍る瞳は、緋蓮の心を見透かそうとでもしているのか、緋蓮に据えられたまま動かない。その視線は金堂の朝課で初めてまみえた時に向けられていた視線だと分かったが、あの時感じた居心地の悪さを今の緋蓮は感じなかった。
──そう。私の心は、ついにそこまで擦り切れてしまったの。
そんなことを、心の片隅が冷静に呟く。
『私からも、問うていいですか』
対する吏善は緋蓮から何を感じ取ったのか、一度瞬きをすると視線を伏せた。サラサラと帳面に文字を書き付けた後も、吏善の瞳は帳面に落とされたまま緋蓮を見ようとはしない。
『なぜ、そこまで死に焦がれるのですか』
あるいはその問いは、吏善をしてでも踏み込みすぎたものに思えたのだろうか。
『亀覚様も仰っておられました。貴女様は、死に惹かれすぎていると。なぜ、そこまで死を望まれますか』
「……望んでなんて、いないわ」
だがどれだけ踏み込まれようとも、緋蓮が答える言葉は変わらない。誰に、どれだけの距離から言われようとも、緋蓮の口から紡がれる答えは判で押したように同じものだった。
それを意図したことは一度もない。一度もないが、そのように答えなければならないのだと、きっと自分はどこかで覚っていたのだろう。
「命は、華仙の御仏より授けられし預かりもの。それを蔑ろにするような真似は、してはいけないのよ」
『では、お返しする時を自ら早めようとしているのは、なぜなのですか』
大抵の人間ならば、緋蓮の型通りの返答に口をつぐむ。
だが吏善は違った。
『貴女が貧民の出自だから? 貴女の心が冷え切っているから? 貴女が』
一瞬筆を止めた吏善は、視線を上げると緋蓮を見据えた。
その一瞬の間に、瞳に何か感情が閃く。
その何かに、緋蓮の中で何かが揺れた。
『貴女が、迦楼羅だから?』
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