第41話

 ◆


「あ……」


 マギーは、脳裏にこびり着いた記憶の一端が蘇ると、恐怖も同時に舞い戻っていた。

 食べる、とは。人形の歌にもあった、『生きた心臓』の事だろうか。例え話でも何でもなく、そのままの意味だとすれば―― 


「ねえ、ハッシュ渡してくれない?そうすれば、あんたは助けてあげる。此処にいるのは、モルガナに頼まれたからでしょ?あんた、夢見ゆめみが得意だったものね」


 急かしているのだろうか、早口で捲し立てるアルチアは、笑顔のままハッシュに近づこうとしていた。

 しかし、ハッシュは返事どころか反応もしない。それどころか、身体を反転させそのまま目的であるフラムの湖に向かって走り始めた。


 ハッシュが全速力で走る中、再び月に照らされた影が揺らいだ。

 何とかなるか……と、ボソリと風の中にハッシュの小声が混じる。マギーはまた、影で移動するものかと思ったが、ハッシュは行動しない。

 走るハッシュを見送るに止まっているのか、アルチアは歩いているだけで距離は広がっていた。

 追いかけては来ないのに、月影に照らされた黒い存在が、恐ろしい怪物が佇んでいるようで、マギーは目を逸らす。 

 ハッシュもまた、警戒は解いていなかった。なのに、進む方向は変えずに真っ直ぐに走り続ける。

 何か手があるの?そう、尋ねようとしたが、ハッシュの足が止まった。


 走り続けたからか、ゼエゼエと荒い息を吐きながら、ハッシュはマギーを下ろす。

 気付けば、駅まで辿り着いてた。見覚えのある汽車が停車したままで、しんと静まり返って、車掌どころか人っ子一人いない。 

 マギーは蒸気も無く、冷め切ったまま佇む汽車を見上げたまま線路を越えたが、背後から足音が立ち止まったままである事に気が付いた。振り返ると、ハッシュとの距離が開いているではないか。

 マギーを下ろした線路の向こう側で、ハッシュは立ち竦んだままだ。 

  

「お前は先に行け」


 そう言ったハッシュの姿が、みるみる小さく縮んでいく。獣だった姿は、あっという間に、赤毛の小さな女の子に変わっていた。

 何処をどう見ても、マギーそのものの姿で、ハッシュは口を開いた。


「まだ、思う様に魔力が扱えないが、これくらいなら出来る」


 淡々とマギーの声でハッシュの口調が続き、魔女は変身できるんだ、とハッシュは付け足す。

 確かに、記憶の中でお母さんが、そんな事を言っていたが……そうじゃない、とマギーは言い返した。


「ハッシュ何する気なの!?」

「足止めする。お前は湖に行け」

「でも……やり方も……」

「やり方も何も、ここはお前の夢だ。何をしたいか、どうしたいかを考えろ。夢は、お前の思いのままだ」


 そう言って、ハッシュは屈んで線路のレールに触れると、指でなぞる。と、すうっと仄かにハッシュの指先が光った様にも見えたが、ほんの一瞬で消えてしまった。

 何かをやり終えたハッシュは立ち上がり、踵を返して背中を向けて歩き始めていた。


「マギー、アルチアに立ち向かえるのはお前だけなんだ」


 最後の言葉を告げると、ハッシュは暗闇の中へと走っていってしまった。


「まって!!」


 あんな恐ろしいものに、ハッシュが向かっていく。

 そんなのダメだ。ハッシュは巻き込まれただけなんだ。

 マギーは慌てて追いかけようとするも、線路の境目の目前で足がピタリと止まった。

 レールを跨ごうとしても、足がうまく上がらない。


「ハッシュ……何したの?」


 マギーの言葉は、悲しみに埋もれ闇夜に溶けて消えていった。


 ◆


 ハッシュは、マギーの姿のまま走った。

 アルチアの気配が、どうにも自分を追ってくる。レールを使ってマギーの気配を遮断したものだから、マギーの気配が染み付いた存在を追いかけているのだろう。

 さあ、追ってこい。

 ハッシュは、小さな身体を必死に動かした。

 小さい身体に、小さい腕に、小さな足。

 どれだけ腕を振ったところで、すぐに疲れてしまう。どれだけ大きく足を広げたところで、大した差は無い。

 どれもこれも、逃げるのに適していない姿だ。

 それでも、姿を戻すわけにはいかなかった。

 やっと思い出した、大事なものの為に。

 俺は戻れなくても良い。だから――


 そんな覚悟を携えて、ハッシュは走り続けた。

 近づく気配に、もう怯えはしない。

 

 そして、また、風が――

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