4章 蒼穹祢と緋那子

4-1

「ヒナぁ……ヒナぁ!」


 必死で呼びかける蒼穹祢そらね


 訳がわからない。


 ビルの三十五階に構えるカトリック教会――“天空の教会”。ガラス壁の上に掲げられる十字架に見守られた祭壇で、蒼穹祢は力なく、あひる座りで尻もちをついた。左手の剣も、右手の仮面も、からんと音を鳴らして床に落ちる。


「どうしてヒナが……ここに……」


 動揺で定まらない蒼穹祢の視界に映るのは、意識なく仰向けで倒れる双子の妹。彼女の名は緋那子ひなこ。赤いミディアムボブの髪に、目鼻筋通った美麗な顔立ち。前髪には星の髪飾り。長いまつ毛に、開けばきっと、蒼穹祢にはない愛々しい瞳が顔を彩るだろう。

 その容姿は自分あねと似ているのだから、他人と間違うはずがない。

 妹は半年前、加速する科学の不夜城イマジナリーパートが計画した高校生宇宙飛行プロジェクトの犠牲になった。だから今も街の総合病院で眠り続けているはず。つい先日だって蒼穹祢はお見舞いに行ったし、ベッドの上で目を開けた姿を一度だって見たことはない。

 だからなぜ、


「なんなのよぉ……」


 この《拡張戦線》で、エネミーとして蒼穹祢の前に立ちはだかっていたのか。


 ホンモノ? ニセモノ? ――ナニモノ?


 妹の前では、蒼穹祢の心は正常を保てない。今後一生、街の病室でしか妹を見られないと思い込んでいたから。


「いやぁ……いやぁ……」


 抱えた頭を、駄々をこねる子どものように振る蒼穹祢。青い髪が背中をくすぐった。

 しかし動揺の一方で。


「ヒナぁ……」


 蒼穹祢の脳裏には、妹と過ごした十五年間が走馬灯のようによみがえっていた。

 大切で愛おしい思い出に、つらくて苦い思い出。


「ヒナぁ……!」


 思いがけずに、そして蒼穹祢は追憶する。

 あの“悲劇”を含め、すべてをひっくるめて。


       ◆


 神代かみしろ蒼穹祢は成績優秀だ。今も、過去も。お受験で入学した加速する科学の不夜城イマジナリーパートの私立小学校でも、在学中は一度も課題の提出を忘れたことがなかったし、テストだって毎回のように高得点。レベルの高い環境においても、彼女は一目置かれた存在であった。

 だけど、それは――、


「えへへ、またお姉ちゃんに勝っちゃった。やったやった~」


 ロングヘアの姉とは対照的なボブヘアの女の子は、心底嬉しそうにテストの答案用紙を見せびらかす。紙の端には赤い高得点の数字。


「たった二点差でしょ。じまんしないの、みっともない」

「あはは、ごめんね」

「ふふ、もう」


 一目置かれていた事実は、――妹の緋那子も同じことだった。


「……」


 いや、薄々気づいていた。妹のほうが優れているかも、なんて。だけど小学生の頃は〝優れた姉妹〟として見做されていたから、蒼穹祢は気づかないふりをしていたのかもしれない。


「ねぇねぇ、おねーちゃん」


 マンションが連なる居住区エリアのバス停。バスを降りた緋那子は、先に降りていた蒼穹祢の前へ駆け足で現れると、ニコリと笑って天空に指を突き立てて、


「今日もお星さまを見よ!」

「うん。アンドロメダ、見えるかな」

「どうだろ? アンドロメダもそうだけど、わたしは近くのカシオペアも好き」

「そうね、わたしも好き」


 蒼穹祢は空を見上げた。加速する科学の不夜城イマジナリーパートの空はいつも夜。海底都市のため人工の星空が天のスクリーンに照らされているが、照らされるのは現実と同じ星模様だ。今は十一月下旬で、北の空にアンドロメダ座が見えるはず。季節にかかわらず気温が一定なため、肌寒さがないのは物足りないが、天体観測をするうえでは支障ない。


「彗星や流れ星もそろそろ見たいわ。見たのっていつ?」

「うーん、だいぶ前だっけ? キラーンって光るお星さま、わたしも見たいなあ」


 それぞれの楽しみを胸に、姉妹は夜の訪れに期待を膨らませ――……。


「あっ、カシオペア!」


 両親と来た公園で姉妹は、交代しながら天体望遠鏡で夜空を眺める。代々優れた科学者や研究者を輩出してきた神代一族の姉妹。両親もやはり研究者で、専門の図鑑も、天体望遠鏡も喜んで娘たちに買い与えてくれた。


「少し西にあるのがペガサスね」


 蒼穹祢は分厚い図鑑と照らしながら、空をじっくりと眺める。

 姉に負けないくらいの眼差しを、緋那子も夜空に向けて、


「いつか宇宙に行ってみたいなぁ」

「宇宙飛行士なんてよっぽどすごくないと無理よ。世界中の人と競争ね」

「お姉ちゃんは行きたくないの?」

「行きたいわよ。だって宇宙にはすごい可能性があるもの。たくさんの星があって、知らないのものがあって……」


 大部分が液体と気体で構成された木星型惑星、星の終末期の姿である白色矮星、星が一生を終える際に起こす超新星爆発、見る者を魅了する銀河、極めて強力な重力をもったブラックホール……見たいと思うものなんて、数えても数えきれないほどに。


「でもお姉ちゃん、宇宙ってさみしいよね。星はいっぱい見れても、だいたい真っ暗なトコを泳ぐだけだし。そう考えると、宇宙に行ってもなんだかなあ」

「宇宙飛行士はお仕事をしてるのっ。観光に行くわけじゃないわ!」

「あはは、わかってるってば」


 緋那子は苦笑いで返したが、


「だけどね、宇宙ってメチャメチャ広いでしょ? だったらさ、宇宙のちょっとくらいを貸してもらって、わたし色に染めてみたいなって思うじゃん?」

「ヒナ色に? 好きなものでも浮かせるの? ダメよ、ゴミを捨てちゃ。スペースデブリの問題は知ってるでしょ?」

「実物を持ってくんじゃなくて、バーチャルを重ねるの。それならお金をかけずに宇宙を染められるでしょ? 要するに、宇宙はちょーぜいたくなわたしのぬり絵ってこと」


 現実世界に仮想情報をオーバーレイさせる技術――拡張現実。略してAR。緋那子はARの説明を織り交ぜながら、具体的な目標を蒼穹祢に話していく。


「つまり宇宙をARで彩った〝わたしの宇宙〟を見ること、それが夢! だからARもお勉強しないとね」

「へぇ、すごい夢……。ヒナ、お絵かき好きだもんね。ヒナの言う宇宙、わたしも興味ある」


 緋那子は姉の顔を見ながら無邪気に笑って、


「ありがと。一緒にがんばろうね、お姉ちゃん」


 蒼穹祢も、妹の笑顔につられて笑みをこぼし、


「うん、がんばろうね」


 そのとき。流星が長い光の糸を残し、虚空を斜めに堕ちていった。


「は、流れ星!? しまったー、見逃しちゃった! お願い事あったのに~!」

「願い事? そんなオカルトを信じてるなんて」

「いいじゃんオカルトでも。わたしは好きですけどー?」


 蒼穹祢はくすっと微笑して、


「わたしも……好き。きっと次も流れるから、今のうちに祈りましょ」

「うん」


 手を組んで祈る緋那子の隣で、蒼穹祢も手を組んだ。宇宙飛行士になりたい、テストで緋那子に勝ちたい――……。数々の望みはあれども、このとき蒼穹祢が思い描く願いはただ一つ。

 再び星が夜空に流れ堕ちて、蒼穹祢は心の中で願いを唱えた。


(――――)


 やがて二人は組んだ手を解いて、


「お姉ちゃん、どんなお願い事した?」

「ヒナが教えてくれたら教えてあげる」

「ふふーん、ナイショだよ」

「それならナイショね」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る