1,0 母の呼び声 Pilot・前


 私は小学生の時、毎週水曜日の放課後にスイミングスクールに通っていました。

 その帰り道、ちょうど家から100mほど離れた公園を通り過ぎたあたりでしょうか。

 声が聞こえたのです。


「サキ!」


 母が私の名を呼ぶ声が。

 でもその場所は、母が家から叫んでも声が届くような距離じゃありません。母本人ではありえないのです。

 毎週ではないものの、その後もそれなりの頻度で、同じ曜日・時刻・場所で”母の呼び声”は聞こえてきました。

 最初は不思議でしたが、やがて慣れてしまうと気にしなくなって……結局、スイミングスクールをやめた小学校卒業の時期までその現象は続きました。


 今でもふと思い出して、思うのです。

 私を呼ぶあの”母の呼び声”は、いったい何だったのでしょうか?

 母の声で私を呼ぶ”何者か”の目的は、いったい何だったのでしょうか?

 もしかしたら、この世ならざる何処かへ私を誘っていたのではないか、と。

 今では、そう思うのです。


 おふたりはこういうことに詳しいと耳にしました。

 今まで不思議な事件や都市伝説フォークロアをいくつも解き明かしてきたと。

 どうかこの謎を解いてください。




   件名:母の呼び声

   投稿者:サキ




「それで、怪しいメール一通にノせられて俺たちは依頼人の地元まで、わざわざ電車を乗り継いでまでやってきたワケだ」


 ボサボサの髪を掻きながらため息をつく。先輩はすでにご立腹みたいだった。

 そんな先輩の覇気のない顔をビデオカメラに収めつつ、ぼくらは目的地へと向かっていた。

 先輩はかまわずブツクサと文句を言い続けている。

 

「ったく、なんでこんなくだらん依頼でここまで遠出せねばならんのだ。俺はさっさと帰って録画した『ぼっち・ざ・ろっく!』の最新話が観たいんだが」

「まあまあ、依頼者のサキさんだってわざわざ評判を聞きつけて頼ってきてくれたわけですから。嬉しいことじゃないですか、ぼくたちの『謎解き活動』もここまできたなんて感無量ですよ!」

「……まあ、いいだろう。それで、報酬は?」

「はへ?」

「はへ? じゃあないが?」


 先輩は額に青筋を立ててピクピク震えながらカメラ越しに睨んできた。


「報酬なしで調査依頼を受けるなと何度言えばわかる」

「い、いやぁー。オカルトマニアのぼくからすれば、こういう”都市伝説フォークロア”それ自体が報酬みたいなトコ、あるじゃないですかぁ?」

「あるじゃないですかぁ? ――じゃあないんだよ! 俺はお前と違ってオカルトマニアじゃねェんだ。報酬なしの活動は無責任なモノになると何度言ったら……」

「似たようなもんじゃないですか、先輩だって……アニオタだし」


 怒り狂う先輩に小声で言い返すと、「何か言ったか?」先輩が地獄耳を発揮した。


「とにかく俺はどこにでもいるような一般人なんだよ。好き好んで未来人とか宇宙人とか超能力者とか異世界人なんて追いかけるかっての。怪しい噂を追いかけて右往左往するくらいなら家でアニメ消化したほうがマシだ。まして報酬なしなんて……」


 このままでは先輩の説教が長くなりそうだったので、ぼくは話題をそらすことにした。


「てゆーか、さっきの小声をよく聞き取れましたね先輩? ほら、公園で子供が大声で遊んでるし、風で葉っぱが擦れる音も大きいし、遠くから車の音も聞こえてくるのに。フツー、騒音にかき消されてあんな声聞こえませんってば。ってことは……あれれー? おかしいなー? せんぱぁーい、もしかしてぼくのこと大好きだったりぃー♡ かわいい後輩の言葉は一言一句聞き逃さないってコトですかぁー? もぉー、ツンデレなんだからぁー♡ プークスクス♡」

「そういうことじゃあない」


 先輩はピシャリと否定した。

 からかうのは失敗したけれど、話題をそらすことは成功したみたいだ。

 先輩は続けた、


「騒音下でも特定の声は聞こえるようにできているんだよ、人間の脳ってのはな。”カクテルパーティー効果”っていうんだが」

「カクテルパーティー? なんか美味しそうな響きですね」

「多くの音の中から、自分が必要としている音だけを聴き取れる脳の働きのことだ。そもそも今回の依頼は――おっと、到着したぞ。無駄口はここまでだ」


 そこまで言って、先輩は足をとめた。

 公園の角っこにある、ちょうど階段を降りると住宅街につながる場所だった。

 確かに、依頼者のサキさんからメールで聞いた”現場”に違いなかった。

 でも先輩には正確な場所をまだ伝えてなかったはず。


「どうしてわかったんですか?」

「だいたい検討はついていた。その依頼文を読んだ時点でな」

「え?」

「その前に――この謎、お前はどう見る?」

「”お前”って……ぼくにはキチンとした名前があるんですけどぉー? ちゃんと名前で呼んでくださいよって前々から……」


 ブツブツ文句をいいつつも、思考は巡らせる。

 一定の仮説にたどり着いたところで口を開いた。


「やっぱり、幽霊の仕業じゃないですか?」

「だろうな」

「先輩もそう思うんですね!」

「同意したんじゃあない。お前ならそう言うだろうな・・・・という意味だ」

「えー」

「一応、根拠は聞いといてやるよ」


 先輩はそれなりに真剣な顔だった。

 思った通りだ。基本的に報酬の食券目当てでしか動かない先輩だけど、謎解き自体は好きらしい。興味をひかれる謎があればその”学園一の頭脳”を発揮してくれる。

 予想通りの展開にシメシメ、とほくそ笑みながら、ぼくは推理を披露した。


「水ですよ、水! ズバリ、水曜日のスイミングスクールが鍵です!」

「ほう、水か。切り口としては興味深いな」

「なんでスイミングスクールの後に決まって”声”が聞こえるんだろうなって気になったんです。そういえば水場って幽霊が出やすいって言いますよね?」

「聞いたことがあるな」

「陰陽説では、水は陰に属しています。言うまでもなく、幽霊も陰。水場は陰の気が集まる場所なんです。だから水は幽霊を引き寄せる。これが根拠です!」

「なかなか勉強してきたようだ」


 珍しく頷きながらぼくを褒めてくれる先輩。

 ぼくも気を良くして、腕をぶんぶんを奮ってまくしたてる。


「他にも、幽霊は完全な魂のみの存在じゃなくて、幽霊として現世に存在するための仮の身体――いわゆる幽体があるから、存在し続けるために水が必要だっていう説があるんですよ! 幽霊は常に”乾き”に襲われているから、水場に集まるんです!」

「てことは、お前の説に照らしてみるなら母親の声を出していたのは幽霊で、その幽霊はスイミングスクールで取り付いたヤツだと」

「取り付いたのがスイミングスクールかはわかりませんよ。もともと取り付いた幽霊さんが、とっても喉が乾いていたとします。サキさんが長時間水の中に入ったおかげで喉の乾きが潤されて、声が出せるようになったとしたら? スイミングスクールの帰りというタイミングだけその声が聞こえる理由が説明できるのでは?」

「ふム」


 先輩は顎に手を当てて考え込んだ。


「なぜ母親の声を出したか理由はわからんが、たしかにスイミングスクールの帰りであるという点に着目するならその説も悪くないな」

「オカルト否定派の先輩が……珍しい! レアな場面なので激写!」


 ふいに顔アップを撮られて頬を赤くした先輩は必死で弁解した。


「ちがっ……! お前勘違いしてるぞ。俺はオカルトを信じてないわけじゃあない。何も信じてないんだよ」

「科学もですか?」

「科学も、だ。もちろん、物事を検討するために有用な道具だとは思うがな」


 先輩は顎から手を離すと、言った。


「生霊説ってのは、どうだ?」

生霊いきりょう?」

「ああ、お前の仮設通りなら、”幽体”ってのは水があって活性化する――そう考えていいんだよな。だったら母親が外出中の子供が無事に帰ってきてほしいと心配する気持ちが活性化された幽体を得て……つまり、”生霊”になって出てきた」

「あっ……たしかに、相談者のサキさん、当時小学生ですもんね。幼い娘一人で習い事に出かけているシチュエーションなら、母親は心配なハズです」

「これで母親の声で子供の名前を呼ぶ理由も説明可能だ」


 ぼくの仮説を簡単に上回ってしまうのは悔しいけど、たしかに先輩の”生霊説”のほうが筋が通っているように思えた。


「決まりですね! 謎は解けました!」

「――ってのは冗談だ」

「冗談なんですかぁ!?」

「女子小学生が一人で習い事に行く。放課後に習いごとにでかけたら帰ってくるのは早くても夕方のはず……そうだな?」

「え、ええ。サキさんにメールで確認をとったところ、声が聞こえる時刻は夕方18時過ぎごろだったと」

「だったらもう周囲は暗くなってきているはずだ。小学生なら当然怖いし、早く家に帰りたいと思うだろ。母親の待つ家にな」

「先輩、それって……」

「幻聴――母親が恋しい子供が恐怖心から脳内で生み出した”存在しないはずの声”。生霊説より信憑性しんぴょうせいがあると思わないか?」

「幻聴ォ?」


 ぼくはじとーっとした目で先輩をにらみつけた。


「そんなこと言い始めたら何でも気のせいで片付いちゃいますよ?」

「そうだな、世の中で起こることは何でも気のせいだ」


 ボサボサ頭を掻きながら先輩はそう断言した。

 ぼくはあんぐりと口を開けて絶望していた。

 つまらない。

 あまりにもつまらない答えだからだ。依頼人が幼少期に体験した不思議な出来事が「気のせい」の一言で片付けられてしまうなんて。

 あまりにもつまらない幕引きすぎる。


「むぅー」


 むくれるぼくの表情かおをチラリとみやると、先輩は「はぁ」とため息をついた。


「悪ィ、言い過ぎた。幻聴とか気のせいってのは誇張だ」

誇張こちょう?」

「おそらくサキには実際に聞こえていたんだろうよ、”母の呼び声”ってヤツがな」

「どういうことですか?」

「そろそろ18時過ぎだ、聞こえてこないか?」

「え……?」


 先輩にそう促されて耳を澄ます。

 だけど聞こえない。人の声なんて、全然。


「人の声そのものじゃあない。木々がさざめく音、風が住宅街を通り抜ける音。そして――車の音だ」

「車の音?」


 ここは公園の隅にある階段の上に位置する場所。

 ここから下に降りれば住宅街。つまり高台にあるこの場所は、住宅街の奥にある国道を一望できる位置にある。

 確かに先輩の言う通り、車の走る音がよく聞こえた。


「平日のこの時間帯は職場から退勤する車で国道が混み合う。住宅街に入ってしまえば建物に阻まれるし、公園の中だと木々に阻まれるが――公園の中でも住宅街の中でもないこの場所だけが、この付近で国道からの音がダイレクトに届く唯一の地点なんだよ」


 先輩のその説明で思い出す。

 そういえばさっき、先輩は正確な場所を伝えていないのに勝手に立ち止まった。

 先輩には、目的地がどういう場所か検討がついていたんだ


「つまり先輩は……国道から聞こえる音と母親の声を聞き間違えたって言いたいんですか? いくらなんでもそれは――」

「ありえない――と思うか? だがこの世にはありえないことなんてありえない。オカルトマニアのお前が一番よく知っているハズだぞ?」

「そうですけど、さすがにその説は無理があるんじゃ……」

「国道だけじゃあないんだよ。この地点には様々な周波数の音が集まるんだ。それが”材料”だ」

「材料?」

「”サキ”って音を作るためのな。”サ”は摩擦音、つまり空気が隙間を通り抜ける音だ。”キ”は破裂音、つまり空気が弾ける音だ」

「あ……」


 そこまで聞いてやっとぼくにもわかった。


「”サ”は風が住宅街を通り抜ける音。”キ”は車がブレーキをかけた時の異音……!?」

「そうだ。あれだけ交通量が多けりゃ、デカい音でブレーキをかける車両が出現する確率は高くなる」

「で、でも! 音の材料は揃っていたとしてもたくさんの雑音の中から都合のいい周波数だけ抜き出して聞き取るだなんて――ッ!?」


 そこまで言って気づいた。

 さっき先輩が言ったばかりじゃないか。「人間の脳ならそれができる」って。


「カクテルパーティー効果!」

「正解だ。騒音の中でも人間は必要な音を選択的に聞き取ることができる。例えばお前がさっきまで、俺と会話している最中は国道や公園の騒音に気づいてすらいなかったようにな」

「たしかに……」


 納得した。

 さっき先輩は、雑音下でもぼくの小さな声を聞き取った。

 それもカクテルパーティー効果なのだろう。

 この地点につくまでにその話を持ち出した。ということは先輩は、依頼文を読んだ時点でこの可能性にまでたどり着いていたんだ。

 恐るべき先見の明。だけど先輩の真骨頂は――ここからだった。


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