聖女、通販をする

 二日目の夕食は宣言されていた通り豪華だった。

 メニューは中華。麻婆豆腐や春巻き、酢豚などのおかずと主食の卵チャーハン、中華スープなどがずらりと並び、デザートとしてごま団子まで用意されている。

 前もって食べたいものを聞かれた際に「せっかくなので、少しずつ色んな物を食べたい」と答えた結果である。大皿に盛られた料理をそれぞれ自分の皿に取って食べるスタイル。


「ノワールさんは料理が上手いんですね」

「そんな、わたしの料理なんて大したものではございません。皆さまに喜んでいただこうと日々、研鑽を重ねているところで」

「いやいや、美味しいよー。十分すぎるくらい」

「うむ。これはちょっとやそっとじゃ真似できん」


 料理が上手いことには全員、異論がないらしく、口々に褒められたノワールは頬を朱に染めて照れる。

 色白だからか、表情の変化がわかりやすい。

 あまりの可愛さに「主人が男だったら絶対放っておかないよな……」などと思いつつ、料理を口に運ぶ。脂っこいものと辛いものが多い中華料理に食欲を刺激され、箸が止まらない。


「っぷはー! 疲れた身体にはやはりアルコールが一番だ!」


 教授は料理を肴に缶ビールを飲み始めている。

 法的手続きがどういう風に通っているのかは謎だが、肉体年齢的には本人の申告通り、大人という扱いでいいらしい。

 と、そこで朱華がにやりと笑ってこっちを向き、


「あんた、がっつきすぎないようにしなさいよ。こぼして服、汚したら勿体ないじゃない」

「……この野郎」


 俺の格好は、うっすらと花柄の入ったブラウスと上品に広がる黒のスカート。それから黒の長い靴下オーバーニーソックス

 言うまでもなく、ノワールが買って来てくれた品だ。

 こんなもの着たくて着てるわけじゃない、と言いたいところだが、服を粗末に扱うのはノワールに申し訳ないため、言い返すのが難しい。なんとも姑息な攻撃である。

 とりあえず睨みつけることで多少の反撃を行ってから食事を再開──したところで、実際に麻婆をこぼしそうになって慌てて防ぐ。


 食い溜めとばかりに料理を頬張っているシルビアがくすりと笑って、


「……アリスちゃん、初々しくて可愛いよねー」

「うむ。その点、朱華は中学生の癖に可愛げが足りん」

「なによ。教授こそ中学生っぽい見た目の癖に」

「それは身長か!? 身長のことなのか!?」


 いつものように(と言えるくらい既に見ている気がする)教授をからかった後、再び朱華は俺に視線を向けて、


「でもアリス、足閉じないとスカートの中が見えるわよ」

「あ?」


 指摘されたスカートの中身はもちろんトランクスやボクサーパンツではなく、小さなリボンのついた可愛い下着である。

 とはいえ、ここにいる全員が似たようなものを穿いている(はず)なわけで、


「見えても問題ないだろ、別に」

「別にあたし達はいいけどね。学校に通うようになってもそれじゃ困るんじゃない?」

「あー……」


 制服は当然のようにスカートである。

 女性らしい振る舞いを身につけないとはしたない、というのはわかるのだが、


「大丈夫だろ、女子校だし」

「んー、まあ、登校中は男もいるけどねー」

「女性の方が女性の細かな身だしなみには厳しいことも多いですが……」

「聞きたくない。聞きたくない……!」


 転校(というか入学?)の手続きが済むまでにはまだ時間がかかるだろうし、そういう面倒事は保留ということで、俺は強引に話題を打ち切った。







 新生活が始まって二、三日が経ったある日。

 俺ことアリシアは長い棒を握り、汗を流しながらそれを操っていた。


「ふっ! はっ!」


 太くて長い刀をイメージさせる鈍器──竹刀である。

 学校に通い始めるまでの猶予期間が発生したものの、何もしていないのは手持ち無沙汰だ、ということでネットを使って取り寄せたものだ。

 服は私服のままでいいかと思ったら「駄目です」とノワールに却下されたため、併せてトレーニングウェアを買った。

 場所は家の庭である。花壇での土いじり(ノワールの家庭菜園と、シルビアの薬草栽培で半々で使っているらしい)とかは良さがわからないが、庭の広さは運動をするのにも役立つのである。


 運動は良い。

 身体を鍛えておいて損はないし、気分もすっきりする。ゲームキャラとしてのアリシア・ブライトネスは神聖魔法を駆使する支援キャラなので身体能力は貧弱だが、それでも、レベルアップを重ねれば序盤の雑魚くらい素手で撲殺する。

 つまり、この身体にも無限の可能性が秘められているに違いない。


 と、意気揚々とトレーニングを開始し、あらためて運動の楽しさを実感したのは良いものの、問題があるとすれば……。


「はっ! はっ! ……はぁっ!」


 えーと、その、なんだ、息が続かない。

 十回もしないうちに腕の怠さを感じ始め、だんだん息が苦しくなり、二十回に到達する前に限界が来た。


「駄目だ、休憩……!」


 竹刀を地面に放り出し、自分自身も身体を投げ出す。

 初夏の陽気を感じながら息を整え、溜息を吐く。腕をぶらぶらと振ってみた感じ、再開には少し時間がかかりそうだ。

 片手で何気なく竹刀を転がしながら「そもそもこいつが重すぎるのか」と思う。

 真剣に比べれば当然マシではあるものの、竹刀というのは意外と重い。男子高校生だった頃はそこまで意識しなかったが、それでも繰り返し振っていれば重さが気になった。今の身体は元の俺とは腕力も体力も、そもそもの身長も違うから、同じことができるわけがない。

 木刀の方が細くて軽いので、そっちを買ってみるか……?


「お疲れさまです、アリスさま」

「あ、ノワールさん。……ありがとうございます。まだ初めたばかりなので、恥ずかしいですけど」


 窓から顔を出したノワールがアイスティーを差し入れてくれる。

 汗をかいたところだったのでありがたい。一気に半分ほどを飲み干すと、今度はほっと息が漏れた。


「無理をなさっては駄目ですよ。まずはご自分の限界を把握するところからかと」

「……そうですね。まあ、今ので十分、ポンコツなのはわかりました」


 と、メイドは端正な顔を歪めて悲しそうな顔を作る。


「そんなことを仰らないでください。適材適所。アリスさまには別の良いところが沢山あるかと」

「良いところ……っていうと、例えば?」


 今、家には俺とノワールしかいない。

 朱華とシルビアは学生なので平日は学校があるし、大学に務めている教授も日中は出ていることが多い。必然的に残されるのはメイドのノワールと、来たばかりの俺の二人だった。

 騒がしいのがおらず、時間がゆっくり流れているのもあって、少しはのんびり話ができそうだ。

 ノワールも乗ってくれたようで「そうですね……」と小首を傾げて、


「陽に当たるときらきらと輝く金色の髪も、エメラルドのような目も、細くて形の良い顎も、少し尖った可愛らしいお耳も、わたしは好きです」

「なっ」

「ほんのりと桜色をした唇も、どこか品のあるアリスさまの匂いも、細やかな細工物のような手足の指も、それから──」

「わ、わかりました! それくらいでいいですから!」


 俺は慌てて止めた。

 まさか、延々と容姿を褒められるとは思わなかった。確かにアリシアの身体は美少女だ。それはわかっているし、元の俺が褒められているわけでもないというのも理解しているが、それでも、褒められると悪い気はしない。ついつい口元がにやつきそうになってしまう。

 朱華あたりなら確実に悪ノリしてくるところだが、ノワールはわかっているのかいないのか、俺に微笑を向けて、


「まだ言い足りないのですが……。あ、もちろん、アリスさまの真っすぐで素直なお心も、とても好ましいと思っておりますよ?」

「うぐ……」


 的確に、俺にトドメを刺してくれた。

 顔が真っ赤になるのを止められなくなった俺は残ったアイスティーを飲み干し、負け惜しみのように呟く。


「そんなこと言って、ノワールさんを好きになっちゃったらどうするんですか」

「それは……そうですね。まずはお友達から始めさせていただければ」


 ノワールが友達になってくれるなら、むしろこっちからお願いしたいくらいだ。







 例の機関からは一週間もしないうちに俺の戸籍情報と背景設定が送られてきた。


 アリシア・ブライトネス。

 現在十四歳。両親は日本国籍を取得した元イギリス人だったが、幼い頃に死去。以来、親戚らの元を転々としていたが、両親と住んでいた日本で暮らすのが一番だろう、ということで、似たような境遇の者達が暮らすシェアハウスに入居することになった。

 国からもらえることになっている資金については両親の遺産、という建前になる。


「これ覚えるのか……」


 つらつらと設定の書かれた紙を見つめて呻く俺。

 そこそこ無理のない内容になっているんじゃないかと思うが、何しろ一から十まで嘘なので、果たしてちゃんと覚えられるものやら。

 これに沿って受け答えをしないといけないと思うと今から憂鬱になってくるが、


「みんな通った道だから諦めなさい」


 後ろから紙を覗き込んでいた朱華が言う。

 他のメンバーにも覚えてもらわないと困るので、みんなを集めて読んでいたのだ。

 彼女達は割とすんなり頷いているので、実際、自分達の時に慣れているのだろうが……。

 俺は朱華を振り返って尋ねてみる。


「お前はどういう設定なんだ?」

「あたしはお母さんが中国人でお父さんが日本人のハーフ。成人するまでは中国にいるおばあちゃんが後見人ってことになってるわ」

「へえ。……で、そのおばあちゃんってのは」

「存在してるわけないでしょ」


 ふん、と鼻を鳴らされた。

 そこまできっちり割り切れてるのも凄いと思うが、


「……なんか、この設定にキャラの設定に、って、ごっちゃになりそうだな」

「……あー」

「まあ、なあ」


 呟くと、四人の先輩達は生温かい表情で顔を見合わせる。

 なんだその「経験済み」みたいな顔は。

 ジト目で見てやると、シルビアが笑って、


「そのうち慣れるから大丈夫だよー」

「その答えで一体何を安心しろっていうんですか!?」


 それから、振り込みに使われる口座のキャッシュカードや保険証なども貰った。

 当座の資金ということで既にいくらか振り込まれており──通帳には部屋の家具をまるまる新調できるくらいの額が記されていた。

 これでとりあえずの金だというのだから太っ腹な話である。


「アリスちゃん、何か買うのー?」


 シルビアが俺の腕を抱きながら尋ねてくる。


「んー、そうですね……ダンベルとか?」

「なんとも見た目に合わない買い物だな」


 教授が苦笑。

 朱華はあからさまに不満そうな顔をして「もっと他にあるでしょ」と言った。


「あんた健全な男子高校生だったのよね? だったらエロゲ買うとか、エロ本買うとかさ」

「未成年でそんなもの買えるか」

「はっ。今時、ダウンロードサイトとか通販とかでいくらでも買えるわよ。アカウントは教授かノワールさんのを使わせてもらえばいいし」

「いや、それでも違法だからな!?」


 バレなきゃいいは良くない慣習だと思う。

 大丈夫かこいつ、と思いながら紅髪の少女と睨み合っていると、苦笑したノワールが仲裁のために口を開いて、


「お二人とも落ち着いてくださいませ。……朱華さま、アリスさまもそういったものを買うのは恥ずかしいと思いますし、あまりお尋ねにならない方が」

「あー……そっかそっか。あたしとしてはもっとエロ談義したいんだけど、そういう人種もいるわよね」

「ノワールさん、助けてくれたのは嬉しいんですが、あんまりフォローになってません」


 それはもちろん、エロいのに興味がないとは言わないが。

 欲情した時に反応する器官がなくなったせいか、何日か経って自分の身体を少しずつ見慣れてきたせいか、切羽詰まった性欲というのはあまり感じていない。

 だから「こっそり買うつもりだから言いたくない」みたいな方向に持って行かないで欲しい。


「……で、アリスちゃんはどんなのが好きなの? BL?」

「なんでよりによってそこを選んだんですか……」


 げんなりした俺だったが、とりあえず通販でダンベルを買うことは忘れなかった。

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