第23話 花②


 こっちに引っ越してきてから、こんなに夜遅くに外を出歩くのは初めてかもしれない。


 

 アパートが大通りからは少し離れた閑静な場所に建てられているため、いつも以上に静かに感じられる。



 昼間だと迷子になるなんてことはほとんどないと思うけど、今は何か店や建物などで目立った目印になる物もなく、一軒家が立ち並ぶこの道はスマホなしでは到底歩けないと思う。



 花ちゃんのマンションまでは多分二十分ぐらいで着くはず。少し歩くとコンビニやスーパー、ドラッグストア等が立ち並ぶ大通りに出た。



 さすがに行き来する車の数は少なく、昼間は引っ切り無しに走っているバスもきっと車庫で眠っているのだろう。昼と夜でこんなにも違うものなのか。



 とりあえず最初に目についたコンビニに入ることにした。駐車場には何台か車が止まっていて、中にも数人の客がいた。タイミングにもよるのかもしれないけど、ここは昼間と変わらない。



 入り口でカゴを取り、スポーツドリンクと水、それから熱さまシートを入れる。もしかしたら食事も満足にとれていないかもしれない。ゼリーとプリンをいくつか追加した。



 あとは自分の食べ物なんだけど、さすがに病人の家で食事するのは失礼だと思ってやめにした。空腹が続くのはしんどいけど、花ちゃんの家から帰るときにまた寄ればいいか。



 会計を終えて袋の中に買ったものを突っ込むと、レジ袋片手に花ちゃんの家を目指す。



 さすが45階建てということもあって、遠く離れた所からでもどこにあるのかすぐに分かった。これなら迷うこともない。



 その分視界に捉えてから、どれだけ歩いてもその距離が永遠に縮まらないような錯覚を覚えたけど、マンションそのものは幻影でもなんでもなくしっかりと存在していた。



 首が引きちぎれるかってぐらい上を向いても、最上階がどこにあるのかよく分からない。自分とは一生縁のない住まいだな……と思いながら、花ちゃんに到着したというメッセージを送った。



 ――返信はすぐに来て、ここまで降りてくるという。



 病人がそんなことして大丈夫なのか……? 少し心配にもなったが、俺がエントランス付近でボーっと待っているとそれらしき人が目に映った。



 上下ともピンク色のパジャマにカーディガンを羽織り、マスクと丸眼鏡をした一人の若い女性。絶対この人だ。  



「ぴょんきちくん……?」



「あっ……うん、そうです。初めまして」



「こちらこそ初めまして。さっ、入って」



とても初対面とは思えないあっさりとした挨拶。そのフレンドリーさにも驚かされた。



マンションのエントランスは高級ホテルと見紛うほどの神々しい雰囲気が漂っていた。



土足で歩くのを躊躇われるほどの、艶々の敷き詰められた白いタイル。



コンビニ袋片手に歩くのが恥ずかしく思ってしまうほどだ。



あんまりキョロキョロしていたら田舎もの丸出しだから、なるべく堂々と歩くようにしよう。



六基あるエレベーターの中でも上階層用の物に乗り込み、38階を目指す。



「こんな遅くに呼び出してごめんね。これが初めて会うのにね」



「俺は全然いいんだけど……逆に大丈夫なの?」



「大丈夫って?」



「初対面の男を家に招き入れたりするの」



「ぴょんきちくんだからいいんだよ。だってわたしの運命の人なんだから」



――運命の人。



今日一日で何度その言葉を耳にしたことか。



花ちゃんも、設定モリモリの俺のプロフィールを一から十まで信じている人の一人だ。



その呪いのワードを口にしたということは、花ちゃんもあの二人と同類の可能性があるということ。



あれ、そう考えるとちょっと怖くなってきた。



でも花ちゃんがこうして俺を呼んだのは、体調不良だからという理由なわけであって……。



さすがに呪いとか儀式とか婚姻届とかは出てこないはず。黒魔術とか前世とかいう中二病モードにもならないはず。



多少の警戒はしておいた方がいいかもしれないけど、押しかけてきた瀬那や村雨と違い、何かあれば俺はすぐにここから出る事が出来る。



おまけに花ちゃんは俺の家を知らない。マッチングアプリの方もブロックすれば、それで金輪際会うことはなくなる。



よし、これで万が一の緊急事態が発生しても大丈夫だな。



と、そこでエレベーターの上昇がようやく終わる。



花ちゃんと話したり、自分の中で考えをまとめたりと結構時間が流れたと思うけど、どれだけの時間乗っていたんだ。



タワマンに住む人って勝ち組なイメージとは裏腹に、住人にとっては不便なところもいくつかあるとテレビのニュースで見たことがある。



エントランスから部屋にたどり着くまで途方もない時間がかかるというのも、ずっと住んでいたらストレスになりそうだな……。



「こっちだよ」



エレベーターを降りて右に曲がり、少し進んだところが花ちゃんの住む部屋だった。



「……おじゃまします」



玄関が広い……まず最初はそんな当たり前の感想しか出てこなかった。



さっきのエントランスと同じような、つるつるで光沢の映える床。



靴の収納棚も、申し訳程度についている俺ん家のアパートとは大違いで――




――ガチャ、ガチャ……バタッ。




ん……?



何の音だろうと後ろを振り向くと、花ちゃんが玄関の鍵をかけていた。



上下二ヶ所。更にドアロックの計三段構え。



普段から女の子一人だから防犯を意識してのことなんだよね? そうだよね?



「……よし」



そして今の呟きは、よく工場とかでやるような指差呼称のやつ……だよね?



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