第25話 塔への帰還

「心が薄暗くなっていますよ、ユリア様」

「おや、分かるのですか?」

「大まかにですが、視えます。力のある者ならば、もっとはっきり視えるそうですが」

「それは大変ですね」


 有用だが、嫌がられる能力でもある。心を見透かされて嬉しい者などいない。

 勿論そんなことは、リチェルの年齢であれば経験を伴って痛感しているはずだ。


(あえて、口にした。きっとわたくしを気遣って)


 つまらない想像で溝を生む前に、正面から向き合うためでもある。


「ええ、凄く大変です。もうここずっと、人々の心から陰りが消えたことがありません。晴れ晴れとした気持ちというものを忘れてしまいそうです」


 本当に憂鬱そうだ。アネリナの想像以上に、リチェルにとっては影響が大きいのかもしれない。


「かつての帝国に生きた者としては、現状を諦められないのです。それぐらい信じてもいます。だから、ご安心を。星が招いた貴女のことは、誠心誠意、お護りします」


 リチェルはにこりと美しい顔で微笑んだが、あまり安心はできなかった。

 リチェルがアネリナを護るのは、アネリナが星の導きの中でどのような役割を負っているかが分からないからだ。


(もしわたくしが先代聖女様やユディアス殿のように、ヴィトラウシス様を生かすための盾であるならば。彼女はためらいなく導きに従うでしょう)


 天から見た、国や人の幸福のために。


(……わたくしは)


 ヴィトラウシスを助けるために命を投げ打った聖女は、どのような思いであったのだろう。

 己が助からないことを彼女は知っていたようだから、事情は少し変わるかもしれないが。


(わたくしは目の前の相手を切り捨てたくはありません)


 天に輝く星はあまりに遠く、間違いがなく美しい。

 だから、思ってしまった。

 自分は星の導きには従わないかもしれない、と。


(それとも、そんなわたくしの心や性格も、見通されているのでしょうか?)


 ――答えは勿論、分からない。




 パレードで身にまとう正装の注文も済み、今日のアネリナは聖火の前で行う祈りの文言の暗記に励んでいた。

 その最中、予定のない来客が訪れる。


「ユリア、すまない。少しいいか」


 この十八年を踏襲するためだろう。訪れる頻度がそれほど高くないヴィトラウシスが部屋に来た。そしてその隣には、アッシュがいる。


(なんだか凄く、久しぶりです)


 実際には一週間にも満たない時間だが、気持ちは別だ。顔を見ただけでほっとできてしまう自分を、アネリナは知ってしまう。

 正直に顔に出たアネリナの心の動きは、手に取るように分かったのだろう。アッシュの目が嬉しそうに細められ、唇には自信ありげな笑みが浮かぶ。

 そうなると、今度は悔しい気持ちが湧く。

 むっとした証に、アネリナは唇を尖らせた。


「拗ねるなって」

「拗ねていません。――今日は、どうしたのですか?」


 然程意味のない、しかし主張としては大切な否定をしてから、アネリナはヴィトラウシスに用件を訊ねる。

 アッシュと会わせてくれただけなら、温かい気遣いとして礼を言えば済む。だが以前と違う行いを慎重に避けているヴィトラウシスが、必要もなくやるとは思い難い。


「急ぎだ、姫さん。星占殿の奴らが塔に来るぞ」

「大きな災害は起こっていないはずですけれど」

「まあな。今回の場合は聖女ユリアが姿を見せて、市井が盛り上がってんのが面白くねえ憂さ晴らし――ってとこだろう」


 アッシュの予想は、実に説得力があった。

 発生した頭痛を少しでも緩和させようと、アネリナは額を手の甲で押さえる。効果はなかった。


「聖女の存在の大きさを、ひしひしと感じますね」

「それだけではない、かな。先日、貴女に頼まれて神官兵たちにシャロアの花を贈っただろう」

「はい」


 感謝の意を示す、黄色い花弁のシャロアを頼んだ。


「皆、喜んでいたぞ。当然彼らは同僚に話すし、同僚は家人や知人に話す。貴女は彼らが望んだままの聖女の振る舞いをして、聖性を高めたと言える」

「喜んでいただけたのなら、何より。しかし聖性とは……。この国の在り方が心底不安になりますね」


 アネリナの中では、誰かに手を貸してもらったら、感謝を伝えるのは普通のことだ。

 そんな普通すら、ステア帝国では失われつつあるのか。


「柔らかな言葉をかけられて嬉しくない人間はいない。それが自分にとって特別な相手なら尚更だ。……逆も同じことが言えるから、気を付けねばならないが」

「成程」


 事情を知らない者にとっては、アネリナは身代わりではない。本物だ。

 そのことを分かっているつもりで、まだ理解が足りなかったのかもしれない。


「まあそんなわけで、星占殿は非常にご立腹だ」

「分かりました。急ぎ支度を整え、戻りましょう」


 聖女の恰好のまま行くわけにはいかないので。


「少し待っていてください。すぐに済ませます」

「おう」


 用件を伝え終えたアッシュとヴィトラウシスは、一度控えの間まで引き下がった。

 アネリナが服を脱いでいく側ら、リチェルがクローゼットから星神殿に来た時の服を出してくれる。

 一国の姫であった娘が着るものとしては簡素だが、手伝ってくれる人もいないのだ。むしろ配慮の上だと言える。

 聖女の神官服を着るときよりも、二倍は早く着替え終わった。


「では、しばし失礼します」

「はい。あの……お気を付けて」

「問題ありません。どうせ一瞬です」


 彼らも空気の淀んだ星告の塔に長居をしたくないのか、訪問時間そのものはいつも長くないのだ。


(しかし、血色がよくなってしまったのは少し問題かもしれません)


 鏡で自分の姿を確認して、かつての自分との差に悩む。

 ヴィトラウシスは儀式までには病弱さの欠片も窺えなくなるのでは――と言っていたが、アネリナの回復はもっと早いようだ。


(今更考えても仕方ありませんね。急ぎましょう)


 何しろ、星占師は現在進行形で訪れようとしているのだから。


「お待たせしました」


 控えの間の扉を開けて、二人を招き入れる。


「では、送る。アッシュ、戻ってくるときは以前と同じように」

「おー」


 ヴィトラウシスが構築した魔法陣が、アネリナとアッシュの経つ床の上に浮かび上がる。そして立ち昇る光が二人の視界を包み――目の前が晴れたときには、塔に戻っていた。

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