【中編】最初で最後の客人、それは元カノ

 レイは、ドシドシと部屋中を行ったり来たりした。

 数秒ほど室内を見渡した後でかつて付き合っていた頃のように腕を胸の前で組んで何かを思案していた。


 相変わらず……なんというか可愛い。

 アーモンド色の大きな瞳が何度か瞬きを繰り返して、小さな桜色の唇がわずかに動いた。


 ——って、いやいや何を見惚れているんだ。

 とっととレイに帰ってもらおう。


 でも咄嗟に口に出していたのは、余計な一言だった。


『掃除するから帰ってくれ』

『手伝ってあげるわよ』

『いや、結構です』

『何か言ったかしら……?』

『……う、うわー。ありがたいなー』


 レイの目力の強い瞳がスッと細められ、絶対零度の低い声をお見舞いされた。


 レイさん……あなたは可愛いんだから、そんな人を殺したことのあるような低い声出すのやめて。可愛い子がそれをするとマジで怖いだけだから。


 などというやりとりがあった後で、レイは有無を言わせずキッチンに置いてあったゴミ袋を奪って掃除をし始めた。


 いや、この場合明らかに圧力というか一方的に脅されただけなのかもしれないが……こほん、いずれにしてもどうやらレイは本当に今夜オレの家で過ごしたいらしい。


 その真意は不明だが、オレも男だ。

 そりゃあ、一人で寂しく年越しをするなんてのは嫌だ。


 だからこそ、ほ、ほんの少しだけ嬉しいと思ってしまったのだ。

 もちろん人恋しさを埋めることができるという意味であり、絶対に一線を越えるつもりはない。


 あくまでもレイとは綺麗さっぱりとした関係を保つ。


 これ以上、厄介な関係性……例えばただれた関係になった暁には面倒ごとになるのは明らかだろう。


 数ヶ月前までの地獄のような時間に巻き戻るなんてまっぴらごめんだ。


 なんせお互いに嫉妬し嫉妬される関係なんて面倒なだけだから……疲れる。


 いつの間にかジトーとしたレイの瞳がオレを捉えていた。


「……なんだよ?」

「もう……掃除くらいしっかりしなさいよね?」

「母親かよ」

「違うわ、カノジョよ」

「元彼女だろ」

「ふふ、そうだったわね」


 レイは儚げに微笑んだ。

 そしてゴミ袋を抱えて、レイは華奢な背中をオレに向けた。

 ポニーテールに結った茶色の長い髪がゆらゆらと揺れた。


 そんなレイの姿に目を奪われてしまっていた間もなぜかレイはテキパキと働き続けてくれている。

 そしてダンボール箱の前へと移動した。


 あ、そこはやばい。

 まだ付き合っていた頃のものが一式残っている。


「あ、あとは自分でやるから大丈夫だから!」

「別に遠慮しなくてもいいわよ」と興味なさげに、レイはチラッと一瞬だけオレを見たが手を動かし続ける。

「いや、そういうことじゃなくて——」

「何よ……って、このスノードーム、美術館行った時のよね」

「ああ」


 くっそ、遅かった。

 レイはダンボール箱からスノードームを取り出した。


 どこか遠い目をして、独り言のようにつぶやいた。


「持ってくれていたんだ……懐かしいわね。1年前よね」

「そうだったかもな」


 きっと勘違いされていることだろう。

 いつまでも未練がましく元カノとの思い出の品を仕舞い込んでいると思われていそうだな。


 そんなことちっともこれっぽっちも思ってはいないわけだが、恥ずかしいにもほどがある。


 オレはレイの手からスノードームを奪った。


「せっかくこうしてレイと再会できたんだから……掃除はもういいから!」

「あ、もう……」とレイはプクッと頬をふぐのように膨らませた。そしてすぐに、ハッとした表情になった。

「なんだよ?」

「ふふ、じゃあ、ごはんでも作ってあげるわよっ!」

「え?いや、別に腹減ってないから——」

「へー、でもさっき、そばを食べるって言っていたわよね?」

「あ、はい」


 そういえば、そんなことも言いましたね。

 てか、先ほどからオレに選択肢が与えられていないじゃん。



 そばをすすり始めると、すでに23時23分となっていた。


 なぜかレイは満足げに台所からエプロン姿で出てきた。


「はい、これで最後のお品ですよっ」

「ど、どうもありがとう」

「いえいえ」

「……」

 

 向かいの椅子に座って、じーっと静かに見てくるレイ。


「こほん、レイは食べなくていいの?」

「うん、いらない。てか食べられないし」

「……」


 いやいや、オレだけ食べていると罪悪感が押し寄せてくるんだがっ!?

 

 てか、なんで今日に限ってこんなにも献身的な彼女に徹しているんだ?


 付き合っていた頃とは比べ物にならないくらいに理想的な彼女なんですけど!


 いや、まあ元彼女か。


 ……今はそんな言葉尻を捉えている場合ではないだろう。


 なぜかレイはニコニコと楽しそうに微笑んでオレの食事姿を見ている。

 一体全体、レイ、君は何を考えているんだ。


「それで、味はどう?」

「ああ、すごく美味しいよ」

「ふふ、誰かさんが別れる時に『料理下手』だなんて言うから、読モのバイトの合間に料理教室にも通った甲斐があったわ」

「いや……あの時は『レイが浮気している』ってシンジから聞いたばかりで、売り言葉に買い言葉でつい口が滑って——」

「もういいわよ、あの時だって言ったでしょ?誤解よ。ただ告白されただけでちゃんと断ったわよ」

「……ごめん、やめよう。もう終わったことだし」

「ヤマトがそう望むなら、仕方ないわ」


 レイはなぜか残念そうに顔をプイと背けた。


 まるで本当に誰とも浮気なんてしていなかったかのような反応だ。


 いや、騙されるな。

 親友のシンジが嘘をつくわけなんてない。


 この悪魔のような女が嘘をついているに決まっているだろ。


 女はみんな女優だなんて言われるくらいだ。


 きっとレイだってオレのような無垢な男のことなんて騙しやすいとでも思って演技しているに違いない。


 だからこそ信じられるわけがない。


 何かを誤魔化したくて……少し眩しいと感じるレイの笑顔を無視して黙々と食事を続けた。


 しばらくすると、ぼーっとし始めた。

 あれ、なぜか視界がかすむ。

 それに……意識もぼんやりとする気がする。


「ヤマト?」

「すまん、なんだか眠たくなってきた」

「……そう。だったらベッドで横になったら?」

「いやでも……流石に客人である……レイだけを放っておくことも……できないから——」

「そういうのいいから。てか、もうそろそろあっちに戻られないとだから——ほら」

 

 そう言ってレイのやけにヒンヤリとする小さな手のひらがオレの腕を掴んだ。


 引っ張り上げるようにオレの身体を椅子から立たせる。


 そして誘導されるようにベッドへと向かう。


 ——だめだ、まぶたが重い。


 アーモンド色の瞳が真っ直ぐにオレを見ている。

 以前よりも青白い唇がわずかに動いた気がした。


「ずっと、ずっと——」


 何かを言った後に——唇が近づいてきた。

 ヒンヤリとする唇とは対照的になぜかレイの表情はあたたかな笑みを浮かべていた。


 オレの意識は深い霧に包まれた。

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