チルドレンシアター

秋山いおり

プロローグㅤわたしの夢

映画にはエンドロールがあるけど、人生にはあるのかな?


ㅤ生まれてから死ぬまでに関わった人の名前が、ずらっと箇条書きにして上から流れてくるの。まず自分でしょ、それからお母さん、お父さん。兄妹​に、お爺ちゃん、お婆ちゃん。その次は友達?それとも彼氏?


​ㅤ気になったから、わたしは空を飛んでみるの。

ㅤ水が入ったバケツに青い絵の具をぶち撒けたみたいな色の空に、胸が踊るような心地いい風。まるで、空がわたしを歓迎しているようだった。


ㅤ病院の屋上。みんなわたしを見てわいわい騒いでるけど、聞こえないふりをした。だって、こんなに綺麗な空なんだよ。わたしは、お喋りをするよりも、陽の光に当たっていたいの。心も体もぽかぽかになって、地面を知らない鳥になりたい。楽しいままで終わらせるの。


つまらないままで終わる映画はない。


ㅤ大抵の映画は、最後に何かしらの印象深いシーンを埋め込むもの。

ㅤそれが愛する人とのキスシーンであれ、尊敬していた恩師の死であれ、グロテスクな化け物が登場するシーンであれ、一家団欒で平和に終わるシーンであれ、なんらかの意味を持つ場面であることには変わりない。最後の最後に、その辺に落ちた鳥の死骸を映すカメラマンなんていないんだから。


「​──わたしは女優」


ㅤ大きく息を吸い込んで、その場でくるりとターンして見せた。


ㅤ早くこっちに来て。

ㅤ飛び降りないで。ㅤ

ㅤ落ちついて。


ㅤそんな声ばかり聞こえてくる。どうやら、みんなまだわたしの演技力に気付いていないみたい。


ㅤもうすぐ夏に差し掛かる六月の終わり。

ㅤわたしはお医者様の言葉も無視して、病院の屋上に走ったの。屋上に来たら白いフェンスを飛び越えて、今にも落ちてしまいそうな、一メートルも隙間がない『舞台』に立った。


​──ここは女優わたしの初舞台。誰にも邪魔させはしない。


「わたしは幸せな家庭に生まれて、お兄ちゃんが一人いるの。パパもママもわたしに一番甘くて、お兄ちゃんはわたしをよく膝に乗せてくれて、絵本を読み聞かせてくれるんだ!」

ㅤ綱渡りみたいにわたしがその場で歩いたら、誰かが悲鳴を上げた。わたしがフェンスを飛び越えて、お医者様の元に帰る素振りを見せたら、誰かが少し安堵した。わたしが足を踏み外したふりをしたら、そこにいる誰もが絶望した。


今、観客の感情の主導権は、全て女優わたしが握っている。


「パパは芸能関係のお仕事をしていて、ママは今を生きる若手のカリスマ女優!ママに憧れたわたしは女優を目指して、どんなに難しい演技も軽々こなすの。周りの大人達はみんなわたしのことを『天才子役』って呼んでくれる。大きくなったわたしは、誰にも負けない女優になる。最後には、世界に羽ばたくんだ」

ㅤわたしがあまりにもお喋りだから、お医者様が一か八かでわたしに駆け寄ろうとした。でもそんなの駄目。視聴者は、女優が映るテレビに手を入れ込んだりはできないの。わたしの髪に、顔に、腕に、胸に、脚に、指一本も触れさせはしないの。


誰もわたしに触れられない。


「それでそれで、女優になったわたしには、実は彼氏がいてね。ダーリン、ハニーって呼ぶ仲で、お休みの日はいつも変装して、こっそりお忍びデートに行くの。付き合ってから初めての誕生日には、彼は白いくまのぬいぐるみをくれたんだよ。とても可愛いの、とてもね」


ㅤわたしには、誰もいなかった。

『ママ』も『パパ』も『お兄ちゃん』も『ダーリン』も、誰一人いなかった。


ㅤでも、今こうして夢を語れば、それが現実になるはずだから。人生のエンドロール走馬灯として、在りもしない誰かとの思い出が瞼の裏に浮かんでくるはずだから。



「わたしが一人ぼっちで寂しい時も、悲しい時も、疲れちゃった時も……ダーリンは​​どんな時だって、わたしを助けに来てくれるの!」


ㅤそしてわたしは、空を飛んだ。

ㅤやっぱり、エンドロール走馬灯は流れなかった。誰一人として、わたしの映画を飾らない。まるで、世界にわたしなんか存在しなかったみたいに、ちっぽけな終わり方だった。


──つまらない映画。


だれか一人くらい、わたしの映画に、その名前を飾ってくれたらいいのに。



《──その夢、叶えてあげようか?》


あら。ちょうど一人、現れたみたい。

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