第18話 目の前の事象から想像する未来図の可能性

 自分の部屋に帰った俺は、輝への挨拶もそこそこに部屋に入ってベッドに体を投げ出した。帰り道も悶々もんもんと考え続けていたけど、やっぱりあの反応は美空先輩に告白したことになっているんだろう。


「そんなつもり全然なかったんだけどなぁ」


 いつかは伝えるつもりだった。それは間違いないんだけど、自分の中ではまだ言える状態じゃないと思っていた。どうしてあんなことをしたのか、なんて自分に聞いてみてもはっきりとしたことは言えなかった。


 ただ美空先輩が輝と自分を比べていたのがどうしても許せなかった。いや、あの瞬間に俺自身が美空先輩と輝を比べたような気がしたのをごまかしたかったのかもしれない。


「っていうか、輝は関係ないだろ。自称男なんだから」

「僕がどうかしたの?」


 ベッドの上で自分が起こした黒歴史に悶絶しながら転がっていると、輝の声が上から聞こえてくる。いつの間に部屋に入ってきたんだろう。いつものパーカーにエプロンをつけて、呆れたような目で俺を見下ろしていた。


「なんで入ってきてるんだ!?」

「ごはんだって言ってるのに、こーすけが全然出てこないんだもん。なんかブツブツ言いながらゴロゴロ転がってるし」


「いや、ちょっと考え事をしてただけだ」

「なんでもいいけど、せっかく僕が作ってあげたごはんが冷めちゃうから早く出てきてよ」

「わかった。すぐ行くよ」


 輝が夕飯を作ってくれるなんて珍しいこともあるものだ。動画が上がってからは毎日機嫌がよくて、手伝いもちゃんとしてくれている。4月には美空先輩とこうなることを考えていた。完全な妄想だと思っていたのに、相手は違えど実現してしまったことにまだ慣れない。


 胃に鉛が流し込まれたような重い体を起こして立ち上がる。ふらふらと部屋を出ると、トマトの甘酸っぱい香りがダイニングの方から漂ってきた。


「何を作ってくれたんだ?」

「トマトソースとサーモンの冷製パスタでしょ。マルゲリータピザにボルシチに」

「ちょっと待て。なんでトマト料理ばっかりなんだよ」


 言った瞬間に輝の両目が俺から逃げるように左を向いた。怪しんだ俺はキッチンに向かう。たくさんのトマト料理が並んだ中に真っ赤な血染めの、ではなくトマト染めのビニール袋が小さく丸められて置かれていた。


「あはは、トマトが安かったから買ってきたんだけど、落としちゃった」

「そういうことか。珍しくごちそう作ってくれたみたいだったからな」


「珍しいって。なんか僕がいつもは何もしてないみたいじゃない」

「そこまでは言ってないだろ。感謝してるよ」


 真っ赤に染まって小さくなったビニール袋をつかんでゴミ箱に入れる。あの真っ赤に染まったビニール袋が、数日後の自分の心のように見える。美空先輩からフラれたらあんな感じに心が血まみれになって潰れてしまって立ち直れる気がしなかった。


 動揺したのを輝に悟られないようにダイニングに戻る。トマトばかりとは言ってもどれもおいしそうだ。


 まずパスタに手を伸ばすと、冷たいトマトソースの酸味とサーモンの脂の甘さが舌の上で滑って混ざっていく。


 冷えた口の中に今度は湯気を立てるピザを詰めると、バジルの香りが鼻に抜けていく。


「うまい!」


 悩んでいたことがその言葉と一緒に胃の中から外に飛び出していく気がした。うまいものは万病に効く。そんな気がした。


「ちょっと元気になったみたいだね」


 次々に並んだ料理を口に突っ込んでいると、ふいに向かいに座っていた輝が微笑む。


「そんなに顔に出てたか?」

「誰が見たってわかるくらい落ち込んでたよ。美空にフラれでもしたの?」

「そんなわけないだろ」


 ごまかすようにボルシチを口に運ぶ。また食べ物で胸のつかえをとろうと思ったのに、今度は心臓を刺されたみたいにチクリとした痛みが走った。


 輝に嘘をついた。ただそれだけなのに、急にモヤモヤが頭の中に生まれる。万が一、美空先輩と付き合うことになったら、輝はどうするだろう。今みたいに一緒に夕食を食べたり、暮らすこともできなくなるんだろうか。


「いや、輝は男だもんな。男がルームシェアなんてよくある話だよな」

「何一人でぶつぶつ言ってるの? もしかして当たってた?」

「当たってない。当たってないから!」


 テーブル越しに顔を覗き込んできた輝を追い払う。長いまつ毛に潤む瞳は誰が見たって美少女のそれだ。


「頬にトマトソースついてるぞ」

「嘘っ。どこ?」


 答える代わりに輝の顔に指を伸ばして拭ってやる。柔らかな肌の感触に俺の心臓の痛みが増していく。


「へへっ、ありがと。こーすけ」


 微笑む輝が引っ込む前に俺は急いで指を引っ込めて手拭きで輝についていたトマトソースを拭き取る。こっちはこんなに悩んでいるってのに、輝はもう料理の方に興味を戻している。


「俺はどっちがいいと思ってるんだろうな」


 俺はこれ以上何も言えないまま、胸の痛みを感じながら輝の笑顔を見つめていた。

 部屋に戻って、またすぐにベッドに体を投げ捨てた。


「早く輝の性別を観測しないと」


 自分の目的だったことを確認するためにそう言ってみたものの、頭の中に浮かぶことはまったく違っていた。


 輝が女の子ならこの部屋から追い出す。そう決めていたはずなのに、今はどうすれば出ていかないで済むかということばかりを考えている。


「告白だってうまくいくとは限らないのに、俺は贅沢な話ばっかりだな」


 誰にもどちらか一人を選べと言われたわけでもないのに。輝が出ていくと言ったわけでもないのに。


 俺はもう一度、勢いに身を任せた今日の自分を悔やんで自分の頬を軽く殴った。

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