第36話 妥協点

 総理府情報局……、山伏は報告の少ない花村に催促する。


「警視庁の捜査の進展はどうだ?」


「ライフル銃の提供者まで行き着いたそうですが、そこで暗礁にのりあげたようです。それでも、天下会長ら日明研の4人を実行犯として、被疑者死亡のまま送検するつもりのようです」


 花村が、面倒くさそうに報告した。


 捜査状況は、正式なルートを通じれば知ることができる。しかしそれには時間と手間がかかる。それが官僚制度というものだ。殺人事件の犯人捜しだけならそれでもいい。しかし、外交はタイムリーな対応が要求される。それで山伏は情報を集めさせているのだが、花村はそれを無駄な仕事だと考えているらしい。


「天下のアリバイが崩れたのか?」


 不足する情報を催促すると、花村の表情が硬くなる。


「いいえ。ビデオと二階堂議員というアリバイがあるそうで、そのアリバイ崩しに挑んでいると聞いています」


「ライフルの提供者は誰だ? 元々盗品だったそうじゃないか」


「名前はわかりませんが、ドライブレコーダーに顔が写っていたそうです。捜査本部は香港マフィア関係を想定しているようです」


「捜査に想定とは恐れ入ったな。公安のビッグデータ検索システムでも見つからなかったということか……。その写真、手に入れてくれ」


「次長が捜査するのですか?」


 花村の質問にはとげがあった。


「場合によってはそうするさ。ストーリーを描いたのが日明研か東亜か知らないが、俺は計画をつぶされて腹が立っているんだ」


 実際、山伏は怒っていた。自分を信じ、引き揚げてくれた萩本総理を殺害されたことに。合同軍事演習が中止となり、左遷されるのがほぼ確実になったのだから尚更だ。もし、総理暗殺に他国の勢力が関係しているのだとしたら、それを暴いて起死回生の策を提案できる可能性もある。


 公安部から写真が届くと、花村が騒ぎ出した。


「驚きましたよ。ライフル提供者は、僕に接触してきた大統領の使いです。今回の事件は、あいつが陰で糸を引いていたのですよ」


「間違いないのか?」


「サングラスをしているので顔は100%とは言えませんが、そのサングラスが、僕に接触してきたときのものと同一のものです。僕は同一人物で間違いないと思います。おそらく東亜の工作員です」


「何故、東亜の人間だと分かる? 以前は、アメリカ側という推理をしていたと思うが……」


 山伏は写真を受け取った。白いバンから降りたスーツ姿の男が写っている。サングラスをかけた顔は知的だが、狡猾こうかつな獣のように見えた。


「あの時はそう推理しましたが、萩本総理を暗殺したのですよ。東亜連邦しかありませんよ」


「先入観は捨てろ。……これは……」


 山伏の脳がビリビリと何かを訴えた。……重要な局面で見た顔だ。東亜連邦共和国のスパイ? その言葉にピンとくるものはなかった。誰だ?……思考をギリギリと絞り、ひねる。


「知っている男ですか?」


「どこかで見たのは間違いないが……。思い出せないな」


 山伏は情報局で管理している要人ファイルを見直したが、サングラスの男に似た顔はなかった。その日一日、喉に魚の骨が引っ掛かったような不愉快な気分で過ごした。


 男の記憶にたどり着いたのは翌日の朝だった。最初は夢の中でその男を見た。彼は真っ黒なスーツに身を固め、やはりサングラスをかけて国立博物館の敷地を歩いていた。その隣に立っていたのがスミス大統領だ。


「何故だ!」


 山伏は自分の声で目を覚ました。


「そうだ。去年のスミス大統領来日の日だ。こいつ、大統領補佐官と言葉を交わしていた」


 自分に語りかけると、記憶は鮮明な映像を描いていた。


 登庁してから花村を連れて土崎局長を訪ね、写真の男について報告した。


「アメリカ側の人間ということか?」


 土崎が声を潜め、山伏の瞳を覗き込んだ。


「間違いありません。要人ファイルには載っていませんから、政治家や高級官僚ではありません。おそらく私と同じような仕事の人間です」


「捜査当局に情報提供しますか?」


 花村が土崎の判断を求めた。


「してやりなさい。こちらでみ潰すにはリスクが大きい。それより公安部に恩を売っておこう。身元ぐらいは特定するだろうし、それなりの対策も取るだろう。こちらの手間が省ける」


 土崎が露骨に責任を回避した。


 翌日の朝、公安部から花村のもとに連絡があった。天下に接触した男の素性がわかったという報告と礼だった。


「公安部は喜んでいましたよ。身元を教えてくれました。名前はジェームズ・坂東。日系アメリカ人、46歳。肩書は個人貿易会社社長だそうで、香港に拠点を置いて主に日中間の貿易を取り扱っており、毎月5回程度の出入国を繰り返しているようです。マイケル・劉という別の名も使っていて、どちらが本名かは不明。アメリカの諜報部員ではないかということです」


 花村は局員の集まった休憩室でメモを読み上げた。


「CIAにもNSCにも、そんな奴はいないと思うが……」


 矢代が言う。


「ジェームズはすでに出国しています。出入管理局のデータで確認できたそうです。どこへ行ったと思います?」


「香港かアメリカだな」


 矢代が答えた。彼の推理を山伏は否定した。


「東亜だろう」


「当たりです」


 花村が人差指を上げて微笑んだ。


「我々に東亜の情報部員だと思わせようとしたのか?」


 推理をはずした矢代がテーブルの足を蹴る。それに軽蔑するような視線を向けた花村が、山伏に向いた。


「アメリカと東亜連邦の二重スパイですかね?」


「まさか、今どきそれはないだろう。足取りを追われないように遠回りしたんじゃないか?」


 山伏は、ジェームズよりも土崎の態度が気になった。彼は、のほほんとしている。狙撃関係者を逃がして焦るどころか、ジェームズがすでに日本を立ち去ったことにホッとしているようだった。アメリカとのいざこざは避けたい。ただその一念なのだろうが、情けないと思った。


「そんな男が何故、総理暗殺を画策したのですか?」


 花村が率直に疑問を口にした。


「今のところライフルを提供したというだけで、総理暗殺を指示した証拠はない。どこかでボタンのかけ違いが起ったのだ」


 山伏は、アメリカ合衆国という若くて理知的な国家を信頼していた。その国の情報部員が同盟国の首相を暗殺するはずがない。


「どういうことですか?」


 花村は山伏の言葉の意味が理解できないようだった。山伏は返事をせずに歩き出し、思索する。自分の仮説を納得しない自分がいた。


 翌日、東亜連邦共和国政府が、日本政府を非難する声明を発表した。日本が主導する四カ国合同軍事訓練は、自国に対する挑発行為であり、東バタン基地を占領するための準備行動だ、と。


「クソッ、ジェームズめ。情報を売ったな」


 山伏は思わず奥歯をみしめていた。口の中に血の味が広がった。


 アメリカと東亜連邦をかみ合わせ、毒を以て毒を制する作戦を立てて自惚れていたが、策を逆手に取られたのだ。それまでの自信が砂上の楼閣ろうかくのように崩れ去った。


「ウイルスがメイドインUSAだと教えてやりましょうか?」


 花村が言う。


「お前はバカか。うちが先に動いたと世界に知らせるつもりか?……インフルに殺傷能力はないはずだったと言っても誰も信用しない。日本は、生物兵器で東亜国民を殺したことになる」


「山伏の言うとおりだ。日本にそうさせるのが、アメリカの目的だったのかもしれないな。何れにしても、アメリカの情報機関が動いているとなると、うかつに動けない。関係部署との調整に入ろう」


 土崎が矢代を連れて総理官邸に向かった。以前なら山伏が同行したケースだが、それは萩本総理に信頼されていたからだ。それが、ジェームズの動きで逆転した。官僚としては責任を問われる立場に置かれ、政府にとっては危険で邪魔な存在になっていた。


 すぐに戻ると思われた土崎が戻ったのは午後になってからだった。


「外務省へ、アメリカから事件の早期収束の要請があったらしい。政府、民自党はその旨を了解している。警視庁には公安委員長から話を通す。で、上手い落としどころが欲しい」


 情報局員を集めて意見を求めた。


 たとえ嘘であっても、国民と国際社会が納得する理由が必要だった。土崎に同行していた矢代にはアイディアがなく沈黙している。


「何故アメリカが日本の事件に口を出すのですか? そもそも、暗殺を指示したのは彼の国でしょう」


 花村の声には憤りの色があった。若く国家というものに愛着がなさそうな彼でも、外国からあれこれ言われるのは面白くないらしい。山伏は新たな発見をしたような新鮮な思いがあった。


「国際秩序とかいうやつさ」


 高村が言った。


「あれから考えてみたのですが……」


 山伏は土崎に向かって自分の分析を話すことにした。


「……萩本総理は東バタン占領に前のめりで、アメリカとの関係見直しにも前向きでした。……日米関係を維持したまま、東亜連邦と正面対決に突入する。それは、東亜との対決に後ろ向きなアメリカにとっては厄介なことです。その前提に立てば、狙撃事件は合同軍事訓練中止というアメリカの希望する結果を生みました。……元海自の水島は特殊部隊で東バタン工作をした男です。水島が死んでウイルス散布の事実がこの世から消えた。それは日本にとっても、アメリカにとっても都合の良い結果です。……狙撃の正確さから見て、総理を撃ったのは日明研ではなくジェームズの組織でしょう。だからこそアメリカは捜査を長引かせたくないし、真実を表沙汰にしたくない。代わりに日明研という正解というか、落としどころを用意しておいた。……事件は日本国内で完結するようにできています。ウイルスで弱る東亜と政治的地位の現状維持を願うアメリカ。……その方向にコントロールされていると考えると、一連の事件に一本の筋が通ります」


「対東亜連邦作戦は、もとはといえばアメリカが言い出したことですよ。アメリカが総理に火をつけたのです。それがコントロールできなくなったからといって……。暗殺の首謀者はアメリカ政府だ、と山伏次長は言うのですか?」


 高村がスポーツ観戦でもしているような大声を上げた。


「高村、声が大きい」


 土崎が叱責すると席を立ち、総理官邸に走った。鬼頭きとう副総理を訪ねて山伏の分析を報告するために……。


§


「もはや天下のアリバイに逡巡する時ではありません。日明研には悪いが、全ての罪を背負ってもらうしかないと考えます。それが駒の運命ですから」


 鬼頭副総理を訪ねた土崎は、総理暗殺事件は日明研による単独犯行という形で発表するよう進言した。


「藪の中か、……それでいい」


 鬼頭は土崎の提案をのんだ。総理狙撃事件へのアメリカの関与の事実は、今後の外交の武器に使えると、むしろ喜んだ。


「土崎さん、ケネディー大統領が暗殺されて歴史は変わったが、萩本総理が暗殺されて、日本の歴史は変わるのかね?」


「それは、副総理次第です。歴史は生きている者が作ります。死んでは負けなのです」


 土崎は、官邸を出ると事件のことをすべて忘れることにした。日本では、記憶にないほうが都合の良い場合が多い。中途半端な記憶は自分の首を絞めることになる。


 情報局には戻らず旅行代理店に向かった。大学の合格祝いに妻と娘を海外旅行に送り出すと約束していたのだ。ゴールデンウイーク中のチケットを取らなければならない。


「さて、ニューヘブンだったな……」それが娘の希望だ。「……あんな何もない島のどこがいいのか……」


 久しぶりに落ち着いた気分になり景色に目をやる。人間社会のあれこれなど無関心に春風が吹き、イチョウ並木の若葉がそよいでいた。

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