第6話 信じ続ける

鳥居の方へ進みかけていた足を思わず止める。というよりも、正確には足に重みがかせられたような、縫いとめられたような。頭を鈍器で殴られたような衝撃の言葉は、私の意志とは裏腹に左右の足は一歩踏み出すことすら許されなくなる。

夏芽さんは私との間に変な距離を空けたまま、きっちり整えた正座で右手を胸に置きゆったり話し始めた。


「またすぐに高天原に帰らなくてはならない。ここに来たのは、百合ちゃんにきちんと話してからと頼み込んで、ようやく許可されたからなんだ」

「い、いや……待ってください。一週間も会えなかったのに、またすぐに行っちゃうんですか? また高天原に帰っちゃうんですか……?」

「……うん。勝手に結界を張って怒られちゃった罰と、玉藻前にそれを何度も破られたことも知られているから、修行し直せと言われてね。ここに百合ちゃんともう一度会う代わりに、その約束を結んできたんだ」


私は目の前がだんだんと真っ暗になっていくような感覚に陥った。

何で。

その三文字がどうしても喉に突っかかって言葉にならない。聞かなければ後悔する、でも聞いたら夏芽さんに迷惑かもしれない。その二つの思いの狭間に私は立ち、ゆらゆら言うか言うまいか決断に迷っている。

喉の奥が燃えるように熱い。言葉を必死に飲み込もうとしているからか、はたまた。目から溢れだしそうになる、悔しさと悲しさが混じりあった感情を必死に抑えつけているからか。けれど、堰き止めていた堤防は崩れ、つうっと温かい何かが頬を伝った。拭っても拭っても、それは止まることなく流れ落ちていく。――あれ、私はこんなに……涙もろかっただろうか。こんなに感情を露わにする様な人間だっただろうか。拭いながら、ふとそんなことを思う。

身に覚えのない自分に戸惑うはずが、なぜか私の型にピッタリ当てはまってしっくりとくる。

きっと私は元々こんな人間だった。そうだったはずなのだ。だが、それが自分を塞ぎ込むことで私の型から外れてしまっていた。教室で一人読書をする人間へと退化してしまっていた。

しかし、そんな私を変えてくれたのは、紛れもない今目の前にいる夏芽さんだ。彼女とくだらないことで笑い話をすることが、きっと私の毎日の楽しみになっていた。たくさん笑って、そのおかげで桜田さんにも物申せたし(ビビりまくりだったけれど)たくさん泣いてたくさん経験した。強くもなれた。


「もうすぐ、迎えが来る頃かな。ごめんね、百合ちゃん……」


全部全部、夏芽さんのおかげだった。

だからこそ、彼女の足を止めてはいけない。笑顔でお礼を言わなければ。わかっている、わかっているのに。ああ、やはり。


「行かないで、ください……っ」


キュッと夏芽さんの服の裾を引っ張ろうとした私の手は、あと数センチのところで空を切る。行き場を失った手は、急に現れた人物に怯えるようにしてビクンと震えた。


「時間だ」


地面の底に響くくらい低く短く言い放ったその大柄な男は、私と夏芽さんの間を割くようにして佇む。ジロリと紅く鋭い眼孔で睨まれた私は、元々あまり大きくない背丈を更に縮こまらせて、一歩一歩後退していった。

きっとこの男は神様だ。夏芽さんと同じ世界に、私とは違う世界に住む方だ。彼女とはまた違う、人間を嫌っていそうな目をしている。それで何となく、この男神が前に夏芽さんが言っていた人を食った神様なのだろうなと確信に近い何かを感じた。


「ちょっと、あまり百合ちゃんを怖がらせないでくれる」

「時間は時間だ。お前を小娘が引き留めようとした為、追い払おうとしたまで」

「だから、それをやめてって言っているのだけれど。……ごめんね百合ちゃん。私は修行からいつ帰ってこられるか分からない。だから、しばらく留守にすると天狗と猫又にもよろしく伝えておいてほしい」

「……っ」


何も、言えない。

反抗したいのに、嫌だと言いたいのに、夏芽さんの隣に居る男神の圧が全て私に向けられ、口どころかまともに息も吸えなくなる。悔しい、たった三文字なのに、先ほど伝えられそうだったのに。キュッと握った制服のスカートにはシワが作られ、それを見つめるように顔を俯かせる。

子供のわがままだと言われたら、何も言い返せないしその通りだと思う。けれど、時には意地でも押し通さなければいけない時があると私は知っている。

そして、それは今だ。今なのだ。

俯かせた顔をゆっくりと上げて、男神の後ろから覗く翠色の目と私の目をかちりと合わせる。


「無駄だ。小娘如きの動きなど瞬時に見切って……」

「ちょっと邪魔!」

「ぬっ!?」


タッと地を踏み駆けてくる音が聞こえたかと思えば、視界から夏芽さんの姿が消えた。と、同時に温かい体温に包まれる。私は今夏芽さんに抱きしめられているのだと理解するのに、そう時間はかからなかった。先ほど流れたばかりだというのに、彼女の優しさと温かさに包まれてまた涙が溢れだしてくる。


「ごめんね、ごめん。たくさん悲しませてしまって。でもきっと、絶対に帰ってくるから。きっときっと、絶対に今日を最後の日にしないから。だから、だからもう泣かないで」

「…………絶対、絶対に……すぐ帰ってきてくださいね」

「えっ。す、すぐかあ……うん、百合ちゃんのためなら頑張るよ」

「ぜった……い、やく……っそくですよ……!」


嗚咽混じりで上手く喋れなかったが、彼女には関係の無いこと。夏芽さんなら心を読んで私の気持ちを汲み取ってくれているはずだ。

ずずっと鼻をすする音を最後に、夏芽さんは私から離れた。男神は後ろで彼女に殴られた所を押さえながら、何やら空に手をかざし光の紋様を浮かび上がらせている。

もう時間がきたらしい。


夏芽さんは私をずっと待ち続けていてくれた。ならば私は、彼女の必ず帰ってくるという言葉を信じ続けてみせよう。


「999本の向日葵を信じ続けていてほしい」


その言葉を残して、夏芽さんは淡く光る靄に優しく包まれて消える。


神社には呆然と立ち尽くしたままの私と、夕焼けを告げるカラスの声が町中に響いていた。

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