第4話 居心地が良いから

配りながら、私の中で一抹の不安がぐるぐると渦を巻き始めていることに気づき心臓がやけに嫌な音を出す。いつもの落ち着いた鼓動では無い、ドクンドクンと一つ一つの脈や細胞が、全てゆっくりじっくり音を立てている。それくらいに嫌な予感が私の心臓を侵食していた。猫又さんの笑い声も、天狗さんの彼女を愛おしそうに見つめる表情も全部霞んでぼやけてしまい、まるで私のところだけ世界が切り離されているように感じる。


そしてその嫌な予感というのは、翌日、翌々日と時間が経つ度、予感は現実へと不安は恐怖へと変化していた。


「夏芽さん、いつ帰ってくるんですか。話したいこといっぱいたまってきてますよ」


夏芽さんが姿を見せなくなってから、約一週間の時が経とうとしていた。初日はあまり興味を示さなかった猫又さんも、さすがに心配の色を見せ始めている。

私はお賽銭箱の前に座り、おそらく本殿にいるであろう彼女の本体に話しかけた。が、もちろん返答は無い。いつもなら、すぐに優しくてやわらかい笑顔が返ってくるのに。そう思うと余計に虚しくて悲しくて、膝をきゅっと体に引き寄せる。早く声が聞きたい、会ってまたいろんな話をしたい。なのに。


「姿くらい、見せてくださいよ」


夏芽さんは、結局今日も姿を現してはくれなかった。



六時間目の終わりを告げるチャイムが教室中に鳴り響き、私は数学の教科書をパタリと閉じる。帰り支度をするため、みんなが椅子を引く音や学校指定のリュックを取り出す擦れ音があちらこちらから聞こえてきた。

かくいう私も、椅子を引いて自分のロッカーまで歩き、黒いリュックを取り出す。五分後には暮会が始まるので、早く帰りたい人達はいつもこの時間に支度を済ませているそうだ。私は別に急ぎの用は無いので、いつも通りのんびりと教科書類をリュックに詰めていった。


「えー、まあ特に連絡事項も無いので……それじゃ解散」


担任の気だるげな声が本日の学業の終了を告げると、教室内は一気にわっと騒がしくなる。すぐに帰ってしまう人や、少し友達と駄弁った後に一緒に帰っていく人。大抵の人が教室を出て行った。

先ほどまで賑やかだった教室も、しばらくすればお喋りを続ける桜田さんたちのグループと勉強をする数人、そして私くらいになる。比べられないほど、とまではいかないが、確実に静かな時が流れていたはずだ。

ふっと太陽の明るさが消えたかと思えば、どうやら雲に隠れたみたいだった。節電のためか、先生が教室から出る際に電気は消されたため、暗いどんよりとした空気に包まれる。何となくこの場にいるのが気まずくなった私は、重みのある黒いリュックを背負ってそそくさと逃げるように出た。

廊下で先生にすれ違う度に、さようならと小声で返しながら着いた靴箱は意外にも閑散としている。この前のように混み合っているものだと覚悟してきたのだが、そういえば今日は学校の自習室が開く日のためみんなそっちに行っているのかもしれない。実は、うちのクラスはこう見えて、勉強熱心な人が多いのだ。だから、自習室が開く日は毎度教室から人がいなくなる時間が早い。それでここも空いているのか、と納得した私はシューズから外履きに履き替えトントンとつま先を揃えて、靴の履き心地を微調整する。

最近は、まだ暑さが残るにも拘わらず、少々冷たい風も吹いてきた。もうそろそろしたら衣替えをする時期になる。正直面倒くさいことこの上ないが、母に雷を落とされる前にしなければ。

暑さと冷たさが混ざってちょうど良いくらいの風が吹く中、私はいつもの登下校に使う道をぼーっとしながら歩いていた。何かを考えている訳でもないし、何かを考えないように考えているわけではない。ただ脳から命令を受けた通り、機械的に手足を動かしているのみだ。

そんな足が向かった先は。


「今日はいるかな」


やはり、今日こそはいるかもしれないと期待をして入るのがすっかり恒例になった、古井神社だった。夏芽さんがいなくなったあの日から今日まで、一日たりともここへ来ることを休んだことは一度もない。もしかしたら今日はいるかもしれないという淡い期待が、雨の日だろうがなんだろうが私の足を神社へ向かわせた。

朱色の鳥居をくぐり、相変わらず短い石段を上っていくとそこには――。

最近のいつも通りになった、掃き掃除をする夏芽さんの姿が無い光景が広がっていた。つまり、今日も夏芽さんは姿を見せてはくれないということだ。私はそれを理解した途端、はあと大きなため息をつき、同時に唐突な眠気が訪れた。これはきっと、昨日の夜遅くまで起きていたことによる反動だろう。今日提出の課題をするのを忘れていたので、慌てて夜に済ませたのだ。

今日は猫又さんたちもまだ来ていないようだし、しばらく仮眠をとっても大丈夫そう。口元に手のひらを押しつけながら欠伸をこぼし、いつもの指定席であるお賽銭箱の前に座る。すると、自分が思っていたよりも相当眠かったようで、案外スッと瞼は重くなっていく。

この神社は居心地が良い。初めて会った時に天狗さんが言っていた言葉。私はこれに大いに共感した。ちょうど良い気温と湿度に、程よく吹く風。そして、自然溢れる緑色に囲まれたこの地で眠気が訪れたら、もちろんすんなりと夢の中へ落ちてしまうわけで。

私も例に漏れず、船を漕いでいた数分後には夢の中へと誘われていた。

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