第2話 踏み出すか、逃げるか

私がこの神社に通い始めてはや二ヶ月。上りながらゆったり移ろう景色と、踏みしめた時の石段の硬い感触にも慣れたものだと思っていたのだが――。


「ど、どどどう話そう……」


かつて、こんなに震えながら石段を上ったことがあっただろうか。

否、一度もない。夏芽さんと喧嘩をし、思い詰めた表情を浮かべながら歩いたことはあるが、段から足を踏み外しそうになるほど震えながら歩いた覚えは無い。おかげで何度もコケかけ、脛を打ちそうになったことか。

はあ、と重々しいため息を長く吐き、思い詰めた表情に加え、死んだ魚の目で一段一段見つめながらのろのろ上る。神社が近づいていくにつれて、私の重いため息は多くなっていった。

どれだけ行くのを躊躇しようと、この石段は私の目的地に通じているのだから、当たり前のように神社は姿を現す。いつも大きく見えるそれだが、今日は特別大きく見え、私の不安を余計煽らせた。


どうしよう、既に帰りたい。

異様なオーラを放つ神社を視界に入れた瞬間、真実を知ることが途端に怖くなり、私は一歩、また一歩と今来た道を後ずさりする。不安で震えていた足が、今度は恐怖で震え出した。何となく、真実を知ってしまえば、何かが壊れてしまうような気がしてならないのだ。

教室から中々出られず、かつ足止めしていたのはこれが原因だったのかもしれない。

だんだんと目の前がぼんやり霞み滲んでいく中、私の中にある一筋の光が差す。それは、今日は一旦やめておいて明日また聞けばいいのでは、という誰が聞いても甘ったれた考えだと口を揃えて言うものだった。とどのつまり、私は逃げを選択肢に追加したのである。少なくとも、私の頭の整理ができてからでも良いのではないかと言い聞かせているのだった。

それを理解した上で自分を納得させる理由をいくつか並べ、冷や汗を垂らしながらうんうん頷く。本当は。心の奥底では、今日今すぐにでも聞かなければいけないと分かっているのに。


数分悩んだ結果、私は暗い表情のままくるりと踵を返し、石段を一歩、二歩、三歩とだんだん下りていった。せっかくここまで来て、今しなければならないことは頭では分かっているのに、体は逃げを選択したのだった。……だって、怖くて仕方がないのだ。

もし、もし――私が本当に百合の花だとして。事実、私は玉藻前に一度殺されているのだ。理由は言っていたような気もするがあまり記憶にない。

では、私が夏芽さんの話を聞いていくうちに玉藻前に殺される際の痛みや辛さまで思い出してしまったら? 喉を掻き切られる痛み、焼かれる熱さ、埋められる苦しさ、それらのどれかを思い出してしまったら……。

考え出したら止まらない思考の常闇に、だんだんじわじわ堕ちていく。そこは暗くて寒くて、独りを実感する酷く怖い場所だった。


百合ちゃん、百合ちゃん。


誰かが私を呼ぶ声が聞こえる。声のする方へ近づくと、そこにはどこかからか差す一筋の光が、一輪の白色の花を照らしていた。不思議で幻想的な光景に思わず見惚れる。風も吹いていないのにふわりと揺れる花は、凛とした佇まいに純白の衣装を身にまとっていた。

ああ、思い出した。この花の、名前は。


「――百合! あ……良かったぁ、起きた……!」

「な、つめさ……っ」


夏芽さんの優しい声色、暖かい色をした髪色。そして私を吸い込んでしまいそうなほど透き通った目の色に見つめられ、ようやく意識が覚醒した。彼女によると私は石段の途中で座り込んで泣いていたようで、私の姿は無いのに声だけが聞こえることを不思議に思った夏芽さんが、わざわざここまで見に来てくれたようだ。一度ならず、二度までも泣き顔を見られてしまったことに若干の羞恥心を覚える。


夏芽さんは私が落ち着くまでずっとそばにいてくれた。優しくされるとさらに泣いてしまうと前回伝えたのに、それでもなお抱きしめて頭を撫でる夏芽さんの手に少しの懐かしさを感じる。


「落ち着いた?」

「はい……。お見苦しいものをお見せしました……」

「そ、そんなに暗くならなくても……」


苦笑いを浮かべながら、変わらず頭を撫で続ける夏芽さん。

私はどれくらい泣いていただろう。どれくらいの時間、底の知れない恐怖が胸の中を支配し、ぐるぐると渦巻いていただろう。少なくとも、きっと門限(我が家は六時)は超えてしまっているだろうな。帰ったらきっと、母の説教コースまっしぐらである。しかし、ここまで来たならもう腹を括って、事実を聞くという選択肢を取るしかない。泣いてスッキリした今なら多分大丈夫だ。

私が密かに決意に胸を燃やしていると、夏芽さんは珍しく不満気な表情をし、遠慮がちにクイクイと袖を引っ張ってきた。


「ねえ、百合ちゃんから微かに玉藻前の匂いがするのだけれど。……ハッ、もしかして今泣いているのは玉藻前のせい!?」

「まあ、厳密に言えば……そうです、ね」

「何と……すまない、少々席を外すね」

「ちょちょ、待ってください……!」


たしかに、殺された時の痛みや苦しみを思い出すことに恐怖を感じ、その他諸々のせいで泣いていたので玉藻前に泣かされたと言っても過言では無いが。素直に質問に答えると、夏芽さんは戦闘準備万端とでも言いたげに腕まくりをして立ち去ろうとする。玉藻前を懲らしめに行こうとしているのは一目瞭然なので、とりあえず落ち着くよう今度は私が彼女を宥めた。中々「行くったら行く!」と言って聞かず、手ごわい相手だったが私が真剣な表情で話があると言えば、大きく目を見開いて一時停止する。まだ何か言いたげに口をムニムニさせていたけれど、私の表情から汲み取ってくれたのか、佇まいを正して私の方へ向き直ってくれた。

改めて向き直られると緊張が押し寄せてくる。夏芽さんにならって私も佇まいを正し、いつものように息を短く吸って吐く。正直、まだ怖い気持ちは消えない。それでも話す理由は、今話さなければ一生話す機会を見失ってしまいそうで、というのもあるが何より――この神様といれば怖さも吹き飛ばしてくれそうな気がしたからだ。

伏せていた目を、夏芽さんの二つの緑色とカチリ合わせる。


「夏芽さん、私の過去について知っていることを教えてくれませんか」

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