第11話 違和感、そして確信

私の部屋のど真ん中で自分の家かのようにくつろぐその狐は、突っ立ったままの私を見て首を傾げる。


「どうした。なぜ中に入らない」

「いやいや……まさか昨日の今日で来るとは思ってなかったので。あ、あといなり寿司はないですよ」

「…………は」


玉藻前は今までの落ち着いた表情から一変し、信じられないものを見た時のように顔面蒼白になった。

どうやら彼女は本当に食べる気で来たようで、首には赤ちゃんが掛けるような可愛い前掛けをスタンバイしている。どこで手に入れたのだろう。

全く関係ないことを気にしていると、玉藻前がフルフルと震えていることに気がついた。こんなに準備万端で来たのに食べられないのかと残念に思っているのかもしれない。私は小さくため息を着き、入口から部屋の中央へ移動する。


「え、えーと……そんなにショック受けなくても……。後でお母さんに作って貰えるよう頼んでおくので、また明日……」

「ダメだ! 今日じゃなければダメなのだ!」

「でも急に言われても無理ですよ。それにもう夕飯の時間だし、お母さんも作れないです」

「くっ……!」


昨日の今日で食べたくなるほど母お手製いなり寿司を気に入ってくれたのは嬉しいが、さすがに今からはもう無理だ。母だってもう夕飯を仕上げている頃だろう。今更いなり寿司作ってと言えるわけもない。

しかし、一向に引き下がらないこの狐はどうすれば良いのだろうか。

もしこのまま口論が続き、玉藻前の食欲と怒りが爆発すれば、今度こそ私は食べられてしまうかもしれない。漫画でもそういうシーンをよく見てきたので私には分かる。いや理不尽すぎるだろと、一人で声に出して突っ込んでいたのは良い思い出だ。

それはさておき、私は食べられる前にこの狐をどうにかして帰さなければいけない。

私は暴れる玉藻前を押さえながら、ムムムと考え込む。強制的に掴んで外に放り出すのはどうか。……いや、後に祟られそうなので却下。それなら、夏芽さんに来てもらって……ああ彼女は神社から出られないのだった。これも却下。

良案とは言えないものたちが浮かんでは消え、浮かんでは消えを繰り返していると、ふと昨日の玉藻前の言葉が蘇った。

彼女は言っていた。好物は定番の「油揚げ」だと。そうだ、いなり寿司ではなく、好物の油揚げを与えてみるとかはどうだろう。もしかしたら、それで満足して帰ってくれるかもしれない。やっとのことで良案が浮かんだ私は、よしとフローリングからお尻を離して、下の階へ向かう。正確には冷蔵庫へ、だ。


「あれおかえり。帰ってたんなら言ってよ。もうすぐ夕飯出来上がるよ」

「えっと、うん」


台所にはもちろん母がおり、機嫌が良いのか鼻歌混じりで料理の盛りつけをしていた。良い匂いがそこら中に漂っている。

だが、私としてはその母の後ろの冷蔵庫に用事があるわけで。今から私が何食わぬ顔で冷蔵庫から油揚げを持ち出して二階に上がれば、もちろん母に怪しまれる。

さてどうしたものかとまた考え込んでいると、母が唐突に思いもよらぬ爆弾発言を落としていった。


「そういえば百合、昨日冷蔵庫にあったいなり寿司全部食べたの? 結構な量あったけど……」


ドキリと胸が跳ね、冷や汗を垂らす。当たり前だが母にバレていた。それもかなりの量を玉藻前が残さず食べたので、余計に怪しまれている。


「あ、あー……ええっと、まあお腹すいてたから」

「でも昨日の夕飯残さず食べてたよね。……太るよ?」

「ふとっ!? 太ってないし! 成長期だからだし!」

「ふふ、はいはい」


とりあえず咄嗟に思いついた言い訳を言ったが、母にはいじられ散々な思いをした。

とにかく今は冷蔵庫から油揚げを取り出せそうにないので、報告だけしに行こうともう一度玉藻前の元へ向かう。


「もうできるよ?」

「すぐ戻るからー」


ガチャっと開けた戸の向こうには、相変わらず我が物顔で中央に座る狐の姿。私の苦労も知らずに、と呆れながら近寄り、いなり寿司の代わりに油揚げをあげるということ。そして、今は母がいるからもう少し待ってということを伝えて何とか暴走を阻止することに成功する。

油揚げ……! と目を輝かせる玉藻前を見て、思わず可愛いと言いそうになってしまった。


「とりあえず私はご飯を食べてくるので、その間部屋にいてください」

「む、私より先に食事を摂るか」

「そういうこと言うなら、もう油揚げもいなり寿司も持ってきませんよ」

「冗談だ、冗談!」


いや今のは絶対に冗談ではなく、本気で言っていたと思うのだけれど。油揚げといなり寿司を人質にとれば、あっという間に手のひら返しをする玉藻前。汗を流す狐をジト目で見つめながら自室のドアを閉め、空いたお腹に食べ物を詰め込むべくリビングへ下りた。



「本当に美味しそうによく食べますね……」

「事実上手いからな!」

「食べながら喋らないでください」


小さな口を一生懸命動かして頬張る玉藻前を、課題を進めながら見つめる。

――たった二枚の油揚げを冷蔵庫から母に見つからないよう取り出すには、相当の労力と耐力を必要とした。まずは第一に見つからないよう最大の注意を払って行動しなければならない。それに加え、母が台所から去るタイミングを見定めなければならなかった。結局、お風呂に入るとのことで姿を消したところを狙って油揚げをゲットしたのだが。

明日はこの油揚げを使用した理由と、何に使ったのかを聞かれるのか。まだ確定していないのに勝手に気が重くなり、課題を進める手が止まる。ちょうどキリのいいところまで進んだので、休憩にしようと玉藻前の方を向いた。

昨日と今日で一番気になっていたことを、直接本人に聞いてみることにしたのだ。


「なんで玉藻前は、お腹が空いてても私を食べなかったんですか?」


純粋な疑問だった。こんな自分勝手の塊である玉藻前は、いくらお腹が空いていようとも絶対に私を食べようとする素振りすら見せなかった。「くれないなら食ってやる」くらい言いそうなものなのに、違和感しかない。

昨日から感じてはいたけれど、何となく聞けずじまいだったので、休憩がてら聞いてみようと思ったのだが。

玉藻前の油揚げを食べる口が止まる。

やけにシンと静まる空気に、夏芽さんと初めて会った時の記憶が頭をよぎった。聞いてはいけないことを聞いてしまったかのような、そんな雰囲気を今まさに肌でひしひしと感じている。


「食って欲しいのか、百合は」

「いやそんなわけないじゃないですか」


まあそうだな、と先ほどのおちゃらけた様子から一変し、玉藻前は今まで見た事のない真剣な表情になる。休憩がてらなんて、軽率に訊いていいものではなかったのかもしれない。今になって焦り始める私をよそに、玉藻前はまた油揚げを食べ始めた。話し始める様子はないので、私も休憩をやめて課題に取り掛かろうとする。


「二度も殺せば、さすがに夏芽に嫌われる」


すると、玉藻前が静まっていないと聞こえないくらいの声量でそうっと呟いた。二度も、というのは私が夏芽さんの二人目の友達であり、その私を殺せば最初の友達の一度ならず、二度も友達を殺めてしまったことになる。私を殺さない理由が夏芽さんに嫌われてしまうから、というのが何とも玉藻前らしい。最初に出会った日から何となく気づいていたが、神社に異様な執着を見せていたのは玉藻前が夏芽さんのことを大好きだからなのだろう。

しかし、やはり友達殺してしまったのは玉藻前なのかとシャーペンを握る力が強くなる。私は友達の友達を殺した相手と何をしているのか、と。

すると突然、玉藻前は細々と、ボソボソと小さな声でゆっくり話し始めた。


「最初に百合と言う名前を聞いて、酷く運命というものを憎んだ。――一度殺しても、仲を引き裂こうとしても……こいつらは再び出逢い、巡り逢うのかと」

「…………え?」


耳を疑い、目を見開いた。今なんと言ったのだ、この狐。


「お前が天狗に会った時、割れるような音がしただろう、私と最初に会った時のような。あれは天狗が割ったのでは無い、私が割ったのだ。しかし……余程夏芽はお前が大事らしくてな、すぐに貼り直されてしまった。平然さを保ったまま」

「え、ちょ……? 何を……言って」


嫌な予感が、嫌な汗が背中を伝う。もう課題どころじゃない。


「私はお前が嫌いだ。……けれど、数日お前に取り憑いていて分かった、分かってしまった。なぜ夏芽がそれほど大事に想っているかを。だから今こうして話しているのだ。それに、このまま言わず終わってしまうのも夏芽が少々可哀想だ」


よく分からない言葉を並べて私を見やり、そして知ってはいけなかった、聞いてはいけなかったことを、玉藻前は水滴を垂らしながら唐突に突きつけてきた。耳を塞ぐも時すでに遅し。


「お前の、百合の正体は」




前世でも夏芽の友達だった――百合の花だ。






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