第10話 1200文字へ込める

翌朝、私は目が覚めると、一目散に顔を洗って動きやすい服に着替え、下の階へダッシュで駆け下りる。

食卓には既に朝食が準備されており、バターのいい匂いがリビング中に漂っていた。


「あれ、おはよう。今日は友達のところ行くの?」

「うん。用事が片付いたらしいから」

「そっか。じゃあ気をつけて行ってらっしゃい」


いただきますと手を合わせて朝食を頬張っていれば、洗った食器を拭いている母が話しかけてきた。

友達のところへ遊びに行くという旨を伝えると、母は嬉しそうにふわりと笑う。

母なりに、友達の件を気にしていてくれたのかもしれない。

心の中でボソリとお礼を言い、最後の一口を味わって食べた私は、椅子から腰を浮かしてシンクに食器を片した。

母が小さな声で「食べるのはや」と人ならざるものを見たような表情で呟いていたが、急いでいる私はそんなこと気にもとめずまた上の階へ上がっていく。

自室のドアを開けて一番最初に目に入るデスクの上には、昨日の夜のうちに用意しておいた筆記用具と、国語の課題の作文用紙が置いてあった。

何を隠そう、今日は約束通り神社で夏芽さんたちと作文を書く会を開くのだ。

きっと時間がかかるだろうからという夏芽さんの配慮で、今日は珍しく朝から神社へ出向く。

昨日のうちに天狗さんと猫又さんにも話を通しておいたから、きっとみんな集まっている頃だろう。

私も急いで行かなければ。

楽しみな気持ちを抑えながら、必要なものたちを全てトートバッグに詰め込み、仕事に行く準備をしている母に大きな声で言った。


「行ってきます――!」




外に出れば、相変わらず蝉の声はうるさいし、太陽からの直射日光も躊躇することなく私を照らした。

しかし、一度古井神社に入ってしまえば、そんな夏の憂鬱も全て吹き飛ぶ。

蝉の声は一切しないし、涼しい風がずっと吹いているのだ。

最初の頃こそ不思議に思ったが、今では夏芽さんが神社の周りに張っている結界のおかげで、外とは全く違う別世界のようなものになっているのだろうと勝手に解釈していた。

人も全く訪れないので、人見知りの私としてはかなり助かる憩いの場である。

いつも通り短い石段を上っていくと、黄色の髪を輝かせながら、ほうき片手に掃き掃除をしている夏芽さんの姿が確認できた。

そばには掃き掃除の邪魔をするようにして寝転ぶ猫又さんや、何かを手に抱えている天狗さんの姿もある。


「おはようございます。すみません、ちょっと遅れました」

「あっ、百合ちゃん! おはよう。そんなに遅れてないから謝らなくて大丈夫だよ」

「なんなら僕らが速かっただけだしね。猫又とか、珍しく一番乗りだったから」

「ちょっ、言うんじゃないよ! というか、あんたも来るの速かっただろ!?」

「そりゃあ、作文に僕のことを書いてもらえるなんて楽しみだし、光栄なことだからね」

「いや、学校の課題なんであんまり凄いものじゃないですよ……」


本当に嬉しそうな表情を浮かべる天狗さんに水を差すのもどうかと思ったが、念の為に言っておいた。

が、聞く耳持たずで胸を張っていたので、まあいいかと思考を放棄した。

しかしまあ、なんというか。

妖怪というのは、人間に対してこんなにも好意的らしい。

幼い頃に読んだ昔話や怖い話には、人間をよく思っていない妖怪が登場しており、そこから「人間と妖怪は仲が良くない」と偏見を持ち続けてきたのだけれど。

どうやらそれは、全ての妖怪に共通するわけでは無さそうだ。

……いや、そんなことよりも。


「天狗さん、手に持ってるそれってまさか……スイカですか?」

「ああ、そうだよ。多くてうちでは食べきれないからさ。前も好評だったし、ちょうどいいから持ってきたんだよ」

「それはありがたいんですけど、その……もちろん切るものとか持ってきてます……よね?」

「え? ああ、それなら前と同じようにこれで……」

「な、夏芽さん……!」

「ふふっ」


これ見よがしに天狗の羽団扇をチラつかせる天狗さんから逃れようと、近くにいた安全地帯の夏芽さんの背中に隠れる。

なぜ前回のことを学習せずに、その葉っぱでスイカを切ろうとするのだ。

私が高いところを好いていないことも知っているというのに。

わざとやっているのだろうか。

もしそうだとしたら、妖怪というのはやはりイタズラ好きなのかもしれない。


「さ、そんなことより百合ちゃんの作文を書き始めよう。そうだ、まずは私のことから書いたらどうかな? 一番最初に出会ったわけだし……」

「いやいや、一番インパクトの強かった僕からじゃないかな」

「自分で言っちゃうんですね……」

「それじゃ、間をとってこの私から書いたらどうだい?」

「というか……原稿用紙三枚だけなんですから、いちいち皆さんとの出会いとか紹介とか書けませんって。それに、思い出を書く作文ですし」

「うーん………………あっ! じゃあこういうのはどうかな……! ほら、あの日のことをこうやって――」


あーでもない、こーでもないとみんなで議論をして、結局書き始めたのはお昼を過ぎてからだった。

四百字詰めの原稿用紙三枚に、この夏休み中の彼女らとの思い出を書き綴っていく。

心が温かくなった出来事や、肝を冷やした出来事。

そして記憶に新しい、初めて喧嘩して初めて仲直りをした出来事。

所々、彼女らを人間として書いているせいで改変したところはあるけれど、それでもだいたい同じように書いた。

この三枚分、1200文字分に私の思い出が詰め込まれている。

そう考えると、ただの国語の課題なんかではなく、宝物のように見えてきた。

それを夏芽さんたちに言うのは恥ずかしいので、心の中だけで収めておくけれど。


「ふふ、そっか」

「……何か、ズルイですよ夏芽さん」


ああそうだ、この神様には全て見透かされているのだった。

きっと、いつになっても彼女には勝てないのだろう。


「さあ、じゃあお腹も減った事だし! お待ちかねのスイカを食べるとしようか」

「よし、私は地面に張り付いてますので、今回は絶対に飛びませんからね」

「おや、前回の私が笑った件、まだ根に持ってるのかい」

「大丈夫だよ、百合ちゃん。飛び上がったら僕が受け止めてあげるから」

「いやまず、飛び上がらないように普通に包丁で切ってくれませんかね!?」


私の悲痛な叫びは、三人の笑い声でかき消されていく。

次第に私の叫び声も笑い声に変わり、天狗さんの羽団扇が風を切る音が辺りに響いた。

――原稿用紙の最後の一文がぼやっと浮かび上がる。


「この三人と、大人になってもいつまでも友達でいたいです。」


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