第6話 アンネマリーは気弱で地味な令嬢(?)

アンネマリーの決断から、少し話はさかのぼる。


「その新作の春画はですね、新訳クトリニ島探検記。隊長と副隊長の絆が大変かぐわしい、名著です」

「うわー、見てらんねえよ、この変態ー」


堂々と言い放つアンネマリーに、フェリクスは指さして笑い転げていた。


数刻後。


木造りの本棚が並び、磨かれた窓の外にはこれから盛りを迎える紫陽花が見える。

フェリクスは自室で椅子に姿勢よく座っていた。


艶やかな飴色のロールトップデスクの上には「新訳クトリニ島探検記」。

フェリクスは目を閉じて、深くため息をついた。


――買った。


表紙を開いて、フェリクスは読書にふける。

最後のページをめくり、改めて裏表紙をしげしげと眺めるころには、フェリクスの頬には涙が一筋零れ落ちていた。


「……隊長と副隊長、付き合ってるよなぁ」


――フェリクスも殿方同士の恋愛が大好きだった。


フェリクスはふと本棚を眺める。

天井まで届く本棚はアンネマリー――偉大なる先達の推薦図書で埋め尽くされている。


「言えない……趣味がえげつなくかぶっているなんて」


事の発端は、アンネマリーの推測通り、彼女が描いた春画を幼いフェリクスが目にしてしまった時だった。


わお、破廉恥! 信じられない!

当初のフェリクスの反応は間違いなくそれだったが、次第に怖いもの見たさでアンネマリーの引き出しを覗くようになり、推薦図書にも目を通し……あれよあれよという間にフェリクスは泥沼に沈んでいった。


一向に抜け出せる気配はない。


フェリクスはごんと机に頭を打った。

本当はアンネマリーにこの趣味を告白したい。

一晩、いやこの際永久にでも我らが趣味について語り合いたい。


だが……フェリクスは現時点、アンネマリーに殿方同士ラブの趣味を暴露するどころか、アンネマリーの趣味をけなしてさえいる。


何故か。


あれはフェリクス十歳の時だった。いつものようにアンネマリーの私室で、密かに春画を覗き見た。

描かれていたのが自分だった。

以上。


身近な人で殿方同士ラブの妄想をしてしまうなど、フェリクスにすらよくあることではある。


だがしかし。

描かれていたエッチでセクシーな当事者が自分であるとなると、感情としては別である。

しかも描いたのが身近な人であるからこそ、精神的ダメージは悪化する。


なにより、アンネマリー。


フェリクスははその生涯でいろいろな人を見てきた。

だが、こいつだけは謎だ。


フェリクスは今でこそ甘いマスクが女性陣に好評ではあるが、幼少期は顔が愛らしすぎて、女子のような雰囲気の方が勝っていた。

それが理由か、同世代の少年達からは「おんなおとこ」といじめの的だった。


まだ幼かったので、フェリクスは本気でどうしたらいいかわからなかった。

恥ずかしくて、親にも相談できなかった。


そんな時、フェリクスが相談相手に選んだのはアンネマリーだった。


趣味を把握する前からアンネマリーはフェリクスの一番の友達だった。

お互い打たれ弱い性格だったので、気が合ったのである。


当時七歳のアンネマリーは頷いた。


「酷いですね、それは。私にまかせてください」


そこからフェリクスが止める間もなく、アンネマリーの猛攻は始まった。


ある昼、アンネマリーの屋敷で行われる茶会にいじめっ子たち全員を招待。

そしてそれとなく人のいない別邸へ誘導。

屋敷の中は真っ暗で、窓や扉にも全部鍵がかかっている。

戸惑う彼らに、おっさん声の変声機で「かわいいねぇ、女の子みたいだねぇ」と叫びながら、夜になるまで追いかけまわす。


「半ズボン、似合うねぇ。すね毛生えてない、可愛いねぇ。ハァハァ」


この語彙がどこから来たのか、フェリクスは知らない。考えたくもない。


ようやく別邸から逃れ出た少年たちに、アンネマリーは近づいた。


「大丈夫?」

「あ、おい、お前。ここバケモノがいるぞ。この屋敷どうなってんだ」

「ああ、容姿のことでいじめられるのって、つらいですよね」

「いや、もうそういう次元じゃ……」

「つらいですね?」


にっこり笑ったアンネマリーに、いじめっ子たちは口をつぐんだ。

それから、すくなくともフェリクスは彼らから「女の子みたい」と、いじめらることはなくなった。


これが七歳女児のすることか。


フェリクスは、何がアンネマリーを怒らせたのかわからない。

だが、これだけは言える。


アンネマリーは、生まれた時から気弱で地味な少女である。

だが、ここぞというときの決断力と行動力が尋常じゃない。


彼女が何かをしようと思いついたなら、多分何も起こらないわけがないのである。


フェリクスは正直彼女を恐れている。

彼女が自分を殿方同士ラブに巻き込もうとしたなら、どれだけ自分が対抗しても、すくなくとも災厄に巻き込まれることは間違いない。


それこそがフェリクスが彼女の殿方同士ラブという趣味を拒むゆえんであり、何なら、フェリクスが女性たちと交流を多く持つ理由の三分の一はこれである。


では、これだけ恐れているのに、フェリクスがアンネマリーをかまう理由はなにか。




――哀れ、フェリクスは未だ初恋にとらわれていた。

きっかけは、いじめっ子に堂々対峙する、気弱なはずの少女の姿であった。

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