第18話「とっても可愛い人でしょう?」④


 アデルバートはダンスが嫌い。

 だから、誰かをダンスに誘うことは滅多にない。


 そもそも、夜会に出ること自体が稀なのである。一緒にダンスを踊る機会なんて、ないに等しいことだった。

 だから、アデルバートがジェシカにダンスを申し込んだとき、周りがザワザワした。


 アデルバートとは幼い頃に一度会っただけだ。それ以外にアデルバートとの接点はないし、ジェシカの母親と王妃は姉妹であるとはいえ、今はその仲が最悪になっている。その娘であるジェシカと親しくしても、アデルバートに利益はないどころか、王妃の心象を悪くする可能性を考えると不利益でしかない。


 そんな相手に、滅多に踊ることのないアデルバートがダンスを申し込む理由はなんだろうかとジェシカは考えてみたが、まったく思いつかない。


(……この申し出をわたくしが断ることなんてできない。それに……これは良い機会だわ。ライリーのことを尋ねるまたとない絶好の機会を向こうから与えてくれたのだから、これを不意にするわけにはいかない)


 ジェシカは控えめにニコリと微笑み、「喜んでお受けいたします」とその手を取った。

 アデルバートと共にホールへ向かうと、人々がさっと道を開ける。

 王子と一緒に歩くだけでこうなるのかと、ジェシカは少し驚いた。それだけアデルバートの動きを人々が注視している証だろう。


 ホールの中心に辿り着くと、ちょうど音楽が流れた。……いや、アデルバートの到着に合わせて演奏しているのかもしれない。


 一礼をしてステップを踏み出す。

 ダンスが嫌いだと聞いていたから、てっきりアデルバートのダンスはそれなりにできる程度のものだろうと思っていた。しかし、アデルバートのダンスは完璧だった。しっかりとリードしてくれるので、踊りやすい。


 心の中で驚いていたジェシカに、アデルバートが話しかける。


「……突然このようにダンスに誘って申し訳なかった。だが、こうでもしないとあなたときちんと話ができないと思ってな」

「え……?」


 意外なアデルバートの言葉にジェシカは再び驚く。

 アデルバートは器用に微笑んだまま、真剣な声音で話を続ける。


「ライリーの……弟のことであなたに相談がある」

「ライリーの? 殿下、ライリーはいったい……!?」

「まあ、そう慌てるな。弟は元気にしているから安心するといい。だが……少し厄介なことになっている」

「……その厄介なことというのは、わたくしに相談することでなんとかなるようなことなのですか?」

「いや、難しいだろうな。しかし、あなたならば弟の力になれるはずだ」

「……」


 ライリーが元気にしていると聞いて、少しだけほっとした。

 なんとなく想像はしていたけれど、アデルバートの話しぶりから、ライリーはとても複雑な状況に置かれているようだ。

 ジェシカで力になれるのなら、力になりたい。

 しかし、わざわざ夜会に参加してジェシカに相談を持ちかける意味はどこにあるのだろう?


「わたくしで力になれるのなら、もちろん力になりますわ」

「ありがとう。後日、ゆっくりとその話をしたいのだが、お時間をいただけるだろうか?」

「ええ、もちろん」


 そう答えると、ちょうど曲が終わる。

 もう少し詳しくライリーのことを知りたかったジェシカは、ダンスが終わるのを惜しく思った。


「お付き合いいただき、感謝する」

「こちらこそ、ありがとうございました」

「……また私と踊っていただけるだろうか?」


 意味深な表情を浮かべてそう問いかけてきたアデルバートに、ジェシカは固まった。

 これではまるで──。


「アデルバート様はジェシカ様をお気に召された……?」

「確かにジェシカ様なら家格も申し分ないな……」


(そう、なるわよね……)


 ジェシカはため息を押し殺し、なんとか微笑みを作る。


「わたくしでよければ、喜んでお相手いたします」

「ありがとう。ではまた」


 そう言って去る間際に、アデルバートは小声で「後で連絡をする」と言った。

 ハッと振り返ったときには、アデルバートはもうすでに別の誰かと話をしていた。

 八年前にお茶会をしたときの、不機嫌そうな顔ではなく、愛想良く話をしている彼を見て、彼も大人になったのだなとジェシカは思った。


「ジェシカ、おまえアデルバート殿下と……!」


 アデルバートを眺めていると、慌てた様子で父が駆け寄ってきた。


「お父様、どうか落ち着いて」

「いやしかし……! アデルバート様だぞ!?」

「そうですね……」


 恐らく、父や周りの人たちが思うようなことではない。アデルバートはただジェシカと接触しやすくするためだけに、敢えてあのように言ったのだろう。


(でも……もっと違うやり方があったのも事実……なにを考えておられるのかしら)


 噂に聞くアデルバートは頭の切れる人物だという。

 それが本当ならば、これもなにか考えがあっての行動なのだろう。

 その考えとやらは、ジェシカにはさっぱりわからないけれど。


(後日連絡をするとおっしゃられたのだから、ひとまずはそれを待つことにしましょう)


 ジェシカは動揺する父を言葉を尽くして落ち着かせ、今日のところはそのまま帰ることにした。





     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




 夜会の翌日、早速アデルバートから連絡があり、三日後のお茶会に誘われた。

 ライリーのことで相談したいことがあるとも書かれていたので、ジェシカはその誘いに乗った。


 動揺する両親を宥め王城へ向かうと、アデルバートから話が通っているようで、すんなりと彼のもとへ案内をしてもらえた。


 アデルバートの待つ部屋に入ると、彼は眉間に皺を寄せて座っていた。

 彼の目の前にはお菓子が並べられており、その光景は初めてアデルバートと会ったときの再現であるようで、ジェシカは笑いそうになった。


 体が大きくなっても、この人はなにも変わっていない。

 噂に聞いた、第一王子が第二王子の命を狙っているという話はまったくのデタラメだと確信した。


「来たか」

「お待たせさせてしまい、大変申し訳ございません」

「いや、時間通りだ。堅苦しい挨拶は抜きにして、座るといい」

「ありがとうございます」


 ジェシカはアデルバートの向かいに座る。

 夜会で見たにこやかな彼が幻であったかのように、今のアデルバートは不機嫌そうだった。

 その様子は初めて会ったときのままで、とうとうジェシカは笑いが堪え切れなくなった。


「……なぜ笑う?」


 不機嫌そうに問いかけるアデルバートにさらにおかしくなってしまい、ジェシカは震えながら「も、申し訳……ござ……い……ません……」と答えるのが精一杯だった。

 なんとか笑いを収めたジェシカは、改めて謝った。


「見苦しいところをお見せしてしまい、大変申し訳ございませんでした」

「……なぜ笑ったんだ?」


 ギロリと睨みながら問いかけたアデルバートに、ジェシカはにこやかに返す。


「殿下と初めてお会いしたときのことを思い出し、そのときの殿下と今の殿下の変わらない様子にほっとして、笑ってしまいました」

「あのときか……」


 アデルバートは苦虫を噛み潰したような顔をした。

 そんな彼にジェシカは心からの言葉を伝える。


「殿下にお変わりがなく、安心いたしました。少し怖い噂を聞いたものですから……」

「ああ……私が弟の命を狙っているというやつか」

「ご存じだったのですか?」

「まあな」


 さほど興味がなさそうに答えるアデルバートをジェシカは不思議に思った。

 ジェシカの知る彼は、弟が大好きだった。だから、自分が弟を暗殺しようとしているという噂を知れば、火消しに回るのではないかと思っていたが、アデルバートにその気はなさそうだ。


(噂をそのままにしていいのかしら……それとも、ライリーがそれを鵜呑みにすることはないと確信があってのこと?)


 ジェシカが考え込んでいると、アデルバートが再び口を開いた。

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