第14話「これが私の復讐だ」


 アデルバートは生まれつき、体が弱かった。

 きっと母親の体質を受け継いだのだろう。幼い頃は何度も熱を出しては寝込み、発作を起こしては寝込んでいた。


 そんなアデルバートが四歳になった頃、母親違いの弟が生まれた。

 とはいえ、それをアデルバートが知ったのは三年も過ぎたあとだった。

 アデルバートの周りや父親が、アデルバートが弟に興味を持たないよう、徹底的にその情報を遮断していたのだ。


 弟の存在を知ったのは偶然だった。

 その日は天気が良く、またアデルバートの体調も良かったため、外で本を読もうと中庭に出た。

 そのときにメイドたちの噂話で、とても運の良い第二王子が母親から疎まれているらしいと聞いた。聞けば食べ物を与えられないこともあると言う。


 そんなバカな、と思った。

 事実を確かめるべく、アデルバートはその第二王子を探し始めた。体調の良いときは城の中を歩いて周り、やっと見つけた弟は、本当に食べ物を与えられていないようだった。

 部屋にある水差しから水を飲んでお腹を満たしている様子にアデルバートは大きな衝撃を受けた。


 こんなことが自分の周りで実際に起きていることが信じられなかった。

 幸い、弟は持ち前の強運で、弟の身分を知らない者からこっそり食べ物を恵んでもらったり、近くにあった謎の木の実を食べたりしてなんとか凌いでいるようだった。


 これは兄である自分がなんとかせねばなるまい。

 そう考えたアデルバートは早速、父親に弟のことを尋ね、食べ物をきちんと与えてあげてほしいと頼んだ。


 アデルバートにとって父は優しく、とても尊敬できる人だった。

  だからアデルバートが願えば、きっと弟の処遇もなんとかしてくれるはずだと信じて疑わなかった。

 しかし、父の口から出た言葉はアデルバートの期待を裏切った。


「アデル、それはおまえが気にしなくてもいいことだ。忘れなさい」


 優しい父の言葉とは思えなかった。

 その後、何度か頼んでも父は取り合ってくれなかった。


 父が動いてくれないのならば、自ら食べ物を運ぶしかない。

 そう思い、アデルバートはメイドに頼んでいくつかお菓子を持って弟のいる部屋へ向かった。

 そして部屋に入ろうとしたとき、中から金切り声が聞こえた。


『おまえのせいでッ! わたくしが陛下に怒られてしまったのではないの! いつアデルバート様に媚びを売ったの!? そんなことを許した覚えはないわ!』

『ご、ごめんなさい……ごめんなさい、かあさま……』


 キンキンとした女の金切り声と、泣くのを堪えるような子どもの声にアデルバートはその場に凍りついた。


 ──自分が余計なことを父に言ったせいで、弟が責められている。


 部屋の中から聞こえてくる弟を罵る女の金切り声を呆然と聞き、やがて耐えきれなくなってその場から逃げた。


 なにが正しいのか、よくわからなかった。

 逃げ出したのは正しかったのか。部屋の中に入って弟を庇うべきだっただろうか。いや、そうしたら、アデルバートのいないところでさらに弟が責められる可能性が高い。


 ただひとつわかるのは、これは間違っている、ということだ。

 こんなことが許されていいはずがない。同じ兄弟なのに、自分と弟の境遇に格差があるのもおかしい。


 幼いながらにアデルバートは必死に考え、せめて弟にまともに食べ物を与えるために、体調の良い日のお茶の時間は、弟の部屋と自分の部屋の中間にある部屋で一緒にお茶をすることにした。


 本当はきちんとした生活を送れるように手配ができればいいのだが、アデルバートにはまだそんな采配ができるほどの権限が与えられていない。

 だからこうして、自分の我儘に弟を巻き込むという体で通すしかない。


 最初こそなにを話していいのかわからず、ただ弟がお菓子を食べている姿を眺めているだけだったが、一緒にいる時間が増えるにつれて会話もするようになった。


 それで知ったのが、弟にまともな教育が施されていない、ということだった。

 王子ならば習うべきことであっても、弟は教わる機会を与えられていない。

 聞けば、それも父の指示なのだと言う。


 それを父に問い詰めたが、以前と同じように「忘れなさい」とそれだけしか言わない。

 この頃からだ。尊敬していたはずの父が憎らしく思えたのは。


 誰もなにもしてくれないのなら、やはりアデルバートがなんとかするしかない。

 アデルバートは自分の教師たちを根気強く説得し、弟を授業に参加させることに成功した。


 弟のために、復習がしたいからと弟の年齢で習ったことを毎回少しずつしていく。

 賢い弟はそれで少しずつ学んでいき、あっという間にアデルバートに追いついた。剣術も馬術も同様だった。


 そんな弟は、アデルバートの自慢だった。

 素直ではない性格のせいで口に出しては言えないけれど、素直で賢い弟が誇らしかった。

 体の弱い自分よりも弟が王位に就けばいい。賢い弟は立派に国を導いていけるだろう。自分はその補佐をすればいいと、アデルバートは考えていた。


 しかし、父がそれを許さなかった。

 弟が優秀だと知るや否や、父はアデルバートが弟に接触できないようしただけではなく、軍事学校に入学させた。そしてそのまま、軍に所属させ、前線に送り出したのだ。


「なぜです、父上! ライリーはとても優秀です。軍になど所属させる必要はありません。ライリーを戻してください」

「アデル……アレは危険なのだ。アレがここにいては、体の弱いおまえは王位に相応しくないと言う輩が出だしかねん。そうならないために、アレは軍に行くのが一番なのだ」


 おまえならわかってくれるだろう、と言う父に愕然とした。


「……私はライリーが王位を継いでもいいと思っております。むしろ、体の弱い私よりもライリーが継いだ方が……」

「なにを言い出すのだ、アデルバート。おまえ以外に王位を継げる者はおらん。アレのことは忘れなさい」


 未だにそんなことを言う父に、アデルバートは心から失望した。

 なぜ父は弟を認めないのだろう。


 その真意は、ただの父の八つ当たりだった。

 母を深く愛していた父が、母と入れ替わるように誕生した強運に恵まれた弟をやっかんだだけ。

 それだけで、弟はあんな不遇を強いられたのだ。


 ──許せなかった。

 そんなくだらないことで、なぜ弟が辛い思いをしなければならない。弟はなにも関係ないと言うのに。

 弟はどれだけ不遇な目に遭わされようとも、誰も恨んだりはしなかった。父親も母親も恨んでいない。仕方がないのだと、諦めたように笑うだけだった。


 アデルバートは弟がとても可愛いかった。

 素直ではないアデルバートに対しても屈託ない笑顔を見せてくれる弟を愛していた。

 体がどんなに辛い時も、弟のことを思えばがんばれた。弟のためにならなんでもできる気がしていた。


 このとき、アデルバートは父を完全に見限った。

 嫌なことから目を背け、弱き者に八つ当たりをするような人のことを自分の父親だと思いたくもない。


 だから、誓ったのだ。

 ──自分は絶対に王位になど継いでやらない、と。


 父がアデルバートを王位にと望むのならば、断固として拒否してやろう。

 しかし、それは自分一人で「嫌だ」と言うだけでなんとかできるようなことではない。協力者が必要だ。


 そこでアデルバートは協力者を集めることにした。

 ジェシカと婚約し、結婚したのもその過程で必要だったからだ。

 彼女は弟の母方の従姉であったし、年回りも近く、身分も公爵家の娘とあって、アデルバートと結婚するのに問題はなかった。なにより、彼女は弟と親しく、弟の待遇に対して思うところがあるようだった。


 そこで彼女に協力を頼んだ。

 王妃になれないかもしれないというのに、彼女は躊躇いもなく協力をすると言ってくれた。

 そしてジェシカを通じ、公爵家という心強い協力者を得られた。


 父に対するカモフラージュとして、父に従順になるフリをした。そのために、弟に嫌な態度を取ったり、避けてみたり、弟が邪魔だと周囲にもらしてみたりもした。


 父への報復のためならば、たとえ弟に嫌われようとも構わない。アデルバートはこんな性格だし、元々そんなに好かれてはいなかっただろう。

 傷ついた目をした弟を見るのは辛かったが、これも弟のためになることなのだと言い聞かせて耐えた。


 国を二分にしかねない派閥を作ったのも、父が下手に弟へ手を出せないようにするためだ。

 弟は軍人としても優秀で、たちまち『英雄』といわれるようになったこともあって、これは意外と簡単にできた。弟を推す派閥の中には本当に弟こそが王位に相応しいと考えている者も多いようだ。それはそれで誇らしかった。


 弟は自分が育てたようなものなのだ。そんな弟が民からも慕われていることに、アデルバートは内心鼻高々しながら、表面では面白くないという態度を貫いた。


 隣国の不運な王女と弟の婚約をまとめたのも、実はアデルバートだ。

 女性に興味を示したことがない弟が不運な王女に興味を抱いたという話を聞き、その王女のことを調べあげて婚約を向こうから持ちかけるように仕向けた。


 隣国の王女ならば、父の息がかかることもないし、なにより隣国は弟の良き後ろ楯になるだろう。あの王家は家族をなにより大切にしている家系だ。弟のことも家族の一員として受け入れてくれるに違いない。


 弟が隣国を訪れたとき、アデルバートを擁護する派閥の一部が暴走したのは誤算だった。

 まさかそこまで体の弱い自分に心酔している者がいるとは思わなかったのだ。

 弟の命がたびたび狙われていたのは知っているが、それは父の息がかかった者の仕業だ。アデルバートが王位に相応しいと考えてのことではない。


 そう愚痴をジェシカに零すと、「……あなたたち兄弟は、なぜそう自己評価が低いのかしらねぇ?」と苦笑いをされた。

 まったくもって意味がわからなかった。


 しかし、それも結果として不運の王女と思いを深める結果となったのだから、きっと弟にとっては良い結果になったのだろう。

 アデルバートとしても、どうしても隣国の王女と結婚をしたいのだと訴えてきた弟に、通常ならば到底承諾をしなかっただろう要求を呑ませることができたのは不幸中の幸いだった。


「バート、お薬はきちんと呑まれまして?」

「ああ、大丈夫だ」


 心配そうなジェシカに空の薬が入った袋を見せると、彼女はほっとした様子だ。


「最近、調子がよろしいようで」

「そうだな。発作もないし、体も軽い」

「かといって、無理をしてはだめですからね? バートはすぐに無理をなさるのですもの、妻として厳しく監視をしなくては」

「……お手柔らかに頼む」


 困ったように言ったアデルバートを見て、ジェシカはくすくすと笑う。


「それにしても、泣かなくて偉かったですわねぇ」

「……なんの話だ?」


 惚けるアデルバートにジェシカはニヤニヤと笑う。


「キャロル様からライリーがあなたを尊敬していると伺って、泣きそうになったのでしょう?」

「……」


 なぜそれに気づくのかと、忌々しく思う。こういうとき、ジェシカの観察力の高さが煩わしい。もっとも、それに助けられることも多いので、不満など口にできないのだが。


 黙り込んだアデルバートに、ジェシカはニンマリと笑い、わかっていますよと言わんばかりに頷く。


「再三わたくしが『ライリーはあなたのことを嫌っていない』と申しましたのに、まったく信じてくださらなかったのが悪いのよ」

「私は別に泣きそうになどなっていない」

「ふふ、そういうことにしておきましょうね」


 ジェシカのこういうところが嫌いだ、とアデルバートは心から思う。


「……キャロル様がおいでになられたことで、あなたの計画も最終段階ね」


 先ほどまでの軽い口調とは異なり、ジェシカは感情を抑えたような静かな口調で言う。

 それにアデルバートも真顔で頷く。


「ああ、そうだな。あとは──私が死ねば、すべて計画通りだ」

「……」


 静かにそう言ったアデルバートに対し、ジェシカが痛みを堪えるような顔をする。

 そんなジェシカにアデルバートは笑いかけた。


「そんな顔をするな、ジェシー。わかっていたことだろう?」

「そうね……でも、本当にそれでよろしいの?」

「ああ、これでいい。私を推す派閥の筆頭であるジェシーのお父上も、私亡きあとはライリーを後押ししてくださるとお約束いただいた。惜しむらくは、ライリーが王となる姿を見られないことと、あの男の歪んだ顔が見られないことだけだな」

「バート……」


 皮肉げに笑ったアデルバートをジェシカは泣きそうな顔で見つめる。


「ライリーとも私に万が一のことがあった場合、王位を継ぐことを内々に約束させた。あれは義理堅い性格だ。約束したことは守るだろう」

「……わたくしは、そんなことを心配しているわけではないのよ」


 低い声で言ったジェシカに、アデルバートは微笑む。


「わかっているさ。君が私のことを想ってくれていることは。だが……これも体が弱く生まれた私の運命だ。別に望んで死にたいわけじゃない。だが、どうせ死ぬのなら、この命を最大限に利用するのも悪くないと思ったんだ」


 それにすぐに死ぬわけでもないしな、と言うアデルバートをジェシカは後ろから抱きしめた。


「はじめから……最初から、わかっていたことだけれど……わたくしはやっぱりあなたに生きてほしいわ」

「……ありがとう、ジェシー。君にそう言ってもらえるだけで私は幸せだ」


 ジェシカの手に触れながら、アデルバートは目を閉じる。


 ──アデルバートに残された時間は、あまり長くない。

 もとから、二十歳までは生きられないだろうと言われていたのだ。それを五年近くも長く生きられたのだから、きっとがんばった方だ。


 そのことを知っているのは、アデルバートを担当する医師と、ジェシカとその父だけだ。

 実の父親でさえも知らない、アデルバートの秘密。


 心臓が生まれつき弱かったアデルバートはたびたび発作を起こしていた。

 今は薬で発作を抑えているが、医師からは次に大きな発作が起きたら命の保証はできないと言われている。


「あなたはどうしてそんなに不器用なのかしら……」

「生まれつきだ、諦めてくれ」


 そう言ったアデルバートにジェシカはくすりと笑う。


「わたくしは、そんな不器用な生き方しかできないバートが好きよ」

「……そうか」


 こういうとき、「私もだ」と素直に返せたらいいのに、と思う。きっと弟ならさらりと言ってしまうのだろう。


「でも……わたくしとライリーのために、できるだけ長く生きて」

「……」


 こんな自分を好いてくれるジェシカと、尊敬してくれている弟。

 その二人のことを思うと胸が痛くなる。


 本当に、死にたいわけではないのだ。

 でも、きっと自分が死ぬことが、父に対する最大の報復になる。


 父はアデルバートを通じて亡き母親を見ているのだ。だからアデルバートに執着し、それを脅かす存在であるライリーを厭う。

 あの男が見ているのは自分の息子ではなく、最愛の人。それ以外、なにも見えていない、愚かで可哀想な男。


 自分が死ねば、きっと父は発狂する。もともと父は心の強い人ではなかったが、母を亡くしたことにより、さらにそれが顕著になった。

 アデルバートが母親似だったこともあり、今はアデルバートが精神安定剤のような役目を果たしているが、それがなくなったら間違いなく父は狂う。事実、アデルバートが発作を起こすたびに父は荒れている。


 そうなれば、王座にいることもできなくなり、どこかに軟禁されるだろう。

 精神を侵されながら、暗い牢獄で生涯を終える。かつて王であった男とは思えない末路を辿るのだと思えば、胸がスッとする。


「……努力は、する。だが、私がこの命を最大限利用することは揺るがない。これが父に対する私の復讐だ」


 家族を、息子を拒んだ父を、アデルバートは絶対に許さない。可愛い弟を苦しめたことも、許さない。

 ──たとえ、弟が許していたとしても。


 その決意を口にすると、ジェシカは諦めたように微笑み、「……そうね」と頷いた。

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