第9話「全部わたしが叶えて差し上げます」



 城へ戻り、兄とライリーは父王に報告に行くと二人揃って父の執務室へ向かっていった。

 それを見送り、キャロルは自室に戻って着替えをした。


 ライリーのことが気になるが、今は忙しくしているだろう。夕餉のあとにでも話をしようと思った。

 しかし、ライリーは夕餉に姿を見せなかった。それを不思議に思っていると、父から聞かされたことに驚いた。


「え……ライリーが国へ帰る……?」

「ああ。今回の件で急遽国へ戻らなくてはならなくなったのだとかでな……二日後には帰ると言っておられた。その準備で今日の晩餐には出られないと謝られてな……実に残念だ」


 そう言った父は本当に残念そうだった。

「婿殿ともっと話をしたかったのになぁ……」としょんぼりして言う父を母が慰める。


 そんないつもの父と母のやり取りをどこか遠くに感じた。


(ライリーが……国へ帰る?)


 ライリーが国へ帰ることに驚き、すごくショックだったのは本当だ。

 しかし、それ以上に嫌な予感がしたのだ。


 キャロルは食事がまともに喉を通らなくなって、ほとんどを残してしまった。


 自室に戻り、キャロルはしばらく自分の感じた嫌な予感について考えた。

 湯浴みをしてさっぱりし、キャロルは決めた。


 ──今からライリーに会いに行こう、と。


 キャロルは自分一人で着替えられるワンピースを着て、こっそりと部屋を抜け出した。

 こんな時間に男性の部屋を訪れるなど、はしたないことだ。しかし、これを明日に回してしまうとライリーに会えないままお別れになってしまうのではないかと思った。

 なにせ、キャロルの運のなさは誰もが知るところなのだから。


 キャロルはライリーの泊まっている部屋の前で深呼吸をした。そして意を決してノックをする。

 ライリーはキャロルを見て一瞬目を見開いたが、すぐにいつもの笑みを浮かべた。


「珍しいな、あなたが訪ねてきてくれるとは」

「……少しお話したいことがあります。部屋に入れてくださいますか?」


 いつもよりも固いキャロルの表情にライリーは戸惑った顔をしつつも、どうぞと招き入れてくれた。

 部屋の中にある椅子に向かい合って座る。


「それで、お話とは?」

「……国にお帰りになると、伺いました」


 キャロルがこう言うと、ライリーは「ああ」と納得したように頷く。


「今日の件で、急ぎ国に帰って処理をしないといけなくてな。本当はもう少しこちらに滞在させていただく予定だったのだが……残念だ」


 そう言ったライリーの言葉は、心からのもののように感じた。


(でも──)


「ライリーは……わたしとの婚約を解消するおつもりなのでしょう?」

「……どうして、そう思う?」

「わたしがあなたの立場ならどうするかを考えた結論です。わたしならきっと婚約を解消します。自分のせいだと思い込んで」


 あなたも同じでしょう、と問うと、ライリーは苦笑した。


「あなたにはすべてお見通しというわけか。……確かに、私は国へ戻ったらキャロルとの婚約はなかったことに願い出ようと思っていた」

「それは、今日の件のせいですか?」

「うん、そうだ。あれは明らかに私のせいだ。まさかよその国にまで乗り込んで来るとは思っていなかった。完全に油断をしていたんだ。キャロルを危険な目に遭わせてしまったうえに、隣国で騒ぎを起こしたのだから、なにかしらの責任を取るべきだろう」


 ライリーの言うことは確かなのかもしれない。

 しかし、あれがライリーのせいだとは思えない。


「ライリーは命を狙われたのですよ? なのに、なぜあなたが責任を負う必要があるのですか?」

「私はこれでも王子だ。我が国の者が起こした不祥事に責任を負うべき立場にいる」

「そんなの……そんなの、おかしいと思います……」


 そう言いながら、ライリーの言うこともよくわかる。なぜなら、キャロルも同じ王族だからだ。


「……キャロルは優しいな。そんなあなただからこそ、婚約は解消するべきなんだ」


 目を細め、優しい笑みを浮かべて言ったライリーに、キャロルは困惑した。


「どういう意味ですか?」

「そのままの意味だよ。私が強運なのはキャロルも知っているだろう? 私は運が良ければ良いほど、周りを不幸にする存在なんだ」

「え……?」


 キャロルが目を見開くと、ライリーは静かに口を開いた。


「私はこの通り、運が良い。そしてその運の良さは私にだけ都合よくできているものだ。始めの頃は運が良いことにみんな喜んだ。しかし、時間が経つにつれて不気味がられ、周りからは距離を置かれる。──実の父や母からでさえも。母は私の強運がもたらした一番の被害者とも言える。私のせいで父に煩われるようになってしまったのだから」


 ライリーの口から語られる、ライリーの話にキャロルは胸が痛んだ。

 明るく太陽のような笑顔を振りまく彼は、その裏でこんな苦しい思いをしていたのかと思うと、キャロルまで苦しくなる。


「この通りの強運だから、なにをしても私の実力ではなく、『運がいいから』だと言われるようになった。試験でどれだけいい結果を残そうと、格上の相手に勝とうと、『またどうせ運の良さを発揮したんだろう』とな。仕方のないことだが……虚しさは常にあった。そんなある日、キャロルのことを知ったんだ。私とは正反対の不運な王女──ずっと気になっていた。いつか会って話をしてみたいと思っていたところに、今回の婚約の話があがったんだよ」


 そう言って笑ったライリーの顔は、初めて会ったときと同じ顔をしていた。

 会える日を心から楽しみにしていたと言って笑ったあのときの。


(あのとき……本当にそう思ってくださっていたのね……)


「実際に会ったあなたは予想よりも不運で、卑屈な、笑うと可愛らしい人だった。キャロルの考えていることは新鮮で面白かったし、話していて楽しい。だから──怖くなったんだ。このまま結婚をして、あなたまで不幸にしたらどうしようかと」


 だから今回の件はちょうど良かったのだと、ライリーは寂しそうに笑った。


「私はこの通り、命を狙われている。そんな相手が夫になったのではあなたも落ち着かないだろう。私はあなたには不釣り合いだ。だから、これで良かったんだよ」


 ライリーの言葉にキャロルは目を開く。


「……わたしも……わたしも、同じように思っておりました」

「え?」


 今度はライリーが目を見開く。

 それに対し、キャロルはしっかりとライリーを見て、口を開いた。


「ライリーと出会ったばかりの頃、わたしもあなたにはわたしなんて相応しくないと思っておりました。あなたのことを知れば知るほど、こんな卑屈で不運な娘は似合わないと」

「……」


 ライリーは困った顔をしている。

 そんな彼に、キャロルは微笑んだ。


「でも、今はそう考えてはおりません──いえ、考えるのをやめた、と言うのが正しいでしょうか」

「やめた……?」


 首を傾げたライリーに、キャロルはしっかりと頷く。


「はい、やめたのです。あなたにわたしが相応しいとか、相応しくないとか、そんなことはどうでもいい。わたしはただ──あなたと一緒にいたい」

「キャロル……」


 こんなにも誰かと一緒にいたいと願ったのは初めてだった。

 それに、これでもう彼と会えなくなるのは嫌だった。もっとライリーのことを知って、彼と笑い合いたいと、心から思った。


 キャロルはライリーに惹かれている。

 それを誤魔化すことがもうできないくらい、キャロルの中でライリーの存在は大きなものになっていた。


「だからどうか……婚約を解消するだなんておっしゃらないで……」


 声が震えた。

 ライリーがどんな反応をするのか、知るのが怖い。

 だから膝の上で両手を握り、俯いてしまう。


「……あなたの気持ちは嬉しく思う。でも……いや、だからこそ、私はあなたを不幸にしたくない」


 切ない声でそう言ったライリーに、キャロルを思わず顔を上げる。

 ライリーは穏やかに、そして少し悲しそうに微笑んでいた。


「キャロルは不運だけど、幸せそうだった。優しい家族に囲まれて、幸せそうに笑うあなたを見るのが好きだった。私もこの家族の一員になれたら、キャロルと家族になれたら、きっと幸せになれるのではないだろうかと……そう夢見たんだ。だからこそ、もし私と結婚し、あなたが母のようになってしまったら、私はきっと後悔する。キャロルには、ずっと幸せそうに笑っていてほしい……」


 ──私はあなたが羨ましい。


 何度か言われたその言葉の意味が、ようやくわかった。

 キャロルがライリーの明るさや幸運を羨んだように、彼もまた、キャロルの幸せな環境を羨んだのだ。

 ライリーになくてキャロルにあるものは、温かい家庭だ。それはきっと、幼い頃からライリーがほしくてたまらなかったものに違いない。


 しかし、彼は勘違いをしている。


「どうして……どうしてライリーの傍にいるとわたしが不幸になると決めつけるのですか? その不幸というのはライリーが勝手に思っていることでしょう? わたしの不幸を勝手に決めつけないで」


 段々と腹が立ってきた。

 キャロルが幸せなのかそうでないのか、決めるのはキャロルだ。ライリーの勝手な主観で幸不幸を決められたくはない。

 それに、ライリーの周りの人たちが不幸そうだからといって、キャロルが本当に不幸になるとは限らないのだ。あたかもキャロルが不幸になる前提で話をされるのも不愉快だった。


 今、キャロルはライリーの傍にいるけれど、不幸だとは思わない。

 そもそも、散々不運な目に遭ってきたキャロルなのだ。ちょっとやそっとのことで自分が不幸だと悲嘆に暮れるようなことはない。


 ギロリとライリーを睨むと、彼は戸惑った顔をしていた。


「わたしのことは一旦棚にあげるとして……ライリー、あなたはどうしたいのですか? わたしのことは考えてくださらなくて結構です。あなたの本当の気持ちを教えてください」

「本当の、気持ち……」


 なおも戸惑ったままのライリーに、キャロルは苛立った。どうしたらこの人の本音を引き出せるのだろうと、頭を働かせる。

 そして、とあることを思い出した。


「……ライリー、先日、ポーカーをしましたよね?」

「え? あ、ああ……したな」

「わたしはその勝負に勝ちましたけれど、まだあなたに〝お願い〟を聞いてもらえていません。なので、今その〝お願い〟をしますね。──あなたがわたしをどう思っているのか、嘘偽りのない気持ちを教えてください」

「……」


 虚をつかれたような顔をするライリーに胸がスッとした。恐らく、あの賭けをこんなところで使われるとは思わなかったのだろう。


「……俺は……キャロルに幸せになってほしい……」


 小さな声でそう言ったライリーに、キャロルは近づき、床に膝をついて彼の手の上に自分の手を重ねた。


「そうですか。では、わたしをお嫁さんにしてください」

「……なんでそうなる……?」


 眉を寄せたライリーにキャロルはにこりと微笑む。


「わたしの幸せはライリーと共にあると思うので」

「……」


 納得し難い顔をしているライリーに、彼も大概頑固だなとキャロルは思う。


「わたしはライリーとの婚約が決まるまで、きっと誰とも結婚することなく、静かにこの城で生涯を終えるのだと思っておりました。そんなわたしを、あなたが外の世界に連れ出してくださったのです。一度外のことを知ってしまったら、もうこの穏やかな優しい世界の中だけは満足できない。わたしをそんなふうに変えた、その責任を取っていただかなくては」


 くすりと笑ったキャロルにライリーは眉を寄せる。


「それは私ではなくても、いずれ誰かが同じことをしただろう」

「結果として、わたしに外のことを教えてくださったのはライリーです。だからあなたが責任を取るべきなのです」


 言いながら、なにか違うなとキャロルは思った。

 キャロルを変えてくれたのはライリーだ。だけど、それに責任を取れと言いたいのではなく──。


「……すみません、言い方を間違えました」

「は?」

「わたしを変えてくれたのはあなたです。だから──わたしと家族になりましょう」


 ライリーは息を呑む。

 そんなライリーにキャロルは微笑みかけた。


「あなたがほしいものは全部わたしが叶えて差し上げます。だからあなたは、わたしにもっと外のことを教えてください。不運なわたしが知らない、外のお話を」

「……」


 ポタリ、とライリーの榛色の瞳から綺麗な涙が零れた。

 顔を歪めた彼は消え入りそうな声で「……いいのだろうか」と呟く。


「なにがでしょう?」

「俺は……家族を望んでもいいのだろうか……」

「もちろんです。ライリーはどんな家庭にしたいですか?」

「……キャロルの家族のような、仲の良い、温かな家庭」

「そうですか。では、そうなるように一緒にがんばりましょう?」


 にこりと笑ったキャロルを、ライリーは力強く抱きしめた。


「俺は……あなたを望んでも許されるのだろうか」

「違いますよ。わたしがあなたを望むのです。だから許すも許さないもありませんわ」

「……そうか」


 ありがとうと呟いたライリーの声には、どこか吹っ切れたような響きがあった。

 縋り付くようにキャロルを抱きしめ、静かに涙を流すライリーの背にキャロルは手を回し、大丈夫だというようにトントンと背中を叩く。


 キャロルはライリーが泣き止むまで、ずっとそうしていた。

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