第3話「わたしに喧嘩を売っていらっしゃるの?」




 ライリーは兄の言った通り、朗らかな人物だった。

 その明るさであっという間にキャロルの家族たちと打ち解けた。


「ハッハッハ! 婿殿はとても愉快な方だ!」

「光栄です、義父上」


 お酒が入っているとはいえ、会ったばかりの娘の婚約者をもう「婿殿」と呼んでいる父に気が早すぎるのでは? と思わずにいられない。

 そんな父に対し、ライリーもニコニコと満更でもなさそうにしているうえに、さらっと「義父上」と呼んでいるのにも呆れを通り越して感心してしまう。


 家族の誰もがライリーを受け入れ、もうすでに家族の一員であるかのように接している。

 さすがにチョロ過ぎでは、と思わなくもないけれど、ライリーの雰囲気が明るく、王子にしては親しみやすいということもあって、家族が絆されてしまうのも無理はないのかもしれない。


 ライリーは聞き上手の話し上手だ。会話をしていて困ったなと思うこともないし、気づいたら普段は話さないようなことまで話している。

 軍人だと聞いていたから、もっとお堅い人なのかと思っていた。しかし、ライリーからはそんな堅さは感じない。


 キャロルだって、彼と話すのは嫌でない。

 彼とこのまま婚約をして、結婚してもいいかなと思わなくもない。──キャロルが普通の娘だったなら。


 ライリーの人柄が良いと実感するたびに、やっぱりキャロルのような不運な娘と婚約するのはよくないと思うのだ。

 もっと普通の、笑顔の可愛い素直な人が彼には似合うと思う。

 少なくとも、キャロルのような卑屈で疑り深い娘には不釣り合いな人だ。


 ライリーを歓待するささやかな宴の席で、彼の隣に座りながらそんなことを思った。


 すまし顔で宴を乗り切り、部屋に戻ってひとりになるとドッと疲れが押し寄せてきた。どうやら知らず知らずのうちに気を張っていたらしい。


 早く寝ようと寝台に潜り込んで目を瞑ると、すぐに夢の世界に落ちていった。





 翌日、廊下でばったり、兄とライリーに出くわした。どうやら二人は遠乗りに出かけるようだ。

 キャロルも一緒にどうかと誘われたけれど断った。キャロルが一緒だと、楽しめるものも楽しめないだろう。


 二人が帰ってきたのはお昼をだいぶ過ぎた頃だった。

 珍しいものが見られたと夕餉のときに嬉しそうに言う兄と、それにニコニコとして頷くライリーが羨ましく思った。

 

 しかし、それを心の奥にしまい込んで、ニコニコと二人の話を聞いた。

 白い虹の話、鷲が獲物を捕食する場面、滅多に人前に現れない動物たちとの出会い。

 そんな場面に実際に出くわせたなら、どれほど素敵だろう。


(まあ、そんなことなんてあるわけないのだけれど……でも、わたしも遠乗りに行けたら……)


 キャロルは馬に乗れない。幼い頃に乗馬に挑戦しようとしたがその不運さを発揮してしまい、教師も匙を投げた。

 だから、遠乗りに行くにしても、誰かと一緒に馬へ乗らなければならないが、日頃のキャロルの不運さを知っている者は皆一様に嫌がる。

 兄でさえも「キャロルに万が一があるといけないから」と乗せてくれないのだ。


 そもそも、キャロルは遠出することを許されていない。それはもちろん、キャロルの不運体質のせいで、日程が思うように進まないからだ。どんなに備えていても、どんなに時間に余裕も持たせてスケジュールを組んでも、大幅にそのスケジュールから遅れてしまう。


 もちろん王女として、孤児院への慰問等の公務で外に出なければならないこともある。しかしそれも比較的王城に近い位置にあるところばかりで、どんなに不運が重なろうとも、半日もあれば到着できる。

 

 基本的にキャロルの行動範囲は王城内のみだ。

 引きこもりと言っても過言ではないほど、キャロルの行動範囲は狭い。


「キャロル姫?」


 ライリーに話しかけられてハッとする。

 慌てて笑顔を作り、「お二人が楽しめたようでなによりでした」と当たり障りなく答えた。


「今度、キャロル姫も一緒にどうだろう?」

「まあ、ありがとうございます、ライリー殿下。そのような機会がありましたら、ぜひ」


 形式的にキャロルはそう答えた。ライリーのそれも社交辞令の一種だろうと思っていた。

 キャロルはすっかり忘れていたのだ。

 ──ライリーがとんでもない強運の持ち主であることを自称していたことを。



 ライリーがフルーク王国を訪れてから五日が経った。

 その間、ライリーは活動的に動いていたようだ。

 お茶の時間には必ずキャロルと一緒に過ごすことにしていたが、それ以外の時間はかなり自由に過ごしているらしい。


 今日のお茶の時間、ライリーといつも通りに他愛のないお喋りをしていると、不意にライリーが言った。


「ところで、姫は乗馬服を持っておられるのだろうか?」

「え? ええ、たぶんあったと思いますけれど……」


 唐突な質問に戸惑っていると、ライリーは明るく「それは良かった」と笑う。


「明日、一緒に遠乗りに行かないか?」

「……え? わたしと、ですか……?」

「この場だと姫以外に誘える相手はいないなあ」


 面白そうに言うライリーにキャロルは戸惑った。


「あの……わたし、とても不運なのです」

「うん、知っている」

「それに馬にも乗れません」

「それも聞いている」

「ですから、わたしは……」


 断ろうとするキャロルを遮って、朗らかにライリーは言う。


「姫が馬に乗れないのは問題ない。私の愛馬なら姫が一緒でも大丈夫だ。姫の不運体質については私がいるからなんとかなるだろう」

「で、ですが、万が一と言うことも……」

「大丈夫だ。姫は必ず私がお守りするし──なにより、一緒に行こうと約束もしただろう?」


 国王陛下からも許可はいただいている、と言われてしまえば断れない。

 

(あの社交辞令、本気だったのね……)


「万が一を恐れていてはなにもできない。持ち前の強運で戦を生き抜いた私がいるのだから、遠乗りくらい大丈夫だろう。姫、騙されたと思って私を信じてほしい」


 真摯にそう言われてしまうと、なにも言えなくなる。

 戸惑いが消えないまま、キャロルは「……承知しました。よろしくお願いいたします」と答えた。




 そして翌日、ライリーは宣言通りにキャロルを迎えに来た。

 いつも通りの笑顔を浮かべて、初めての乗馬服にそわそわしているキャロルをエスコートする。

 城の入り口近くに馬が用意されており、ライリーはそのうちの真っ白な馬へ近づく。


「おはよう、ビリー。今日も元気そうだな!」


 ライリーがそう言うと、それに応えるようにビリーと呼ばれた白馬が嘶く。

 よしよし、と顔を撫でたあと、ライリーがキャロルの方を向く。


「姫、これが私の愛馬ビリーだ。ビリー、今日は私の婚約者であるキャロル姫も一緒なんだ。いつもよりも慎重に走ってくれ」


 ビリーはじっとキャロルの方を見つめた。

 まるでライリーの言葉がわかっていて、キャロルを見定めているようだ。


「姫もビリーに触ってみるか?」

「いいのですか?」

「ビリーは気性が穏やかな良い奴だから大丈夫だ。きっと仲良くなれる」


 ほら、とビリーの顔に触るように促され、恐る恐る手を伸ばす。

 おずおずと触れ、顔を撫でるとビリーは目を閉じた。そして、されるがままに触れさせてくれる。


「本当に大人しい子なのですね……」

「ビリーは元々大人しいやつだが……どうやら姫を気に入ったようだな。ここまで大人しいのは珍しい」

「まあ」


 驚いてビリーを見ると、真っ黒のつぶらな瞳でキャロルを見つめ、スリスリと顔を押し付けた。

 よしよしと撫でてあげると気持ちよさそうな鳴く。


 キャロルとビリーの交流をニコニコとしていて見ていたライリーだったが、「そろそろ行かないと」と申し訳なさそうにキャロルをビリーから離す。

 名残惜しく思いながらビリーから離れ、ライリーに手伝ってもらいながらその背に乗る。


 初めて乗った馬は、いつもよりもだいぶ目線が高く、少しだけ怖かった。

 けれど、その恐怖もすぐに別の物に上書きされた。

 軽やかにビリーに跨ったライリーが、すごく近い。

 冷静に考えればそれは当然なのだが、こんなふうに家族以外の異性と接近したことがなかったキャロルはとても困惑した。


 嫌だというわけではない。けれど、酷く落ち着かない。

 そんなキャロルの動揺を知ってか知らずか、ライリーはいつもと変わらない調子で「大丈夫か?」と聞いてくる。


「だ、大丈夫とは……?」

「馬に乗ったことがないと言っていただろう? 普段よりも視線が高くなって怖くはないか?」

「え、そ、それは大丈夫です……」


 乗ってすぐに怖いと思ったことなど、頭が真っ白になっていたキャロルは忘れていた。

 なんにせよ、ライリーが近い。少しの会話でさえもすぐ近くからライリーの声が聞こえるのも落ち着かないし、背中越しに伝わるライリーの体温にもそわそわしてしまう。


「そうか、なら良かった」

「あ、あの……わたし、後ろに乗った方がいいのでは……?」

「なにかあったとき、後ろにいられるよりも前にいられた方が対処しやすい。落ち着かないかもしれないが、我慢してくれ」


 そう言われてしまうとなにも言えない。

 キャロルは「はい……」と頷き、できるだけライリーのことを考えないようにしようと、前に集中することにした。


 出発しよう、とライリーの一声で動き出す。

 今回の遠乗りは、ライリーとキャロルの他に、ライリーの副官の青年とキャロルの護衛役が二人付き添っており、二人に気遣ってか、少し距離を空けて付いてくる。


 馬の足音を必死に聞き、後ろのライリーからとにかく気を逸らそうと必死になっているうちに、段々と余裕が出てきて、周りを見る余裕が出てきた。

 直接風を感じて城の外へ出るのは初めてだ。

 馬車の中では感じない自然の匂いや小鳥のさえずりを感じ、空を見上げると青く澄んでいた。


「言っただろう? 私が出かけるときは晴天になると」


 まるで悪戯を打ち明けるかのような調子で言ったライリーは、きっとニコリと笑っているのだろう。

 ライリーの言葉に「ええ」と頷きながら、やはり羨ましいと思う。


「……そういえば、今日は鳥の被害に遭っていないわ」


 思い出したようにそう呟くと、ライリーがすかさず答える。


「鳥の嫌がる音というのものがあるらしいんだが、それは人間には聞き取りにくい音だそうで、今回はその音を放ちながら行くことにしたんだ。いくら私が強運だといえ、姫の不運もバカにはできないからなぁ」

「……わたしに喧嘩を売っていらっしゃるの?」

「とんでもない。姫の不運がどの程度のものか私は知らないから、姫に少しでも不快な思いをさせないように対策を取っただけさ」

「意外と心配性ですのね」

「姫に嫌われないように必死なだけだよ」


 軽快なライリーの言葉にくすりと笑う。

 こんなふうに外出が楽しいのは初めてだ。

 いつもいつ不運が襲ってくるか不安で、楽しむ余裕なんてこれっぽっちもなかった。

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