4章4節 蕩ける現実

 喜佐美きさみ先輩と私たちの待ち合わせ場所は、駅を挟んで向こうがわにあるロータリーの広場に決めてあった。人通りは多いし、周りはバスやタクシーも行き来している場所だけれど。喜佐美先輩は抜群に背が高いのですぐに見つかると考えていた。


 のだけれど、なかなか見つからない。


「あ、姉さんを見つけました」


 さすが姉弟というべきか。広場に入ってしまえばすぐだとはわかっているけれど。どこにいるのか知りたくて喜佐美君の視線を追おうとしてしまった。


「え、どうしたの」


 喜佐美君の口が歪なかたちに半開きになっていて、クワっという擬音がつきそうなほどに目を見開いている。普段から一緒にいる人が楽しめるように心掛けている彼が、なにを見たらそんな顔になるのだろう。


 興味半分。驚き半分。そして、ほんの僅かな心配を込めて視線を辿ると。私も顔面が物凄い勢いで引きつった。


 喜佐美先輩が、よく知らない男性たちとお話をされている。


 明るい服を来ていて、なんとも言えないキャップを被った軽薄そうな男の人たち。気軽そうに話しかけているけれど、先輩と目が合ってない時は目線が上に下に揺れているのが見えてしまって。


「喜佐美君、荷物持っててくれる」


「はいよろこんで」


 後ろに放った荷物は、きっと喜佐美君が受け取ってくれただろう。


「せんぱーい。お待たせしましたー」


「ねーさーん。ねーさーん」


「事前に連絡してくれれば、早めに切り上げてきたのに」


 一人で待っているのも寂しいので、話しかけてくれた親切な人たちとおしゃべりをしていたのだという。誰にでも優しいのが喜佐美先輩のいいところだけれど。今度から気をつけるよう話すべきかもしれない。


 私と喜佐美君で引きはがすのが大変だったのだから。



「それにしても姉さん。その服、初めて着てるやつだよね」


「後輩と弟から大事な話があるってお話を受けたのだもの。私だって気合いを入れてこないと」

 確かに、今日の喜佐美先輩は気合いが入っている。私や喜佐美君みたいなパンツルックにジャケットのスタイリッシュな装いではなく、まったく逆の。大人びつつもガーリーな雰囲気のあるものだった。


 落ち着いたカラーリングながらも、かわいらしい意匠の入ったコート。ふわりと広がる、丈の長いボリュームスカート。すっきりと丁寧に編み込まれたギブソンタック。喜佐美先輩の基調ともいえる黒はデニールの高いストッキングとドレスシューズにしか見られない。


「万洋。人通りも多いし、まだ寒いんだからもうちょっと暖かい格好をしなさい」


 喜佐美先輩は来ていたコートを脱いでそのまま弟に着せていく。


 ボタンまできっちりとかけてマフラーも巻き直してくれるのはお姉さんとしては少し過保護だという話で済むのだけれど。


 思春期の男の子が好きな女性にされることとしてはあまりに惨いと感じてしまった自分がいる。


 私と喜佐美君がどこで告白をするかは決まっていた。駅前にある広めの喫茶店だ。ビルの中にあるその喫茶店はチェーン店で少し値が張るとはいえ。適度に人がいつつもゆっくりできる場所だ。落ち着いて大事な話をするならここが良いだろうと二人で相談して決めたのだ。


「いただきます」


 三人それぞれに飲み物とお茶請けを頼んで、つつがなく歓談が始まった。お姉さんの手前ということもあって、喜佐美君はカフェインのないホットチョコレートを頼んでいる。私と喫茶店に入った時はだいたいコーヒーを頼むのだけれど。弟なりの姉への気遣いというものなんだろう。


 喜佐美先輩とは合格後初めて会ったということもあって、和やかに会話が進んでいる。


 もちろん、お世話になった後輩としても。頼りにされている先輩としても。喜佐美君の進路を一緒に考えさせてもらった。途中で推薦に切り替えた私とは違って、彼は一般合格を目指している。具体的な話は一度しておくべきだろう。


 興味深くかつ大事な話だ。だけれど、今日の目的である告白のタイミングを掴めそうにない。公園で一度覚悟を決めたけれど、ここを逃せばもう二度と機会が訪れないような気がしていて。笑顔の裏で焦りが溜まっていく。


 喜佐美先輩がいったん席を離れた。喜佐美君はどうしようと迷っていたけれど。ここを逃した後が自分で思い描けないだけ、私の方が必死だった。


「お待たせ。今日は夕の合格祝いなんだから。ケーキもおかわり頼んだっていいのに」


 頼んでおいたブラックコーヒーがちょうど届いたから、店員が立ち去るのを見届けて一気に飲み干した。


 苦くてエグくて。そしてなにより熱かった。舌がひりひりして喉が焼けてしまいそうだけれど、活を入れるにはそれくらいしないと。


「夕。一気飲みなんてして、大丈夫なの」


「先輩、これから話すこと。しっかり聞いてもらえますか」


「え、ええ」


 頬が熱いのも。目尻に涙が溜まっているのも。なにも入れてない出来たてほやほやのコーヒーなんか飲むからだ。恐れていることなんてどこにもない。


 お冷の入ったコップを差し出してくれる喜佐美先輩の瞳には、目を潤ませた私が映っていた。この後も、彼女の瞳に私が映っていることを信じている。


「喜佐美先輩。好きです。ずっと好きです。どうしても好きなんです。だから私を」


「僕も。僕も姉さんが好きなんだ。一人の女性として。男として喜佐美一海のことが」


「まぁ」


 口火を切った私に被せるように喜佐美君が告白をしてくる。感極まってやってしまったことだ。先に勇気を出したのが彼だったら私も同じことをしていたのは間違いない。


 責めるつもりはないけれど、タイミングが被ってしまえばこの場の全員が困るだろうに。


 案の定、喜佐美先輩は驚きを隠せていない。同性の後輩と実の弟にいきなり告白されたのだ。冗談だと流されるかもと危惧していたけれど、もしかしたら理解が及んでいないのかもしれない。


 横目で見る喜佐美君は歯を食いしばって顔を真っ赤にしている。この態度で告白を誤魔化すのはもう無理だ。かくなる上はもう一回。


「私、あなたたちがとっくに付き合ってるんだって思ってたの。いつ話してくれるのかなってずっと楽しみで。今日がその日だと思っていたのだけれど」


 確かに喜佐美君とはお互い支え合う中だ。喜佐美一海との会話でお互いのことを話題にすることもあるし、話題にされることがあることも知っている。生徒会も、私たちがつきあっていると考えてる層が一定数いる。


 一般的に考えればかなりウマの合うペアなんだろう。二人の服装もほとんどペアルックだ。やったことに目を瞑れば、確かに言い逃れはできない。


 一世一代の大勝負に出た後の虚無感もあって、乾いた笑いが自然に漏れた。


「夕も。万洋も。こんなに素敵な子たちに愛してもらえて、とても嬉しい。ありがとう。でもね、あなたたちの想いには応えられない。本当にごめんなさい」


 喜佐美先輩は優しい声色で、穏やかな微笑みでそう言った。私たちが知っている、いつもどおりの喜佐美先輩だ。嘘も誇張も方便も、なにもないと信じられる。


 当然だ。ごくごく自然なことだ。ただこの言葉を聞くために私はどれだけ苦しめられてきたのだろう。これからどれほど辛い思いをするのだろう。


 私のこの想いはちゃんと受け取って貰えたのだからそれでいい。どんなに悲しくてもそこは揺るぎのない事実。私の魂は、喜佐美一海にまた救われた。


 のだけれど。続く言葉があって。


「私、もうお付き合いしている人がいるから」


「え」


本気マジですか」


 せっかくだし、私もお披露目しちゃおうかなって思って来てもらったの。


 恥じらった表情で目を伏せて、喜佐美先輩は言葉を続ける。もう恋人がいるなんて、そんなこと知らないのだけれど。


 いい人だとか。頭が良くて強いとか。言われても。頭に入ってこないのだけれど。


 情報の濁流に呑み込まれている私たち二人を尻目に、喜佐美先輩はマイペースに話を進めていて。ついに喜佐美先輩の彼氏と顔を合わせる段階まで話題が進んでしまった。


 私も相当ショックだけれど、弟である喜佐美君の顔は想像さえできない。


眞理夫まりおさん」


 そう呼んで喜佐美先輩がウインクをした相手は、少し遠いけれど隣の席に座っていた。一度彼女が離籍したのも、迎えにいったのだと思うと合点がいく。


 逃げずに今このタイミングまでずっといてくれた度胸は認めるべきだとわかっているのだけれど。


「正直に言えば針の筵なんだが、一海の大事な人たちのために協力しよう」


 大柄だけどスマートな雰囲気をしている。海外風の顔立ちをしている金髪の男性。人中の虎という言葉が浮かんでくる独特の野性味。喜佐美先輩のいる大学の大学院生ということは、私が知る中でもトップクラスの知識を持っていることになる。


 蛮性と知性を両立させている、端的に言えば物凄く怖そうな人なのだけれど。明らかに喜佐美先輩の言動に困惑していること。それでも私たちを気遣って姿を現わしてくれたこと。この二つで、極端に悪い人ではないのではないかと思えた。


「あ、あはは。初めまして。喜佐美万洋です。さっそく、眞理夫義兄さんなんて。呼んでみたり」


「初めまして万洋くん。いきなりの話だから無理はしなくていい。練習はするべきだが」


 気まずいと口にしながらも鷹揚な態度で接してくれている。この人は私たちに喜佐美一海を諦めさせようとしてくれているのだ。


 ならば私も、ご厚意に甘えよう。


「朝野と申します。眞理夫さん。喜佐美先輩の事、どうかよろしくお願いします」


「君も一海の大事な後輩だ。先輩には存分に甘えてほしい。彼女を支えるのは私の領分だ」


 現在進行形で頭の中がぐちゃぐちゃになっている喜佐美君に比べればとはいえ。私はだいぶ落ち着いて話すことができている。テーブルを挟んで向こう側にいる彼氏さんが自分たちの気持ちを理解して、一線を引いてくれているのだろう。


「よかった。二人とも怖がらないでくれて。これなら喜佐美家にもう一人加わっても安心ですね、眞理夫さん」


 同じテーブルを囲んでいる三人の意識が、瞬時に喜佐美先輩へと収束していく。まったく気にする素振りも見せないで、彼女は視界に恋人を収めたまま返答を待っている。


 上手く行くように心から祈っているけれど、眞理夫さんという人はきっと。喜佐美先輩の尻に敷かれる新婚生活を送るのだろう。

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