2章9節 わからない なにもない

 喜佐美くんをデートに誘えたのはいいけれど。


 今週の日曜日を抑えられたのはよかったけれど。


 着ていく服がない。


「休みの日まで制服っていうのは絶対おかしいよね」


 とはいえ、電車通学なのに鏡の前にいつまでもいるものじゃない。一回切り上げておかないと、待ち合わせに遅れるどころか大遅刻だ。


 通勤電車の中で自習するのが最近だったけど。今見つめているのはスマートフォンの画面だった。


 昨日、八城に送ったメッセージ。喜佐美くんとの好きそうな場所を教えて欲しいという内容で。意外にも素直に八城は素直に伝えてくれた。


 万洋と一緒に自分も連れていくという対価と引き換えに。


 喜佐美くんと放課後に出かけて気分がよかったのかもしれないけれど。ハッキリ言ってしまえば思惑が読めなかった。


 来るべき日曜日のデートを少しでもいいものにしたくて、私も八城が出した条件を呑み込んだ。


 せっかくの初デートに八城を連れていくなんてありえない。わかってはいるけれど、すっきりと受け入れてしまったのが自分でも不思議だった。


 喜佐美くんや八城と顔を合わせてしまえば気持ちも変わってしまうのだろうか。


 過ぎ去っていく街の姿のように、考えは纏まらずにどこかへ消えてしまう。


 なぜ八城がいい返答をしてくれたのかはわからない。わからないままだけれど、どこに出かけていくかは決まった。


 だから次は、着ていく服の心配をする番だ。


「というわけなんです。どういう服を着ていくのがいいんでしょうか、朝野先輩」


 食堂で朝野先輩を見つけて、相談に乗ってもらうことにした。


 突然のお願いで、喜佐美くんに関する内容だけれど、快く応じてもらえた。


 恵宝高校生徒会会長の肩書きは伊達じゃない。


「私も先輩からの受け売りなんだけれど、それでいいなら喜んで。あと、食べながらでも構わないから。味わって食べてね」


 今日のメニューは定食にデザートの菓子パンをつけたものだ。


 朝野先輩は購買で買ったらしいおにぎりと、きんぴらとか胡麻和えの入ったお弁当箱を持ってきている。


 おにぎりだけじゃ足りないからおかずを持ってくるのはわかるけれど。から揚げとかじゃないのが、朝野先輩らしさだと思った。


「せっかくのデートなんだし、どう見られたいかが大事だと思うけれど」


「デートってそんな。まだそういうんじゃなくて」


「そういう風にしたいんでしょう。これからのためにも」


「これからってそんな。付き合っちゃってもいいんですか」


「もちろん。節度を持っているなら、交際は積極的にするべきだと思う」


「え」


 意外な返答だった。喜佐美くんと生徒会室で跪いて謎の儀式をしていたのに。あっさりと応援してもらえた。


 いつも通りの優しい笑顔と声で。箸遣いや食べる仕草も丁寧なままで。嘘や動揺はまったく感じない。


 むしろ、箸が止まっているのは私の方で。


「普段あれだけ喜佐美君を連れまわしているから。意外に思われちゃったか」


「はい」


 この時、初めて朝野先輩が箸を置いた。


 眉間に皺が少し酔っているけれど、唇を少し尖らせて考え込む表情はよく知っている。


 喜佐美くんが考えているときによくやっている表情だ。


 教室で自習をしている八城も同じ顔をしている心当たりがあって、あることに気づく。


 考える時に唇を尖らせる癖は喜佐美姉弟のもので、二人に近い朝野先輩と八城にうつったものではないかと。


 自分の癖についてあまり考えたことはないけれど、もしかしたらうつってるかもしれない。


「む、むしろ。あんなに一緒にいるんだからいっそ付き合っちゃえば。なんちゃ」


「あの子とはそういう関係になるつもりはないから」


 きっぱりと。朝野先輩はそう言い切った。


 まっすぐと自分に向けられた視線は、どこか冷めているようにすら感じられて。


 八城と私の疑念は、杞憂に過ぎないのだと思い知らされる。


「どうしてなんですか」


「どうしてって言われると、うん」


 付き合うつもりもなければ、好意を抱いているわけでもない。余計に生徒会での出来事が気になるけれど、問いかける勇気はなかった。


「もうちょっと背が高い方が好みだから」


 うん。喜佐美くん、背の順一番前ですもんね。


 なんでという疑問は尽きないけれど、朝野先輩が私の応援をしてくれるのには間違いないようだ。


 もう幾つかお互いに質問をしあって、元の服の話へと戻っていく。


 洗濯のローテが崩れないし、多少は汚してもいい。休みの日でも指定のジャージか制服で過ごしてきた。


 後はコートとかズボンとかをたまに着るくらいで。


 おしゃれっぽい服は押し入れの奥で。最後に着たのはいつだったのか。思い出せなかった。


「うん。私も似たような時期があった。落ち込まないで、今にできることを考えましょう」


「でも先輩。服なんてどこで買えば」


「私も気晴らしはしたいし。今度の土曜日は空いてるかな」


 さすが頼れる朝野先輩。せっかくのご厚意に甘えることにしよう。


「というわけなんだけど、八城もショッピングどう」


「無理。日曜日に備えて静養しとくから」


 お互いの事情だから、誘われても断られてもどうということはないけれど。三人で出かけられないのは残念だった。


「着てく服もないのに、よく万洋を誘ったなお前」


「誰かさんの行動に触発されました」


 自分の行動が原因だったということに、今まで本当に気づかなかったみたいで。八城は苦い顔をしている。


 無愛想な表情ばかりされるのも嫌なので、さっき入手したばかりの朗報を八城にも教えることにした。


「朝野先輩に喜佐美くんのことも聞いたけど。多分大丈夫だよ」


「嘘かもしれないのに」


 一瞬だけぱっと輝いた表情も、また険しい表情に戻った。信じられるのかと八城は聞きたがっている。


 病院や治療生活で嘘や気休めを言われることが多いことくらいは想像がつく。


「隠し事をされてないって絶対に言えるのかお前」


「都合がいいと思うだろうけど、だからラッキーでいいんじゃないかな」


「別にいいけど。迂闊に告白して振られるのは勝手だから」


「日曜日はお互いお洒落しようね。バイバイ」


 そう言って教室を出たけれど、少し意地が悪いように思われたかもしれない。


 まぁいいか。色々とぶつけられてるのはいつも私の方だし。

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